エピローグ
夏の到来を待つかのように少し熱くなったアスファルトの上を、
年甲斐もなく黒いタンクトップに花柄のロングスカートで私は歩いていた。
亡き妹の娘…神埼 絵里奈を手放して早3か月が過ぎ、今はもう6月も終わりだ。
自分では持て余したうえに、虐待をしていた彼女の事を考えれば、
たとえ愛情があったにせよ、その選択は間違っていないと思う。
記憶にはなぜか薄いが、今の里親の高村さんがうちに来た時の大暴れが原因だが
いまは彼とは冷静に連絡を取り合っている。
この間、写真を一枚送ってきてくれた…幸せそうに笑っている絵里奈の写真だ。
血色も良く、少し太った彼女は
私の妹の玲子よりも数倍美しい容姿をしているのにもびっくりした。
それだけで、彼女を手放した意味があると思った。
まあ、親のいないあの子には私なんかの様なボンクラ女より、
ちゃんとした高村さん夫婦の方が百倍はマシだしな…
さて、今日は10年ぶりに戸籍上の旦那が戻って来るって言うんで
今はここ国際線がある海に浮かぶ空港島で出迎えってわけだ。
既に私しか乗らない13年落ちのぼろ車の旦那の車は、
バカ高い駐車料金を払ってコンクリの城に停めてある。
旦那といっても、今じゃあ顔も不鮮明にしか思い出せない。
184センチの大柄な男で、シャイで我儘で神経質で銀ぶち眼鏡…というところは覚えている。
不思議な話で女ってのは顔よりも全体の印象で覚えるんで
それでもしょうがないかって思う。
流石に10年も会って無いし、
出会いだって酒場でナンパ…って事でドラマチックじゃないし、
その時は、私が男を妹に取られて凄く落ち込んでいたんで、一時の間違いってことだけど、
25超えて初体験の馬鹿旦那は舞い上げっての全方位交際アタック。
まあ、大して好きでも無かったけどプロポーズも受けてやった。
それなりに数年、幸せな生活だったが彼がジャイカかジャガリコか知らんけど
変な国際貢献に目覚めて、中近東へ行って…
どこでどうなったか知らんけど日本食堂建てて、なぜかの大成功。
それから他のビジネスやるたび成功で、その上国際貢献してるもんだから
暇などなく、仕事が面白いか知らんが10年間帰ってこなかった。
なので、特に今は愛情も感じないが、彼の毎月の仕送りだけは愛してるって感じかな。
何せ毎月40万…贅沢しなけりゃちょこちょこ男遊びして暮らせるもん!
文句ないもん!って感じかなぁ。
でも、寂しかったんだろうな…死んだ妹の娘預かったぐらいだしね…
旦那の帰還は晴天の霹靂ではあったが、一人ぼっちで暮らしている私にとって
少しぐらいは楽しみはある。
お金も途切れなく10年間律儀に送ってくれるぐらいだからちゃんとした人だし。
新婚当時は、ベッドで何回するの?って感じでSEXした仲だ…
愛は今は無いけど、好意ぐらいはまだ残っているから
またいつか中近東に戻るかもしれないけど、それまでは久しぶりに結婚生活を思い出してもいい…
愛情は無くても、楽しむためのSEXぐらいは出来るしね。
ま、いい年だし温泉でも行ってもいいかなとも思っている。
地方空港にしては気の利いた建物が目に入って来る…
もう少し歩くと冷房の利いた空港ビルって分かったから少しだけ歩みが速くなる。
頬を伝う海風にも、日差しに暖められた暑い空気と焦げた匂いがした。
ターミナルに入ると、一目散に到着ロビーへと向かう。
田舎の埋め立て地の空港は、ともかく広い。
羽田や成田の様な基幹空港と違って、ひたすらに閑散として建屋が広い。
搭乗ロビーなんかは飲食や休憩所の様な施設があるけど、
離れた到着ロビーまでは何もない、コンクリートとガラスの世界だ。
灯りとりの天窓屋根の不規則な配置が、
下のマントルピースに映る幻想的ともいえる世界が広がっている。
しかし、どんな顔して会おうかって思う。
やがて、広々過ぎる到着ロビーへと出て、到着口の大きなガラス扉の前につく。
待合の席に座って、記憶が不鮮明なんで
彼の名前とお帰りって書いた紙を取り出して待つ。
これなら、彼だって10年前の面影の少ない私だって分かるだろう。
それに、最近なぜかパート先で言われるのよねぇ…顔が変わったってね。
そう言えば8キロほど痩せて、ぼってとした顎のラインが取れて
10年前より綺麗になったかもしれない…ババアにはなったけどさ。
そんな事もあって、昨日適当に大きくマジックで書いてきた。
やがて、彼が乗った乗換便の飛行機がつき、次々に乗客が降りて来る。
だが、184センチの大きな男(私からするとね)はなかなか下りて来ず、
たまにいても全く年齢の違う外国人か、若者しか…
ちょっと心配になって中を覗くと、最後の乗客らしい人がこちらに向かってくるのが見えた。
身長は185位…でも、凄くしっかりとした体つきで
真っ黒に日に焼けた肌に、黒々とした若い感じの髪の毛。
メガネは…していなかった。
「 はあ?飛行機間違えた? 」
って思って昨日教えられた電話にかけてみる…
最後の乗客が、出てくると、その彼からメロディが鳴り出した。
それなのに、ちょっと笑顔を浮かべて私の方に近づいてくる…
へ?まさか…
「 久しぶりやね、美樹ちゃん。」
その彼が、私のすぐ横に座って肩を叩いてきた…
「 えっと…正信さんなの?嘘…なんかイメージが… 」
驚いた、まったく印象が変わったからだ。
どちらかというと体はでかいけど、
髪はきっちり分けて、神経質なインテリって感じだったはずなのに
見上げた(座高が違いすぎるから)彼は全く違う。
少し乱暴な手串で分けた髪は、なぜか前よりも毛の量が多い気がするし
よく見ると無精ひげもあり、眉の下なんか剃っていない。
肩幅も広くなった感じもするけど、分厚くなった胸板と
引き締まったお腹にきりっとしたお尻…外観は違いすぎるけど
その顔をよく見ていると、確かにあの正信の顔に違いなかった。
「 か…変わったわねぇ…なんか逞しくなって… 」
私は好感がもてた…だけど、お世辞にも清潔っては言い難い
前の様な都会的な清潔感は皆無で、よく言えば野性的って感じで
悪く言えば、拾ってきた犬の様な…雰囲気。
「 まあ、10年もありゃあ人は変わるさ。
それより、悪かったって思っているんだよほったらかしにしてさぁ。
いつ離婚って切り出されてもおかしくなかったんでね… 」
そりゃあ悪いでしょ?
「 怒っていたのは最初の2.3年で、今じゃあ諦めていたんだけど、
ちゃんとお金も毎月くれてたし、
他にいい男から寄って来る事も無かったんだからズルズルとってとこ?
あ、SEXはしたことあるわよ我慢できなくて。」
その場に水を差す爆弾を投げ込んでみる。
本当の事だもん、私だって彼に嫌な思いぐらいさせたいじゃない。
それに、ここで怒るようなら、私に対して罪悪感が薄いって思うもん。
「 まあ、しょうが無いんじゃないの生理現象なんだからさぁ。
10年もほったらかした訳だし、
俺だって潔白ってわけじゃないからチャラでいいよ、そんなもの。」
結構進歩的な事を言う彼に驚いた。
昔は、知らない男に道を聞かれただけでネチネチ言ってた人とは思えなかった。
「 ただ、俺は美樹ちゃんとSEXもしたくなったけどね…今見たらさ。」
40過ぎの男とは思えない飢えた目で私を見てきて驚いた。
生々しい性欲のほとばしりは、赤の他人には嫌悪そのものだろうけど
昔とはいえ、何度も肌を許した私には私自身に興味を持っている方が不思議だったし、
性欲って言うのは生きている原動力の様な所があって、
彼の生命力の強さに気おされてしまった。
「 40前のおばさんに? 」
「 そんなの関係無いだろ?最近、鏡見た?凄く綺麗になってるの分からない? 」
いや、それは多少自覚はある。
この年になって街頭ナンパを十数年ぶりに何回か受けているから…でも、ここで言う?
「 恥ずかしいから… 」
精いっぱいにそう言って立ちあがろうとすると、不意に抱きしめられた。
「 これから、ずっと君の傍にいる事に決めたんだ。
もう、あの国には帰らない様にビジネスも何もかも片づけて来たんだから。」
しがみついてくる彼の厚い胸板と、
その甘い言葉に頭が真っ白になってきた。
「 でも、それじゃあこれから… 」
こんな時にお金の心配するのが女って生き物だけど、彼は更に強くわたしを抱きしめた。
「 心配無いって、蓄えだってまだかなりあるし美樹ちゃんぐらいちゃんと食わせるから
心配するなって。
それに、まだ…子供だって産めるだろ? 」
「 馬鹿ねぁ…そろそろ40よ。」
「 大丈夫、体には自信があるんだ。毎晩だって相手出来るからさ… 」
私は、自分でも不思議に思ったが彼の事が急に好きになって来た。
前とは違う雰囲気なのに、なぜか少し懐かしさと安心感が湧いてくるからだ。
彼についていけば大丈夫って気になった。
「 あれ、タバコなんか吸ってたかしら? 」
私は、彼から漂う煙草の匂いに気がついたが、不快な感じはしなかった。
いつも私が吸っている外国製の煙草の匂いと同じってのもあるけど、
何故か温かい気持ちになるからだ。
それから、思いもしなかった旦那との結婚生活の再スタートが切りだした。
高齢出産って思っていたけど、
元気な彼に毎晩求められて、直ぐに妊娠して女の子を出産して
それから数年後男の子を産んだ。
二人の子供はやがて大学を出て独立したが、
寂しさは少しも無かった…が、最近彼が犬を飼いだした。
真っ黒で、ちょっときつそうな顔の犬だった。
サーロス・ウルフホンドという種類の犬で、狼の血が濃い種類の犬だ。
大きくなると体高75センチ体長2メートル体重40キロ以上って
化け物みたいに大きくなるって聞いている。
非常に飼いづらい犬種って聞いていたけど、来たその日から直ぐに懐いてくれた。
名前は私が意味もなくつけた…いや意味はあるかも。
魔王サタンと同格の力を持つ魔物っていう”マルコシアス”って黒い狼の名前が由来。
魔物って言っても元は大天使で、主人に忠実って言うのも気にいってつけた。
まんまでは流石にきついんで、ちょっともじって”アルコキアス”ってつけた。




