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たまゆらの花篝り  作者: はーこ
21/49

*20* 花よ咲け

 

 彼の二柱を足止めせよ。命を奪ってはならぬ。


 誓約の後、べには使い魔であるあおに言い付けたのだという。

 真知まちとサクヤを遠ざけた蒼は、見事主の期待に応えてみせたのだ。

 一夜の出来事がにわかには信じ難い。が、天真爛漫な蒼が狂暴な妖としての性を持ち合わせていることは、真知に剣を抜かせた事実が証明している。


「ねーさまは、あおがキライになっちゃった……?」


 サクヤの説教を受け、ほのに問いかける硝子の声音は不安げであった。

 いまにも雨の降り出しそうな天色に、責め立てる気など起きるはずもない。


「嫌わないよ。自分がケガしても、蒼はまちくんやさくを傷つけたりしなかったでしょ?」

「だって、ぬしさまの言いつけだったから……」

「蒼のそういう純粋で一生懸命なところ、私好きだよ」

「……ふぇっ、あおもすき! ねーさまだいすき~!」

「わっ!?」


 感極まった蒼は、穂花を熱く抱擁するだけにとどまらない。頬の鱗を擦り寄せられ、ちろり、ちろり。慣れない感触にしばし呆けた穂花は、3拍遅れて舐められたことに気づく。

 存外長い蛇のような舌は、目にも鮮やかな血色。それで、さながらはしゃいだ犬が飼い主にするかのごとく、穂花の頬を舐めているのだ。

 人の姿をとった蒼は穂花と同じ年ごろ。華奢だが身体は男子のそれで、逃げる術がなければされるがままであるしかない。

 状況が状況ながら羞恥を憶えないのは、蒼の幼い言動に感化された親愛が勝った為か。


「ふふ……蒼、くすぐったい」

「ねーさま、あったかいね。やわらかくて……あまくて、おいしい」

「いやぁそれほどでも……うん?」


 うっかり相づちを打ちそうになったが、なにやら衝撃的な単語を発されなかっただろうか。


「これ蒼、穂花の神気をつまみ食いなど、はしたないぞ。腹を空かせているのならわたしに申せ」

「ごめんなさい! あおもうペコペコ~

「えっ……えっ?」

「蒼は兄上の神気を取り込むことで、命を繋いできたのですよ」


 すかさずサクヤの助け船がある。

 そういえば紅が「蒼は世間一般的な食事を必要としない」と言っていた。なにがなにやらわからないが、どうやら命を繋ぐ為に〝食べられていた〟らしい。


「ぬしさま、あおがんばった! ごほうびちょうだい!」

「わかっておる。急くな、急くな」


 やれやれ、と肩をすくめつつも、紅は畳の上で居ずまいを正す。


「蒼に〝食事〟をさせて参ります。……面を外します。わたしの神気にあてられてはなりませぬから、穂花はこちらでお待ちを」


 なぜ紅の神気にふれてはいけないのか。愛する相手であるのに。

 甚だ疑問に思えど、声にはできない。

 ひそめられた草笛の音色、真剣な面持ちを前に、なにか思うことがあっての言葉とはかり知った為。


「うん、わかった。さくとお話してるね」

では……穂花を頼んだぞ、サクヤ

「承知いたしました。どうぞ、お任せを」


 穂花、次いでサクヤを見やった紅は、ふわりと紅玉をほころばせる。

 そうして蒼を連れ立ち、まぶしい陽光の中庭へと消えていった。




  *  *  *




 静かな居間は、仄かな桜の香りに包まれる。

 これがサクヤの神気なのだと理解に至るほどには、神としての本質を取り戻せているのだろうか。


「身体は、なんともないの?」


 サクヤは本来の姿を維持する為に、わずかな時間であっても神気を消耗する。

 真知の言葉が胸につかえていた穂花は、たまらず問うた。


「えぇ、おかげさまで。此度の魂依代たまよりしろとは特別相性がよろしいようで、存外早く神気も安定して参りました」

「たまよりしろ……?」

たか千穂ちほ さくという青年のことです。彼と私は、元々異なる存在でございまして」

「えっと……つまり」

「別人だった、と申し上げましたら、おわかりになるでしょうか」


 朔馬とサクヤが別人だった。その事実は理解できる。しかし、それが意味することは想像もつかない。

 首をひねる穂花を前に、自嘲気味な笑みがもれる。


「私の肉体はもうございません」

「……え」

「すでに死しているのです。しかしながら、生命を司る私は死者を統べる女王イザナミ様に疎まれており、黄泉へゆくことも叶いません。魂のみのまま、依り処となる肉体を見つけては死に、また見つけては死に……ということを、何千年と繰り返してきました」

「いまのさくは、魂だけの存在……? 高千穂先生は、さくに身体を貸してるってこと……?」

「はい。魂依代は、私の神気に耐え得る肉体である必要がございます。高千穂家は、ニニギ様と生前の私との間に生まれた子の一族……つまり朔馬は、私共の末裔なのです。血族であるからこそ神気も馴染みやすく、とりわけ朔馬はその才に恵まれておりました」


 サクヤの話す通りならば、ひとつ気にかかることがある。


「高千穂先生自身が、身体を貸すことを承諾してるんだよね?」


 サクヤのことだ、無理を強いることはしないだろう。

 両者の間には合意があった。ほぼ確信しながら問えば、サクヤは静かにうなずく。


「実は、朔馬は生まれつき身体が弱く、若くして死する運命にありました。私の魂依代となることで生命を得、私も肉体を得る……私たちは互いになくてはならない存在なのです」

「そうなんだ……高千穂先生は、いまどこに?」

「……私が憑いたとき、かなり衰弱しておりまして、朔馬の意識は未だ眠っております。私の神気と完全に馴染み、安定すれば、やがて目醒めるはず。とても優しい青年です。穂花にも早く紹介して差し上げたい。朔馬もまた、貴女様の夫となることを喜ぶでしょう」

「あ……そっか。そうだよね」


 サクヤは自分の伴侶。朔馬とサクヤが運命共同体ならば、朔馬も夫となる。

 考えてみれば至極当然のことながら、人間として生きてきた時間の長い穂花にとっては、どこか夢物語のように感じられる。


「ねぇ、さく」

「はい」

「ニニギとさくは夫婦だった……それを知った上で、私は……紅と身体を重ねたの。あなたは、こんな私を軽蔑する……?」


 こわごわと問う穂花に、サクヤは静かに、穏やかにかぶりを振る。


「いいえ。天孫のなさることは、すべてが是です。夫をご所望なら、何十人でも何百人でも、どうぞお好きなだけ」

「いやっ、それはさすがに無理ですよ?」

「ふふ、冗談です。穂花は人としての生活が長いですから、不誠実に思われることでしょう。ですが実際、神の中には多くの妻をめとり、百を越える子を成した者もございます」

「ひゃっ、百!?」

「えぇ。ですからあくまでそれは可能、ということをお伝えしたかったのですが……正直、私としても思うところがあります。やはり、愛しい方には私だけを見て頂きたいですから……そう願うほどには、私も男であるというわけですね」

「うぅ……神様の感覚って色々すごい」

「無理して合わされる必要はありません。穂花は穂花の思うようになされませ。私は一切咎めませんし、急かしませんし、幾らでもお付き合い致します」

「……優しすぎだよさく~! ありがと~!」


 愛情の塊のような言葉を立て続けにかけられては、もう我慢ならない。

 感極まった穂花は、自ら甘いの香りの中へ飛び込む。

 桜色の袖越しに抱きしめる腕は、予想より力強かった。しかと抱かれ、優しく後ろ髪を梳かれる。


「お礼を言うのは私のほうです。ありがとう、穂花」

「私、なにかしてあげられたかなぁ?」

「兄上の御心を、救ってくださったではありませんか。苦悩される様を傍近くで眼にしておきながら、私は散るばかりで、なんのお力にもなって差し上げられませんでした……」


 しばし言葉を咀嚼した穂花は、ややあってわずかに身体を離し、物憂げな神と見つめ合う。


「さくは頑張ってたよ。紅もちゃんとわかってくれてる」

「そう仰っていただけますと、嬉しいです。穂花のおかげで、いまの兄上は、穏やかなそよ風のようです。かつてのお優しい兄上……必ずや幸せを見つけてくださると願い続けた年月は、無駄ではなかったのですね」

「きっとそうだよ。だからさくも、自分の幸せについて考えてあげて?」

「私の……」


 繰り返した拍子に、ふわりと桜が香る。

 女人のように美麗なかんばせをわずかに伏せたサクヤは、しばしの沈黙の後、鈍く音をつむぐ。


「私がまだ満たされていないとすれば……このすきまを埋めてくださるのは、貴女様のみです」

「……うん」


 静かに相づちを打つ。穂花に促され、サクヤは続ける。


「私は貴女様の夫でございましたが……厳密には、ニニギ様と契りを交わしたのみ。いまの貴女様を、穂花という少女を、私はいただきたい」

「さく……」

「……貴女様にふれたい。誓約に乗じる形となり、申し訳ないのですが……おねがいです。今宵は、私を侍らせてくださいまし。貴女様を……抱かせてください」

「ッ……!」


 羞恥という言葉は温すぎる。

 身体の芯から燃え盛る熱は、まだ女になりきれない少女の、未熟な証だ。


「恥じらっておいでなのですか? ふふ……かわいらしい」

「わ、笑い事じゃないから!」

「嬉しくもなります。かつて一夜を共にしたときは、私が先導されてばかりでしたから……」

「えっ……ニニギって、その……しょ、処女じゃなかった……とかじゃ、ない、よね……?」


 自ら訊いておきながらすこぶる後悔をした。

 穴があったら入りたいどころか埋めてほしくてたまらない穂花に、サクヤはふわりと頬笑む。


「ニニギ様は、とても落ち着いた方でしたから」

「すみません……落ち着きがなくて」

「申し上げましたでしょう? 私は一切咎めません。私が抱きたいのは穂花なのです。普段は頼りないやもしれませんが……ねやの中くらいは、主導権をいただきますからね……?」

「ちょ、ちょっと待……」

「待ては聞けません。それが男のきょうというものです」


 そろりと後ずされば、ずいとよりいっそう距離を縮められる。

 逃げることこそ自滅への道と理解したころには、もう手遅れであった。


「……ひゃっ! なにしてるのさく!?」


 ワンピースの裾に、サクヤが手をかけたのだ。純白の布が、するするとたくし上げられてゆく。


「どうかお静かに。あまり暴れられては、お召し物が乱れてしまいます。これ以上貴女様の素肌を目の当たりにしては、自制できる自信がありません」


 珍しく口早に紡がれた言葉のみで、余裕のないことは容易にはかり知れる。

 口をつぐむ穂花に満足したか、サクヤは表情を和らげ、あらわになった素足に唇を寄せる。


「……これが、私の花です」


 熱っぽい吐息と共に、右脚の甲へ口付けられる。

 あそこはたしか、青い蕾の在った場所……


「必ずや咲かせてみせましょう。我が愛しき細君――」

「んっ……!」


 ……口付けられた場所が熱い。

 それ以上に、心臓が燃えているようだった。

 

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