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死神 Danse de la faucille  作者: ジャニス・ミカ・ビートフェルト
第七幕 温泉宿~Mer d’étoiles~
55/124

気になったので道を降りてみる



 「 ああ、いいお月さま… 」



 心地よい秋の風が頬を優しく撫でる中、

 一片の欠けの無いまんまるなお月さまが白銀のごとく光り輝き、

 その光がその下を流れる暗い銀の雲が煌びやかに輝かせている。

 そんな一枚の絵のような光景を見ると、自然に声に出た。


 長い事、仕事に追われ休息の心地よさを忘れていた私は、

 何年かぶりの露天風呂の湯船で身も心も蕩ける様な感覚に満足していた。 

 ( 来てよかったわ… )心底そう思った。




  聞いたことも無い田舎のこの温泉がある宿に来たのは、ただの気まぐれだった。


 ちょっとした理由で目的地も無く、適当に高速を飛ばしていたら、

 行く手に見たことも無い綺麗な山間の紅葉をたまたま見かけて、

 ちょっと見ていくか程度の軽い気持ちで、高速を降りたのがきっかけ。


 だけど紅葉の名所って訳じゃあないだろうとは思った。

 降りたのは聞いたことも無いインターチェンジの名前だったし、

 同時に降りてくる車は無かったからだ。


 かなり長いランプウエーはガラガラで、道には落ち葉が散乱しているほどだった。

 走る度に木の葉が幻想的に舞い上がって美しくて気持ちいいので、

 鼻歌交じりで降りていくと少し寂れた様な料金所があった。


 交通量が少ないのが原因だろうけど料金所のゲートはたった2つで

 一つはETC、

 もう一つは詰め所の様な小さな建物がくっついた面白い形のゲートだった。


 近くには管理のための建物が無いし、駐車場も無い。

 詰め所には見慣れない文字で何か書かれているようだったけど、

 少し剥げかけていて判読不能だった。

 

 私は、レンタカーだし、ETCカードなど必要も無かったので、

 その変わった形の通常ゲートの方に入った。


  そこには、かなりご高齢のおじさんがのんびりと座っていて、

 私がその横に着くと驚いたような顔をしてこちらを見たけど、

 直ぐに窓を開けて丁寧な対応で清算をしてくれた。

 多分、それほど車が降りて来るのが珍しいって事だろうなぁ…って感じだった。


 親切そうなおじさんだったし後ろに車も来ていなかったので、

 降りるきっかけとなった紅葉の話をしたら

 ニコニコ笑いながらそこまでの道を丁寧に教えてくれた。


 高速の料金所なんて事務的な応対が普通なのに、

 暇そうなおじさんは親切が暑苦しいほどで微に入り細に入り丁寧に教えてくれたが、

 流石にこのままそこにいると話が長くなり、

 挙句、この町の事とか世間話までしそうだったので私は愛想笑いでそこそこに切り上げた。

 おじさんはそれでも


 「 気を付けてねェ…この先は危ないよ 」


 と最後まで親切な対応で少し心が痛んだ。


 そのまま暫く走り、そのままインターを出ていくと、

 一応、インターが設置するだけのことはある中ぐらいの街が広がっていた。

  ただし、高速道と比べると下道の交通量はかなり少なく、

 すれ違う車には大きなトラックなどもあまり見かけなかった。


 交通量が少ないといっても、この町は寂れた感じはなく極々普通。

 見慣れた飲食チェーンの店や、大手スーパーなどもあったし

 途中には役場や警察署の様な建物もそれなりに整備されていて特に違和感は無かった。


  まあ、平日の昼間の特に目立った産業も無さそうな街なんて

 日本国中そんなものだと勝手に考えて、

 前を行く車が遥か先に見えるまっすぐな道をのんびりと走った。


  料金所のおじさんに言われた通り走っていくと

 暫くすると田畑が増えて行く、住宅街を何度か横に見ながら走っていくと、

 直ぐに緑豊かなのんびりとした山間の集落へと出て来た。


  道沿いには腰の曲がった老人が石垣で休憩している光景や、

 水田で腰に手を置いてあたりを見回す中年の夫婦などがぽつぽつと視界に映っては消え

 やがてそれが山道へと変わっていく…

 ああ、田舎だなぁ…とのんびりした気持ちになっていると目指す紅葉の森が見えて来た。


  だが森というよりは、こんもりとした山って表現がしっくりくる大きさだったし、

 その山全体が緑から紅へと万華鏡の様に美しく彩られており

 かなり大きな木々の隙間を縫って差す光が白い筋になって柔らかい土を照らす。

 近くには人工的な建物なども無く自然豊かだった。


  ここしばらく嗅いだことの無い爽やかな匂いと空気ですっかりいい気持になって

 更に紅葉の森の奥の方へと道路を走ってやがて上りに入る。

途中、少し深い谷間にかかる橋の上で

 濡れて堆積した落ち葉にハンドルを盗られそうになったけど特に問題も無く

 グングンと登っていく。


 心地いいタイヤの音が山に染み込んでいくのを感じながらハンドルを切っていると、

 やがて、風に揺れて飛び散る木の葉の向こう側に一軒の旅館を見つけた。


「 へえ、こんな所にねェ… 」


 ほぼ山の頂上付近だったし、その先にも何かありそうな気はしたが

 とりあえず中に入ることにした。

 気ままな一人旅だけど、もうかなり陽が傾いて来たのでここで泊まるのがいいだろう…

 流石にモテない私と言っても女で在る事には変わりない。

 山の中で車中泊など危険極まり無いもの…


 ということで、私はその旅館へとハンドルを切った。


 結構大きなアスファルト敷きの駐車場に入ると、

 駐車場の端で大きな楓の木やコナラ、シュラの木が黄色い葉を揺らしており、

 その様子も堪能したいのでそこへと車を停めてサイドブレーキを引っ張る。


 ドアを開けて駐車場の上に立つとそこには立派な檜の看板が立っていた。

 聞いたことも無い天然の温泉名と旅館名が達筆で書いてあったが、

 書道にも凄く疎い私には読むことは出来なかった…

 あ、よく見たらその下に小さく楷書で名前が書いてある。


 ○○温泉郷  旅館「 星の海 」


 多分、これか…


 しかし、何か不思議な感じはした…

 こんな凄く綺麗な紅葉の地でしかも天然の温泉が出るのに

 周りには、他に宿らしきものはなくここ一軒のようだったからだ。


 更に、結構大きな温泉宿であるのに、

 高速の出口から、ここまで途中には案内看板は一切無かった事にも首をかしげはした。


 しかし、折角車を停めたことだし、

 既に3時なのに昼飯を食べていなかったので腹も減っていた。


 で、ここで飯を食うなら帰りは真っ暗になる…

 やはりここはさっき思った通り泊っていく事にした。

 それに、

 いつぐらいか忘れてしまう程、久しぶりの温泉も少し楽しみでウキウキしたけど、

 それより何故かこの旅館に泊まらないといけない様な気がしたからだ。


 白木の屋根のかかったエントランスを抜け、

 曇りの見られない立派な大きさのガラスのドアが自動で開いた。


 落ち着いた…まさかペルシャ絨毯じゃないよなって感じの立派な敷物が

 敷き詰められている中、大理石のカウンターが渋く輝いていた。

 そこにはなんか品のいい痩せたおじさんが一人立っているだけで、

 結構広いロビーには誰もいない状態だが、

 ちゃんと掃除が行き届いている。

 宿泊施設は清潔、清掃の具合でどのくらいのサービスかも推察できる。

 とりあえずハズレの宿では無い様だ。


 これだけ立派なので無理かとは思ったが上手く部屋が取れた。

 フロントは親切丁寧で、宿泊費も思ったより良心的で

 この時間なのに食事の方もちゃんとしたものを用意してもらえた。



  んで、今に至る訳なんだが、食後のお風呂にはいいサービスがあった。

 大浴場を持つ旅館としてはほぼ無いサービスだけど、湯船でのお酒である。

 勿論、内湯の大浴槽では無く露天風呂限定だが

 たかが2000円ほどで提供してくれるので当然のごとく注文する。

  流石に、絵に描いたような木桶に徳利とお猪口という定番な感じにはならなかったが、

 代わりに、防水性のお盆におしぼりと徳利と御猪口と肴まで用意して、

 満月を眺めていた私に、

 旅館の仲居さんがにこやかな顔で持ってきてくれた。


 勿論、湯船には浮かべられないが、

 湯船を構成している外側の岩場には、傾かずに置くことが出来た。


 聞けば、本来は転倒防止のためらしいが、

 同じように湯船でお酒やアイスを食べるお客の為に

 一部を平らにしてテーブル代わりに出来るようにしているそうだ。


 しかし、2合徳利の熱燗にあたりめにマグロの干し物で2000円はかなり安い。

 ほぼ儲けなど度外視だろうなぁ…上機嫌で私は2口、3口酒を飲んで、

 肴のあたりめをしゃぶりながら

「 ああ、美味しい。湯船で飲むお酒って本当に美味しいわ。」

 と呟く…烏賊が口の中で踊っているので、綺麗には聞こえないけどね。


 こうして私は、最初の夜へと突入していった。


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