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子供たちとチィの家に、帰るわけがない。
追手に見つかれば、自分以外の子供たちも、きっとひどい目にあわされる。
それだけは、認められない。
絶対に、させない。
チィは生きるために足掻く、らんらんと輝く瞳を左右に向ける。
そして、子供の一人がスリを担当している地区との境界線の壁に、ようやくたどり着いた。
だが、門はせき止められている。なんて運が悪いのだろう! 朝は確かに開いていたのに。
「こっちだ!」
「ちょこまかと逃げやがって!」
「そのちびを捕まえろ! スリだ!」
そう言う声が四方から上がる。
後がない。チィはひび割れて血がにじむ唇をなめて、ずしりと重い財布を口にくわえた。
しっかりとくわえたチィは、壁の近くの塀を、走る勢いのまま蹴った。
とん、と。
「なんだあいつ?!」
「浮いたぞ!!?」
チィの、栄養不足極まりない、その結果成長が遅れている体が、高々と宙に浮かんだ。
その高さ、およそ二メートル。
普通の人間の跳躍ではない。
もっともこれにはコツがあり、塀を蹴った時の角度などから、可能になる事でもあるのだが。
チィはそんな事を考えず、今度は壁を蹴った。
また浮き上がる小さな体。チィは壁の上部に、手をかける事に成功した。
そして後は体を引っ張り上げるだけなのだが。
「逃がすか! “火球よ、放て”!」
誰かの声が響き、チィの体はぐらりと揺れた。脇腹に、拳ほどの火球が命中したのだ。
「―――――――!!!!!」
その激痛は、悲鳴として現れる事はなかった。
それはチィが、口にがっちりと財布をくわえたままだからだ。
恐るべき執念に、間違いはない。
チィは今まで経験した事のない、すさまじい激痛に、頭が真っ白になりそうだった。
これが、魔法。
特別な言葉により、世界の理に干渉するというもの。
貧民街では、全く見た事もない物たち。
……キゾクとか、呼ばれている奴らの特権。
いたいいたいいたいいたい!!!
チィはそれでも、財布を離さない。
決して離してなるものか、とくわえつづける。
激痛の奥で、子供たちの顔が思い浮かんだのだ。
あの子たちに伝言も残さずに。
死んでたまるものか!!!!!!!
チィは続いて放たれたらしい、火球を背中に食らい、ぐらぐらとふらつきながらも、自分の体を壁の上部に持ち上げ、そして反対側に飛び降りた。
「上ったぞ?!」
「飛び降りた?!」
「一体どこの隠し玉だ?!」
そんな声は、無視をした。
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飛び降りたそこは一見すると、行き止まりのようになっており、子供の一人が待機していた。
この地区での盗みを主に行う子供だ。彼女はボスの姿に笑顔になった後、凍り付く。
「ボス?!」
そしてチィの無残な姿に、仰天する。
チィは、激痛のあまりかすむ意識を、必死に根性でつなぎとめてこう言った。
「これをもって、行け! 早く! あたしはもう、走れないから駄目だ……」
「ボス、お腹と背中が……」
子供は、一部炭化した彼女の姿に、声が揺れていた。
「もう、だめだ。わかる」
血と、体液がだらだらと流れているのが、なんとなくわかった。
これで一命をとりとめても、後に始まるのは清潔にしていなければいけない、生活だ。
あの、貧民街でそれを行うのは困難であり、稼ぎ頭の自分が、子供たちに負担をかけてはいけない。
だから言った。
「あたしは、もう無理だ。皆、オードリーの言う事を聞いて、生き抜くんだぞ」
オードリーとは、チィの片腕と言われる相手だ。
チィより一つか二つ年下なので、ボスの座をチィに任せている少年でもある。
あいつに任せれば、大丈夫。
この冬を生き残ってくれた奴らも、生き続けてくれる。
チィは彼女をまっすぐに見つめ、笑った。
「これが、あたしのさいごの、稼ぎだ。お腹いっぱい、パンが食べれる」
言いつつ、チィは財布の中身を、いつも通りの汚れきった革袋に移し替えた。
きらっきらの金貨や銀貨といった、高額貨幣が革袋に入る。そしてそれを彼女に押し付けた。
これはカモフラージュである。
こんなぼろぼろの人間たちが、立派な財布を持っていると、それだけで狙われるので。
「行け……な?」
チィは、弱い所も、弱ったところも、子供に見られたくないという意地から、彼女が地下水路の整備のために作られた、蓋付きの穴の中に入り、逃げていくのまで見届けた。
そこで力尽き、倒れた。
死ぬなとは思ったけれど、死にたくないとも思ったけれど、やせ細り、出血多量で、火傷の損傷もひどい体は、それに応えてはくれなかった。