農家に生まれて
朝の早い時間とはいえ、この季節は既に陽が上がって
昨夜の雨に濡れた牧草畑が煌く水面のように俺の目の前に広がっていた。
ちょっと先には背の低い木々が緑を蓄えポツンポツンとあり、
やがてその数を増やしながら盛り上がって森へと変わっていく。
そこから野鳥たちが朝日に体を染めながら空へと飛んでいく。
俺は、その光景を
鼻を突くきつい豚舎の中での餌の配給をやり終えてくたくたになった体で眺めた。
この季節は夜の闇が地熱を奪い去る前に温度を上ってくれる作物には大切な時期だが、
豚は暑いと飯の食いが悪いので早起きをしなくてはならない。
正直、朝の3時起きから始まって身支度をして豚舎の掃除をしながら
餌の準備をして荷車引きながら餌を慎重に検品しながら餌やりする作業はキツイ。
まさか冷暖房完備の豚舎ってわけの筈もなく、
体中汗と豚の糞尿の匂いをまとわり続けながらのひたすらの肉体労働だから当たり前だ。
しかし、きついって言って手を抜いてはいけない。
今日も健康でしっかり飯食って丸々太ってくれなくては困る。
こいつらのおかげで俺ら一家が食っていけるんだから少々の事は我慢しないと。
大体生まれて、親の愛情もそこそこで切り上げられ、
ただただ生産という形で太らせて短い一生を終えて肉になって俺たちにお金をくれるんだ
そう思えば臭いとかきついとかいうのは申し訳ない。
ひたすら感謝しなくてはと思う。
そう思うから生きている間は出来るだけ愛情かけて育ててる。
だからうちの豚は丸々太ってストレスが少なく肉は評判いい…それに実際うまい。
やっぱ、手間暇かけるって大事大事…。
まあもう少し農協がいい値段で引き取ってくれたらもっといいが。
俺は足代わりに乗って来たトラクターに跨って豚舎を後にして
牧草畑を横目に地道をゆっくりと朝飯を食いに家に帰る。
おっと、その前に鶏舎によってお袋を拾わんといけないか…
汗でぬれた軍手が緩やかな車速の風に吹かれて気持ちがいい。
俺はワークシャツからクシャクシャの煙草の箱から少し汗の臭いがついた
タバコに火をつけ、歯でくゆらせながら紫煙を胸いっぱいに吸い込む。
”よし、きょうも一仕事終わったな”って満足感でほっとした。
俺が小さな時はこの仕事の事はこれっぽッちも良くは思っていなかった。
小学校低学年までならそうは思わなかったが、
周りが見えて来る思春期ともなれば、
ゴム長にジーンズ、ワークシャツに組合の帽子で、手拭きを首に巻く…
たまに鼠色の作業服や深緑色の防寒服を着ることもあるが、どれもパッとはしない。
筋肉のお化けの様な親父にはダサくてお似合いだが、
気の優しくてどちらかというと器量の良いお袋が着ていた姿は、可哀想にとしか思えなかった。
うちの本業は豚の飼育がメインだ。
豚は綺麗好きなのでかなり念入りに掃除しないといけない…
意外にやわで直ぐに病気になるから、丈夫な牛などとはわけが違う。
鼻も曲がる(今はそれほどは思わないが)中、排せつ物で汚れた豚舎を
汗まみれで掃除しているのを見ると、キツイし臭いし絶対にやりたくなかった。
体もちゃんと清潔にして、餌も気を使って金も相当掛かる。
それでも過密で飼えばそれなりに収益も上がるのに、
ストレス掛けたら命に申し訳ないって頑なに親父はしなかった。
流石に慈善事業では無いので採算度外視ではないが、
そんな飼育では豚の飼育だけでは食うには困るんで
土地だけはあるからと、鶏も飼うし、野菜や果樹…稲も作る…まあ規模は小さいけど。
自家消費で食費は浮くし、豊作なら売りにも行ける。
当然、それらの方も手間がかかる…朝から晩まで両親は働いているイメージだった。
それでも贅沢とは無縁で質素な暮らしだった。
遠出の旅行など両親とはしたことは無い。
学校での遠足や修学旅行、
良くて町中で働いてる身内の人のご厚意で温泉旅行なんかの家族旅行に付いていくぐらい。
それになんせ田舎なんで近くに娯楽施設も食堂すらない
たま~にお袋の買い物についていくぐらい。
そんな状況で苦労ばかりしている不器用な両親を見て後を継ぎたいなんて思うわけもない。
ただ労働力不足の我が家で子供だからと言ってのほほんとしているわけにもいかず
5歳の時から地道にお手伝いはしていた。
ので、特に勉強とかはしなかったが農業のイロハは結構体には染み込んだ。
きつくて臭くて、危険で寒くて暑い…ただの地獄ってって感じだった。
中学は地元の公立、高校は地元の公立だが進学校に無理して入り
親の様にはなりたくなくて必死に勉強して国立大学に入った。
後は継がないって宣言していたけど、両親は無理して学費や下宿の援助はしてくれた。
もっとも俺もだいぶ頑張ってバイトはしたけど。
人文の法律経済に進んで後はお気楽な公務員にって思って頑張った。
望は叶って公務員にはなったが、時代は既にお気楽な公務員っていうのは死語だった。
経済活動が錆びついて来た日本の中では税収も上がらず、
国債の発行を繰り返しが限界に近い財政状況では官公庁だって予算が潤沢に振られるはずも無い。
よって、人員は慢性的に不足し多重な仕事が覆いかぶさって来る。
そんな中、特段なボーナスはない。
天下りの問題も深刻化して原則禁止となり特段な事情とコネでもない限り再就職は難しい。
よって上は気前よく退職せずに組織にしがみつきポストが無い。
ので、年功序列での昇進すら怪しくなり怠惰な空気の中で仕事が進んでいた。
報奨が低ければ当然やる気も出ないし、
保身の為なら平気で人も騙す同僚もゴロゴロいる。
何時までも居座る耄碌爺には理不尽な命令を受けたりした。
挙句に平均労働時間は14時間で労働基準法は?
って大学同期の奴に相談したら笑われながら言われた。
労働基準法ってのは中小か零細企業保護みたいなもんで大企業や官公庁には関係なだの、
転職してキャリアアップ無しの年収300万で我慢すれば?とか
結婚しないなら一生バイトでいいじゃない?辞めちゃいなとか、
ひどいのになると14時間か…いいですねえ…ちゃんと寝れてっていう奴もいた。
息がつまって気が狂いそうにすらなった。
頑張って仕事して金稼いでやっと奨学金を返したが、彼女も出来なかった。
やがて、昔の半民半官の様な体制を組織が目指して金もうけに走りだした。
究極の反則技の様になんとかという寄付金吸い上げるNGOを立ち上げて
謎の海外赴任の話が出た時には呆れ果てて物も言えなかった。
何が公務員?公僕ってなんだよって感じで流石に切れた。
速攻でその場で爺の顔に辞表を叩きつけて実家に帰ることにした。
寒風吹きすさぶ真っ白に化粧された田舎に戻ったときは、
都落ちの惨めさを感じなかったと言えば噓になるが肩の荷が下りたような気がした。
電話でちゃんと話していたけど、両親は帰るなり
何度もいいのか?いいのか?って言われたが俺は笑い飛ばしてこう言った。
「 都会も田舎もそうは変わらないよ…飯が旨いだけこっちのほうがいいくらいだ 」
って…
都会の飯は確かに旨かったが、それはあくまでもお金に比例してたし
訳の分からない調理方法と香辛料や調味料の嵐って印象だった。
実際に家に帰って初めて食べた粗末な食事が
都会に出て食って来た食事のどれよりも美味しいと思った。
俺は次の日から直ぐに農作業に復帰した。
豚なんて馬鹿でかくて臭くて汚い印象だった豚も特に気にはならなかった。
苦情処理で訳の分からん住民の家を訪ねることが多かった俺は
それより臭くて汚い人間を見て来たし、やくざ者とも対峙したこともあった。
最近の公務員は根性が座ってなきゃあやってられない商売だった。
人間はなまじ知恵があって欲望で生きているんで救いが無いが、
豚や鶏なんて…子ブタから育てりゃ情も湧く。
世話は大変だが、悪意はないし愛情掛けてやりゃあ素直にいうことも聞くようになる。
仕事なんでお肉にするために屠畜場に連れて行く時は少しさびしいが、
手間暇かけて、一生懸命世話してお金になる…
アホな書類書いたり馬鹿を相手にするより百倍良かった。
俺が戻って経営を電子化(8万のパソコンだが…)し
若い肉体労働者となったため収支が改善し、畑や田んぼも広げていく事が出来た。
なんだ、俺が後をササッと継げばそこそこ楽できるじゃないか…
って思ったけど、都会での地獄を知っているのでそう思うだけ。
最初から後継いだらこんなにはうまくいかずに飛び出していただろう。
そう言う意味では都会に出たのも間違いではなかった。
勿論、田畑を広げた分忙しかったが…
田畑では農家らしくとれたての作物をかじり倒すって事が出来る。
みんなやっている事だけど、
自分達が食う分と、ネットで高値で売る作物は農薬は使わないし、
特別に手間のかかる生産方法も取っているところ限定ではあるけれど。
もっとも大部分は農協のは買い取りがメイン。
基本的には安いが売り上げのベースになる。
それなりに農薬は使う…じゃなきゃ産業として利益が出るほど収穫が上がらない。
良心的に少なめだ、隣の厳さんの半分ぐらい?
もっとも地場で食うってのは無理だなぁ…しっかり洗剤使わなきゃさ。
収穫出荷に合わせて農薬抜いてちゃんと処置しないと危険ではあるからさ。
まあ、大体…機械も農薬も農協が…おっと、彼らがいなけりゃ困る事も多いから、
このぐらいにしておこう。
都会の企業に比べれば天使と悪魔ほど違うから許しておこう。
どっちが天使かって?農協に決まってるだろ?
とにもかくにも、
俺は子供の時ダサいって思っていた服装で、
排せつ物で汚れた豚舎を掃除し、必死に世話をして…空いた時間に作物を作る。
朝は4時起きで、夜は一杯やって9時には寝ちまう。
言葉に書いたり、子どもの時の俺の様に傍から見たら鬼の様な重労働に思えるけど、
意外にメリハリが作業の中にあり、時間ほど辛くは感じなかった。
頭は悩ませることは多いけど複雑な数学的処置もない。
休日は確り休めるし、祭りや寄りあいで旧友と酒飲んで馬鹿やって盛り上がれた。
自営農業ってのは、拘束時間24時間でも実働は大したことないトータルで10時間も無い。
空いた時間はゆっくり3食食って、ネットで遊ぶ。
都会で生きていた時に比べれば天国の様なもんだ…まともに仕事するだけだからな。
んで嫁さんだが、
都会で少しは経理システムを組んだこともある俺は、
農協にも頼まれて、システムの保守をすることにした。…外注だと高くつくから喜ばれた。
システムと言っても元あるソフトをアップグレードして
市販の経理ソフトやエクセルを組み替えたりして簡単に済んだ。
その縁で、事務の啓子という女の子と仲良くなって…俺の嫁さんにした。




