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たまゆらの花篝り  作者: はーこ
45/49

*43* 雷の偏愛【R15】

 身体が、痺れる。思考が、麻痺する。

 思えば、彼の血を口にしたときからだ。身を蝕む毒ではなく、一時の昂りを与える、薬のようだった。


 場所は変わらず膝の上。けれど決定的に違うのは、自分も、綺羅きらも、互いに言葉少なで、繰り返し吐息をこぼしている点だ。

 どれくらいそうしていたのか。わからない。自分の周囲だけ、時間の流れが異なるようだ。


「声……我慢しないで」


 上目遣いでねだる綺羅にしがみつき、いやいやとかぶりを振る。


「だれか……みられちゃ……」

「誰も来ないよ」

「わ、かんない……」

「来ない。……僕の結界をすり抜けて来られるのなんて、きみくらいなもんなんだから」

「……え……?……ひゃあっ!」


 背がしなる。完璧に、不意をつかれた。強襲を仕掛けてきた張本人は、華奢な背を掻き抱き、眉根を寄せて堪え忍んでいた。


「んっ……はぁ……」


 平生からこちらが不安になるほど色白だった頬は紅潮し、薄い唇がゆるりと三日月を描く。腰をなぞる手つきが、合図だった。


「……あっ」

「ふ……は、ぁ」


 リボンもネクタイも、あるべき場所に。互いに制服は乱れていない。秘められたある一点で、ふれあっている以外は。


「んっ、あっ!」

「ははっ……可愛い。やっぱり、可愛いなぁ」


 ゆるゆると一定間隔で揺さぶりながら、綺羅はしきりにこぼしていた。行為が始まってからというもの、ずっとだ。


「可愛い、可愛い、かわいい……あーもう、我慢してたのに。どーでもよくなっちゃった。はぁ……かわいい、すき……あいしてる」


 どろりと、愛欲に溺れたまなざしだった。

 律動の質が明らかに変わる。


「あ、あ……やだ、やだ」

「大丈夫、こわくない。ほら……一緒に」


 よしよしと頭を撫でながら、綺羅は動きを止めない。泥濘を掻き混ぜて、深く、ふかく、入り込んで。刹那、ばちりと、視界が明滅した。


「――あぁあッ!!」

「んっ……く…………はぁっ」


 どこにも逃がしようのない熱の荒波が全身を飲み込み、絶叫させる。どくん。脈動を感じた次の瞬間、熱が広がる。

 ぎゅうと抱きすくめる腕の力は、胸が切なくなるほど、痛い。身体の芯を、奥を完全に満たすまで、決して離してはもらえなかった。

 やがて呼吸を整えた綺羅は、いまだ肩を上下させる穂花の全体重を引き取り、乱れた射干玉の髪に、指先を通す。


「……僕のことも忘れちゃってるんだから、少しくらい、いいよね」


 はじめは慈しむように。しかし小鳥が啄むような口付けの最中、桃色に色づく唇へ舌が割り入ろうとしたときだった。ぱしり。乾いた音が響く。


「……いつもいつも、あなたはやり過ぎなんです。加減を覚えてくださいませ」


 濃藍と月、二色の双眸を見開かせて、綺羅は己の頬を張った少女を見つめた。


「驚いた……意識があったんだね、お姫様」

「ですから、私はそのような身分ではなく」

「あははっ、ごめんごめん」


 口では謝れど、綺羅の声音には、抑えきれない歓喜がにじんでいる。

 対面するのは、葦原あしはら ほのという少女になんら変わりはない。が、同じ声帯で、その口調はまったく異なるものであった。


「会えて嬉しいなぁ、ニニギちゃん」

「ご無沙汰しております、フツ兄様」

「はははっ、距離が遠いったら」

「むやみに近づくなと、お兄様に言いつけられておりますので」

「オモイカネさんも酷い」

「ご自分の所業を思い返されては如何です」


 膝から下り、手際よく身支度を整える少女は、すました様子。素っ気なくあしらわれながらも、綺羅はむしろ笑みを深めるのみ。


「大好きな大好きなきみを、可愛いがってただけでしょ?」

「あなたの!それは!異常なんです!物理的にっ!」


 頬が緩んで仕方がないのを、綺羅は悪びれもなく感じていた。そうだ、こうして調子を崩されて、キャンキャンと鳴く彼女は、普段のすまし顔より格段に可愛らしい。まるで子犬のよう。構ってほしいんだよね、わかってる、と、綺羅の思い込みは止まらない。


「物理的かぁ……でも仕方ないよね。これでも僕、一応武神だし。ちょっとは強いよ」

「かの毘沙門天様もひれ伏す程のあなたが、ちょっとってなんですか……」

「待って待って。きみが可愛くて愛しすぎて危うく圧死させそうになって、オモイカネさんとアマテラスちゃんに怒られたのは反省してる」

「本当でしょうか」

「ほんとほんと。イザナギ様まで話が行きそうになって、わりと真面目に危機感を覚えたもん。なので猛省しました。嘘はついてません」


 じとりと怪訝な視線を寄越した穂花――否、ニニギは、ややあって、ちいさく嘆息する。にこにこと腕を引いて己の胸へ逆戻りさせた綺羅が、鼻歌混じりに長い艶髪を指に巻きつけて遊び始めたから。こうなると、なかなか離してはもらえない。


「……フツ兄様、ありがとうございます」

「あれれ、珍しいね。どうしたのかな」

「神気を、分けてくださったでしょう。……お兄様を蔑ろにするわけではありませんが、やはり同じイザナギ様の神気を継ぐ身としては、定着率が異なりますから」


 ニニギは素直だ。だからこそ育ての親でもあるオモイカネの言いつけはきちんと守るし、だからといって意固地になることもない。当人の思惑はどうであれ、綺羅に助けられた。それに対する純粋な感謝の気持ちが、綺羅の腕の中で大人しくおさまることを、ニニギに許容させたのだ。


「厳密には、イザナギ様の血族じゃないんだけどね、僕」


 苦笑を浮かべた理由ならば、ニニギもとうに知り得ている。好んで話題にするほどのことではない、あんな悲劇は。無意識のうちに緋色の髪へふれていたことを、当の綺羅だけが知らなかった。


「ねぇ、ニニギちゃん、戻っておいでよ」

「それは、フツ兄様のところへ?高天原へ?」

「んー、どっちも。せめて一時的にでいいからさ。どうも下界は、最近雲行きが怪しいんだよねぇ。事情を伝えれば、オモイカネさんも了承してくれるはずだよ」

「…………」


 絶妙に濁してはいるが、それこそ、綺羅の唯一にして最大の目的だと、聡明なニニギは心得ていた。


「〝かむり〟……ですか」

「そうそう。ここ数千年の急激な文明発展といい、つくづく人間って生き物は、色んなことを思いつくよね。――瘴気が酷い。諏訪すわの方角だ。悪趣味極まりないったらないね」

「どうなされるおつもりです」

「そりゃあ可愛い可愛いきみの国が、不届き者に荒らされてるんじゃあ、知らんぷりはできないよね。手荒なことは、極力避けたいんだけど……なんてことも言ってられないから、またお兄ちゃんが頑張っちゃう。任せなさい」

「頑張って頂かなくて結構です」

「えー、なんでさ」

「すべてを他者に投げ打ったとして、一体なんの実になりましょう。国譲りのときもそうでした。用意された椅子に、座らされただけ。……フツ兄様、私はもう、ただ蝶よ花よと愛でられるだけの人形ではありたくないのです」


 可笑しげに細められていた双眸がふと丸みを帯び、やがて揶揄いの色を潜めさせて、真摯な少女の琥珀色を受け止めた。


「なるほど、オモイカネさんも頭を抱えるわけだ。うんうん、いいんじゃない?きみの国なんだし、きみの好きなようにして」


 その代わり――と続ける表情から、にわかに笑みが剥がれ落ちる。


「傷のひと筋でも作ってごらん。――相手そいつ、丸焦げにしてやるからな」


 冗談、ではないことは、にわかに温度を下げた声音から、嫌でも察せられる。過保護な伯父とは正反対ながら、絶妙な牽制法だ。自分が咎められるだけならまだよかった。しかしながら、ひとたび告げられたなら、返すべき言葉はたったひとつ。


「では、ご心配をおかけせぬよう、善処致します。豊布都神トヨフツノカミ――いいえ。建御雷神タケミカヅチノカミ様」


 深々と頭を垂れる少女。目前では少年の姿をした神が、深藍に浮かぶ金色を綺羅きらめかせ、満足げに薄笑う。


 その一閃、いかづちの如し。

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