1
1
娘は一人になる事が多くなった。育ててそして守ってきた子供たちが、一斉にいなくなったのだから、そうだろう。
そして彼女は、食べるために力を尽くす事、子供たちを守る事に全力をかけていたため、一人の時間を持て余す事になってしまった。
無論文字は教えられている。少しずつ、知らなかった文字を理解するようになった事は、彼女にとって喜ばしい物だ。
ただそれだけに時間を費やすには、あまりにも自由な時間が長かった、それだけの事だ。
人間同じ事だけを、延々と繰り返す事はあまりにも退屈である。
そのため娘は、空いた時間に何をし始めたのか。
簡単な事だ。
「え、繕い物の仕方を教えてほしいんですか」
「ああ、出来れば。あんたがた暇だったら。むろん忙しいんだったらそこまで、あたしの事を優先しなくっていいけれども」
使用人たちが集まる、使用人の休憩所に入って言い出した事はそれらだった。
「どうしてまた。そんな事を? 繕い物だって料理だって、私たちのお仕事ですよ」
「うん、まあ、そうなんだろうけれども。あたしは自慢にもならないけれども、生き残る事以外は何も知らないようなものなんだ。女の手仕事を教えてくれるはずだった母は、記憶に残らない位昔に死んでしまったし、父も同じだから」
「……縫物も、料理もできないのに、奥方様はあんなにたくさんの子供たちを育ててきたんですか!?」
使用人の中でも、年配の女性の声がひっくり返った。それは彼女にとってありえない事だったのだ。
子育ての中では、どちらもどうしても必要、と言われがちな能力なのだから。
それを全く知らない、と真顔で言う奥方様の暮らしてきた生活は、どんなものだったのか。
そんな事をしなくていいほどの、優雅な身分ではない事はすぐに分かるのだが。
それすらできないほどの、貧しい暮らしとは。
こんな立派な屋敷に仕事をしに来ている、ある意味選ばれた身分の使用人たちには想像もつかない。
そんな彼女らに、チィは言った。
「服は、拾った。古着屋でも取り扱わないぼろ布を集めて、何枚か重ねて着ればよかった。みんな同じところに穴が開いているわけじゃないし、靴だって足の裏が多少守れればそこそこどうにかなる。食べ物は料理しないでもいい物しか、食べなくても生きていられたし」
「……」
その生活の過酷さを、使用人たちは目の前で見ているようだった。
それはチィの体の骨の浮いた状態の結果だろう。
数日でその骨を隠すほど、食べる事は出来ないのだ。
「だから、何も知らないから、教えてほしいんだ。あの子たちが服を破って帰ってきても、縫ってやれるように。あの子たちが腹を空かせて帰ってきても、ちゃんと食えるものを用意できるように」
そう言って笑った彼女の顔は、やはり聖母のような優しさがあった。
「わかりました、簡単な所から教えましょう。奥方様の言うところからすれば、刃物だって扱わない生活の様ですし」
「刃物は、手入れができるような、いい環境にいなかったら無駄な屑になるんだ。……汚れをぬぐうぼろ布すら手に入らない生活ではどんないい刃物だって、屑になり果てるものだ」
とんでもない言葉たちだ、と使用人たちは思うのだが、それを馬鹿にしようとは思えない。
馬鹿にする事などできない。
使用人たちは、覚えているのだ。我らが主人が、彼女を連れてきた時を。
その時の彼女の様子を。……瀕死の状態で、とっくに死んでいるはずの姿で、それでも何かの目的のために生にしがみつき、生き延びた彼女を。
そして、彼女がこの屋敷に来る条件として挙げた事を。
なんとなくそう言った情報は、使用人たちの間に流れる物で、自然とこの屋敷の使用人たちは、この奥方様が子供たちをとても大事にしていて、子供たちのために身を粉にして生きてきた事を感じ取っているのだ。
彼女ほど、守ると決めた者のために命も何もかもを尽くせる、それだけの覚悟を持っている己はいるのか。
使用人たちはそれを考えると、彼女を緑の花弁出身だと嘲笑えない。
彼女は間違いなく、心がこの屋敷の誰よりも強く誇り高く、そして気高い。
口調はあまりよろしくない彼女と接するというのに、使用人たちは彼女の中に、揺るがない光の様な物や、尊い物を見る気がしていた。
誰も口には出さなかったが。
「まあそれはさておいて、小さなナイフくらいは、使い方がちゃんとしていた方が今後便利な物だし、旦那様の迷惑になるわけにもいかないし」
チィはそう言って軽く頭を下げた。
「それじゃあ、これからよろしくお願いします。あんたがたが、いい人たちでよかった」