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子供たちがたらふく食べた後に、娘は食事を済ませた。
「食ったな」
「昨日といい、今日と言い、俺らこんなに腹いっぱいになるまで飯食って、これから生きながらえる時我慢できるのかよ」
「そういうふうに、くいっぱぐれないように、あたしがここに来たんだっての。お前らがきちんと読み書きができる湯になれば、ずいぶんと仕事の幅が広がるんだって」
「ボスはそうしてほしいの?」
「そうなってくれれば」
チィは柔らかな顔と声で、マリに言う。
「あたしが死んでも、お前たちが生きられるだろう?」
「……ぼす、しんじゃうの?」
「死なないけどな。最後まで全力で、命を燃やして抗うけど、もしもって事があるんだよ、この世の中には」
「死んじゃいや、ボスしんじゃいや!」
死なないというくせに、娘の顔は覚悟が決まった面差しをしており、その雰囲気を感じ取ったマリが泣きじゃくってしがみつく。
途端にほかの子供たちも、自分たちの母親の様な姉のようなボスに、一斉にしがみついた。
「しんじゃやだ!」
「置いてかれるの嫌!」
口々に、ボスに死なれるのがつらいと訴えかける子供たちを見て、ちらりと彼女は右腕を見やる。
「何お前も、真っ青になってんだよ」
「あんたのもしもは洒落にならないんだ、ボス」
直ぐに死にたがるから、ととても小さな声で呟いた右腕に、彼女は言う。
「死なないさ、死んだらお前らの面倒みられないだろう」
そういうやりとりは、彼等からすればとても慣れた愛情確認の一種であり、日常の一部だ。
だがそれは、この裕福な屋敷の使用人たちにとっては、とても異様な物に映った。
それと同時に、彼等の中に狂気の一種を垣間見たのだ。
「……ねえ、あなたたち」
その色に何を思ったのか、一人の使用人が問いかけてきた。
余程勇気が必要だったのか、青ざめた顔色をしているが、しかし、はっきりと言ったのだ。
「あなたたちは、どこから来たの、これからどうするの?」
問いかけられた娘は、その瓶覗きの底色の蒼で、彼女を見返した。
「死にかける世界から、この屋敷に来た。この屋敷の主人が、あたしを妻にすると言ってくれたからな」
嘘も偽りも何もない、ただ端的な事実を語る、その声の音。
使用人は、真実屋敷の主人が、この娘を妻にすると断じた事を、ここでも知ったのだった。
「そうだ、あんたさ……ごめんな、口調がかなり雑な自覚はあるんだ。でも直し方も直すとどういう風に喋るのかも全く分からなくってさ。だから聞くんだけど」
主の女の趣味が分からなくなってきている使用人に、彼女が問いかける。
「文字を全く知らない子供用の、本とかある? ここ中庭あるか?」
「何をするのですか?」
「ん、ちびたちに文字の練習でもさせようかと思って。いかんせん今まではそんな余裕も時間もなかったけど、ここならそう簡単に殺されかけたり、売られそうになったりしないだろうから、砂の上に文字を書いて、練習でもさせようかと」
「あの、それなら……」
使用人の中でも年かさの女性が、ここで口を開いた。
「小さい子供たちに教師を呼んできましょうか」
「金かかるんだろう? だったらあたしが教えられるところは、教えた方がいい」
「まあ、奥様になるのでしたら、そのようなけち臭い考えは少し、改めてくださいな」
「……?」
年かさの女性がけち臭い、と言ったあたりでチィは首を傾げた。
どこのあたりがけち臭いのか。
彼女には全く分からなかったのだ。
しかし。
「あんた、そういう言い方でボスの事をけなすんだったら一遍、緑の花弁で一文無しで物乞いしてみればいいだろ」
娘が侮辱されるのは許さない、と目を細めた右腕の言葉から、ああ、多少は馬鹿にされているのだなと察した。
察した後に、オードリーをスパコンといちど叩き言う。
「改めるも何も、そちら側の基準も物差しもルールも何も知らないで来たんだ。ここの主がそれでいいと言ったんだぜ。それをあんたたちが口さがなく言う理由があるとしたら、それは当主の人格や性格、考え方や方針に異を唱える事だろう。言いたい事があるなら、あたしを連れてきた当主に言えばいい。それとも言えないほど、あんたは自分の言い分が間違っていると思っているのか。後ろめたいのか」
底なしの薄蒼の瞳は、相手の言いたい事の裏側がよく見えるようだ。
年かさの使用人は、口をつぐむ。
「あいにく、あたしに文句を言っても何も現状は変わらない。あたしにたとえ出ていけ、とあんたらが集団っ団結していったとしても、変わらない。あたしはここ以外に行く当ても何もないのが現実だ。行く当てがなければどれだけの目に遭っても、人間はそこから逃げ出さないって、知ってるか?」
チィが淡々と、とても当たり前の調子で語る事の重さは、計り知れない物があったらしい。
「逃げだせないから踏ん張って生きるんだよ、人間は」
さらりと言われた言葉の後に、彼女は子供を数人抱き上げてこう言った。
「もう一回言う。中庭何処? それとも、きょうしっていう人種を、連れて来てくれるのか?」
公爵家の若長の屋敷に、教師は呼ばれて凍り付いた。
その部屋で待っていたのは、無数の子供たちであるのだが。
子供たちはどう見ても、若長の縁者とは似ても似つかない様々な顔をしているのだ。
彼等は一体、と教師が考えたすぐ後に、それ以上の衝撃が教師を襲った。
「こんにちは」
「こんにちは」
「教師ってりっぱなかっこしてるんだねえ」
「すごい、めがねしてるめがね」
「かねもちだなー」
子供たちが顔を見合わせてから、物珍し気に教師を見て喋り始めたのだ。
その声のイントネーションや訛りのなさが、教師を凍り付かせたわけである。
彼等の口調はまさしく、
「正式な音調……?」
そう、この国どころか大陸が形容する物そのものだったからだ。
そして、この国は正式な音調を使う、音調使いを大量に欲しがっているのだ。
教師はぶるぶると震えた。
それは、あまりにもいきなり現れた非常識の結果である。
正式な音調使いは、一つの村に一人現れれば運がいい、と言われるほど珍しい。
訓練を行い、己の音調を正式な音調にただす貴族の子息も多い。
だが、これは。
余りにも透明な、正す事など一度もなかった、ずっとそれを使い続け、それに親しみ、それを当たり前と感じる音の連なりだったのだ。
これほど正式な音調を操る子供は、珍しいどころか逸材と言ってもいいのだ。
それが十人ともなれば、教師が卒倒しなかった方が驚きである。
しかし、子供たちを見ている年上の少女が口を開く。
彼女も音調使いか、と思った矢先。
「お前ら、先生に挨拶、ほら。教えてもらう時はどうすんだっけ?」
彼女は、西のきつすぎる訛りを炸裂させたのだ。
こんな女の所にいたら、音調使いが耳を乱れさせる、と教師が思うと。
「ボスの言う事だもんね、先生初めまして」
「はじめましてー」
子供たちが反抗することなく、口々に挨拶を始めたのだ。
一体全体、彼らと公爵家の若長の関係性は。
教師は訳が分からな過ぎて、立ち尽くしかけ、しかしはっと本分を思い出し、子供たちに文字を教えるべく、まずは座らせた。