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たまゆらの花篝り  作者: はーこ
41/49

*39* きみは花丸

 あの一件があって、真知まちの言葉は念頭に置くよう努めている。とはいえ、自慢じゃないがほのはあまりコミュニケーション能力が高くはない。

 上手いあしらい方なんて知らなければ、突然素っ気なくなるのもどうかという思いもあり、結局は現状維持におさまっている。

 もし、先日のことがきっかけで、変化したことがあるとするならば。


「ねぇ」

「……はっ、はい!」

「さっきからチラチラ見てるけど、暇なの?」

「あっいや、そんなつもりは……雨宮あめみやくんの邪魔になることは、したくないし……」

「邪魔ではないけど。お昼は?」

「ちょっと、人を待ってて」

「ふぅん」


 ……変化したことが、あるとするならば。


「それじゃあ、おしゃべりしようか。お迎えが来るまで」


 綺羅きらのほうから踏み込んでくることが多くなったこと、だろうか。皮肉なことに、こちらが距離を置きたい、いまになって。


 不躾に見つめていた自覚はないのだが、こうなってしまっては、言い訳でしかない。内心泣きたくてたまらない穂花へ、本を閉じた綺羅は、頬杖をついて視線を寄越す。


 ここだけの話だが、こう見えてパニックに陥っていた。綺羅の言うおしゃべりの準備は万端だ。そもそも、「さぁ、やるぞ!」と意気込んで始めるものなのか、という疑問はあるが。


 話題の提供は一体誰が。ふたりしかいない。綺羅がこちらを見ている。……私? 私がお送りしなきゃいけないの? せめて協賛を……と、穂花の脳内は思考のスクランブル交差点で事故が多発している。収拾がつかない。


「えぇ~っと、その……」

「うん」

「雨宮くん、いつも読書してるけど、なに読んでるのかなぁ……って」


 交通整理の最中に返答をするのは、なかなかに骨が折れるものだ。なんとか、当たり障りのない話題を絞り出すことができた。


「なに、ねぇ。歴史ものとか」

「歴史もの……好きなの?」

「まぁ、読んでると、いつの時代もみんななにやってんだろって、うんざりできるよ」

「あはは……」


 駄目だ。無理だ。綺羅の相手は時期尚早、難易度が高すぎた。普通の斜め上もいいところの発言に、曖昧な笑みしか返せない。

 対する綺羅はなにを思ったか。一度手元の本へ視線を落とし、口を開く。


「突然現れた偉そうなやつが、ここは自分の国だから大人しく寄越せ、そう言ってきたら、きみはどうする?」

「え……?」


 もしかして、綺羅が読んでいる本に関連する話だろうか。歴史ものとはいえ、いつの時代、どこの国のことかは、わからないが。


「ちなみに、きみはその国を治める偉いひとの子供、そうだな、お姫さまだとしようか。自分の国が危ういとき、きみならどうする?」


 試されているのだろう。なんとなく窺い知れたけれども、ごく普通の一般庶民として育った穂花には、ありきたりな方法しか思いつかない。


「まずは、話し合う、かな」

「話し合う?」

「そのひとにも、事情があるんだろうし……和解の道があるなら、そっちを選びたいです」

「無理だね。その話し合いで長年膠着が続いたからこそ、相手は国境を越えて乗り込んできた。武力行使もほのめかしている。きみの兄である王子は、そいつとの〝話し合い〟に恐れをなして逃げ出した。国の命運が懸かっているとき、きみはどうするの」

「私は……それでも話し合いを、します。暴力は、よくないと思うから」


 畳みかけられながらも、やっと口にした。

 反撃できるだけの戦力も、度胸も、おそらくないだろうから、だけれど。


「そう。……残念だ」


 品定めするかのような藍の双眸。やがて聞こえた言葉は、単調だった。


「結局その国はね、勇ましい2番目の王子が相手に一騎討ちを挑んだけど、こてんぱんにやられたよ。当然国も奪われた。惨めだよね。国のために闘って、負けて、追われて」

「…………」

「そんな顔しないでよ。たかが昔話でしょ。よくある権力争いだよ、こんなの」


 綺羅の言う通り、平和主義を掲げた日本国という温室で育った穂花には、現実味のない話なのかもしれない。


「こうして果敢な王子の国は、力ある隣国の王子に奪われたのでした。めでたしめでたし。理想論じゃ生きてけないって教訓をありがとう、なんてね」


 言葉が紡がれるごとに、首が重くなる。

 現実を、突きつけられた気がした。



「――だまって」



 窓の閉ざされて教室で、ふわり、風がそよぐ。次いで、背後に揺らめく影の気配。


「ねーさまを、イジメないで」


 振り返る必要はなかった。椅子でうなだれる穂花の首へ腕を回し、綺羅を睨みつける常磐色の双眸と、天色の長髪を、ガラス越しに認めることができたから。


あお……」


 ふいに、いつかのことが蘇った。しかし穂花を慕ってやまない妖は、燻っているであろう妖気をその身に留めたまま。


 綺羅を射殺さんばかりのまなざしだけれども、蒼は、我慢していた。

 胸にじんわりとぬくもりが灯る。自分を庇う細い腕に、そっと手を添えた。


 見えるわけがない。聞こえるわけがない。そんな綺羅の藍の双眸は、何故だかこのとき、穂花から少しばかり外されたような気がした。


「雨宮くん、訊いてもいいかな」


 酸素を吸って、吐き出した声は、思ったより震えなかった。

 はたと、藍の双眸に捉えられる。煌々と浮かぶ月の虹彩は、すべてを見透かしたよう。


「どうぞ?」

「隣国の王子さまは、2番目の王子さまを、どうしたの?」

「言ったでしょ。反撃もできないくらい、こてんぱんにしたんだ」

「その後」

「後……?」


 初めて、藍と月が揺らぐ。

 そこに言及されるとは、夢にも思わなかったのだろうか。


「力の差を思い知らせて、満身創痍になるまで追い詰めて、人もろくに住んでいないような辺境に追いやった」

「命は、奪わなかったんだよね」

「誇り高い王子なら、国を守れなかった罪悪感に苛まれたことだろうよ。地獄に落とされたほうが、いっそ楽だったかもね。そういうのを見越して、あえて生かしたのかもしれない。ホントいい性格してるよね、隣国の王子さまは」


 すらすらと紡ぐ綺羅が、反論の余地をなくそうとしているのはわかった。

 だけれど、わからないのだ。


「その国は、どんな国になったの?」


 傲慢な王子の悪政に翻弄されて、おしまい。そんなよくある悲劇なら、穂花も納得できた。


「別に……取り立ててよくも、悪くもないよ。それなりの平穏が続いたかと思えば、災害や疫病に見舞われる。時代が変われば、権力者も変わる。その度にいくさが起こった。疑心暗鬼になって、他国との交流を断絶したときもある」


 幸か不幸かで言えば、圧倒的に不幸な出来事のほうが多かっただろう。

 そういうものだ。時代の転機は。

 言葉にしながら、綺羅も、その瞳に、諦観ではない色を灯し始める。


「いくさや、災害や、疫病に家族を失って……それでも、図太く生にすがって……独自の文化を花開かせた。そんなこともあったなって過去のことにしてしまえるくらい、のんきで、おめでたくて、平和な国になったかも……ね」


 最後の言葉を聞き届けてなお、穂花にはわからなかった。


「雨宮くんは、隣国の王子さまが、あんまり好きじゃないのかな」

「へぇ。そう感じた理由を訊こうか」

「偉そうなやつとか、いい性格してるとか、言葉に棘があるっていうか。まるで、悪者みたい」

「そりゃあ、他国の領土を奪ったわけだし」

「それも、2番目の王子さまとの一騎討ちで勝ったから、だよね?」


 正々堂々と受けて、必要以上に傷つけなかった。

 問答無用で攻め入ることもできただろうに、国境を越えたとしても、はじめに選んだ手段は話し合いだった。

 それほど思慮深い隣国の王子が、私欲のために国を侵略しようとしていたとは、到底思えなかった。

 国のことだって、国民に貧しい暮らしを強いていたわけじゃない。むしろ、豊かにしようと願ってのことだったのでは。


「その国のことが、好きだったんだね」


 自分はお姫さまじゃない。王子さまたちの心境なんて、推し量ろうとすることのほうが、おこがましいのかもしれないけれど。


「2番目の王子さまは、国のこと、どう思ってたんだろう」

「……さぁね。罪悪感で卑屈になって、それっきり森の奥から出てこようとしなかったから」

「そっか……ちょっと、寂しいね。見せたかったなぁ……新しい景色を。私が隣国の王子さまだったら、そう思うよ」


 あくまでこれは、なにも知らない小娘の、理想に理想を散りばめた戯れ言。だからこれから言う言葉を、聞き流してくれてもいい。


「悪者じゃないよ、惨めじゃないよ。国をよりよくしようとした隣国の王子さまも、必死に守ろうと闘った2番目の王子さまも」


 その場を支配するのは、談笑を遠くに追いやった沈黙。針の落ちる音さえ拾えるだろう静けさの中で、藍の双眸は、穂花へと一心に注がれていた。ガラス越しの、常磐色の瞳も。


「言うよね。まぁ……きみらしい、かな。理想論だけど、悪くない答えだよ」


 ふ……と微かにこぼれた声。

 錯覚でなければ、ほころぶような頬笑みを浮かべているのは、目前にいる綺羅その人だろうか。


「さて、僕はこの辺でお邪魔させてもらおうかな。もっと景気のいい本でも借りてくるよ」


 いちいち穂花に知らせる必要はないのだが、綺羅はそう断って、本を手に席を立つ。


「あぁ、そうそう」


 それから、思い出したようにブレザーの懐を探っては、穂花へと差し出した。


「あげる」

「わっ! あ、ありがとう?」

「ご褒美だからね」


 思わず両手で受け取ってしまったものだから、続く綺羅の行動に、とっさの反応ができなかった。


「大変よくできました」


 頭上を往復する手のひら。もしかして、頭を撫でられたのだろうか。よく聞く決まり文句も相まって、さながら、先生に花丸評価をもらう生徒の気分だった。


 マイペースにも程があるのでは。そんな苦し紛れを言ったって、やけにご満悦な彼には、おそらく届かないだろう。

 言いたいだけ言って、やりたいだけやって、綺羅は教室を後にしてしまった。


 改めて、お椀をかたち作る自分の手を見下ろせば、キャンディがころり。いちご、オレンジ、ぶどう味の、みっつも。


「雨宮くんって……結構、太っ腹?」


 そう考えたら、そうとしか思えなくなってくるから不思議だ。幼い子供が好きな彼のことだ、飴玉のひとつやふたつ、懐に忍ばせておいても、なんらおかしくはない。


「飴。雨宮くんだけに。……ごめん蒼、聞かなかったことにして」


 自分で言って寒気がした。蒼がぎゅうと抱きついて依然離れないのは、突如として襲った大寒波のせいだろう。


「……ううん」


 即座に謝ったものの、穂花の首筋へ鼻先を埋めたままの蒼は、かぶりを振る。

 いつもの甘えん坊、にしては、くぐもった声音がしおらしい。


「蒼? どうかした?」

「んーとね、ねーさま」

「うん」

「ありがと……だいすき」

「もー、改まってどうしちゃったの、この子は。私も大好きだよー!」

「えへへ!」


 正面から抱きしめてあげられない分、ぎゅむと強まる抱擁に、手を握り返して応える。校内でべにや蒼たちと会話するときは、努めて声を潜めるものだけれど、今日くらいは、なにやら独り言を呟いている変な人認定をされても、まぁいいかな、と思えた。


「あ、そだ! あのねあのね、もうすぐぬしさまがくるよ」

「おっ、待ってました! もうお腹ペコペコでさ~」


 時折、紅が登下校の供を弟や使い魔へ譲るようになったのは、いつからだったか。

 以前まで影のごとく後をついて回られていた分、どことなく物寂しくはあったものの、いや、いままでが頼りすぎていたのだ、自分が学校に行っている間、少しでも自由な時間を取れていたらいいと、納得してもいた。最近は部屋にこもって、なにやら打ち込んでいることがあるようだし。


「今日のメニューはなにかなぁ」


 いつも通り屋上へ向かうべくして席を立った穂花には、予想などつくはずもない。

 いつもなら忘れずにお弁当を持たせてくれる紅が、何故今日に限っては、直接届けると言い出したのかなど。


「なぁなぁ、誰か探してんのー?」

「お構いなく」

「まぁそう遠慮すんなって!」

「おわかりにならないか。貴殿には関係のないことだ、と申し上げている」

「き・で・ん! 一体いつの時代の人間かっての、ぷくくっ!」

「……人の子とは、ほんに怖いもの知らずよな……」


 いままさに足を向けようとした教室の出入り口にて、人影あり。昼休みではよくある光景だ。男子がつるんでふざけていたり、女子が輪になっておしゃべりしていたり。


 ドアを塞ぐのはやめてほしいんだけどな……と内心思いつつも、小心者の穂花は、もうひとつある、教室前方の出入り口のほうへと向かうことにした。


「それにしてもちっせーな。女子みたいな顔してるし、何組?」


 向かうことにしたまでは、よかったのだけれども。


「――無礼者っ!」


 目についてしまったものは、仕方がないというか。


「我が身は只おひとりの為のもの。邪心抱きてふれなば、天誅もやむなしと思え!」


 お調子者で有名な男子生徒の手を叩き払い、金切り声をあげる面影に、思考が停止した。

 見覚えがある。ありすぎる。あってはならないものにも関わらず。


「……いや、待って。落ち着くのよ私。気のせい、気のせい……」


 意味もなく咳払いをこぼし、そそくさとこの場を後にしようとするも。


「あ! ぬしさま~!」

「あぁ、蒼か」


 連れだっていた蒼が、うさぎよろしく飛び跳ねては、ブンブンと右手を振る。こっちこっち! と持ち前の天真爛漫を発揮して。


「これはこれは、そちらにおいででしたか」


 先程の威嚇はいずこへ。目前の人影など最早眼中になしとでもいうかのように、ころりと口調を変えた〝彼〟が、次いでふにゃりと破顔する。


「おや、どちらへ行かれるのです、穂花?」


 人違いであってほしかった。

 しかし、ピンポイントで名前を呼ばれてしまっては、否定しようがない。


「べっ……べべべ……っ!?」

「えぇ、貴女様の紅にございます。さぁ、おいでくださいませ。昼餉と致しましょう」


 弁当らしき包みを抱えた渦中の人物が、一直線に歩み寄ってきては、空いたほうの手で穂花の手を取った。


「マジか、まさかの……」

「葦原さん…」


 男子生徒だけでない、クラスメイトの大半が自分たちに注目し、複雑な面持ちで声を潜め合う。


 どうして。なんで。穂花の脳内は混乱真っ只中だ。

「あお、ひなたぼっこしたいー」と腕を引く蒼については、誰ひとり言及しない。当然だ。妖なのだから。


 同様に、人の目には見えない。見えないはずではなかったか、〝彼〟は。


「みなさん、どうかしましたか? やけに静かですけれど……」


 そんなときだった。白衣の美青年が、ひょっこりと顔を覗かせたのは。普段は騒がしい教室の異様な静けさを、不思議に思ってのことだろう。さすがである。その英断に、いまは感謝しかない。


たか先生!」


 通りすがりの、唯一にして最大の救世主に、視線で訴えかける。


 ――助けて。超、助けて。


 穂花の訴えを敏感に捉えた救世主……サクヤは、ちょうど振り返った〝彼〟に気づき、わずかながら菫の双眸を見開く。

 しかし、穂花程の衝撃は受けなかったようで、腕の中の資料だか掲示物だかを、苦笑混じりに抱え直すのだった。


「あに――紅、さん。葦原さんも、ご飯はまだなのですよね。お昼休みが終わらないうちに、行ってらっしゃい」

「……あぁ、わたしとしたことが。ふむ、この場合は……はい、わかりました。お気遣いありがとうございます、さく兄様!」

「朔馬兄様!?」

「そういう設定ですので」


 思わず聞き返してしまった穂花に、やたらまぶしい笑みを寄越した眉目秀麗な少年は、疑うまでもない、紅に相違なかった。


 何故か見慣れた紺青の着物を脱ぎ捨て、男子生徒用のブレザーを、身にまとってはいたが。

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