*36* 言霊の温度
考えのまとまらないまま歩き続けているうちに、とある公園へ行き着いた。サイクリングコースなどもある、それなりの規模の公園だ。
家族連れやカップルのにぎわうメインエリアを抜け、噴水の音が心地よい憩いの広場でベンチに座ると、クレープをかじる合間にポツリ、ポツリ。
「朔馬と付き合ってるって? おまえが?」
「……うん」
「あながち間違っちゃいないが」
「そりゃそうなんだけど……」
「まぁ、普通に見りゃ教師と生徒だもんな」
「格好のネタというか、なんというか」
「要は、あることないこと噂されて、ちょっと祟りたくなってきたってわけか」
「いや、祟りたいとかはないけど」
そうと返せば、それまで淡々と事情を咀嚼していた真知が、いつもの仏頂面に深い眉間のシワを刻んだ。
「穂花、優しいのは結構だが、おまえはもっと怒ってもいいと思うぞ」
「怒る?」
「あぁそうだ。都合よく利用しといて、気に入らなくなったら重箱の隅をつつく粗探しに、仲間外れ。随分とお高い身分みたいだからなぁ、人間様ってのは」
ハッ、と鼻を鳴らすと同時に放られるクレープの包み紙。
グシャグシャに丸められたそれがくずかごへ消える様すら見届けることなく、並び座る真知は傲然と腕や脚を組み直した。
「ったく……俺が代わりに罰当ててやろーか。穂花を馬鹿にしたやつらひとり残らず、期末テストのヤマを悉く外して、追試の蟻地獄に溺れ死んでしまえ」
「知恵の神様の祟りこわい。冗談に聞こえない」
「言霊ってのはそういうもんだ。他者を守る盾にも、殺めてしまう矛にもなり得る。それが厭ってほどにわかっているから、俺たちは下手なことは言えん。無責任な神託は下せない。神は約束を絶対に違えんが、人間は簡単にふいにしてしまうだろう。だから世界に戦争なんてのがあふれ返ってるんだ」
否やのあろうはずもなかった。まくし立てる真知の言葉すべてが、真だからだ。
知らず、クレープを口に運ぶ手が止まる。抹茶も、あずきも、こんなにほろ苦かったろうか。
「……私もちょっとさ、さくに甘えすぎてたかなぁって、色々考えちゃって……」
「おまえが保健室通いになったのも、元を正せば、俺たちが調子に乗って神気を注ぎすぎたからだ。サクヤはそんなおまえを甲斐甲斐しく看病しただけで、教師の立場は充分に弁えてたろ。違うか?」
「……ううん、違わない」
もとより、サクヤは底抜けに心優しい。そんな彼が殊更優しく、それこそ恋仲の相手に向ける甘さで接してきたのは、余人の目がないと確信したときのみ。
だから養護教諭という立場上、怪我や体調を崩した生徒の世話だとか、悩める若人らの相談に乗るだとかを、穂花の見ていないところでもこなしていたはずだ。慈愛、博愛の精神で、誰にでも分け隔てなく。
では、紅や真知の所為か。それも違う。
真知はあくまで自分たちの所為だとうそぶいてみせるけれど、神気は、ほかならぬ穂花が受け入れた。花を咲かせるために必要なことだったのだ。
非がないのに、責める気にはなれるはずもない。かといって、理不尽に向けて反論する度胸もなかった。
「なんとなく顔を合わせづらくなっちゃってさ、思わず、ひとりで帰っちゃったの。そしたらさくが、ものすごい形相で仕事終わらせてきて」
「だろうな」
「……色々言われてるの、たぶん気づいてたと思うんだよね。でもさくのことだから、気を遣って、無理には訊かないでくれたんだ」
「まったくおまえらは、器用なんだか不器用なんだか」
「返す言葉もないです……」
近すぎるゆえに遠い、とでも言おうか。
サクヤがなにを思っているのかはなんとなくわかるのに、自分がどうすべきなのかが、とんとわからないのだ。
「気を遣うのは百歩譲ってよしとしてもだ、おまえら、慎重すぎやしないか?」
「……そう?」
「思うところがあるなら、洗いざらい吐いたほうが楽になるぞ」
やはり、真知は誤魔化せない。
真摯な鼈甲飴の双眸を前にして逃げられないことを悟り、逡巡ののち、観念した。
「花が……青い花が、半分しか、咲かなくて」
「……おう」
「さく……なにも言わなかったから。私もなにも訊かないほうがいいかなって、思って」
「サクヤが訊かなかったように、か」
「うん……それで、さくは紅のそばにいるって言ってたから……いまさくと一緒にいるべきなのは、紅なんだと思う」
「……なるほどな」
相槌を打つ真知は、その先を求めなかった。
広い手のひらがうつむく頭にふれ、そのまま、引き寄せられる感触。
肩にもたれさせられたのだと、まばたきを繰り返して理解する。
「いいか穂花、この世に起こるすべては、あって然るべきもの、必然だ」
「必然……」
「そう。既定伝承に記されたもの。天命に定められたもの」
「さくの花が、半分しか咲かなかったことも……?」
「あぁ。はじめ俺の花が咲かなかったように〝必要なこと〟だった。サクヤはいま、乗り越えなければならない問題と直面している。それはきっと、あいつ自身がどうにかしなきゃいけないことだ」
「私じゃ、力になれないのかな……」
「頼むから、自分は無力だとか思ってくれるなよ。そうやって穂花が滅入ってるほうが、一番堪えちまう。それは、サクヤだけじゃない」
なにもかもを、見透かした言葉だった。
それなのに息苦しくないのは、頭を撫で、髪を梳く指先の穏やかさと、耳朶に溶ける声音の温かさがあるから。
「おまえは友だちがいないことコンプレックスみたいに思ってるけど、大事なのは、たくさんの誰かに囲まれることじゃない。本当に辛いとき、誰がそばにいてくれたかだ」
「っ……!」
「穂花は、俺のそばにいてくれただろう。おまえが何気なくしてくれたことが、どれだけ俺を救ったことか。特別なことは必要ないんだ。ただ、そばにいてやれ。それだけで、サクヤも踏ん張れる」
「……まち、くっ……!」
――もしこのまま、花が満開に咲かなかったら。
最悪の事態が脳裏をよぎった。
不安で不安で仕方ないのに、誰に相談することもできなくて。
「穂花が安心するための知恵なら、いくらだって貸してやる。大丈夫だ」
けれど、心細い胸の内を、真知が気づいてくれたから。
「……ありが、と」
――私はまだ、頑張れる。
ほどかれゆく心の中で、そっと、言霊にしてみた。




