*21* コヒネガフ
純潔を捧げた翌日に、今度は相手の弟と肌を重ねる……普通に生活をしていては、考えられないことだ。あくまで人間の常識では。
「良いでしょう」
「……え」
「穂花はサクヤをお求めなのでしょう? お好きなだけ抱かれるがよろしかろう。紅は寂しくなどありませぬから、えぇ、まったく」
「紅さん紅さん、本音が漏れてます」
戻った紅に意を決して話を通す。すると案の定、天の邪鬼な抗議あり。
条件反射で指摘したのが間違いだった。真一文字に唇を引き結んだ紅の腕に、ぎゅう、と閉じ込められてしまう。
「わたしだって、辛いのです……ほかの男に抱かせるくらいならわたしが抱きたい。けれど弟の幸せの邪魔もしたくない。でもっ……やっぱりわたしが抱きたいんです~!」
「あ――っ! わかった、紅の気持ちは充分わかったから!」
「……また、褥を共にさせて頂けますか……?」
「う……ま、まぁ一応夫婦? ですし……」
「よし、覚悟なされよ。夜空が白むまで、寝かせませぬゆえ」
「まさかの泣き真似だった……!?」
「今度こそ、孕んで頂きますぞ……?」
「もう逃げたい!!」
紺青の袖で顔を覆い、草笛の音色を震わせていた姿もいまはいずこ。
けろりとのたもうた紅は、言質を取ったとばかりにしたり顔だ。
「兄上、あまり穂花に無理は仰られませんよう」
「一夜で孕ませたやつがよく言う。たまには兄を立てんか」
「兄上……」
「わたしとて、獣のごとく肉欲にまみれるほど、馬鹿ではないわ。懐妊なされるまで、何度でも、優しく愛でさせて頂きますから……ね?」
うっとりと紅玉を蕩けさせ、頬を擦り寄せる紅は、もうなにを言っても聞き入れそうにない。
サクヤもたしなめることを止め、苦笑を返してみせる。
「それでは僭越ながら、今宵はこのサクヤが閨に侍らせて頂きます。……あまり気負われませぬよう」
「大丈夫、さくはきっと優しいもん。誰かさんと違って」
「おや、わたしも優しく致しましたでしょうに。穂花も自らわたしに身を委ねてくださったではありませんか。甘い声で、それはそれは気持ちよさげに喘いでいらして……」
「みなまで言うな!!」
まったくこの神は、純情な乙女をどれほどからかえば気が済むのか。
少なくとも……いたずら心という名の愛情表現を、しばらくは甘んじて受けねばならぬだろう。
それほど、純潔を捧げられた自信が、紅を歓喜させたというわけだ。
「……必ずや、花を咲かせるのだぞ」
「……はい」
羞恥に思考が鈍っていた穂花には、小声のやり取りがどれほど重要な意味を含んでいようかなど、わかるはずもなかった。
* * *
たとえどんな非日常が訪れようと、恐ろしいほどに顔色を変えず、時は流れてゆく。
「もぉ、紅のばかぁ……! 思い出させるから、身体が痛くなってきたじゃない……!」
自分は神なのであろうが、現代日本に生きる女子高生にもちがいない。今日が休日で良かったと、心の底から感謝する。
普通ならば部屋でおとなしくしているべきなのだろう。実際あの兄弟にもそう勧められた。
だが色んなことを一度に聞かされ、張り詰めた風船が弾けてしまいそうだった。
じっとしていても身体がなまるだけだという思考も手伝い、散歩というささやかな気分転換に乗り出したわけだ。
鶯が歌う庭へ、靴に履き替えて出づる。空高くから照らす陽光がまぶしい。
そんな中でも堂々と咲き誇る椿たちは、霞むどころか、より鮮やかに思えた。
「――穂花」
そよ風が髪をなびかせる。
名を喚んだのは淡泊な声音。親しい仲だからこそ、秘められた熱に気づけるほどの。
振り返った先で、若草色の衣がはためく。
「……まちくん」
わざわざ背後を取った青年は、椿の生け垣から眼を逸らさせたくてたまらなかったような、もどかしげな面持ちをしていた。
真知との間には、2歩分の距離がある。穂花はそれがもどかしかった。
「あいつらはどうした」
淡々と問う眼差しは、ひとりで出歩く妹を叱る兄のようであって、ちがう。
「紅とさくは兄弟水入らずしてもらってる。蒼はお腹いっぱいで、お昼寝中だよ。……まちくんは、落ち着いた?」
蒼に足止めされ、剣を抜くほど激昂していた真知だ。
そう簡単には冷めやらぬとは思っていたが……彼はやはり、神体のままであった。
「おかげで未だにくすぶってるぜ。はらわたが煮えくり返るほどにな」
「ねぇまちくん、誤解させちゃったけど……紅も蒼も、ホントは優しいんだよ?」
「そうやっておまえが庇うことが気に入らない」
見誤った。
2歩分だと高をくくっていたが、真知にとっては1歩にも満たなかった。
呆けている間に距離を詰められ、肩をわし掴まれてしまう。
「なぁ、俺はおまえの友か。それとも兄か」
「まちくんは……私の伯父さん、なんでしょ……?」
「事実なんかどうでもいい。おまえの気持ちを言え」
問われているのか責められているのか、もはやわからない。
返答として赦される言葉は、たったひとつなのだろう。
だが鋭い追及を前に畏縮してしまった穂花には、真知が望む答えを見つけ出す為の1歩を踏み出す勇気がない。
結果として、穂花からの返答はない。水中にでもいるかのような息苦しい沈黙が、真知に痺れを切れさせる。
「俺は……おまえを、愛してる……」
それは……茜の校舎裏で、聞いた。
あのときは戸惑うばかりだったが、血を引く家族である為と知ったいまならば、当然だとうなずける。
……うなずけるはずだった。
「おまえを姪だなんて思えない……」
「まち、くん……?」
「子を成した? 想いを交わした? ふざけるな……誰よりもおまえを見守り、愛してきたのは、俺だ! 俺にとっておまえは女なんだよ、穂花……っ!」
「きゃあッ!?」
翻る若草色の衣。裏地の黄金色が、視界を覆い尽くす。
同時に身体が浮く。足が地面を捉えられない恐怖が、真知へしがみつかさせた。
きつくまぶたを閉ざしては、なにが起きたのかたしかめようもない。ただ、強風に煽られているような感覚のみが在る。
やがて突風は凪ぐ。恐る恐るまぶたを持ち上げる穂花だが、焦点が合うより早く天地をひっくり返されてしまう。
「怖がるな。俺の部屋だ」
その言葉を信じる道しかなく、こわごわと視線を巡らせる。
そしてあぜんとした。自分がいるのは見渡す限りの広い部屋。
大理石の無機質な空間に、横たえられている。天蓋つきの寝台に、組み敷かれるというかたちで。
真知は自分の部屋だと言うが、まさかこれが一男子高校生の自室であるはずがなかろう。
「……ここって」
「俺の部屋だ。――高天原のな」
真知は繰り返し、そして告げた。
高天原。神々のみが住まう天空の世界。
自分の故郷であろういまは知らぬ世界に……一瞬にして、連れて来られた?
「まちくん……帰ろう?」
「おまえの帰る場所はここだ。下界に降りる必要はもうない。葦原中津国の平定は、成し遂げられたのだから」
「そうじゃない……紅やさくたちを置き去りになんて、できないの」
「そんなにあいつらが好きかよっ!」
短時間のうちに、冷静な真知が幾度も声を荒らげる。このようなことが、未だかつてあっただろうか?
怒りをぶつけられているのは自分であるのに、真知のほうが苦しげな表情をしている。
「時が来れば思い出してくれると……それまでの辛抱だと希っていた日々さえも、無駄だっていうのか……」
鼈甲に映る自分は、頼りなく揺らめく。
「なぁ……思い出してくれ。おまえと最初に愛し合ったのは、誰だ……?」
……言葉が出せない。
真知の言い方は、まるで。
「おまえを最初に抱いたのは……俺だろう?」
……まるで、いままで積み上げてきたものを土台からひっくり返すような、衝撃的なものだ。
「ウソ、でしょ……だってまちくんは、お母さんのお兄さんで、」
「家族だからどうした? アマテラスは弟のスサノヲと誓約を行い、子を産んだぞ。俺たちは神だ。人間の杓子定規で物事を判断してくれるな。俺とおまえは、愛し合っていたんだ」
話を聞かされるほどに、ニニギという神のことがわからなくなってゆく。
イワナガヒメ、コノハナサクヤヒメ、オモイカネ――紅、サクヤ、真知。
彼女は、誰を、どこまで愛していた……?
「……思い出させてやる」
「まちく……ひゃあっ!」
腕を強く引かれる。かと思えば、反転する身体。
たったいままで振り仰いでいた真知によって、寝台にうつぶせにさせられたのだ。
そうと理解するころには、背のジッパーが下げられる音。
待ったをかける間もなく、純白のワンピースがはだけ、背が外気にさらされる。
「まちくん!? やっ……!」
「逃げるな。乱暴はしないから」
強引なくせに、こんなときに限って、鼓膜を震わせる声音は穏やかだ。
「その様子だと、気づいてないんだろ」
「な、なにを……?」
「ここに、なにが在るのか」
そうとだけ言われ――背に、熱い感触。
「あ……ッ!」
しっとりと、素肌を吸われた。ほんの一瞬の出来事であるのに、その余韻は身体を芯から燃え上がらせる。
「な……にこれ……あつい……っ!」
熱を逃がさねば。早く、早く。
よじる腰は、力強い腕によって絡め取られてしまう。
「あぁ……残念だ。おまえにも間近に見せてやりたいよ。ここに在る、俺の刻印――白い蕾を」
――花を咲かせた者の勝ち。
そうだ……誓約は、はじめからそうであったではないか。
紅とサクヤの蕾が在って、真知のものがないわけがない。
「おまえ以外の女を抱くことがなかったからな……数千年ぶりだが、赦してくれよ……?」
甘い。なんと甘ったるい声音なのだ。
顔を見ずとも、羞恥でどうにかなってしまいそうだ。
「俺の神気で満たせば、高天原で愛し合っていたころのことを、思い出すだろう――……」
背に、肩に、うなじに、次々と落とされる口付け。
「――愛してる。俺の穂花……」
とびきり甘いささやきをこぼした唇は、振り向かせた穂花の桃色のそれに、容赦なく噛みついた。




