願い
そう、今の私には、未練など何も無い。
大体、これから死んで行くのが決定なら…何があるというのだろう?
でも、自分以外の人の事もよく考えないといけないのかもと思った。
そして、私は先程、慶介から離した手をジッと見つめた。
「本当に、願いはありませんか?このまま死んだとして心残りとかありませんか?」
念を押すように…まるで、何か忘れていませんか?っていうように
悲しそうな顔で、彼女が私に問いかけてきた。
心残りって… そうか、
さっきまで…
あんなに苦しい時に思っていた事を忘れるなんて…そう唯一の心残りを。
「そうですね…ひ…一つだけ、あります。
そこで固まっている幼馴染と私の身の周りの世話をしてくれたおばさんに、
感謝とお別れの言葉をしゃべりたいんです。
生きている間は、言いたくても、何にも言えなかったんで。
それと… 」
今だって、奇跡の連続みたいなもんだから、
一つだけ願いを聞いてくれるらしいから、多分、今のお願いは叶うんだろうな。
死ぬのは確定だけど…さ。
あーそうだ、死ぬのが確定で彼女が死神なら、一つだけ聞いておきたい事が在る。
「 ジ、ジャニスさん、死んだらどうなります?怖いんですか?
痛いんですか?ど、どこへ逝くんですか? 」
ああ、一つじゃないや…動かなかった足がガタガタ震えているので分かる。
こんなになっても、いざとなったら、死ぬのは嫌だし、怖いんだ…
妙に自由に動く体が強烈に死に大して怯えているんだと思う。
ああ、それに折角、諦めてさっきまで死の淵に立っていたので余計そう思うのかもしれない。
もう一度死に向かって意識が混濁していくのは怖い…
少なくとも死の先に何かあると分かっていれば、
少しぐらい覚悟も決め直せるかもしれないと思った。
しかし、ジャニスさんは身悶えしながら、言いにくそうに力ない微笑みを浮かべてきた。
「 それは…言えません。
言えませんが、怖くも痛くも無いですよ、それだけは、言っておきます。」
秘密なんだ…ただそれだけ思った。
痛くも、怖くも無い…それだけで少し安心した。
生きているより何百倍もマシだから。
「 納得できないでしょうけど… 」
彼女の申し訳なさそうな顔に私は少しだけ笑って首を横に振る。
「 そ、そうですか…残念ですけどしょうがないですね。
でも、少しだけ安心しました。ありがとうございます。
それじゃあ、ジャニスさん、お願いの方は?聞いていただけますか?」
「 それは、可能ですよ。今、直ぐがいいですか? 」
「 ええ、このまま時間が止まったままここにいても、しょうがないですからね。」
本当は折角動ける体であちこち走って回りたいけど、
お願いはひとつだけだし、
慶介とおばさんにお礼とお別れさえ言えば…心起きなく逝ける。
それに、それが終われば私には安らぎがあるかもしれない。
恐ろしい太さの針で、内臓に直接注射をされる恐怖と苦痛。
不注意で落下してくる異物も躱す事が出来ない為、
落ちる寸前まで自覚して…それから響いてくる鈍痛…。
若い男の先生の前で、真っ裸で転がされたり…
自分の排泄物や月のものを他人に任せなければならない屈辱…
死んでさえしまえば…
そんな寂しい私の考えが分かるのか…
ジャニスさんは少しだけ、悲しそうに笑みを浮かべた。
「 でも、どうやって行うんですか? 」
「 それはですね、今とは違う別の時間と空間を私の能力で短時間作り出します。
その空間の中では、
全ての物理的、科学的な事象はキャンセルされ純粋な精神体が、
便宜的に、具現化した仮の肉体を持って、あ、…こんな説明は無意味かな…」
ジャニスさんは、そう言って上を見上げ何か考えている様だ。
何言ってるか…全く分からない様子の私にどう話したらって思っているのだろう。
「 そうね、最後のお別れをちゃんと言えるように手配するって言う事ですね。
現実ではいろんな制約がありますけども、それらを無視して
出来る限り望むような形で成就してあげますわ。
ああ、そのままの服装でお会いしますか? どんな、服装でもご用意できましてよ… 」
それって、夢のような空間じゃなくて夢そのものみたいな気もするけど…何でもかぁ…
「 それじゃあ、〇〇高校の制服はいいですか?
幼馴染が通っている高校で、こんな病気じゃなかったら、
通うはずの高校でしたから…サイズは図ってないんで分からないですけど。」
「 ぴったりのになりますわ…
形になって残ることは出来ませんけどねぇ、他の事も、いろいろ変われますよ。」
それなら、あと一つだけ変えてもらおう。
「 こんな病気にならないで、ちゃんと普通の生活をしていたら、
どんな格好になったか…分かりますか?」
ジャニスさんは、目のあたりを押さえながら頭を振っている。
「 ええ、勿論。
私、これでも死神の端くれですからね…簡単です。
そうだ、そこに姿見を出しますから、確認してみてください」
ジャニスさんが、鎌の柄で地面を打つと、ベットの横に大きな姿見が現れた。
高級そうな…漆黒の木材に嵌ったすごく綺麗な鏡…
「 ベッドを降りて見て見なさい…暫くは願通りに健康な体の筈ですから。 」
その言葉におっかなびっくり体を動かして、ゆっくりと素足で床に立ち上がる。
三年ぶりだった…世界が急に小さく感じる。
たった1メートルぐらい視点が変わるだけで全く違う世界にいる様だった。
どうやら、私の体はすっかり、自由に動かせるようだ。
でも、さっき話したばかりなのに…
後は、半信半疑で、それに近づいてそれを見た。
私は、両手で口を押えた、うれしくて叫びをあげそうになるのを抑えるために。
そこに見えたのは、生きている自分…
死体の様な無表情で真っ青な顔じゃ無い自分。
17歳の若い血潮が駆け巡る、健康で生き生きとした…
身動きも取れず、床ずれの痛みに苦しんだ自分が…
なによりも欲しかった体がそこにはあった。
私は泣いた…この三年間、絶望の涙しか流せなかった自分が
長らく流す事が出来なかった嬉し涙を流して。
「なんだこれ?」
僕は、固まった雲の上のような空間を歩いていた。
でも、そう見えるだけで硬い平坦な床を歩いている感触がある。
頭の上には、抜けるよな青空が広がって、陽光が強く当たっているのにも関わらず暑くない。
どちらかというと春の日差しでぽかぽかって感じかなぁ。
大体、なんでこんなところにいるんだ?
さっきまで、幼馴染の美雪の手を握っていたじゃないか…
これは、もう駄目かなって覚悟したら、急に訳の分からない音楽がして…
そこまでは…なんとか覚えている。
でも、気がついたらここで立っていたんだ。
そして、歩きはじめたんだ…意味なんかなく。
自然に足が動いて…もう、どのくらい歩いてきたんだろう…
対象物がない世界なので、
距離感も、過ぎ去った時間さえも何も理解できない。
その時だった。
「ん?あれは…」
それまで雲以外は青い空しか見えなかったのに、いきなり人影が現れた。
スイッチのオン、オフのようにいきなり、
僕から5mも離れていないところに…突然にだ。
「 け…慶介君…か?」
「 お…おばさん…な…なんでここに?」
それは、さっきまで美雪の世話を献身的にしていた医療助手のおばさんだった。
「 いやぁ、わたしが知りたいぐらいだよ…
看護控室で、当直の看護師さんとお茶してたら…いきなりここに。
もう少しで、美雪ちゃんの所へ戻ろうと思ってたのにねぇ…」
自分の置かれている状態が全く理解できない様子だ。
勿論、僕だってそうだけどさ…。
「 でも、ここどこでしょう?」
そういって見渡してはみるものの…ただ、だだっ広い空間っていうだけ…
「 さあ、現実なのか…夢じゃないのかなぁ。」
僕は、この不思議な、景色を見渡す。
途中から固くなる、異常な雲はそうでもないけど、
太陽以外には、何もない只の青い空の方が問題だと思った。
何がおかしい?って思うかもしれないけど、メリハリというか、濃淡が無いんだ。
青いスプレーで塗った様な…というのが表現としては近い。
傍のおばさんも、しきりにその空を見ているところをみると、
少なくとも違和感はあるのだろう。
馬鹿げた話だが、まるで、誰かが作った空間の様な気がした。
そんな時に、さっきの音楽が…急に聞こえて来る。
ダダダダン ウウーウ ダダダン ウウウー ダダダダーーーン オオオオー
周りに何の障壁もない解放された空間なのに、音が反響している。
僕は、二回目だが、おばさんは初めてらしく目を丸くしている。
「 ど…どこから聞こえるのよ? 」
「 そうですね…こんな何もない空間でこんな大音量で響くなんて…」
そうは言ったが、既に何があってもおかしくは無いぐらいの体験をしていると、
僕も、おばさんもそれほどは驚かなかったが、
次の瞬間に、何もないはずの空間に突如、脚が生えてきたのにはびっくりした。
丁度、僕らの目の前3メートルぐらいで、
高さ2m程度上から脚が生えてきて下にゆっくりと降りてくる様だった。
僕らはただ凝視するしか無いのだが、
太腿あたりまではすんなり出ると、何故かお尻のあたりでピタッと止まった。
「 あれ? 」って声がしたかと思うと、
脚が少し暴れた。
嵌まってしまったようで、それ以上はびくともしなかった。
「 えっ!うそ…うそよね?ちゃんと前より…」
脚がキリモミ上に左右に動くと、ちょっと下がったが状態は更に悪くなった。
スカートか何かが、引っかかって下着が丸出しになったからだ。
僕には刺激の強い、白い絹のレース模様のパンティが、凄く眩しい…
「うそ、うそ、うそ、うそ~」
狼狽した可愛い声と共に、すさまじい勢いで脚が暴れ始めた。
黒い高そうなピンヒールが、中空を凄いスピードで蹴りまくり始めた。
近づくことなど出来る訳がなさそうだった。
なにせ1メートル近くある肉好きの良い脚に凶器の様なピンヒール。
サイズは26は超え空母の様で10センチ近い銀色の細い踵。
下手に近づけば穴だらけになるのは必至そうだったが、
「 うぇー、ど…どうしましょう… 」
と途方に暮れた心細い声と共に諦めたのか脚が止まってプラント垂れ下がった。
ど…どうしようと言われてもと僕が思った瞬間に
引っかかっていたお尻がプルンと外れて、体が勢いよく落ちて…
”パワン”という音とともに、体の大きな女の人が尻もちを着いて現れた。
( ううう、凄く痛いですわ…涙が出そう。
なんで、自分で作った時空トンネルに落ちてお尻が痛いんですの?
それに、ちゃんと前より少し大きめにしたのに、なんで?
…ふ…太ったの?私、また…お尻が…?
嫌だわ、この間のケーキの性かしら…3個もホールで食うんじゃなかったわ。)
落ちて来た女はそう思いながら痛むお尻を抱えながら…真っ赤になった。
こちらを呆然と見ている男の顔が少し赤かったからだ…
( げ、じゃあさっきので私のパンツとでっかいお尻を見られたのかしら。)
慶介は呆然としていたが、女はお尻を両手で抱えてうずくまっている。
女は、鼻を赤くしながら涙が出そうな顔つきをしながら、
「 だ…大丈夫ですか?は!言ってくれませんのかしら? 」
と、信じられない言葉を吐きだした。
多分、このみっともない光景をそう言って慶介に回収してもらいたいようだ。
流石に慶介も涙目でこちらを見ている子供の様な女性を放っておくことは出来ない様だ。
「 あの…あなた大丈夫ですか? 」
( きっと、恥ずかしさをごまかすために言ったに違いないと思いますけど。
真っ赤な顔してバレバレですよ。)
慶介は困ったような顔で尻もちをした女に手を差し伸べた。
( あー、この子は大人ですわね。私が、恥ずかしくて振った言葉をさっとフォローする。
まあ、顔は…良くないけど…えっと、体はチビだけど…
髪型もバッサバッサだけど…体型…も…狸みたい…足は…絶望だわ。
要するに、外見は何も見る物は無いですけど…性格はいいわねェ… )
と、失礼なことを女が思っているとも知らないで慶介は彼女を観察する。
( この人、僕が折角、フォローしたのに黙っちゃいましたね。
まあ、外見は外人さんかなぁ…たった一言だけど日本語上手そうではあるけれど。
えっと…体は、馬鹿みたいに大きいなぁ…メリハリが利いていてボインボイン…
いかんいかん、
体にぴったりと密着した服は…真っ黒で烏の様だけど上品で高級そうだ。
そういや、さっき、見たパンツは真っ白で綺麗でいかにも高そうな刺繍が…
よく覚えてるわ一瞬なのに僕ってば。
それより、何と言っても、輝くような金髪のロングヘアは美しいし、
北欧の美女の様な白い肌と、宝石の様な大きくて深い湖の様な緑色の強い青い瞳と
鼻筋が通って小鼻が可愛くて、薔薇の様な赤い唇。
絵画の様だな…残念なのは2メートル近い巨体か…
あー、あれで160ぐらいに収縮すれば…って馬鹿か僕って。
今はそんな気になれないし、なれる訳が無い。)
「 美雪さんですか? 」
( なんで知ってる?って問う気にはなれない、これは夢だ。
どこをどう考えても現実とは思えないからだ…目の前の巨体のおねえさんも、
バリバリの日本語だしなぁ…現実感が全く無いや。
ひょっとしたら僕の心でも読めるんですか?と聞いてみたいなぁ。)
「 うーん、難しいとこですわねぇ、ゆ…夢の舞台なんちゃって… 」
何言ってんの?
いいお歳の…って、いくつなのかは知らないけどさ…そんな、状態なの?頭大丈夫?
「 べ…別に、ちょっと和ませるつもりだっただけですわ… 」
恥ずかしそうに下を向きながら女は立ちあがった。
( う~ん、見ると、口を尖らせて、顔が真っ赤だ…か…可愛いかもしんない。)
と慶介が思ったのはほんの一瞬だった。
彼女が、直ぐ目の前まで歩いて来たからだ。
( …でかい…圧倒的にでかい…首が痛い…そうだ、まだ聞かなきゃいかんことが… )
「 お姉さんは誰ですか? 」
そうそう、当たり前の事を聞くのを忘れてた。
「 ジャ…ジャニスですわ。」
僕は、固まってしまった。名前を聞くつもりじゃなったのになぁ。
「 まあ、私が誰かよりですねぇ、さっきから失礼ですわよ。
綺麗とか、素晴らしいとか、美人とかは嬉しいですけど…
160に収縮とか、巨体だとかは失礼ですわね!
か…可愛いは…大人をからかうものではありません事よ!」
うわー、言っちゃったよ。やっぱり分かるんだ…でも…
「 日本語は…そう聞こえているだけですわ!服は支給品の制服みたいなものですわ。
そのパンツは趣味ですわ! ね…さー、こんなところでいいかしら…」
( いや、あんた何気に誤魔化したよね、さっと誤魔化したでしょ!
パンツを趣味と言って年齢は答えないなんて変わってるわ…
外人さんって、見た目より若いっていうからな…20代前半に見えるから…
20か18・9?まさかねぇ。
それで、誤魔化す意味なんてないんだけど… )
「 いやー、君はえらいですわ。これご褒美ね…美雪さんには内緒ですわよ。」
ジャニスさんが急に上から僕の頭を押さえつける。
すげーピンヒールなんで、2メートル近いジャニスさんと
発育不良の17歳の俺なんか158センチしかないので
40センチ近い身長差は、はっきり言って恐ろしい。
けどジ…ジャニスさんの匂いはローズマリーの香りの様に甘いし、
僕の頬から伝わる暖かさは心地よかった…
ふと見ると、ジャニスさんの顔が僕に降りてきた…
いや、体がでかいと顔もでかい…って思っていけませんね…ジャニスさん。
ジャニスさんは少し笑みを浮かべて、僕の額にキスをした。しかもそっと。
「 あれ? 」
「 お礼のキスよ、唇には刺激が強いでしょうからまだ早いわ…
それにあなた女性の経験なくてもてないでしょ?」
「 え?なんで… 」
「 ちょっと体を近づけただけで緊張でガチガチだわ汗が出てましたわよ。
童貞なのは勿論でしょうが…キスもしたことないでしょ?」
( うえ、いやなとこ突かれたなぁ…そうですよ!
小さい時からって今も小さいけどさ、発育不良かなんかで
背は伸びんし、目もよくなくてこーんな分厚い眼鏡だし、
ひでーくせっ毛でさー、
昔から、相手してくれるの隣の美雪ちゃんだけじゃん。
女の子の手を握ったことも、美雪ちゃん以外経験ないしさー
あ、でも僕の歳で童貞って普通なんだと思うんですけど… )
「 そうか…慶介君、やっぱり童貞か…キスの経験も無ければ
手を繋いだのも美雪ちゃんだけか…不憫じゃのぉ…」
その言葉に、高速で振りかえる。医療助手のおばさん…
「 なんで…」
「 なんでって、さっきから全部話してたんじゃないの?
口は動いてないように見えたけどねぇ…でも、意外と
大胆に物事を言えるのね。ちょっとびっくりしちゃったけど… 」
って、どこから…
「 どっからって、彼女がお尻を両手で抱えてぐらいからずっと…だわよ。」
それって、ジャニスさんが出てきてからじゃない?
「 あのさ、慶介君 」 「はい…」 「 わざとしゃべってるの?耳障り 」
僕は、でっかい胸で見えにくいジャニスさんの顔を見上げた。
「ジャニス…」
「あー、もう声に出したらどうですか?あなたの考えてること
全部、音になって聞こえてますから…」
うえー、本当かよ!これじゃあエロい体のジャニスさんに興奮してるなんて思ったら…。
あーやっぱりだ…見上げるジャニスさんの顔が真っ赤になった。
おばさんはしょうがないね若いんだからって顔をしている。
「 ちょっと、何とかしてくださいよ!あなたの仕業でしょ? 」
「 まあ、その通りですわ。読心してもいいですけど…面倒なんですもの。」
「 んじゃ、おばさんは?」
「 えーとですね。興味は無いですし女性ですしね。あなたのは趣味ですわ。」
「 はああ?…ってなんか思ってもしょうがないのか…」
「 でも、ちょっと五月蠅いですわ…。
そうだ、聞いたことだけ考えてることが分かる様に仕様を変更しますか…」
「 完全に聞こえないようにしろ~ 」勘弁してください。