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死神 Danse de la faucille  作者: ジャニス・ミカ・ビートフェルト
第八幕  乱気流 ~Le Prince du monde~
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手帳

  死んでもかまわないとは思ってはいるけど、

 当たり前だが、現実に肉体にかかる苦しみは御免こうむりたいとは思う。

 やがて

 機内のざわめきがかすみ始めて、代わりにキーンという音と耳が痛くなってきた。


 ああ、これは駄目だわ…

 このまま急降下していくと虚血して目が見えなくなって

 最後には…気絶するだろうなぁ…でもその方がいい…痛いの嫌いだから。

 航空機は、

 ぶ厚い雲を一気に抜けて晴れ渡った空へと降りることができたようだ。

 窓からは、パンケーキの様に横切っていた雲が切れ、

 真っ青な空と遠くまで何も無い水平線がわずかに見えた。

  

 あたりを見回すと、

 覚悟を決めて唇をかんで、目を瞑るものもいる。

 あとはそうだな…

 真っ青な顔で流れる雲を窓からやるせなく見ているか、

 気の早い奴はアナウンスもないのに防御姿勢をとっている。

 心配しないでいいよ…この速度でもし海面着水なら

 爆発炎上…おまけに海の藻屑だ…ちゃんと座っていようよ…


 それに、墜落するって決まったわけじゃない…

 もう気流の影響もなさそうなところまで…降りてきていると思う…

 しかし、いつまでたっても降下をやめて機首を立て直す気配が無い。

 

 ひょっとしたら、機長に異常があったのかもしれない。

 それとも、引き上げができない機械的なトラブルがあるのかもしれない。

 いずれにしても、このままでは墜落してしまう。


(  適当な陸地も見えないので、おそらく海に落ちるんだろうなぁ…

  皆、可哀想だな…数分前まではこんな事思いもしなかったのにさぁ )


 私は…自分も同じ立場なのに、他の乗客たちに同情しながら、

 大きくため息をついて、諦めながら手帳を取り出した。


 もう、やることと言ったら一つだけだ…


 スマホは、嫌いだから持っていないし、

 遺書ぐらい自筆で書きたかったから手帳で十分だ。


 それに、この手帳は

 空中分解した機体の破片と一緒に池に落ちて、

 奇跡的に見つかった、死んだ彼氏の形見だ。


 これに書くのも因縁めいて丁度いい…


「 時間はかかったけど、これで天国で一緒ね。」


 私は、無神論者で神なんか信じていないし、

 天国なんて

 寂しがりの人間の作り出した幻想ぐらいにしか思っていないし、

 死んだらむくろになるだけと思っていたけど、


 流石に死が目の前に迫ってはそうともいってられない… 

 いいじゃない死ぬ間際になって、神も天国も認めたって。


 頭の中で彼氏と挙げられなかった結婚式を雲の上で行うような

 初心な女の子のような幻想を描く。

 まあ、あれから年取って

 張りを失い始めた肌や崩れ始めた体形は横に置いといて幻想補正しておくとしよう。


 さあ、書くか…手帳を開く。

 池から引き上げたんで少し泥のシミはあるが、

 適当に広げた、ほぼ真っ白なページに

 付属している鉛筆(古臭いけど彼氏はこういう趣味だった)で

 遺書をしたためようとした。


 窓から水面がじわじわ近づいているので、長文など残せないし

 何よりこれといった文章も浮かばない…。


 それに大体、海に落ちれば文字通り藻屑になる運命の手帳だ。

 この際、遺書というより、今の強い思いを残しておこうと思う。


「 待っててね… 」短くそう書き込んだ。


 一気に体の力が抜けていくような気がする。


 もういい…これ以上出来ることなどない…後は海に落ちて死ぬだけだ。



 その時、周りからもペンを走らす音が聞こえたり、

 スマホの灯りとトントンとゆっくり画面を叩く音も聞こえてきた。

 そしてすぐに大きくため息があちこちであがる。


 多分、同じように遺書を書こうとして…結局たいして書けなかったんだろう。


 ゆっくりと瞼を閉じてその瞬間を待とうとした…

 うまくすれば眠ったまま逝けるかもと全く甘い考えだった。

 不意に強い力で右手を握られた。

 さっきまで気にもしていなかったが…隣に座っている、まだ高校生ぐらいの少女だった。


「 す…すいません。怖くて… 」

 涙で綺麗で幼い顔がくしゃくしゃだ、

 そりゃ本当に怖いんだろう…まだほんの子供だしなぁ…


「 だ…大丈夫って言えないけど、

  ずっと握っていていいよ。一人は嫌でしょう?私もそうだから。」


 私は、少女の不安が少しでも和らぐように

 精一杯の微笑みを投げかける…目の隅に涙は滲んでいるけども。

 それに、私の方がかなり年上だ…慰めてやることで私も救われる。


 ああ、早く全員気絶しないかなぁ…


 こんな速度で落ちているのに何人かは私と同じで意識があるようだ。


 あまり意味のない防御姿勢でぶつぶつ言っている

 通路の反対側の席の男を見る。


 何やらスマホを必死にみている…家族の写真だろうか。

 まだ30歳半ばぐらいだから子供も小さいだろうに…心残りだよねぇ。


 少女に右手を持っていかれたので、自然と手帳が閉じて膝元に置いたのだが、

 不意に、パラパラとページが捲れ始めた。


 ずっと白紙のページが続いていく…何も書いてあるはずがない。


 形見でもらった時に何か書いてないかと、必死に捲ってみたが

 何も書いていなかったからだ。

 恐らく、買ったばかりだったんだと思う。


 すると、ゆっくりと捲れ上がるページの中に何か文字が書かれているような

 残像が見えた。


( え? )

 

 思わず右手でそのページを止めようと思ったが、

 目を瞑って、必死に何かつぶやいている、

 可哀想な女の子の手を放すことなどできない。


( いいや…どうせ死ぬんだし… )


 飛行機は、高度を更に落としていく…希薄な上空な空気から、

 徐々に濃厚な空気に触れてやや降下速度が落ちた気がする…

 多分気のせいだと思う。


 それに、もし速度が落ちているのが本当でも、

 ほんのちょっとだけ、死ぬのが遅くなるだけなんだけ…

 ここから機体の引き上げなんて絶対に出来ないからだ。


 海面が目に入ってくる…もう駄目だなぁ。


 すると、いきなり手帳のページがゆっくりと逆方向に動く。

 そして、何やら書いてあったページまで来ると

 ピシッと停止して文字が読める状態になった。


「 なによ、これ 」


 明らかにおかしな動きだったが、私が驚いたのはそこではなく

 書かれてある文字のほうに驚いたのだ。


 何も書かれていないはずの手帳に書かれてあるだけでもおかしいのに、

 この筆跡には見覚えがある。

 和幸の筆跡だ、見間違えるわけがない。


 世にも奇妙で個性的な文字を書く和幸の文字は、

 私の人生で出会った文字の中でも際立って異質だったからだ。


 少し頭が痛くなって来て、目もかすみがちになって来たけど

 必死にその文字を追う。


 ” 君がこちらに来るのはまだ早すぎるし、それを僕も望まない。   

   一番下に書かれた文字を声を出して読み上げてほしい。

   おかしな言葉に思うかもしれないが、

   恥ずかしがらずに読み上げるようにお願いする。


   君の事は今でも愛している… ”


 何よこれ?

 こんなのいつ書かれたのよ…しかも死んだはずの和幸の字で。


 でも、読み上げるしかないと思った。

 このまま海に落ちてしまっては、心残りが出来てしまうからだ。


 大きく深呼吸をして目を見開いて読み上げる。

 海面はすぐそこまで迫っている…


「 アータデン シャーコオ ヘンガーナ 」


 いきなりそう叫んだ私のほうを、目を見開いて隣の女の子が見る。


” あんた電車こうへんがな… ”


 日本語風に発音するとそんな感じになる変な言葉だった。





  

  





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