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死神 Danse de la faucille  作者: ジャニス・ミカ・ビートフェルト
第七幕 温泉宿~Mer d’étoiles~
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降って湧いた休日

  露天風呂の片側から聞こえる川のせせらぎ)に耳を澄まして、目を閉じる。


 「 あ~、本当に気持ちいいわ。」


 小さく声を上げ、頭を岩場に乗せて手足を広げて伸ばす。


 若い娘( もう28だから若くない… )がするには抵抗のある格好ではあるけれど、

 今は一人だし…遠慮なんて考えなくてもいい。

 力を抜いて漂っていると、ややぬめりがある湯が纏わりついて体が温まる。

 そして、沢を抜ける秋の夜風は頬や頭を冷やして本当に気持ちいい…

 もうしばらくすると、酒がまわってもっと気持ちよくなるだろう。


  目を閉じて思い出すのは昨日まで汗臭いおっさんたちと一緒に電車で揺られ、

 古臭いコンクリの匂いがする会社に出勤していたことだった…




  勤めていたのは結構忙しい会社で、

 休む間もないほど業務があって、なおかつキツイしノルマがある。

 もう、数年も纏まった休みを取った事も無いし遊びに出かけた記憶もあまりない。

 忙しすぎて友達とも疎遠になって独りぼっちになった。

 

  新卒で入社して数年は若いからって、いろいろ気を使ってくれて

 早く帰らせてくれたし希望すれば、すんなり休みももらえたし、

 上司も掌中の珠を扱う様に優しかった。

  でも、最近じゃあ、その若さも陰りが出てくると

 上司は情け容赦なく仕事を振ってくるようになった。


 寿で抜けないんでしっかり戦力化して見てくれたんだろう。

 ひょっとして、この女は結婚できないだろうと仕事を仕込むつもりだったかもしれない。

 ある意味しっかりした上司だと思う。


  シャカリキになって働いて、遅くまでの残業も結構やった。

 25で主任、27で係長…位が上がる度に仕事の量はさらに増えた。

 しかし、

 残業代も払わないほどのブラックではないんで、実入りは結構よかった。

 年収は600は軽くあった…でも、使う暇が無い。

 朝は身支度化粧を必死に行って。コンビニでパン買って始発に乗り込む。

 帰りは終電で帰ると、

 誰もいない狭苦しい部屋に戻って出勤用の服を脱いで、

 シャワー浴びたら伸び切って色の褪せたジャージに着替えて

 コンビニの弁当を、特売で買った100円の缶チューハイで流し込む…

 夢も色気も希望もない生活… 


 楽しみっていったら、使わないから増えていく貯金額ぐらいしかなかった。

 で気がついたら結婚の赤信号が鳴りだす28歳になった。


「 ああ、バカやっちゃったなぁ… 」


  社会に出てから23通目の昔の友人の結婚案内を小さな机に広げて呆然と見ながら、

 2度と帰ることの無い若い時間を仕事で埋めてしまった自分を呪う。


 こう見えて、高校や大学では彼氏の2~3人…は居らんかった(泣)

 

 男と付き合ったのって…中学の時に幼馴染と付き合ったぐらいかなぁ?

 かろうじてキスやデートしたぐらいの中学生らしい子供の付き合いだった。


 ということで、結局の彼氏いない歴13年…


  でも、自分の容姿にはそれなりに自信があったし、実際に結構声もかけられた。

 まだ大丈夫、安売りはしないわ!って甘く見ていたら、

 もう、28の更に処女…自分ながらに冷や汗が出る。


  よくよく冷静になって考えたら、恋人として付き合うなら23ぐらいまで

 結婚を意識して付き合い始めるのが精々26までは

 普通の容姿の女子なら男もなりふり構わず声かけて来るものだものだけど…28はキツイ

 それに、私の顔は10人並みだし洗濯板の様な胸じゃあなぁ…と今になってはそう思う。

 なんで若い時にはあんなに自分に自信があったんだろう。


 本当に時間が経つのは早いし怖い…。

 10代の時には、将来は無限の時間に感じられたものだ…

 でも、仕事に追われ恋人もいない日々を送ることになるなんてと昨日まで思っていた。



「 でも、今日は一瞬で変わってしまったなぁ… 」


  今日は社会人になって初めて降ってわいたような突然の休日となった…


  朝、いつも通り頑張って会社に出て見れば、

 観音開きの大きなガラス扉に、A4のエクセル打ち出し( しかもコピー )で

 倒産の挨拶と、破産管財人の案内が貼り付けてあった。


 準備万端で、業者に任せたような文章でなく慌てて書かれた物だった。

 ここ数年、業績がうなぎのぼりで忙しかったのに意外だったけど、

 文面を追っていくうちに納得へと変わった。


 要は、手を広げるスピードと財務管理の手落ちが原因らしい。

 よくある話…自分の会社の実力を甘く見過ぎた結果だ。

 結構びっくりはしたが、特段な悲壮感は無かった。

 


 今の私の貯蓄は1500万を僅かに超えるほどあって

 ローンも無く、維持で頭を痛めそうな車もない。

 今住んでるアパートもこじんまりとして大した家賃でないから、

 数年は節約すれば生きていけるし、

 年齢もまだ28歳だ…贅沢言わなければ、直ぐに仕事は見つかると思った。

 だから、精々半年位を目途に生活を組みなおせばいい。


 一応、離職関係の書類を整理する必要があるが、

 離職に関する説明会は、紙面では数日後に行うようなのでそれまでは何もできない。

 健康保険は、しばらく使える処置はしてくれたようだし

 私が扉の前で馬鹿みたいに突っ立ている理由は全くなかった。

  かといって、家に帰って寝なおしても仕方ないので、

 彼氏もいなければ親しい友達もいない寂しい私は、

 この降ってわいた休日を一人で暇を潰すことを考えた。


  数日は遊び倒してやろうと銀行で200万降ろして

 こんな時ぐらいはと、

 赤い高級車を車をレンタルして手っ取り早くドライブに行くことにした。 

 営業車を普段ブンブン乗り回していたので運転は心配ない。

  勿論、急な事だから目的地もなくぶらぶらと高速乗って…

 平日なんで、どこも当日泊りも可能だろうと簡単に考えながら、

 行き当たりばったりのボッチ旅行を思いついた。



 そんな事を思い出しながら、

 いい気分で、月明かりの中で湯船とお酒を楽しんでいたが、

 ガララ~と脱衣場の入口が開いた。

 湯けむりでよくは見えないが、誰か入って来たらしい。


 私は、一人でのんびり過ごしていたかったがこればっかりは、仕方がない。

 全裸で仰向けに湯船で漂うというのは、

 流石に、人がいればできるわけが無いし、

 入ってきた他人の裸なんかに興味があるわけもないので、

 その場で、入り口側に背を向け川沿いに面した岩に抱き付きながら、 

 下の方で流れる川面を、ぼんやりと見ていることにした。


 川までは10mはあるだろうか?

 しかも、急激な角度で石組みされている基礎の為、覗き込むと結構、怖い。


 月明かりに輝く川面は言い知れぬほど綺麗に感じる。

 よく見るとゴツゴツとした岩も多い為、早い流れと相まって

 細かな水しぶきが輝くように舞っていた。


 はじける水煙は清涼感たっぷりで、

 沢を流れ下る風に乗って頬に心地よく当たる。


 私は、それを見ながら肘の近くの岩に乗せて、また飲み始めた。

 岩に抱き着きながらほんのりと酒が回って来るいい感じの中、

 この旅館に泊まれたのは運がいいと思った。


  野趣豊かで大きな露天風呂はもちろんだが、

 旅館自体も非の打ち所の無い素晴らしいものだった。

 ぞんざいになりがちな、予約なしに来た私の様なおひとり様にも

 笑顔で親切に対応してくれたし、

 部屋に案内するのも、

 輝く様な黒髪の美人女将さんで、すごく丁寧だったし、

 部屋自体も10畳ほどの和室で、おひとり様には十分すぎたし、

 浴衣や小物類も、高級感があって、すべて文句の付けどころ無く合格点だった。


 更に、さっき食べた夕食は絶品だった。

 山奥の旅館にありがちなしょぼい懐石料理や、

 いつ獲ったの?って感じのしし鍋と田舎料理かと思っていたが、

 丁寧に、ちゃんと修行した調理人がいい素材を使っての

 見たことも無い料理の数々、おひとり様にもかかわらず部屋出しで物凄く美味しかった。

 入館の時にフロントで聞いた宿泊費も、

 これだけの内容に対しては格安すぎる…維持費も出ないのでは?

 と思ったぐらいだ。


 こんな内容の温泉旅館なら、平日でも相当な人がいる筈なんけど、

 結構大きな駐車場に3、4台停まっているだけだった。

 なおかつ、ロビーで数名が寛いでいる所を見かけただけで、

 廊下に出ると、宿泊客の部屋から少し声が聞こえるぐらい…

 他に見かけたのは温泉の従業員だけだった。


 まあ、その方が落ち着くけど…よくやっていけるね?

 と徳利を、猪口に傾けながら思ったけど、

 宿の心配をしても、しょうが無いので再び烏賊を摘まんでしゃぶりだす。


「 失礼しますわね… 」


 なにやら、凄く可愛い声が背後から聞こえてきた。

 どうやら、先程入ってきた人が湯船に入ってきたようだ…。

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