将来
夜の空に浮かぶ雲が、オレンジに瞬いてからジッとして数を数える。
いち、にい、さん……じゅうきゅう、にじゅう、にじゅういち…。
ドカンン…ドカドカ、ドカドカドカ…キュンキュンキュン
渇いた爆発音と空気を裂いて飛び交う銃弾、砲弾の音が続いて、直ぐに沈黙した。
そして、やがて僕の村の地面が少し揺れる。
お母さんが話した通りなら、音の速さは1秒で300メートルぐらい。
光の速さは、瞬間に伝わるので21秒後に音が伝わったって事は…
6キロ以上先での戦闘って事か。
75ミリとか以上の野戦砲ぐらいなら余裕で僕の村に届くって事か…
でも、さっきよりかは離れているようだから
下手に逃げるより、ここでお母さんを待っている方がいい。
まだ僕は8歳だし、砲撃の反対側の村の外は豹や山犬、鰐に蛇の世界だ。
僕の持っている武器なんて、
この間お母さんがお客から貰って来た太いけど刃先の短いナイフ1丁だけ。
子供だし、危ないけど自分がいない時の護身用、工作用って貰ったものだし、
僕の細腕じゃあ獣相手なんてとても無理だからそこには行けない。
それに、少なくともここには、隣のジョージおじさんやメアリーおばさん。
向かい側のヒョイさんにカーディア、それに自警団の人たちがいる。
みんな、女や子供に老人だけど、
頼りになる人がおじいさんやおばあさんで
昔、軍人だった人たちが今は引退して、この集落で暮らしているんだ。
お年寄りだけど、長い戦乱の連続で生き残った年寄りは、
たとえ歩兵のすれっからしでも”死神”っていわれるほど強いって聞いている。
いつもはむにゃむにゃ何を言っているか分からないゴンゾウじいちゃんも
この間の夜盗たちが乗り込んで来た時には、
自動小銃を構えて風のように走り抜け、あっという間に5人も殺したし、
いつもは老眼鏡掛けて編み物しているようなバーナおばあちゃんでも、
その時には大きなナイフで何人も喉を切り裂いて殺している。
ロケット砲や迫撃砲なんか打ち込まれたりしたら駄目だろうけど、
そうでないなら、ここを離れない方がいい。
だから僕は、大丈夫って信じ切ってボロボロの毛布を頭からかぶってただひたすら
お母さんの帰りを待っている事にした。
それから暫くまだ爆発音や、草やつるで編んだだけの粗末な壁から瞬く光が見えた。
馴れているけど、ぐっすり眠ることは出来ない。
でも、明日からの畑仕事や水汲みの事を考えて必死に眠ることだけ考えていた。
目が醒めればお母さんがいて、いつものように一日が始まるって
それだけは変わらないと僕は信じ切っている。
チュンチュン…ガーガーァ…キエエエエェと、いつもの山の鳥たちも声で目が覚めた。
きのうは結構遅くまで戦闘が行われていたようだけど、何とか眠れたみたいだった。
眠い目をこすっていると、僕の住む小屋の前に人の気配を感じた。
「 悪いねえ、ゴンゾウさん。迷惑かけちまったみたいで。」
家の入口…粗末な筵の前で、威勢のいいお母さんの声が聞こえて来た。
「 ほん、いいっていいって。そんなもの貰えねえよぉ。」
ゴンゾウじいちゃんの声がその後に続く。
「 何言ってるんだい!うちの大切な息子を助けてくれたんだ。
パンの一つや二つ気にせず持っててくれって。」
「 そうかい…悪いねえ。うちのかかあも助かるよありがとうなぁ。」
僕は、ゴンゾウじいちゃんがそう言いながら頭を下げているところで
僕はボロボロの毛布から抜け出して入口のムシロを跳ね上げた。
「 おお、おはよう。
起きていたんだねぇ…昨夜はドンパチあってあの森が通れなくてさぁ。
キャンプの兄ちゃんたちが抜け道案内してくれたんだけど…時間かかっちまった。」
「 お…おはよう。お母さんお帰りなさい。 」
僕の目の前のお母さんは、服がかなり破れて少し血まで滲んでいたけど
別に大きな怪我もしている様子は無かった。
たぶん、夜中に山を下りてくるときに暗くて木かなんかで引っ掻けただけだろう。
僕は安堵のため息をついた。
「 ああ、あんたそれよりゴンゾウさんにお礼言っておきな。」
僕は母さんが少し前を指差すので、小屋から出て指の先を見る。
すごくびっくりした。
体の大きい男が三人、血まみれになって空を見上げて死んでいたからだ。
三人とも肩から小銃を吊るしていたけど役に立たなかったみたい。
ゴンゾウさんの方は、帰り血の様なものを浴びていて居たけど無傷で
歯が半分以上ない口を開けながら僕に微笑んでくれた。
手には、長い間使いこんで改造しまくっている小銃が握られていた。
「 ありがとう!ゴンゾウじいちゃん。 」
「 礼はいいって、それより家の前を汚しちまって悪かったよ。
けど…腰が痛いもんで片づけはちょっとでき無いんですまねえなあ。」
とすまなさそうに頭を下げて…腰が痛かったのかビックっと体を起して
腰に手をやり少し引きつった顔をする。
下手したら今そこで死んでいるおじさんたちに僕が殺されていたところだ。
謝られる筋合いじゃないし、
死体の片づけなんて、僕は5歳から普通にやってるから苦でも無い。
「 何言ってるんだよじいちゃん。
助けられた僕に謝る必要なんてないって。
それに慣れてるから大丈夫。
ちゃんと村の裏に埋めておきますから。」
「 そうそう、ゴンゾウさん後の事はチャンとしておくからさ、
そのパンと干し肉持って早く奥さんの所へ帰った方がいいって。
銃の方は自警団に渡すけどいい? 」
ゴンゾウさんは、チラッと男たちの銃を見て
「 吊るしの銃か…こいつら実戦舐めてたんだなぁ。
いらんよ、自警団に渡せばいいさ…おっと、これは貰っておくか。」
と死んでる男たちの一人から手りゅう弾をいくつか取り上げる。
「 昨日、ジュークの所で使っちまったんで補充ぐらいしとくか… 」
ゴンゾウさんは肩から吊るしている鞄にそれをしまうと、
お母さんから貰った白い粗末な包み紙のパンと、干し肉を持って
脚を引きづりながら帰っていった。
途中、何度もこっちを振り返って頭を下げてお礼の気持ちを表していた。
なにせ、こんな世だ。
まともな食べ物なんて、普通に生活していると手に入れにくい物だからだ。
じゃあ、普段はって言われると、
ちっぽけな畑に自生しているイモや野草っていう自給自足。
小麦で作ったパンも、ましてや干し肉など贅沢品だった。
ゴンゾウさんが帰っていくと、
丁度、夏の朝らしい日差しが僕の家の目の前の地道を輝くように照らし始めた。
ゴンゾウさんを見送って手を振っていた母さんが、その手を振るのをやめ
腰に手を当てて嬉しそうに微笑んだ。
そして、それまで気を張って威勢のいい言葉使いをしていた顔が少し緩んだ。
「 こ…怖かったかい? 」
お母さんがそう言って僕の体を抱きしめてくれた。
「 ううん、全然。ゴンゾウじいちゃんには助けられたけど、
他にもバーナばあちゃんもジーンおばあちゃんもいるし…怖くなかったよ。」
と、少し僕は嘘をついた…兵隊や夜盗はともかく大砲の弾は怖かったから。
それでも、僕が笑って答えると
お母さんは、大きく溜息をついて少し涙声になった。
「 悪かったよホント、でも良かったねぇゴンゾウさんが居てくれてさぁ…
ここに越してきて正解だったねえ。
とりあえず”飯のタネ”は山の向こうにあるし、
”死神”ってじいさんやばあさんもいるから、ここは夜盗や敵だって近寄ってこないし
たまに来ても… 」
僕を抱きながらお母さんは倒れている兵士たちに目を向ける。
「 昔は、ひととこに長い事入れなかったし、気が緩めば強盗にも合う。
他にも酷い目にも母さん何回もあったけどさ…
ここにきてやっと人間らしくお前を育ててあげられるもんなぁ。」
僕は抱きしめている母さんの横顔をそっと見る。
確か、まだ20代の筈。
なのに、小じわや小さな傷がかなりある。
一向に収まらない戦火の中で、僕を育てていくのがどれほど大変か物語っていた。
でも、お母さんの顔は凄く綺麗だと思う。
僕は、昔あちこち母さんに連れまわされて戦火の中を転々としたけど、
どこに行っても母さん以上に綺麗な人は居なかった。
お母さんは少しきつめに僕を抱きしめると、その手を緩めて
「 そうだ、今日はいいもんが手に入ったんだよ。
将校のバレッタからさぁ…子供がいるんでしょって貰ったんだ。
彼女、甘いものって苦手なんでさぁ…チョコにキャラメルをちょっとだけだけど。」
お母さんは山の向こうの”飯のタネ”の軍事施設に通って仕事をもらっている。
掃除とか食堂とかの下働きって聞いている。
片道2時間かけて険しい山を歩いて渡って仕事をしているんだ。
カーディアのお姉さんも、
近くのジェーンおばさんも若い村の女の人は大体あそこに仕事に行っている。
僕は、子供だけど普通の仕事以外に
何か秘密の仕事をしている事は薄っすらと気が付いている。
なにせ、みんな若くて、それでいて綺麗な人ばかりだったから。
僕は、皺の目立ち始めたお母さんの手から小さなチョコを貰ったが、
直ぐにお母さんの目の前で半分に折る。
チョコレートなんてこの国じゃあ貴重品で、凄く高価な物だ。
僕一人だけで食べる訳にはいかない…それにお母さんは無理をしている。
「 お母さんも食べるでしょ。」
「 でもお前、チョコレートなんて今度、いつ食べれるか…あっ。」
お母さんが、僕の笑い顔でお母さんが嘘をついているって事を分かっているって事に
気がついたみたいだ。
「 お母さん…無理しなくていいよ。僕の為にきっと我慢して頭下げたか
生活費を切り詰めたかでしょ。」
僕は口を半開きにしたお母さんにチョコを入れる。
そして、僕も小さくなったチョコのかけらを口にして言った。
「 それにさ、美味しい物なら母さんと一緒に食べたい。」
僕は、口の中に広がるほろ苦くて甘いチョコレートを感じながら
何年ぶりかのその感覚に体中に力が流れていくのを感じた。
お母さんは僕の目の前で泣きながらチョコを口の中で転がしていた。
齧ってしまっては、折角の甘みが直ぐに消えてしまうからだ。
「 お…お前って子は。 」
お母さんは口ごもりながらも、長い間の重労働や秘密の仕事に疲れ切ったその体が
チョコレートを呑みこまない事に悔しいと思ったのか
それ以上は言わずにその場で僕を抱きしめたまま泣き崩れた。
僕は少しずつ大きくなっていく自分と、
そして、少しづつ小さくなっていくお母さんを毎日感じながら思っている事がある。
大きくなったら、
こんな危険なところで、あんな獣の居るような山を僕の為に上る母さんを
何としても辞めさせたいと思っている。
どんなに過酷でも、僕がどれだけ苦労しようがどうしようがお母さんに報いたいと思う。
もう、秘密の仕事もしなくてもちゃんと暮らせて、誰かいい人と一緒になって
幸せに幸せに歳をとって死んでほしいと思う。
だから僕は、大きくなったらこの世界で
自分の力だけで這い上がっていける唯一の職業…”軍人”になろうと思ったんだ。




