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たまゆらの花篝り  作者: はーこ
48/49

*46* 新たな芽吹き

 神やら妖やらが、何食わぬ顔でその辺を歩いているような日々だ。

 穂花ほのかはもう何が起きても、驚かないだろうと思っていた。


 それはあくまで、希望的観測だったわけなのだが。


「おはよう。もうちょっとで起こしに行こうかと思ってたところだよ、お寝坊さん」


 穂花は戦慄した。

 寝惚けまなこをこすりながら居間へ顔を出すと、何の変哲もない朝の風景に、明らかな異常を認めたためだ。

 なにこれ、どういうこと、絶対おかしい。


雨宮(あめみや)くん!? どうしてうちにいるの!?」


 何故だろう、クラスメイトが当然のように席について、湯呑みの茶を啜っているのだが。

 おかげで眠気は根こそぎ吹っ飛んだものの、今現在起きている状況の理解ができない。


「まぁとりあえず、座って朝ご飯でも食べなよ」

「あれ……ここ私の家だよね?」


 穂花は促されるまま向かいに腰を下ろしながら、ひっくり返りそうなほど首を捻る。

 まさか自分が間違っているのかなと錯覚すらしてしまうほど、綺羅(きら)の言動は堂々たるものであった。


「僭越ながら、わたくしがご説明させて頂きましょう」


 穂花の困惑を知ってか知らずか、どこからともなく草笛の声音が響く。

 現れるは、紺青の着物を纏いし少年の神。

 救世主の登場には違いないはずなのだが、続く綺羅のひと言が、穂花にさらなる混乱をきたした。


「あ、そう? じゃあよろしくねー」

「ちょっと待って?」


 これはもしかして、もしかしなくてもだ。


「あのう、雨宮くん……つかぬことをお伺いしますが、(べに)のこと……視えてます?」

「そりゃもちろん」


 あっけらかんと、綺羅は言ってのける。


「だって僕、神様だもんね」


 ──神様がそうホイホイお茶しててたまるもんか。


 最早、ありがたみもくそもない。

 週明けの朝から、穂花は頭を抱えた。



  *  *  *



「つまり、雨宮くんはまちくんと同じ高天原(たかまがはら)の偉い神様で、しかもめちゃくちゃ強い、紅の先生だった……ってことでオッケー?」

「相違はありませぬ」


 淀みない返答だった。


 己の剣の師である天津神がどれほど素晴らしい神格者(じんかくしゃ)か、紅自身の口から聞かされたことがある。

 道理で、真知(まち)に対して無遠慮なあの紅が、恭しく接するわけだ。


 死角から迫るサッカーボールを躱したり、転ぶ子供を危うげなく抱きとめたり。

 思い返せば、片鱗はあった。

 綺羅の只者ではない身のこなしは、ひとえに、彼が武に秀でた(いかづち)の軍神、タケミカヅチであったからこそ。


 穂花はそっと、綺羅へ視線をやる。

 緋色の猫っ毛に、華奢な肩。

 顔立ちは中性的かつ童顔で、穂花や紅と同じ年頃の少年にしか見えない。

 これでアマテラスよりも長い年月を生きる齢云千歳の猛者だと言うのだから、つくづく何でもありだ、神というものは。


「なぁに、僕に見惚れちゃった?」

「あっいやっ! そういうつもりではなく!」

「そういうつもりだって言ってるようなもんでしょ。ほんっと、わかりやすくて可愛いよねぇ、ほのちゃんは」

「ほのちゃ、えっ……えっ!?」

「あははっ、僕ときみの仲でしょ? 僕のことも名前で呼んでよ」

「雨宮く、」

「え、なに? 聞こえないなぁ」

「……綺羅、くん」

「はい、よくできました」


 どうしよう、クラスメイトが物凄い勢いで距離を詰めてくるのだが。

 頬杖をつき、こてりと首をかしげてみせながら寄越される笑みの、甘いこと甘いこと。


 あまりの綺羅の変貌ぶりに、穂花の脳はバグを起こしていた。

 ダレコレ、ワタシシッテル、アメミヤクン、チガウ。


(せんせい)、お手柔らかにお願い申し上げます」

「わかってるよ。朝ご飯ごちそうさま、チルヒメ」


 固まる穂花。見かねた紅が、やんわりとたしなめる。

 綺羅の対応は実に慣れたもので、落ち着き払っていた。


「別に取って食ったりしないよ。遅刻しない程度に、ゆっくり支度しておいで」


 立ち上がりざま、綺羅に頭をひと撫でされる。

 その手の感触を、心地良い、懐かしいと、穂花は感じた。


 彼はきっと、こうして優しく頭を撫でてくれるひとだったのだろう。

 気の遠くなるほど、昔から。



  *  *  *



 綺羅がすでに制服姿であったため、まさかとは思った。やはりというか、それから当然のごとく一緒に登校する運びとなった。

「別にいいじゃない。青春を謳歌するのも、学生の本分だよ」とは、物言いたげな穂花の先手を取った、綺羅の言である。


「きみはさ、もっと他人を利用したほうがいいよ」


 ホームルームを終え、机上で教科書の角を揃えていたとき、そんな発言が隣から届いた。

 言わずもがな、綺羅のもの。


 穂花の浮かないため息のわけが、気怠い週明けの一限目から苦手な化学であることだけはないのを、見透かしていた口ぶりだ。


 続々と移動するクラスメイトたち。紅は真知の作った蝋人形の器で校内に紛れ込んでいるが、神体であったこれまで同様、基本的に休み時間以外は姿を現さない。

 ほかに誘う友もない穂花と綺羅だけが、静まり返った教室に取り残される。


「いきなりだね……」

「見てるこっちが焦れったいんだよね。きみと高千穂(たかちほ)先生──コノハナサクヤヒメはさ」


 綺羅が紅の師であるなら、サクヤのことを知らないはずはなかった。

 少し考えればわかるはずなのに、不意討ちを食らったかのように、穂花の脳は思考を停止してしまう。

 そうだとしても、綺羅が言葉を止める理由にはならない。


「発破はかけといたから。ぐずぐずしてると、僕がほのちゃんもらっちゃうよって」

「うそっ、さくになに言ってくれちゃってるの!?」

「んー、ちょっと個人的な仕返し? 彼、案外見かけによらないんだねぇ。あの反応は見物だったな。でもま、そういうことだから」

「どういうことですか……」

「僕からきみを奪っていった男らしく、怖い顔もできる(ひと)だった、ってこと」


 サクヤの怖い顔。紅と真知が諍いを起こしていたときに、一瞬だけ目にしたことはある。

 が、余程のことがない限り、底抜けに心根の優しい桜の神が怒ることはないはずなのだ。


 ──余程のことだったのだ。サクヤにとって、己のことは。


「たしかに、綺羅くんのものじゃあない、かなぁ」


 そっと呟いた反撃は、身体の芯に灯った熱を誤魔化す以外の何物でもない。


「へぇ……言うじゃない」


 柄でもない反撃を仕掛けたのだ。綺羅の性格上、黙って受け流すはずもない。

 事実、声を低めた綺羅が、笑んだ。それは獲物を狙う獰猛なまなざしそのものだ。


「ツンツンしちゃって、僕に意地悪されたいの? ほんと、素直じゃないんだから」

「違っ……」


 はたと気づいたところで、時は巻いて戻せない。


「いけない子」


 鼓膜へ吐息を吹き込んだ唇が、穂花の左の耳朶をやわく食む。

 ぞくぞくと脊髄から込み上げる感覚。堪らず顔を背けてしまえば、綺羅の思う壺。

 するりと顎の稜線をなぞった指先が、く……と僅かな力を込める。


 ――さらり。


 穂花は、琥珀の双眸を見開く。

 緋色の猫っ毛の、頬を擽る感触に。しっとりと吸いついた薄い唇の、存外やわらかなことに。


「……んっ……」


 口づけを、されている。

 遅ればせながら理解に至った穂花だが、吐息が咽頭に逆戻るのみで、真意を問うことは叶わない。


「ん……ダメじゃない、あんまり僕の思い通りの反応しちゃ」

「そんなこと、言われたって! いきなりキ、キスはひどい! 誰かに見られたらどうするの!」

「ははっ、うぶだね。僕たち、もっと恥ずかしいこと、してるのになぁ?」

「ストップストップ、ストーップ! それ以上はダメーっ!」


 決死の思いで制止にかかる穂花。

 それさえも頬笑みながら眺める綺羅がどこまで反省しているかは、考えるだけ無駄かもしれない。


「見せつけとけばいいんだよ。誤解させとけばいい。きみと僕が恋人だってね」

「なに言ってるのかな? 私ちょっとわからないなぁ!」

「『教師と生徒』だから格好の餌食になる。『生徒と生徒』なら、まぁよくてそこそこの味でしょ。人間の好奇心とは、ひとときの退屈を潤すものだ。そのうちに、より好みの話題に食いついていくさ」

「それって……」


 つまり綺羅は、自分たちが好き合っているという演出をすれば、穂花と朔馬(さくま)に向けられている『目』を緩和できる、そう言っている。


「それが、僕を利用しなよってこと。きみにはその術と、権利がある。いいかい、きみは天孫。きみの為すことは、すべてが是だ」


 ――もっと他人を利用したほうがいいよ。


 脈絡のなかった発言が、ここに繋がる。


「同じ生徒なら、オモイカネさんって線もなくはないけど、そこは僕を選んでほしいな」

「どうして……?」


 返事はない。ただ静かに笑みを深めた綺羅に、右手を取られる。

 そうして視線を落とされた手の甲に、そっと、口づけられる。


 ……どくん。


 脈打ったのは、この身体にある心臓か。

 すぐに理解できないほど、穂花は自分の身体が自分のものではないように感じた。


 こんなの、知らない。こんな、おとぎ話の王子様に跪かれる、お姫様のような心地は。


 一瞬のようにも、永遠のようにも感じられるその最中で、微かに空気が震えた。

 いままさに己を苛む少年が、笑みをこぼしたがために。


「やればできるもんだね。さすが僕」

「何が……?」


 手の甲にふれていた熱が離れる。

 見てごらん、と言われるがままに、穂花は視線を落とす。


「え――」


 そして、絶句した。


 嘘でしょ、こんなこと……そんな現実逃避は、いまや無意味だ。


 綺羅の口づけた右手の甲に、『しるし』が――黄色の蕾がふくらんでいる。その事実だけが、意味を持つ。


「綺羅くんっ!」

「僕だってね、ただ意味もなく遅刻してきたわけじゃないよ。下界へ降りる前に、タカミムスビ様にお願いしてきた。僕も、天孫を巡る誓約(うけい)に、参加させてくださいってね」

「そんなっ……」

「そのためには、きみとの繋がりが必要不可欠だった。だから、てっとり早く僕の血を飲ませたんだよ。きみの中に、僕の神気を刻んだ」


 すらすらと紡がれる言葉は、清流のように一切の淀みがない。

 故にこそ、綺羅の行動の異様さが、鮮烈なまでに穂花の背筋を貫いたのだ。


「これがどういうことか、わかってるの!? 一歩間違えたら、死んじゃうんだよ!」

「承知の上だ」


 思わず声を荒らげた穂花とは対照的に、綺羅の返答は凪いでいた。


「我が名は、雷の武神、タケミカヅチ。死すらも、この心を乱すことはできない。そう、何人たりとも――きみという最愛を、失うこと以外は」

「おかしいよ、こんなの……」

「そうだね、どうかしてる。恋とか愛ってそういうもんでしょ。諦めて」


 すげなく一刀両断しておきながら、にわかに抱き寄せた華奢な腕は、苦しいくらいに力強かった。

 穂花が幾ら泣き叫んでも、離してはくれないだろう。


「でも、これだけは忘れないで、ほのちゃん。この誓約はもう、不毛な死合(しあい)じゃない。殺し合うことが、僕らの目的じゃないんだ」


 椿が咲いた。白菊が咲いた。

 青い花は、まだ蕾んだままだけれど……


「きみの慈悲が、愛が欲しい。そのためには命さえ懸けて、全身全霊できみを愛するという意思表示。証なのさ」


 つと、穂花は視線を上げる。

 夜空の双眸に浮かんだ稲妻が、煌々と己を捉えている。


「刹那に燃え上がった情愛は、永久に尽きることはない――さぁ、(こころ)を響かせ、奏で合おうか」


 今一度、蕾にふれるぬくもり。


 あぁ……どうしたって、逃げられない。

 稲妻に、撃ち抜かれてしまったのだから。


「きっと灯してみせよう、たまゆらの花篝りを」

 

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