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お別れ

  ジャニスが、大きな黒い舞踊の鎌の振り下ろした先を見る。

 青い空しか見えなかったが、その一部が光を放ちながら割れて来る。


 そこには…一人の少女が立っていた。

 美雪だ…ベッドに寝ていた時とは別人のようだがちゃんと分る。

 そして彼女は僕が通う高校の女子の制服を着てゆっくりとそこから歩いて来る。


「 少し変わってはいますけど確かに美雪さんですわよ。

  彼女の最後のお願いを聞いてあげたんです。

  病気にならずに君と高校に行ったらどんなにいいかって思ってたんでしょうね。

  通うことは叶いませんでしたけど。」


 僕は、よく見えるようになった目で美雪をよく見た。


 桜色の頬、風になびく柔らかな黒髪、生気あふれる大きな黒い瞳。

 緩い弧を描く優しい二重瞼、少し太いけれど形がいい眉が美しい。

 小さい鼻がコンピレックスだと言っていた美雪だが、

 でも、今見ていると可愛く、その下のピンクの唇とよくバランスが取れていた。


 そして、十代特有の若い健康的でツルンとした肌…

 ああ、まさに、中学生の時の美雪がそのまま大きくなった様だ…

 こちらに歩いてくる…しっかりとした足取りで…背筋を伸ばして


 でも、僕の目には大粒の涙がとめどなく流れるために

 折角の美雪の姿が滲んで見えて…悔しかった。

 中島さんは膝をついてこの奇跡を呆然と見ている中、

 美雪は真っ直ぐに、その中島さんの元へと向かった。


 途中、可愛い手のひらを振ってその元気な笑顔を僕に向けた。


 美雪は、中島さんの許にに着くと握手を求めた…

 身動きの取れない生きている間には、出来なかったからだと思う。


 中島さんは差し出された美雪の手を優しく両手で包み込む。


「 み…美雪ちゃんかい… 」


「 そうだよ、病気にならなかったらこんな感じらしいんだぁ。」

 

「 そ…そうかい、それにその声…初めて聴いたねそれが美雪ちゃんの声なんだね。

  か…可愛い声だねぇ…

  それに、立っているのも歩いているのも初めて見た…うれしかったかい?」


「 うん!17だもん最後に歩けて幸せだよ!あのまま、

  オムツつけたまま…体中コード付けたまま死ぬのは嫌だったからさ…」


「 そうかい、で、ちょっと聞きたいんだけどいいかい?美雪ちゃん…」


 おばさんはそういうと決意を固めるために深呼吸をした。


「 私って、美雪ちゃんに間違ったことしてなかった?

  体や、髪を拭いたとき、拭きのこしとか、冷たいとか熱いとかなかった?

  排泄の処理とか、月の物の処理とか恥ずかしい思いさせなかった?

  爪を切った時や、髪を切った時痛くなかった?

  顔を拭いたり、目やにを取ったり…苦しいことはしなかった?


  わ…私、できる事は全部したつもりだったけど…なにかし忘れたことない?」


 おばさんは、美雪の顔を見ながらさらに続けた。


「 わ…私はお世話をすることだけで、あなたの三年間に何もしてやれなかった。

  楽しい想い出も残せなかった。

  辛い思いばかりさせて…ごめんなさいよ。」


 跪き、身を小さくしながら中島さんは、頭を下げた。

 美雪はその肩を優しく抱き寄せて、


「 なに言っての…中島さん。私の方がずーと一番お世話になって申し訳なく思ってたよ

  いつもいつも、感謝してたんです。

  でも、何にもできなかった。…お…お礼が…い…い…たくて。」

 美雪が泣きながらおばさんを抱きしめた。


「 桜の花が咲いたとき、テレビだけじゃ味気ないって言って無理して

  桜の咲いた枝をもらってきたり、

  夏の盛りの時は、休み時間でも来てくれて体を拭いてくれた。

  秋口の果物のおいしいときには、わざわざ病院でジュースにしてもらって

  いっぺんに飲めない私に、ずっとついて飲ませてくれた…

  冬は、冷えないように何回も何回も布団が剥がれていないか

  汗をかいて体を冷やしてないか…見に来てくれたじゃないですか。」

「 お…覚えているのかい? 」

「 はい、ぜーんぶ覚えていましたとも。

  病院には親身になって頑張ってくれていた先生や看護師さんが沢山いたし、

  検査はいつもすごく痛かったし、点滴や注射も後がすごく気持ち悪かったけど

  みんな諦めずに必死になってくれた事もちゃんと覚えているわ。

  中島さんはその中でも一番私を守ってくれた人だったわ。

  …そんな人が間違いなんか起こさないよ… 」


 中島さんはそのまま固まったが、暫くすると目を赤くしながら

 ジャニスさんに向かって懇願の目を向けた。

「 ジャ…ジャニスさん、何とか…ならないの? 」

 

「 えっと、今の美雪さんは、僅かな幻想の隙間の時間で生きているだけでしてですね、

  …私の力ではその運命までを変える権利は与えられていません。


  それに、元気に見えるその姿もあくまで私が生み出した幻影にも近いんです。

  長くはもちませんのよ。

  それとも、ここでやめて無理して生かして苦しみの時間を伸ばしますか?」


 かりそめの生…それが美雪の置かれている立場らしい。


「 うっ… 」

 中島さんは何も言えなくなった。最悪とは死ではない…際限ない地獄にこそある。

 ここでこのお別れをしない方が美雪に負担となるなら諦めるしかないのだ。


「 いいのよ、中島さん…確かに私は幻影みたいなものよ…

  でも、覚えていてほしいんだ…私があの病室にいて…中島さんに毎日感謝しながら

  生きていたことを…迷惑でなければね。

  それと、まだ、今の仕事続けていかれるでしょ?」

 美雪は、笑顔を浮かべながら中島さんの手を握った。


「 ああ、あー、続けるよ、私にはこの仕事しかないし。

  不自由な体で苦労している人を助けることや、

  病気や、将来に不安を抱えている人に少しでも役に立てたら…私が生きている意味がある。

  それで、救える人が少しでもいてくれたなら、それが私の誇りになるからね。」

 それは、自分に言い聞かせてもいるように聞こえた。


「 それでも、美雪ちゃんみたいに亡くなる人もいるかもしれないけど

  少しでも、ちょっとでもいいから生きていてよかったと思って欲しい。」


「 中島さんなら…そんな風に答えてくれると思ったよ…。

  これからも、私のような人たちを助けてあげてね。」

 そういって、美雪が微笑んだ。


「 美雪ちゃん…さ…最後になるんだよね? 」


「 うん、その運命だけは変えれないそうだから。 」

 おばさんは、深呼吸をして呼吸を整えてゆっくりとした口調で質問した。


「 い…生きてて…よ…よかった? 」

 苦しげに聞いた言葉に、美雪は即座に答えた。


「 うん、多分。おばさんや、慶介がいつも傍にいてくれたからね。」

 ううっ…うううわ、わ、

 中島さんは、その言葉を聞いてその場で泣き崩れてしまった。

 美雪は、そんな彼女の肩に手を当てて、最後の言葉を告げた。


「 中島さん、この三年間、私を支えてくれてありがとうございます。

  元気で頑張ってくださいね。」

 少し、顔を傾けながらそう告げた。


「 すいません、中島さん。こ…これで終わりです。」

 抑揚のない、感情を抑えた口調でジャニスさんがおばさんに告げた。


「 え? 」

 という表情が一瞬見て取れたが、

 中島さんはここに現れたのと同じ様に、煙も無くいきなり消えた。


「 ジャ…ジャニスさん?何もそんな突然に…」

 ジャニスさんは僕のその声に、寂しそうに笑いながらも美雪に告げる。


「 美雪さん、突然で申し訳ございませんわ、でも、もう、そんなに時間がありません。

  慶介君とのお別れも、なるべく早くおねがいしますね。」


 時間?もう逝ってしまうのか?


 僕は、その言葉に焦ってしまった。

 血が逆流して息が荒くなって、呼吸もきつい気がした。

「 顔色が悪いですわよ…嘘でも明るい顔をするものですわよ…この場合はね 」

 いつの間にか僕のすぐ傍にジャニスさんが来て僕に耳打ちした。

 僕はあわててジャニスさんの顔を見る。


「 美雪は…どうなるんですか?苦しみが無いって言うのは聞きましたけど。」


「 それは言えませんですわ。それに知ったところでどうしようもありませんもの。」


「 どうしても? 」

 僕はやや、眉を吊り上げて顔を振るジャニスさんを見て思った。

 これ以上、彼女に聞き続けても時間の無駄だ。


「 そう、それでいいですわ。」そして、僕は、諦めがついた。


「 いい?ジャニスさん 」

 美雪がそう、ジャニスさんに告げると僕の前に立った。

 面と向かうと、背丈は少し伸びていて発育不良の僕と同じぐらいだ。

 健康そうなその姿を見ると、さっき流しきったと思った涙がまた滲んでくる。


「 慶介君…私の事って好きだったの? 」


「 そ…それは 」


「 ねえ、もう私消えてなくなるのよ…ちゃんと言って!

  あんな、ベッドの上で死にかけの状態で聞いても…確信もてないのよ…」


「 き…聞こ…そうか、おばさんもそうだったな。」


 そして、僕はベッドの上では黄色かったり、赤かったりして見るのも

 苦しかった美雪の目が澄んだ白目に大きな漆黒の瞳に変わっていることに

 ジャニスさんに感謝して、真っ直ぐに美雪の目を見つめた。


「 うん、好きだったよ…ずーと昔から。

  多分、美雪が隣の家に生まれてから出会ってからずーと好きだったと思うんだ。」


「 一度も言わなかったじゃない!ってそうか…まだ中一までしか一緒じゃなかったもんね。」


「 本当は美雪には、中学ぐらいには告白するつもりだったけどさ、

  いつまで経っても背は伸びなくて、目だけは悪くなって体型だって良くないし。

  それに、こんなご面相だし、眩しくて…言い出さなかったんだ。」


 僕は、思い出した。

 家が隣で、いつも二人で登下校して他愛無い話をして通った道

 スポーツが得意な美雪は、走るのも跳ぶのもうまくって

 体育の時間は、男子が皆、注目してた。凄く綺麗だった。


「 どして? 」

 今は、快活に見える美雪の首を傾げる動作を見ると胸が締め付けられる。


「 だから~、こんなチビで不細工だろ…僕って」


「 うん、確かにね。」

 満面の笑みを浮かべた美雪。今の僕はその顔が見られただけでも…


「 でも、優しいじゃない。

  チビで、不細工でも…いっつも傍にいて私を助けたじゃない。

  勝てない喧嘩でも私の為なら頑張ってくれてたし、

  あんな、身動き一つできない死体のようになっても…け…慶介だけじゃない。

  忘れずに毎週毎週来てくれて声も出せない私に根気よく話してくれてたじゃない。」


「 お…覚えて…そうだな…みんな覚えてるんだな。」


「 慶介…私、死ぬのは怖いの…ずっと望んでいたんだけど

  いくら苦しくてもさ、死んでしまったら、あんたに会えなくなる…怖いのよ。」

 美雪が、語気を強めて言い放った。


 でも、そればかりはどうにもならないらしい…

 そこの死神さんが叶えてくれた短いかりそめの生…幻影の様な生なのだから。

 僕は、それでもジャニスさんの方を向いてしまった。涙を溜めて。

 でも、巨体のジャニスさんは申し訳なさそうに、身を小さくしている。 

「 それだけは、無理です。ごめんなさいね。」

 さっき、おばさんに言った言葉を吐くだけしかできないのだろう…

 下を俯いただけでそれっきり黙ってしまった。


「 ジャニスさんには凄く感謝してるの…死ぬ前にさ、ありがとうを言えたから。」

 美雪がジャニスさんの方をチラッと見て、それから僕の方をしっかりと向いた。


「 こんなことぐらいしか…できないけど。」

 そう言って、美雪は目を瞑って僕の唇に自分の唇を重ねた。


 ただ、それだけ… 唇の先と先が触れただけの…

 でも、僕の心臓は飛び出しそうになって、同時に全身の血が僕の体を駆け巡った。

 我慢が、できなかった。

 思いっきり、美雪の体を抱きしめてしまった。

 柔らかく、細い…でも、元気よく動く心臓や、僕の顔の横にある、美雪の顔は確かに温かい

 …でも、全てジャニスさんが作ってくれた幻影なのは分かってはいる。

 頭では確かに、分かってはいるんだ…


「 人って、温もりや、吐息や、匂いの方が強力に記憶に定着しますからね… 」

 ぼそっとジャニスさんが俯いて呟いた。


 しばらくすると、僕の体を美雪が優しく押してきた。

 しょうがない…僕は諦めて手を緩めた。


「 こ…これで、本当にお別れ…これ以上は耐えられない。

  ありがとう、ありがとう、ありがとう。」

 美雪の頬から止めどなく涙が流れ落ちた。


「 最後に、一つだけお願い…私の事を早く忘れてね…。

  私は、死んでこの世に居なくなるけど…あなたは生きていくんだからさ…」


「 え? 」

 そうだ…、彼女は去って、僕は残される。


「 ジャニスさんが言ってたの。これは私のわがままそのものなの。

  私がここから去って、彼女があなたの幻想を消した途端にこの記憶はなくなるのよ。」

 

 僕はこの別れが記憶に残らないと知って狼狽したが


「 でもね、その方がいいの。こんな記憶が残っていたらあなたも中島さんも苦しめる

  其れだけだから。」


 …確かにそうかもしれない。

 それにあんな死神やこんな奇跡のような時間を記憶したまま生きていくのは辛すぎる。

 ここは諦めるしかないのだ。

 僕は、口を真一文字に閉ざした。


「 さようなら…、もう、いいわ。ジャニスさん 」

 ゆっくりと、ジャニスさんが美雪の傍に歩いてくる。


「 ごめんなさいね… 」

 そう言うと、ジャニスさんは舞踊の鎌という大鎌の柄で中空に円を描く。

 美雪の足もとに、黒い闇の円が浮かんだ。


 そして、ゆっくりと美雪はその円に沈むように消えていく。

 胸元まで沈みかけた時、美雪が初めて大声で叫んだ。


「 本当は、慶介と生きて行きたかった!!」

 涙と鼻水が入り混じった顔が、土砂崩れのように泣き叫んだ。


「 美雪!」 僕は急いで手を伸ばしたが、間に合わなかった。


 そのまま、消えて行ってしまい…元の雲の床になってしまったからだ。

 僕の全身から力が抜けていく…崩れ落ちるように膝をついて、頭を抱えてしまった。


「 それでは…私も行くとしますわ。

  慶介君…最後に言っておきましょう。死後の世界の事を、知りたがっていましたわね、でも、

  何も変わりませんよ…この世とね。

  明日はおろか、数秒先の事も分からない…そして、物事の結末がどうなるかも分からない…

  そういう点では、全く変わりません。

  私が話したとしても、それは過去の死後の世界の話ですわ。

  普遍的に変わらないもの…それは、未来があるという事だけですわ…

  美雪さんは、あなたの前から消えましたけど。


  そうだ、これぐらいは言っても差し支えないでしょう。

  あなたには、この世で向かっていく未来があるでしょうけども…

  美雪さんも、また、未来があるのです。

  それだけは、絶対不変の事実ですわ…消えうせる魂はありませんから。」


 背中越しに、ゆっくりと確実に僕に伝わるようにジャニスさんは話してくれた。

 ゆっくり、噛んで含めるように…

 そして踵を返して背中を見せたジャニスさんに僕は、もう、我慢できずに背中に飛びついた。


「 ええ?」 困惑するジャニスさんに、大声で叫んだ。


「 ありがとう!ありがとう!ありがとう! 」

  枯れ果てた悲しみの涙だったが、

  今は、別の回路から流れてくるような感謝の涙が溢れて来た。

  そして、それだけは、言わないと…

  最後に、こんな思ってもいない別れが出来たのだから。


「 しょうがないですわね… 」

 その声は、優しかった。僕の手をゆっくり剥がすと、

 そのまま、正面に体を入れ替えて、長い手で、僕を包んでくれた。

 丁度、幼い子供を抱きかかえる母親の様な形になった。


 その大きな身長差の為、僕の足は完全に宙に浮いている。


「 慶介君…ありがとうは…まだ早いですわよ… 」

 そう言って、ジャニスさんは僕を強く抱きしめてくれた。


「 早い? 」

 何の事だか…でも、僕はその意味を聞くつもりは全くなかった。

 凄まじい満足感に襲われていたからだ。


「 目が覚めたら…、あなたも、中島さんも…なにも覚えてませんわよ。

  でも、この御別れを経験したことで…多分、人生も変わります。

  それと、これは言っておきます。

  私の長い、長い勤務の中でも、

  あなたの様な、優しい人はそうはいませんでしたわよ…


  それと、私は、あなた達との思い出は、ずっと残ります。

  忘れることも辛いでしょうが…忘れ去られる方もまた辛いんですわよ…本当にね…」


 そしてジャニスさんの暴力的に大きな胸が僕を挟み込んで、

 柔らかいお腹や足の触れる大きなお尻に更に包み込まれる。


 小さな子供がお母さんに抱きしめられて安心するような…

 昔、まだ若かったお母さんに抱きしめられた記憶がよみがえる。

 死神なのに…聖母の様な暖かさを感じて気が遠くなってきた。

 ジャニスさんは、また、何か呟いている。涙声に聞こえた。



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