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「聖鎧が動いた? どこかで魔族の侵入でもあったのか?」
オーガストの問いかけに、部下が頷く。
「学園の敷地の森に、現れたそうなのですが。……ほら、聖鎧の墓場の湖のあたりで」
「そこのあたりに、聖鎧付きの騎士は配属していないだろう?」
「墓場に沈めた聖鎧が、動いたんですよ」
「……は?」
何かとてもあり得ない事を聞いた。オーガストの顔に現れた不信感に、部下が言う。
「おれもまた聞きなのですが……百年前に使われていた、伝説の聖鎧がありますよね」
「ああ。百年前に耐久年数が終わり、使用年数も過ぎて、誰も動かせないから墓場に埋葬した、あれの事だろう」
まさか、と思いながら言えば。
「それが動いたんですよ! それも中に誰か乗っていたんです! 何しろ、こう言ったのだとか……」
「言った? 聖鎧の伝声管も動いていたのか? それでは、普通に使用できるじゃないか」
「ツッコミは後にしてください、こう言ったのだとか」
「……」
「あたしの子供に、手を出すな、と」
「聖鎧に乗れるのは、基本的に男性だろう、それが、あたし? 女性が乗ったのか? そんな夢のような話が」
「しかし事実らしいです。王宮は、急ぎその声の主を探しているとのこと。何しろ百年前よりも魔物たちは力を増し、しかし聖鎧は有限。伝説級の聖鎧、それも惜しまれながら破棄された聖鎧を使う人間ならば、間違いなく他国とのパワーバランスを覆し、この国がより優位になりますからね」
「ああ……その聖鎧があったからこそ、百年前まで同盟の盟主であったのだからな、我が国は」
「これで南の国の、偉そうな態度をどうにかできると陛下はお喜びです」
「……しかし、てがかりがないだろう、だいたい、あたしの子供という事は、子供を持つ女性だ。……ちなみに、その時子供たちはいたのか?」
「はい、ですから副団長にすぐに声をかけているのです」
何か嫌な予感がする、とオーガストは聞いていた。
「副団長が養子にした、子供たちがその場にいたという事です。まあほかにも何人も、音調使い見習の子供たちがいましたので、そちらかもしれませんが」
オーガストの中で、妻の強すぎる浅葱色の瞳が浮かび上がった。
そうだ。
何故気になったのか、と言えば簡単だったのだ。
あの目の浅葱は、聖鎧が持ち主を選ぶ時に輝く、双眸の光に酷似しているのだ、と。
「帰宅し次第、妻にも話を聞いてみよう。何か知っているかもしれない」
「陛下もお待ちですしね」
チィは陛下の言う事を聞くだろうか。オーガストは子供の事ばかり考えている彼女を思い、心の中で断じた。
彼女を動かす事に、権力は使ってはいけないと。
必要なのは誠意なのだ。そして心からの言葉であり、真。
彼女の守るものを重んじ、彼女の心のありようを受け止める事でもあるのだろう、と。
「おかえり、旦那様」
こんな夜中まで待っていたのか、と思うと健気かもしれない。
だが、チィは大して健気でも何でもない。
子供たちが、仕事で遅くなる時、最後まで起きているのがチィの役割だったのだから。
誰も起きていないねぐらに帰る、その寒さを彼女は知っていたのだ。
そんな物を味合わせたくないので、彼女はいつでもみんな帰ってくるまで起きていた。
「……ああ、ただいま」
虚を突かれた顔をしている男に、チィは続ける。
「何かあったのか? なんか難しい顔してるだろう」
「……変な報告があったんだ」
「報告の半分は変な物だろ」
平気な顔でいう娘は、食卓に夫を案内し、二人の食事が始まる。
温かいまま保たれたそれらに、彼が言う。
「温めておいたのか?」
「いや、そろそろ帰ってくる気がしたから、冷めてたのを温め直したのと、今出来上がるように仕込んだのがある」
「大した勘だな……」
「お手伝いの人たちから、あんたの仕事の長さとかを聞いてたからな。なんとなくそれで割り出した」
さらりと言う事でもない、有能さを見せながら、チィも豆の煮込み料理を口に入れていく。
「あたしに相談してもいい事なら、いいなよ。黙っていた方がいい事なら、あたしにしゃべるな」
「……そうか、じゃあ一つ聞いてもいいか」
「一つって言ったら一つだけだろ」
「ああ」
「何だよ」
「変わった事が無かったか?」
「変わった事? ああ、あった」
「何があった?」
「聞くのは一つだけだったんじゃないのか」
「中身を聞くのも、二つ目に該当するのか?」
「ん、あたしの答え方が悪かったんだな。ええと書庫の隠し扉を見つけた。中が昼寝にちょうどいい場所だった」
娘は、己の見た夢の中身が、とんでもない事だとは思っていないし、夢が変という事が、変わった事に当たるとは思いもしない。
そのため、隠し扉の話だけをした。
「書庫に隠し扉があるなんて、私も知らなかったな、明日は休みの予定だ、教えてくれないか」
夫の言葉に、チィは破顔する。
「ああ、あんたの屋敷であんたの知らない事を知っている、なんて笑えるな!」