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たまゆらの花篝り  作者: はーこ
43/49

*41* 緋を駆ける龍

 昼下がりの保健室は、静かなものである。


たか千穂ちほ先生って、葦原あしはらさんと仲がいいですよね」


 一瞬の思考停止。そして、成程、という状況把握。耳にたこが出来るほど投げかけられた言葉への対応は、すでに心得ている。


「僕のような新米でも、頼りにしてもらって、嬉しいことですね」


 これでも、精一杯口調を崩しているつもりだ。父に仕込まれた天孫の花婿として恥じぬ振る舞いは、現代日本において異彩を放つだけ。


「ふぅん」


 要領を得た返答であったか否かは、腕を組んでパイプ椅子にもたれる少年が、窓ガラスに視線を向けていることから、窺い知ることが困難だ。

 彼はふらりと野良猫のごとくやってきて、6時限目開始のチャイムを他人事のように聞き流した。それから、早10分ほど経つ。月にひと枠任せられている保健室便りを書き上げられさえもしない短時間に、初対面も同然な少年の人となりを、見極められるはずもなく。


「まぁ、お人好しなのは認めます。最初はどうしたものかと思ったけど、日和見主義やめたのは、よくできました、ですよね。花丸あげてもいいくらい」


 そこで、とうとうパソコン画面からも意識を外して、抑揚に乏しい声音の主を振り返りざるを得なくなる。

 やけに、知ったふうな口をきくものだ。たしかにほのの口から名前を聞いたことはあれども、少年――綺羅きらとの接点は、あくまで一クラスメイトの範疇に留まっていたはずでは。


「〝彼女のなにを知っているんだ〟……って?」

「――!」

「ふふ……先生って、案外わかりやすいんですね。特に相手が男だと。そんな顔もできるんだぁ」


 我に返ったときすでに、いつの間にか窓から視線を外していた少年が、ゆるりと口角を上げて笑んでいた。

 やってしまったと気づいたところで、唇を噛むことしかできない。羨望や嫉妬の混ざった女子生徒のあしらい方は学べていても、彼のように野次馬根性ではない、純粋に愉しむような、なにかを見透かした優越のまなざしは、はじめてだ。


「おいたが過ぎますよ、雨宮あめみやくん」


 争いは好きではない。しかしこの身の根底には、男の矜持というものが存在している。愛しいひとのために、凛然と声音を張らねばならない。いまがそのときだ。


「あぁ、怒らせちゃいました? すみません」


 くつくつと喉の奥を鳴らす綺羅に、悪びれた様子などあるものか。堪らず言い募ろうとしたサクヤはしかし、言の葉を紡げない。


「でも、折角なので言っときますね。――僕は彼女のことを知っている。きみよりもずっとよく、ね――コノハナサクヤヒメ」


 声が、やけに近くに在る。

 いや、比喩ではない。


「……な」


 ……いつだ。いつからだ。

 窓のそばに座っていた彼が、反射的に振り仰いだ先で自分を見下ろしているのは、あと一歩までに詰められた距離は、一体いつから。

 身を引こうにも、四肢が言うことをまるで聞かない。

 視界を占めるは、鮮やかな緋色の絹糸。それは、足音もなくやってきた黄昏。逢魔ヶ時。


「一瞬だ。たったの一瞬さえあれば、僕は、きみの首を斬り落とすことができる」

「……っ!?」

「きみは優しい。戦場に、それは要らない」


 つ……と、皮膚越しに頸動脈を横切る指先。断頭の軌道を彷彿とさせるそれは、恐怖を超越した、言語では形容し難い感情をもたらす。


「あんまり失望させないでもらえるかな。きみがそんなだと、あの子を僕のところへ返してもらわないといけなくなる。っていうか、あーあ。思い返して悲しくなってくる。オモイカネさんなんかよりよっぽど可愛がってあげてたのに、いつの間にかオモイカネさんばっかに懐いてるし。ホント罪なお姫様だよ、ねぇ?」

「――ッ!!」


 まつげに縁取られた瞳を向けられた刹那、ぶわり、全身の肌が粟立つ。


 ――これは、まずい。


 無我夢中だった。本能の知らせるまま、張り詰めた空気に身を躍らせる。


 ひらひら、はらはら。


 薄桃色の花弁が舞う。ふわりと浮いた一瞬後、足は地に着く……はずが、床を捉え損ね、膝から崩れ落ちた。


「っ……はぁっ、はぁっ!」


 ぱさり。桜色の袖が、裾が、力なく床に広がる。

 幾度となく肩で息を繰り返しても、呼吸が整わない。依然として、床にふれた手足も動かず。まるで、凄まじい磁力によって引きつけられているようで。


「へぇ、神体になったか。とっさの判断にしてはやるじゃん。いくら神気に耐性のある魂依代だからって、人の身にコレはキツイだろうからね」

「あ……貴方様、は」


 なんとか声を絞り出しながら、やっとの思いで首を持ち上げる。問うたところで、ぺらぺらと饒舌に語る少年が誰なのか、同定はできずとも、想定はできた。


 ――あり得ない。国津神では到底あり得ない。この濃密な神気は。


「……天津神様が、何故、下界に」

「並々ならぬ事情があってね。ごめんね。誰なんだっていうきみの疑問には、答えられない。僕もそれなりに名が知れているらしいから、うかつに言霊にするのは、ちょっとね。きみも、名を握られないように気をつけなよ、コノハナサクヤヒメ」


 もう一度呼ばれ、フッと、嘘のように身体を支配していた重力が消える。呼吸も、水面に顔を出したかのような解放感。ここまで来れば、もう状況を理解するに至っていた。

 名を言霊によって縛られていたのだ。それは、相手を凌ぐ力量を持ち合わせていなければ、成し得ない業。


「今日は忠告に来た。〝カムガリ〟に気をつけることだ」

「〝カムガリ〟……ですか?」

「よくないモノが、この近くで蠢いている。まったく、ちょこまかと隠れてないで正面切って来てもらえば、ちょっとは交渉の余地もあっただろうに……」


 腰に手を当て、気だるげに首を回す綺羅に、それまでの笑みはない。


「ケリは僕がつける。争う意思がないのなら、せめて隠れていることだね。……あぁそれと」


 つとまなざしを寄越され、にわかに肩が強張る。深藍に月色が浮かんだ不思議な双眸が、すっと細まって。


「きみたちのところで可愛がってもらってる、蛇の子がいるでしょ」

あおを……ご存知なのですか?」

「うん、まぁ。彼がいたから、僕がいるようなもんなんだけど。とにかく、甘く見すぎないほうがいいよ。彼がその気になったら、きみも、きみのお兄ちゃんも、敵いっこないから。オモイカネさんはどうかなぁ。死ぬほど頑張れば、いけるかもね」

「貴方様は……なにを、どこまでご存知でいらっしゃる」

「さてね。ただ言えることは、彼の大事なものを僕が遠くへ放り投げちゃったせいで、すっごく嫌われてるってことくらいかな。悪気はなかったんだけどなぁ。あ、だからこそ、か」


 うんうん、とひとりうなずいている少年を窺いながら、必死に思考を巡らせる。彼は誰なのか。なにを目的としているのか。……敵か、味方か。


「なんにせよ、そういうことだから――本当に恐れるべきは、神や妖なのか、よくよく考えてみることだ、高千穂の君」


 少なくとも、この場において戦意は感じられない。にも関わらず、颯爽ときびすを返した、己より小柄な背を追うことが叶わなかったのは、緋色と共に焼きついた光景が、あまりに鮮烈だったから。


 ……夜空に月が浮かんでいるようだと、彼女は語った。けれど、実際はそれほど優しいものではない。あの瞳にひとたび見据えられたなら、びりびりと、痺れるよう。


「あれは……いかづちです、穂花」


 深藍の双眸を切り裂く、金色の竜。

 言霊にせずとも、その光景を彷彿とさせる神を、目にしたことはないが、耳にしたことはある。


 もし……もし綺羅が、かの天津神であるのなら。


「蒼……おまえは、本当に妖、なのですか……?」


 結果としてその疑問にたどり着くのは、必然と言えよう。

 そう――伝承の通りならば。

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