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たまゆらの花篝り  作者: はーこ
14/49

*13* 花の烙印

 

 漆黒の天道に、(りょう)(りょう)と昇る孤月。

 頼りない仄明かりにぽうと浮き上がった神がひとたび頬笑むと、呼応するかのごとくさやさやと椿の葉がそよぐ。

 その紅蓮の冷気に、(ほの)()(さく)()の上着を羽織り直した。


「よう、遅いお出ましじゃないか」


 ずいと、穂花の1歩前へ踏み出る真知(まち)。それによって冷気は遮られた。

 真知がどのような面持ちをしているかは伺い知れないが、対峙する美しき少年の姿をした神の紅玉が、す……と細められたことは事実。


「ふふ……此度の誓約(うけい)に先立ち、高天原の天津神様方におねがいへ伺っておりましたゆえ」

「なるほど。しょうもないヤツに、しょうもない提案をしたことはわかった」

「手厳しいですな。我ながら妙案と自負しておるのですが……またのちほど」


 優雅に頬笑んでみせた(べに)は、ここで穂花と並び立つ朔馬へ視線を寄越す。


「なにをしておる、サクヤ。早う兄のもとへ来やれ」

「兄上……」


 朔馬は何事かを言い募ろうとした。が、想いのたけは白い喉の奥へ消え失せるのみ。


「……はい、只今」


 穂花には聞こえた。震える言霊が。

 けれども引きとめるより先に、ひときわ強い桜が香る。


「……サクヤは、ここに」


 紫紺の艶髪、憂いを帯びた菫の瞳、桜色の衣。

 なにも言われなければ女人と見まごうであろう麗しきかんばせは、ひとたびまみえた神のそれに違いなかった。


「おぉ、久しい……血を分けた我が弟よ」


 いつもより半音高い草笛の音色を奏でる紅。

 にっこりと頬笑みをたたえながら、サクヤの両手を取る。


「のうニニギ様、我ら兄弟は良く似ているでしょう? なんの因果か、女子のような容姿に生まれ落ちまして。早くに妻を亡くした父によって、それこそ姫のごとく大事に大事に育てられたのです」


 弟に頬を寄せては、するりと指に指を絡ませ、うっとりと紅は唄う。

 対してサクヤの表情には覇気がなく、兄にされるがまま。


「あいつ、わかっててやってんな……」


 吐き捨てるような呟きの真意を、穂花はまだ汲み取れない。


「穂花、聞け。サクヤはまだ、神の姿を維持することに慣れていない。ほんの数秒で相当な神力を消費しているんだ。早いとこあいつを引き離さないと……」

「これはオモイカネ殿。我が細君になにか? この国津神もどうぞお仲間に加えてくださいまし」


 耳をそば立てねば聞こえぬ囁きであったはずだが、その言葉は矢のように襲いかかった。

 朱の唇は依然として弧を描いているものの、紅玉は微塵も笑みを宿していない。

 ……あれが、本当に紅なのか。砂糖か蜂蜜かもわからないほど、どろどろに自分を甘やかしていた神だというのか。

 目上の者、引いては実の弟に向けた態度は、研ぎ澄まされた刃そのものではないか。

 家族のように過ごした神が……いまは、恐ろしい。


「あに……うえ」


 舌足らずのサクヤが、くたり、と紅の肩口へしなだれかかる。

 は、は、と息が浅い。限界であることは火を見るより明らかだ。

 それでも尚、紅は顔色ひとつ変えない。幼子をあやすように、震えるサクヤの背をさするだけ。


「もう眠いのかえ? おまえはほんに子供よの。どれ、わたしが寝かしつけてやろう……」


 穂花は絶句した。これほど慈愛に満ちた非情は、ほかに知らない。


「紅……さくを、離して? このままじゃ、死んじゃう」

「可笑しなことを仰る。こやつは既に、幾度も絶命しております。いまさらなにを焦ることがございましょう」

「…………え」


 サクヤが、これまでに何度も死んでいる?

 なにを言われたのか理解できなかった。


「甘んじて死を受け入れていた愚弟ながら、今宵に限っては違うようですな。愛しき方の為に、命を()してこの兄に挑もうというのですから」

「言ってることが、わからないよ……紅……」

「なに、簡単なこと。誰がもっとも貴女様に相応しいか、天に問うのです。この場に集う三柱で……ね」

「前置きはいい。さっさと始めようぜ。その為に来たんだからな」


 喚ばれたから来た、という真知の言葉を思い出す。

 喚んだのは、紅。なりゆきを見守る限り、サクヤについても同様であろう。

 自分の与り知らぬ場所でどのような約束がなされ、これからなにが始まろうとしているのか。

 姿かたちの見えない相手が、ただただ、おぞましい。


「……勝手に決めたことは謝る。だけどこれで漸く、永きに渡る不毛な輪廻が断ち斬られるんだ」

「まち、くん……?」

「わかってくれ、穂花」


 鼈甲の瞳には、なにもかも見透かされていた。


「穂花……」


 決して力強くはない。そんな声音が、夜の静けさに不思議と響き届く。


「私は、なにをするにも、兄上の後をついて回るばかり……意思など、ありませんでした。けれど、貴女様のことは、心の底から欲しいとねがえた……」

「さく……」

「私は……貴女様の、穂花の夫です。こればかりは、たとえ相手が兄上といえど、譲れませぬ……!」


 最後の一滴まで気力を振り絞るように、サクヤは紅の胸を押し返す。

 己の脚で立てるのだと、宣言する為に。


「……わたしへの当てつけか。嗤わせる」


 冷ややかなまなざしは、虚空の闇を貫く。


「よろしい――それでは始めましょう。鮮烈なる()(あい)を」


 温度、そして感情を宿さぬ声音と共に、掲げられた手のひらが眩い光を放つ。

 啼く夜風に、ざわめく椿。

 やがて訪れた静寂に庇ったまぶたをこじ開け、紅の右手に、荘厳な黄金の弓を見出だす。


「あれは、(あめの)鹿()()(ゆみ)……とんでもない代物をホイホイ貸すんじゃねぇよ、アマテラスのバカ野郎……っ!」


 明らかに、真知が焦燥をにじませる。


「対価は己が命と申し上げたはず。かつて天をも穿(うが)ったこの弓にかかれば、天津神殿も木っ端微塵でしょうなぁ……我ら国津神も然り」

「兄上、まさか此度の誓約は……」

「ふふ……タカミムスビ様に矢返しをおねがい申してある。仕損じれば塵ひとつ残らぬゆえ、案ずるな」

「アメノワカヒコの惨劇を繰り返すつもりか……」

「わたしを説得すれば、事なきを得るとお思いで? それはご期待に添えず失礼。此度の誓約……選ばれなかった者を待つは、悉く、死です」

「……最高に狂ってるぜ」

「ちょっと待ってよ! そんな呪いみたいな儀式、赦すはずないじゃない!!」

「細君……」


 こちらの気も知らず、賽の目を転がすような賭け事に命を投じるなど、馬鹿にしているとしか思えない。

 怒りをあらわにした穂花を、紅はそっと見つめ返し、


「――お黙りなされ」


 容赦なく、紅玉で射抜いた。

 刹那、四肢が言うことを聞かなくなる。金縛りと称するには不適切な、悪寒と麻痺を伴って。


「これで、貴女様を永久に手に入れることが出来るのです……赦さない……? そのようなこと、わたしが赦しませぬ。貴女様は、このイワナガヒメだけのものじゃ」


 言うや否や、紅は手にした弓の弦へ指をかける。


(オモイ)(カネノ)(カミ)此花(コノハナ)(サク)()(ヒメ)磐長姫(イワナガヒメ)……三柱の名を以て、我、天に是非を問う。(あて)なる天孫、瓊瓊(ニニ)(ギノ)(ミコト)(ちょう)を受けん器は」


 弦を引き絞るほど、なにもない空間に、光が集束してゆく。

 ちりちりと痛みさえ憶えるような、神通力。

 やがて矢を形作ったとき、すべての準備は整ってしまう。


「や、め……!」

「是なる者に生を。非なる者に死を」

「やめてぇっ!!」


 悲鳴にも似た訴えもむなしく、光の矢は解き放たれる。

 寥々と闇夜に昇る蒼白い偃月へ、吸い込まれるように。

 真知もサクヤも、その場を動こうとはしない。穴でも空けそうなほどに、頭上を振り仰ぐばかり。

 ただひとり紅のみが、恍惚とした面持ちで漆黒の天道に頬笑みかける。

 永遠のようなひとときを経て、ぴり、と天に走るものが在る。そうと認識し終えぬうちに、暴力的な閃光が黒を白に染める。

 夜を裂いた白き稲妻は、蟻ほどの大きさしかない三柱を前にして尚、その勢いをゆるめない。

 そうして容赦なく襲いかかり――三柱を素通って、少女の身体を射抜いた。

 え、と意味のない音がこぼれる。なにが起きたのか、理解不能であった。


「穂花ッ!!」

「穂花!!」


 自分の名を叫ぶ真知の、サクヤの声が、酷く遠い……


「なんと、いうこと……」


 誰もが予想し得なかった光景に、紅も呆然と言葉をもらす。


「ニニギ様……ニニギ様、ニニギ様っ!」


 いまにも泣き出しそうな声音と共に、ぎゅう、と抱きしめられる。駆けつけた紅によって、痛いほどに。


「ニニギ様、嗚呼ニニギ様……なんとおいたわしや……」

「べ、に……」

「何故じゃ、何故わたしではないのじゃ……貴女様の為に散る覚悟は、とうに出来ておるのに!」


 憤り、嘆く神を前に、こぼれる言葉が在る。


「ちがう…………つい……あ、つい」


 うわ言のように繰り返す穂花を、漸く紅玉が映し出す。


「あつい……」

「……ニニギ、様?」

「からだが、あついの……!」


 真夏の日差しに肌を焼かれるのとはちがう、内側から発火するような感覚。

 痺れを伴う熱を逃がそうと身体をよじり、腕をさまよわせる。

 何事かを悟った紅が、羽織られていた上着を肩から落とし、ブラウスへと手を伸ばした。


「おい……!」

「兄上、なにを……!?」


 ひとつ、ふたつと外されるボタン。

 細い首、鎖骨、そして胸元があらわになったとき、くすりと、笑みがもれる。


「……成程、そういう事か。天は良くお考えじゃ」


 狐の面から覗く口許は、いつしか愉悦に歪んでいた。

 穂花の胸許に刻まれた、紅蓮の花を見つめて。


「なんだ……その刻印は」

「まだ蕾。つまりはこうでしょう。誰がニニギ様の寵愛を頂くに値するか……その是非は、この花を以て示さんと」

「花を、咲かせた者の勝ち……そう仰るのですか?」

「如何にも」

「そんなこと、どうやって……」

「これが花開いたときこそ、ニニギ様の寵愛を頂くとき。なればその御心に働きかければ良い。我らが抱く、情愛のすべてを以て」


 口にするほどに、草笛の音色は甘やかさを含む。


「そうじゃな……手始めに、お身体の熱を鎮めて差し上げるのがよろしかろう」


 胸許をなぞる指先は、いつしか艶かしい欲を孕んでいた。


「待てよ。こいつの純潔を奪うだと? それこそ誓約が必要じゃないのか」

「仕切り直しなど要りませぬ。初夜を共にするは、このわたしでありますゆえ」

「……妄想も大概にしろよ」

「もとより定められていたことです。そうでしょう? ニニギ様……」


 とびきり甘く声音を掠れさせ、麗しい神は穂花の白い胸許に朱の唇を寄せる。


「何故なら貴女様は、〝あかいはな〟がお好きですものね……?」


 極限まで見開かれる琥珀の瞳。

 瞬間的に冷却された意識の中、引き離そうとした身体は、しかし動かない。


「さぁ……おいでくださいまし」


 制止の声はもはや意味を成さない。

 その両腕に、とらえられてしまっては。


「今宵、この身体で睦み合いましょうね……わたしのニニギ様……?」


 極上の笑みをほころばせた神は、紅き蕾に口付けを落とす。

 これぞ、終わらぬ長夜のはじまり。

 

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