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「ここなんだ」
書庫で見せた扉を見ると、男が目を丸くしてそれをしげしげと観察する。
「ここは初めて見た。こんな隠し扉に二十何年も気付かなかったとは」
「隠されると意外と見つけられないよな、もしかしたらあんたのお父さんだかおじいさんだかは、後で教えるつもりだったんじゃないの、えっとどっちもご存命?」
「ああ、生きているし、この屋敷を譲られた時もどちらも元気だったのだが」
隠し扉に興味津々の旦那様が、いつまでもそこから動かないので、焦れてチィは扉を開けた。
「ここが中身」
「……おどろいた、植物園のようになっているなんて。水源は一体どこなんだ?」
開け放たれた場所が、緑にあふれているからだろう。オーガストは驚いた顔を隠さず辺りを見回す。
「んで、昨日はここで昼寝をしてたわけだ」
チィは自分の体の形にくぼんだ、雑草のくぼ地をみせて言う。
「ここは確かに、昼寝をしても砂ぼこりに悩まされなさそうだが。
辺りを見回す彼はそれでも、言いたい事があったようだ。
「こんな空間が自宅にあったなんて……とても信じられない」
「んじゃ」
チィは男の体を引き寄せて、一気に押し倒した。
受け身が取れない男が、打ち付けた背中の痛みに呻けば。
「痛いだろ、だったらここは夢じゃない」
胸を張った。そこで胸を張るのかと言いたくなる物があったが、彼女は胸を張ったのだ。
「確かに痛いから夢ではないが……こんな乱暴で雑な手段で現実を確かめさせられるとは思わなかった」
顔をしかめて言う男の顔の、紅蓮の瞳に涙が浮かんでいるのは、よほど痛かったからなのか。
なんだか自分の守ってきた子供たちみたいで、チィはあいつらどうしてるかな、とまた思った。
「……チィ」
「何だよ改まって。旦那様」
二人で草の中に寝転んでいると、不意にオーガストが口を開いた。
「先日、音調使いの子供たちが襲撃に会った」
がばっとチィは起き上がる。
「あの子たちは!? 無事なのか!? なんでサッサと言わないんだ!」
顔は真顔、今からでも弾丸のように飛んでいきそうな妻に、彼が言う。
「襲撃されたのだが、無事だ。……ひとりの聖鎧使いが現れた事で」
「本当だな?」
疑わしいという顔をする彼女に、男は断言する。
「その聖鎧使いは、本来使えなくなっていた……破棄されていたものを動かし、魔物を退けたそうだ。その時」
言いよどんだ後に、彼は告げた。
「あたしの子供たちに手を出すな、と言ったらしい」
チィは固まった。その台詞は覚えがあった。夢の中で言った言葉だったはずだ。
あの夢の中で、自分はどっかの水たまりから地上に上がった……
まさか。
「それになにか心当たりはないだろうか」
寝転がったまま、しかし彼女が逃げることを恐れるのか裾を握り、男が問いかける。
彼女は一瞬黙った。
その沈黙がすべての答えになってしまっていた。
そう。
「身に覚えが、あるようだな」
「……きのうここで昼寝したって言ったろ?」
チィはちょっと気まずい気がしたものの、言わないと彼が困る気がしたために答え始める。
「昼寝した時に、夢を見たんだ。何かになっている夢で……あんたのいったとおりに、あたしの子供たちが襲われてて、あたしはその魔物たちをぶっとばすんだ」
淡々と事実だけを、言おうとしたチィはオーガストの変化に気付いた。
彼は悲しそうな顔をしていたのだ。
それを聞きたくなかったと言わんばかりの顔で、なんだかとても大事なことをこれから言わなければならない、と言い出しかねない顔だった。
「でも、ただの夢だ。あたしは起きたらここにいたし、そのセイガイってやつの事は何一つ知らないし」
「だが、動かしたんだろう」
「夢の中でさ」
「……じつはその何者かを、陛下が探していらっしゃるんだ」
「何のために?」
「魔王軍との戦いのために。ここ数年、国境線はじわじわとあちら側に押されているんだ。音調使いを新たに確保したいのも、魔王軍に備えての事」
「あたしさあ、物知らずなんだよ、だから教えてくれないか、なんで魔王軍と音調使いとセイガイを使う奴が関係あるの」
「聖鎧は、瘴気にまみれた魔物たちの中で、人間が戦うための唯一の手段であり、音調使いはその聖鎧を強化する力を神々から与えられているんだ。音調使いの歌は、聖鎧の性質を格段に跳ね上げる」
「……ふうん。だからほしいのか、結局何かを殺すために必要になるわけだな」
「そんな身も蓋もない」
座り込んだチィの横に座り、オーガストが言う。
「そして、ここからがチィ、君にとって重要な事になるのだが……普通、破棄された聖鎧は動かせない」
「は? でもあたし動かしたって事になってんだろ」
「だから特別な事なんだ。異例中の異例なんだ。聖鎧は……神に与えられた耐久年数が過ぎれば、どんなに調律しても、動かなくなる。ゴミになってしまうんだ」
「変だろその話とあたしの事をあわせたら」
「だから陛下が、探しているんだ。……破棄されて久しい伝説の聖鎧。それを動かした奇跡の誰か。おそらくその誰かが、魔王軍との決着の決め手になるからだ」
「あたしは王様の所になんて行かないぜ、あたしはここにいるんだ。あの子たちが帰ってくる場所としてな」
断言した彼女の、返答を予想していたのだろう。
オーガストは息を吐きだした。
「顔を見られるぞ? あの子たちがちゃんとしているか、顔を見る機会も多くなれるぞ」
彼女はその魅力的な言葉にためらった。
ためらったが……首を縦に振ることはしなかった。
それが彼女の選択だったのだから。
それから数日が経過した。チィはここ数日という物、嫌な予感が首のあたりをちくちくとさしていた。
なんだか、地下で暮らしていた時だったら逃げ出さなければならない、宿を移さなければならないと思う感覚によく似たそれだった。
それに駆られた彼女が、なんとなく持ってもいない荷物を整理するのも、ここ数日見慣れた光景になりつつあった。
「奥様、先ほどから同じことを繰り返していらっしゃいますよ」
「落ち着かないんだ、なんだかとても嫌な事が迫っているような気がして」
チィはそう言うと、下を向いた。
「なんだかあの子たちに危ない事が迫っているような気がして、仕方がないんだ」
「奥様……」
使用人の誰もが、チィが子供たちを大事にしていると知っている。
そのためなんとも言えない顔になった時だ。
「ボス」
短い呼びかけとともに、窓が開いた。開いたと思えば、一人の少年が入ってきた。
どうしてそこから、という疑問はおそらく、一番チィに近い場所だったからという答えになるのだろう。
「オードリー!」
彼女が名前を呼ぶと、彼は頭を下げた。
「ボス、すまない、俺は守り切れなかった」
「……え?」
「ちびたちの何人かが、戦地に行かされる。そっちに派遣されていた、音調使いの腕のいい奴らが死んだとかで」
チィの持っていたものがおちる音がした。彼女は衝撃を受け、問いかける。
「まてよ、あの子たちは……学校とやらの中でも一番に小さい子ばかりだろう!? もっと経験豊かな歳行った奴らじゃなくて何で」
「正しい言葉を使うからだ」
「……え?」
「正しい音調を使う、これのせいでスザクたちは、明日戦地に引っ張られていくんだ。俺は何とか隙を見て脱走して、あんたにこれを伝えなければと思ってここまで来た。……俺も明日、あいつらと一緒に行くつもりだ」
「あたしが学校に行かせたのは、死地に行かせるためじゃない!」
チィの叫び声は悲痛だった。
彼女はいいところだから、とそれを信じて学校とやらに子供たちを送ったのだ。
それの結果がこれ何て。
信じたくないだろう。
「学校の決定で覆せない。スザクたちも脱走しようとして、一回失敗してるんだ。だから見張りが厳重になってここに来られなかった」
ここに来れば、確実にチィに助けてもらえると、……周りも知っていたに違いない。
逃がさないために、子供たちを見張るのか。
「……」
チィは下を向いたと思えば、ぎり、と歯ぎしりをしたのちに、オードリーを見た。
その目の中に囂々とした色で燃え盛る薄蒼の炎は、息をのむほど恐ろしい。
「オードリー。あたしも学校に連れていけ。直談判する」
ダメなら。
「意地でもあの子たちを逃がすからな? ……こっちだって本気になれば、腕の一本二本なら折れるんだ」
「奥様、旦那様の立場が」
「あいつならわかってくれる。あたしがどれだけあの子たちを大事に思っているかくらいは、知っているはずだ。あたしがこれを聞いて黙っているわけがない事だってな」
彼女の決意を聞き、止めに入った使用人にチィは言う。
「どうせ貴族の子供は死地に行かせない―とかいう馬鹿ぞろいの結末なんだろうよ。こっちが親なしだって知ってるからやるんだ。目に物を見せてやる」
止められないほど、彼女の瞳は爛々と輝いていた。オードリーは溜息をつき、言う。
「だったら、すぐに支度してくれ、ボス。道はあんたの方が進みやすい道ばっかりだ」