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そんな日が終わったため、彼女はそうだと思いついた。自分の家族の料理を食べさせたのだから、今度は彼の故郷の料理を食べさせてやりたいと。
それはおせっかいな彼女の気質から出てきた事であり、それに対しての言い訳などあり様もない。
ただとてもいい考えのように、思えたのだ。おいしい料理はすばらしい。贅沢である。
そしてこのローゼリア以外からやってきたのならば、故郷のものは恋しいだろう。
そこでこの屋敷の主が、それを簡単に叶えられるだけの財力だというところに頭が回らなかったのだが、使用人たちは微笑ましいと思ったのか。
彼女に、それならば書庫にそう言ったものの本があると教えてくれた。
どこかの絵心のある料理人に書かせた、出来上がりの絵がついたとっておきの本なのだという。
それに心を惹かれたチィは、翌日もそこに入っていた。
いつでも古い紙の匂いがするそこは、そこはかとなく自分の場違いな感覚を際立たせるも、もともとここは己の育った環境ではない。
異質という言葉で済むならば簡単だ、とチィは考えて本を探していた。
自分の事は自分で行う。探したいものは己で探すのだ。
それを徹底していた彼女は、それらしき本がいくつも置かれている棚をようやく見つけた。昼過ぎの事で、そろそろ食事時を過ぎ始めている時間だ。
誰も呼びに来ない事を幸いと、少女は棚を探していく。
そして。
それだろう、と思った本が手の届かない場所にあったため、彼女は少し足に力をためて書架によじ登ろうとした。
そのいくつかの偶然からの、体重移動。
それで、がたん、と何かが動く音がして、いくつかの歯車が回り始める音もした。
ぐるり、と彼女の視界がいれかわり、どさっ、と無様に少女は倒れた。
「いてえ」
小さく呟き、彼女は辺りを見回した。何もないというよりも、何も置かれていない秘密の空間のような場所だ。
普通こう言う場所は、隠し財産がある物だが。
それにしては視界が明るい。しかし眩しいとは言えない、何処か陰ったような場所でもある。
直射日光の当たらない、眩しくない明るさの部屋は植物が生い茂る奇妙な空間でもあった。
「本当に秘密の部屋のような場所だ」
そんな事をちらりと思ったチィは、目を凝らして辺りを見る。窓がある。空が映る窓だ。
大きな空が映る窓で、数度目を瞬かせた彼女はそこがあまりにも昼寝をするのにちょうどいい空間だった事もあり、昼寝をしてみよう、と思ったのだ。
なにせここの使用人たちは、日中のあまりの暑さで昼寝をする。
貧しくて毎日、死に物狂いで常に動いている人間以外は、この町では真昼の一番暑い時間は眠るものなのだ。
しかし彼女はあまりにもその時間に、昼寝をする事になれていなかったため、毎日一人書庫にこもっていたのだ。
だがここはあまりにも、居心地のいいような空間だった。
嗅ぎ慣れない緑の匂いも、なんとなく安らかになる心地も、眠くなる要因である。
そのため彼女はその辺にあったくぼみにごろりとねころがり、すうすうと寝息を立てはじめた。
ざあ、と何かが彼女を待ち望んでいたように、ざわめく音も風の音のように感じており、全く分かっていなかった。
ふっと意識が持ち上がったと思えば、どうやら自分はどこかの水路に落ちたようだ、とチィはまず初めにそう認識した。
何しろ体の感覚がまるで水の中なのだ。
しかし。
その一点のみで、彼女は一気に目を覚ました。
やばい、と思ったのが初めだ。何しろ呼吸が出来なければ死ぬのだから。
大変だ、と頭が慌てて焦り始め、そして肺腑が一気に酸素を求めて動き始める。
呼吸ができないはずの水の中、しかしチィは息を吸う事が出来た。
出来た事で彼女は気が付いたのだ。
何だ、これは水の中にいる夢なのだ、と。
それに己は夢に入る前、どこにも水たまりのない場所で昼寝を始めたではないか。
ならばこの、不思議な夢に付き合うのもいいだろう。
どっかりと心が落ち着いた彼女は、そのまま目を開けてみた。
まず初めに、まばゆいと思った。水面に魚群が映り、きらきらと光が踊っている。
それだけで何となく楽しくなり、チィはしばらくそれらを鑑賞したのちに、よいくらせと体を動かしてみた。
どうやら自分はあおむけに寝ていたようだ。
体がさび付いたようにぎしぎしとするものの、そこまで動く事に支障はない。
そして辺りを見回せば、なにやら甲冑の様な物が大量に沈められている。それも使えそうな場所を残らず取り去った後の鉄くずのような甲冑たちではない。
どれもこれも、きちんと体の形をしている。
これはどうやら普通の甲冑じゃなさそうだぞ、とさすがに娘は気が付いた。だがここは夢の中、ちょっとおかしなことが起きていても何も問題がないのである。
自分は甲冑の一つにとりついた夢でも見ているのだろう。
そう、何処かのお伽噺で聞いたような話だ。甲冑にとりついたさまよえる魂。
そんな話はもしかしたら、教会で聞いたかもしれない。
そこでまたはっとする。
水は貴重な物だ。そしてここは水の中。ますます現実味がないのだと。
何しろローゼリアは、地下の水源から水路を掘って、町まで水を運んでいる場所なのだ。
そのくせ水の中にいて、それも水面が明るい……つまり地上につながっている……なんて夢以外の何物でもない。
こんな夢は初めてだ、楽しんでいようと彼女は考えるまで早かった。どうせ昼寝をしている時間なのだから、ちょっとした時間だ。問題になるほど長い間眠るわけでもない。
ひょいと体を動かし、水を掻いてみる。流石夢、鉄くずでも簡単に水面に上がれそうだ。
それにしてもここの甲冑たちは、本当に苔むしていて儀式か何かで沈められたようだ。
こんな場所を想像する話なんて聞いた事があっただろうか。
チィは疑問を覚えながらも、夢だし、でまた片づけた。
もうじき水面。彼女はそのままばしゃりと水面に体を上げた。
ばあと広がる空の色は見事に空色をしており、自分の瞳よりもやや濃い。
そこで周りを見回し、チィはすいすいと岸に近付いた。
そしてそのまま体を持ち上げる。
持ち上げた際に思った事として、やけに自分の体が大きい事があげられた。
巨大化した夢でも見ているのだろうか。
首をひねりながらも、樹木の目線が普段よりはずっと高いため、なんだか愉快になり始める。
そのまま水の方を見れば、大きな湖だ。そこの向こうには、なんと。
「あいつら……!」
彼女の大事な子供たちがいたのだ。彼らは大人たちに何か話しかけられており、熱心に話を聞いているように見える。……オードリー以外。
オードリーは違う場所にいるのだろうか、姿が見えなかった。
あいつの事だ、教師に反抗する事もありうる。何しろ頭が非常にいいせいで、いらない苦労をしてきた右腕なのだから。
チィは近付けるかな、とそのまま動き始めた。
湖を回っていく体が大きくて、本当に良かった。もうじき子供たちが見える、と思った矢先だ。
それは突然起きたのだ。
子供たちの近くの木々が動いたと思えば、いきなり。
いかにも魔物と呼ぶべき獣たちが、一斉に子供たちに牙をむいてきたのだ。
それを見た子供たちは固まり、チィは居ても立っても居られないまま走り出した。
加速は十分であり、彼女はそして間に合うのだ。
獣たちの牙や爪が、子供たちに向けられるその前に、彼女の飛び蹴りが炸裂した。
それは魔物を何匹も巻き込み、血しぶきがあがる。鉄の鋭さが彼等の皮膚を割いたのだ。
「あたしの子供に手を出すな!」
「え、ボス!?」
チィの怒鳴り声に、子供たちが驚く。それに続いて大人の悲鳴のような声も響いた。
「馬鹿な、伝説の聖鎧が動いている!? 水底の墓場に沈んで百年の聖鎧が!」
そんなもの知らない、とチィは思った。そして魔物たちを睨み付け、宣告する。
「さっさとどっかに行っちまえ! あたしは次は容赦しないで、あんたらを引き裂くよ」
魔物たちは顔を見合わせた。チィ一人でも分が悪いことを悟ったのだろう。もともと彼女の身体能力は高く、そして守るべきもののために攻撃力が跳ね上がるのだから。
魔物たちは散り散りに去って行く。それを見送り、彼女は子供たちを見ようとして。
ぐるりと視界が反転し、はっとしたらもう、あの植物の空間で起き上がっていた。
「……変な夢見たな」
それも覚えていられるという、とても貴重な夢を見ていた。
彼女は頭を振ってから、さて、今日のご飯は何にしよう、オーガストの好きな物を教えてもらえない物か、と考えていた。
夢が重要な物だという事など、欠片も思ってはいなかった。