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ちょっと感覚が戻ってきていません。雰囲気が違うかもしれません。
「囲まれたら終わりだ、オードリー前はどうだ!」
「いかんせんこんな調子だ、ボスのしんがりが頼もしすぎる」
前方に声を放ったチィに対して、相方は頼もしい発言をする。
だが彼も、自信はないようだ。
「このあたりはよく知らない教室が多すぎる、そして俺たちの敵が多すぎる、全部的だと思っていて損はない」
「じゃあ何とかして、屋敷まで戻らないとな」
ここ数日の苦労でまた、走れなくなった数名を担いでチィは断言する。
屋敷ならば、自分の夫の領域だ、そこでむやみに騒ぐ奴らの方が少ない。
だがそれは、学園の人間もわかっている事だったらしい。
屋敷に戻られたら、あの子供たちを確保する事は出来ない、あの子供たちを死地に送る事は出来ないと、分かっているようだ。
警報は鳴りやまない。その音のうるささの後に、校内に彼等を捕まえる様にとの連絡が回る。
チィは舌打ちした。これは厄介だ。
彼女は周囲を見回した。自分だけならば逃げられる道、だが子供たちは逃げられない。
そして慣れていない入りたての集団よりも、他の生徒たちの方が学園の通路に詳しい。
オードリーが前方に現れて、逃亡を邪魔する生徒たちに舌打ちする。
「ちびども、あたしとオードリーに掴まれ! 窓から出るぞ!」
「ボス頼もしいけれど、俺の体力考えてくれ!」
「出来ないっていうのかこのばか! 火事場の馬鹿力ら出せ!」
「わかったよ!」
チィに六人、オードリーに三人が群がる。
彼等ががっちりと掴まっていることを確認し、二人は窓から身を躍らせた。
そこからはもう、子供をぶら下げての大脱走である。
だが地の利が決定的にない状態が続き、ついに二人は行き止まりまで追い詰められてしまった。
チィはそこで、子供を全員自分の後ろに庇った。
何が何でも守るのだ、と覚悟を決めた顔で、手のひらに隠していた、小指ほどの刃物を握る。
それはチィにとっての禁じ手と言っていい物だった。
彼女はそれだけはしてはならないと、自分に言い聞かせ続けていた事だった。
だが。
「自分の守るべきものを殺されるくらいなら」
小さな小さな声が言う。覚悟を決めて腹をくくって。
「殺した方がましだ」
既に退路は断たれている。押し寄せてくる教師だのなんだの。
チィは彼等を眺め、そして息を一つ吸い込んだ。
さあ、大音声で問いただせ。
お前たちの道理は真に道理なのか!
「こんな小さな子供ばかりを、死地に送る由縁はいかに! ここに入ったばかりの、正式な音調の事もそれの使い方も向かわせ方も、何も知らない子供たちを、なにゆえに戦場に向かわせる! 戦場に向かわせるべきはそれらを会得したものであるべきだ! 会得に至るどころか、音調そのものの意味すら知らない幼子を血塗られた場所に連れて行く、それはお前たちにとって道理なのか!」
堂々と響いた声は、追いかけてきた生徒たちの足を止めた。
生徒たちは怪訝な顔で知り合いを見回し、お互いに顔を見合わせる。
そこからしれた事があった。
「なるほどお前たちは、この幼子たちが己らよりもはるかに優れた、経験者とみなしたか! 笑止! 何を考えた、何を思った! 仮にこの子たちがそれほどの修羅場にいたとして、その修羅場に再び戻らせようとするその心理は悪逆非道!」
教師たちは明らかに、チィ一人の発言に動揺していた。動けないのだ。
彼等は生徒たちの目の前で、己らの間違いと非道を叩きつけられていた。
少女が背に庇う子供たちは、本当に幼いのだ。
その幼い幼い子供たちを、名誉だと理解できない言葉で言い含め、戦場に送り込もうとしている己らの、あまりにも下種の振る舞いを、生徒たちに見せられていたのだ。
これはまずい、学園の信用にかかわる。
誰かあの、小娘を黙らせなければ。
教師たちは焦るものの、その小娘が背に子供を庇っている事から、何かしらの術を使い、物理で黙らせる事も出来ないでいた。
正式な音調を、この上なく巧みに操る子供たちに、怪我なんか学園でされたらたまらなかったのだ。
「ここに問う! なぜこの子たちでなければならない! 死にに行くならお前たちが勝手にやれ! この子たちを死なせに行くなど、このあたしが許さない!」
お前が許さなくとも関係ない、と誰も言えなかった。それだけの迫力が、覇気が、圧力が、あった。
この子娘に許されなくとも連れて行けばいい、と誰も言えないほどの強さがそこに現れていた。
ただの娘のはずなのだ。ただの。何の権力も持たない。
なのに彼女の言葉を否定する事も笑い飛ばす事も、無視することもできやしない。
何という力のある言葉を操るのだ。
教師たちは、何故この娘は正式な音調を使っていないのに、これだけのモノが言えるのか、と何処か呆然と思う。
その時だった。
「チィ!」
足音も荒く一人の男が駆けて来る。
銀の頭髪赤い瞳。誰かが呆気にとられながらも
「白の騎士団副団長殿……」
と呟いていた。その男はチィに近付き、子供たちを見つめ、ほっとしたようにしゃがみ込んだ。
「すまない、戦場に送られるのがお前たちだと聞いて、すぐさま撤回させるために動いていたんだ。送り出されたら間に合わなかった。送り出した後に撤回させるのは、とてもとても大変なんだ」
「じゃあ逃げて時間稼いで、よかったって事だな。……でもな旦那様」
チィは男を見やり少し笑ったのちに、恐ろしい顔になり、そのしゃがみ込んだ頭を蹴飛ばした。
生徒も教師も青ざめた。蹴飛ばし方は勢いがよく、さすがにそれはないだろうと言いたくなるものだったのだ。
オーガストは呻く。倒れこそしなかったが、相当の衝撃だったらしい。
「お前……約束破ったな? 子供たちが安全だっていうからここに送り出すことを選んだんだ! なんで入ったばっかりで右も左もわからないこの子たちが、戦場に連れていかれるんだよ! 話が違い過ぎるだろうが、この詐欺師!」
「すまない、まさかこうなるとは、本当に、いっ」
チィは激昂しているせいで、散々にオーガストを蹴りまわす。割とすごい音が響いているなか、オードリーが苦笑いでそこに声をかける。
「うちのボスさん、約束破られるの大嫌いなんだよ、身に染みただろ? 気を付けないとあばら、持ってかれるぜ」
「身にしみて、あいてっ! 頼む、弁明をいっで!」
「るせえ! こっちが死に物狂いで来なかったらこの子たちが、あたしの知らない所であたしの生きているうちに死んでたっのに弁明もくそもあるか! 騙しやがって!」
学園関係者は、ここで、彼等の上下関係もしくは契約を知った気がした。