凍える部屋
乾燥した北風の音が、ビュービューと窓の外で響いている。
安普請の我がアパートにも、
ヒューヒューと容赦なく極寒の隙間風が入って来る師走のある日…
俺は、ストーブの無い為に凍えそうなほどの部屋の中で、
古びた炬燵のテーブルの上に大量の借金の督促状を静かに並べていた。
炬燵と言っても随分と前にヒーターが壊れている。
だが、何とか毛布と布団が、自分の体温でほんのりと温かいので
凍えた部屋の中ではまだ小さなオアシスだった。
新品などは買い替える余裕など全くありはしない…。
督促状は多いが、今は昔と違って、
金の払いが遅いと扉に真っ白になるくらいのビラを貼ったり、
拡声器で近所を練り歩く馬鹿な借金取りは絶対に来ない。
勿論、腎臓売れやぁってヤクザ者など乗りこんでは来ない。
この業界も国家権力で蹴られまくって、
過払い金請求などで、弁護士の食い扶持にされている状況で法律違反はご法度だ。
そんな事をすれば、
待ってましたと暇な議員さんや弁護士に食いちぎられるのが多くなるからな。
だから、回収には暗ーい顔した借金に首まで浸かったご同輩が、
涙目と揉み手と土下座の三拍子で精神にぐっとくる取り立てにやって来る。
勿論、彼らには交通費などの支給は無く、この寒い中ブルブル震えながらの取り立てだ。
俺も血の通った人間だから、彼らの苦労を考えれば払えるものは払いたい。
が、この寒い中、命にかかわる炬燵の買い替えも出来ないので当然、払えない。
しかし、払えないからと言って迂闊に破産宣告などしたら最悪だ。
そうなれば、情け容赦無く連帯保証人に取り立てが行く事になる。
もし無理なら、知り合いまで徹底的に取り立てに行く。
法律違反だろうがなんだろうが、回収のお願いは出来るので迷惑とプレッシャーで苦しむ事になる。
俺の場合、年老いた両親・離婚した糞女と懐かしい子供・音沙汰の無い友人・元同僚…
連帯保証人で無くても、業者の取り立て(お願いですけどね)に根を上げて
軽い気持ちで1000円でも払ったら…お終いだ。
この国の民法では、それは返す意思があるという事になって連帯保証人に準ずる形になる。
そうなったら…と考えるだけで背筋が凍る。
知り合い同士で借金のなすりつけ合いの地獄絵が展開されるからだ。
( ああ、ところで信用保証会社はかけていなかったの?って言われそうなんだけど
それこそ借金した事の無い奴の知識だなって言っておこう。
代位弁済保険ってのは、どうにもならなかった時に保険だけど
この場合、借入先が保証会社に変わるだけで何も変わらないってのは知っている人は少ない。
保険のメリットは利子がつかないって事だけど支払いは続き、
一度でも遅れれば、全額弁済って恐ろしい事になるので俺は利用しなかった。
更に取り立ては鬼なので役に立たないのだ。 )
借金取りに来るご同輩が言っていた。
「 私は破産宣告なんてしませんよ…絶対にね。
身内や友人を地獄を背負わせるなんて出来ません。
そんな事になるぐらいならタコ部屋でも、辻強盗でも、
いや、腎臓でも肝臓でも何でも売り払ってでも何とかします。 」
その言葉は分かる気がする。
借金のつけ回しなんて出来る訳が無い。
しかし、手っ取り早く金といっても、今時は闇でも臓器売買は出来ない。
ましてや、強盗・詐欺なんて犯罪で身内が最悪になるから出来ない。
他にも合法的に、弁護士に頼んで過払い金請求ってのも
俺が借りてた時は法的上限金利の上限いっぱいで対象外だ。
究極の借金の放棄依頼なんてのは一件ならまだしも、
俺のように複数だと更に手数料、相談料で干物になるまで吸いつくされ、
最終的には、身内の財産を処分されるか
ぐるっと回って、自己破産を勧められての堂々巡りにしかならない。
なので、最も有効な解決方法は死ぬしかないのだ。
別れた糞女や両親にも電話して死亡保険はまだ支払っていることを確認した。
借金の保証人になってもらう時に無理を言って入って貰ったものだった。
こんなことを予想した訳ではないが、あくまで万が一の事を考えたからである。
年払いで大した金額でもない保険だが、俺の葬式ぐらいはあげられるだろう。
自殺でも、ちゃんと保険は降りるから心配ない。
借金している金貸し達にも確認した。
皆、大手の貸金業者なんで焦げ付き防止で独自に死亡保険に入っていて
”死んでしまえば返済義務はございません”
と氷のように事務的に係りの女性が返答をした。
とりあえず利息だけは必ず納めていたし、
それが遅れて御同輩が回収に来ても手土産ついでの返済もしてきた。
おかげで、話にならない闇金などには手を出さなかったのは幸いだった。
これで、身内に地獄は回らないから心置きなくあの世に逝ける。
「 2850万… 」
督促状の合計を数えるとそのぐらいあった。…概算だ…細かい数字に意味は無い。
なにせ、払わないんだから。
俺はふと、若かった昔を思い出す。
誰でもそうだが、親の脛かじって学校に行っていた時は楽しかった。
勉強は出来る方だし、運動もそこそこ容姿もそこそこなんで
彼女もいたし、部活や遊びも結構楽しくやっていた…将来に何の不安も無かった。
20年前に、国立の大学を出た時には名の通った企業にも入れたんで、
そんな、端金で自殺する自分など全く想像なんかできなかった。
就職しても順風満帆で直ぐに主任、係長へと出世し、
大学時代の彼女、つまり別れた糞女と15年前に
30を目前に駆け込で結婚をした時は、当然この女と一生添い遂げるつもりだった。
それから直ぐに娘が生まれ、続いて息子もできたし、家も買った。
馬鹿な俺が考えの甘い起業をするまでの3年前までは幸せだったんだ。
だが、いざ起業したものの、良かったのは最初の時ぐらい。
直ぐにちょっとした不景気の波に足を取られて、
赤伝(不当たり)を連続で2枚も引いちゃあ…ひとたまりもなかった。
それからは思い出したくもないし、思い出してもしょうがない。
実家の田畑を売り払ってもらったり、蓄えで自転車操業もしたが
ただただ傷口を広げただけ…借金の額がこりゃやばいなってところで
家は糞女の名義にしていたんで即離婚、子どもとも縁切れ。
結局、不渡りは出さなかったけど自主閉業…
後はお決まりのただの地獄だった。
必死に勉強してた学生時代、夜も寝ないで仕事してた会社員時代、
起業して更に忙しかった経営者時代…俺は常に走り続けていた。
しかし、今、思えば、もうちょっといい加減に生きても良かったかと思う。
少なくとも平平凡凡で、上司が無能だって酒飲んだり、
週末のちゃちな趣味で憂さを晴らすだけが楽しみの生活の方が百万倍マシだった。
いや、一生独身で好き勝手に生きるとかも良かったかもしれないなぁ…
まあ、愚痴だがね。
さて、問題の死に場所についてだが、
熟慮を重ねた末に我儘だけどこの部屋で自殺することにした。
なんせ真冬だ…外は雪さえチラつく寒さなので、川か海での入水自殺は凄く寒い。
更に俺は息苦しいのが最悪に嫌いなので真っ先に却下にした。
次に電車、車なんかへの飛び込み自殺。
一瞬ってよく言われるけど、肉片になるんだから物凄く痛いのは当然だし、
誰も肉片になってから生還した奴がいないから本当の事が分からない。
もし…痛みがあったら地獄だろうから嫌だ。
それに賠償だって、下手しなくても運航会社や車の保険屋等が一応、言うだけ言うかって
死ぬほど辛かった俺の事情なんて”関係ないわ!”って鉄面皮で
もう関係もないって思っている両親や、元妻子に相談に行くので却下。
広場でガソリン被っての焼身自殺は…俺、熱いの苦手だ。
それに、火事等で消防にも迷惑かかるし、
飛び火でもして民家でも焼けたら関係無い人を地獄にたたき込むし、
警察も大変なんで却下にした。
飛び降り自殺は…高所恐怖症の俺には無理ゲーだ。
まあ、途中で失禁してすごすご帰るのは目に見えてるんだが、
コンクリの道を真っ赤に染めて、脳みそをあたりにぶちまけてって言ったら
掃除も大変だし、まかり間違って歩行者でも巻き込んだらと思ったら…これも却下だ。
なので最終的に自室での自殺を決断したんだ。
掃除や告知の義務などの後始末で大家さんや管理会社も可哀想だと思うが、
申し訳ないので、
両親に死亡保険金でいくばくかの金を払ってくれるようお願いの遺書も残した。
なに、告知義務も3回ぐらい廻せばしなくても済むし、
世間に未練の無い自分が幽霊になってここで自縛される事も絶対に無いから
迷惑の度合いは一番少ないさ。
さて、死に方だが…
ガス自殺でも、練炭自殺でもいいが気の弱い俺の事だ、
途中で怖くて窓でも割るか、部屋から逃亡するのは目に見えてるので却下。
刃物でってのは…一番死に辛くかつ、生存率も比較的高く
何より、痛いし血が怖いし根性決めて致命の傷などつけるの無理なので却下。
ここまで思いを巡らしていると、俺って実は死にたくないんじゃあ?って
臆病者の結論になるのを必死にこらえながら模索したところ。
ぼろいアパートだが、部屋の間には丈夫そうな欄間があり、
そこに紐を通し鴨居で首つりがベストと決定した。
失敗は怖いから紐が切れないかどうか、鴨居が持つかの強度試験は念入りにした。
正気じゃあ、苦しくてこれも未遂にって事になるだろ言うけど、
しこたま飲んでだな、首を通して寝転がれば何とかなりそうだ。
それに、よく考えたら、死体も他の方法に比べ損傷も無く身元確認もしやすい。
保険の手続きも簡単だろう…
という事で死ぬにはいい時だって事になったが、その前に最後の晩餐としゃれこもう。
どうせべろべろ寸前まで酔わなきゃ死ねない臆病者の俺だし、
だいたい、貧乏生活でロクな物食べてなかったんで最後ぐらい旨いもの食べたい。
俺は、近所のスーパーで仕入れた豪華な(俺から見ればだぞ!)オードブルに、
1本2000円の高級ワイン( 既に貧乏過ぎてここ半年酒も飲んでいない…ので高級品だ )
を4本も小さな炬燵の上に広げる。
お金は、昼間にどうせ返す必要が無いので、
「 悪い!保険で返してもらってね 」と、利用上限がまだあるカード会社の機械に、
お前は悪くないと手を合わせて謝罪しながら3万ほど引き出した。
金貸し憎んでないの?って声が聞こえそうだが、
こーんな俺に金を貸してくれたし、
そのおかげで2年間食いつなげてこれたんだ…感謝しても恨むなんか筋違いだ。
うまくすれば、その金で再起することも可能性は低いが有ったんで、
自殺に追い込まれたのは全て俺の不徳の致すところってことだしな。
まずは、イタリア製の2160円のカルベネをポンと
錆の浮いてる昔ながらの栓抜きについているコルク抜きで栓を開け、
普段の湯飲みじゃあ気分で無いって、さっき買った安物のガラスのワイングラスに注ぐ。
芳醇な…香りがアルコールの抜けきっている俺には目眩がするほど嬉しい。
元々は酒好きなんで涙まで滲んできた。




