川上 美智子の場合 ~家~
あたいが生まれて初めて”死にたくない”って答えを吐き出したところで、
ジャニスは、私を笑顔を迎えながら優しく抱いてくれた…。
「 川上さん、次の場所が本当の目的地になりますわ。
そこは、あなたに生きていく理由と答えを教えてくれる筈ですわよ 」
「 生きていく理由? 」
死にたくは無くなったけど、生きていく理由は何だろう?
あたいが首をひねっている間に、
ジャニスの大蛇の様な腕が私を拘束すると、再びあたいを抱いたまま空を飛びあがる。
固いはずの天井に凄い勢いで飛びあがるので
それがただの映像って分かっていてもすごく怖かった。
飛んでくる風の勢いは
周りの景色の流れから見てもかなり少ないのだが
さっきまで流していた悔し涙も思いだし涙も直ぐに乾いていくのを感じる。
何気に少し暖かい感じがするけど、
それより
悔しくて噛んだ唇の痛みと締めあがてくるジャニスの腕は痛かった。
旋回し旋回し更に速度を上げていき、来る時に通った真っ黒な雲を抜けると、
広い海の上に出た。
あたいは、腕の中から月に煌めく海原や流れていく雲を見ていた。
やがて、そんな海も終わりやがて暗い陸地をひたすら飛んでいくと
眼下に星屑の様に光る見慣れた町が見えてくる。
町を抜け少し小高い所で
ジャニスが速度を落とすと一つの建物の前に降り立った。
そこは私にとっては懐かしい場所だった…
古びた3階建てで、窓がたくさんこちらを向いている。
満月に照らされて電気の消えた3階の窓は冷たく輝いていたが、
1階と2階は中から煌々と照明の灯が見える。
あたいが18年間お世話になった施設だった。
「 なんで、ここに? 」
「 だって、ここが貴方の家でしょ? 」
ジャニスはそう言って、腕を開いて私を開放した。
「 家って言ったて…ここは 」
もう私の家じゃないって続けようとしたら、ジャニスが建物を指さした。
「 家族が待っているところ…それが家でしょ?
貴方が引き払ったアパートはね、ただの住処。
あなたの本当の家は今も昔もここだけですわ。
それにね、
今頃はテレビの前に釘付けって感じで同期の子やOBも詰めかけていますのよ。
墜落現場に報道のヘリや海上保安庁とかで大騒ぎしてますから、
誰でもない貴方を心配して集まっているのですよ 」
あたいはその言葉に首をかしげる。
「 なんで?…ここ出てもう3年も経つのよ
こういった施設の子供は入れ替わりが激しいし、あたいだってよく覚えていない子が多いしさ。
それなのに、なんで? 」
ジャニスは少し笑いながら、
「 さあ? でも、結構集まっていますわよ。
18年暮らしてきたんでしょうから、お知り合いが多いんじゃないですか?
いえ、お知り合いって言い方は駄目ですわね…家族の方々がいいでしょうね 」
恥ずかしいセリフだとは思ったが、胸の内が少し暖かくなる気がした。
「 ああ、それと…私はここまででお別れになりますわね。
急いで今だ時間のずれている皆さまの目的の場所に誘わないと…
早くしないと、ベルカーに約束してる始末書に追加任務が増えますから。
ああ、それと頭の痛い業務報告書も書かないといけませんし。」
ジャニスは眉を寄せて難しそうな顔で目を押さえた。
「 し…始末書?業務報告書って…まるで会社じゃん。
そんなのあんたの能力でチョチョチョイっとやれば… 」
時空間を操る能力からしたら、書類なんて一瞬じゃないの?
「 いえ…、これがあなた大変なんですよ…
事後操作不能の特殊インキで、個人毎の専用の羽ペンで
丁寧に一字一句手書きですの。
この世界みたいにタイプやワープロなんて公文書じゃ使えませんのよ。
それに、うちの上司って書類にうるさいんですの…
やれ誤字脱字が多いとか、文書が長いだの短いだの、
表現がおかしいとか…外来語だぞ?っとか…もうそりゃあ大変。
それに字が汚いと見てもくれませんから、丁寧に書く必要がありますわね 」
ふ~ん。結構大変なんだ…手書きか…しかもインキに羽ペンって
このドジ女だと手が滑ってどんだけ書き直すんだろう?
でも、そういう事情ならここで長話して迷惑かけるのもいけないか…
「 んで、ジャニス…もう帰るって事は 」
お別れの前に一つ聞いておきたかった…これが今生のお別れかどうかを。
「 ええ、事情が変わらない限りこれが最後ですね。
ま、忘れるから最後にこれは言っておいてもいいでしょう。
前にも言いましたが自殺も出来ないし加護もあるので病気にもなりません。
勿論、使命を終えるまでですけどね…
それ以降は病気でも事故でも自殺でも普通に死にますから注意してください。
更に貴方には、死に際しても特別回収対象に指定されていますわよ、
きっと、貴方はこの世界と私の次元両方でも必要不可欠な人なんですわね。
だから、これから自信もって生きていきましょうね 」
ジャニスがそういいながら
背中からゆっくりと頭越しに飛んできた長い鎌を左手に立てたまま、
白い透き通るような白い手があたいの頭を撫でてきた…
そして…きっと優しい姉でもいたらこんな感じなのかなって
柔らかな表情でわたしを見下ろしてくる。
あたいは、こんな感じで頭を撫でられるのは正直嫌だったが、
不思議に心が落ち着いていくのを感じる。
それに、ジャニスは今ではあたいの恩人だ…体と心を助けてもらったんだし。
「 うん、もうちゃんと生きるよ…確りと誰にも迷惑かけずにさ 」
笑顔でそう返すつもりだったが、
唇がわなないてジャニスの体が歪んで見えてきた…涙がいっぱい頬を伝う。
「 さあ、それはどうかしらね迷惑ってあなたが思うだけで、
相手がどう思うかは別ですのよ。
人とに関わりでお互いに迷惑かけなければ生きていけませんしね 」
ジャニスはそう言って一呼吸置いてから、こう話しだした。
「 あなたがこれから生きる答えは、あの建物の中にきっとあると思いますわよ。
それが何か知るためにも早くさあ、行きなさい…
あのドアを開けた瞬間には、
私の事も、あの飛行機の事もきれいさっぱり忘れて…しまいますからぁぁ…
つ…辛かったご…ご両親との対面も…きれいさっぱり忘れますわ。
ただ、でもその時の…ことがあなたに有形無形の恩恵を与えますから…
あ…あの、これで本当にさ…サヨナラですわ… 」
涙声に思わずジャニスの顔を見上げる。
必死に何かを堪えているかのように綺麗な唇が見えないほど噛んでいる。
大きな青い目に涙がいっぱい溜まってるわ。
そうか…死神だの何とか言って、
他人事の様な口調や、言動もこの顔を見れば分かる…
本当は、凄く感情が豊かで涙もろい人なんだと…仕事で泣くってよっぽど。
でもその顔を見て、少しだけ笑顔を作る事が出来た。
「 有難うさようなら 」
あたいは、一言だけ言って軽く手を振る、施設の方に振り返って歩きだした。
ズルズルと鼻をかむ様な音がした…やっぱりこの人いい人だった。
「 最後に一言言っておきますわ。
あなたは、あなたが思っているより、ず~と大事に思われていますわよ。 」
あたいは、その瞬間後ろを振り向く事は出来なかった…
振り向くとまた、ジャニスのもとへと走っていく事が分かっていたから。
涙でぐしゃぐしゃの顔を見られたくなかったから…
しっかりと生きていくと決めたから…




