加藤 春奈の場合 ~死神は似合わない女~
ジンギさんが、ブランコを漕ぎながらぶっきらぼうに呟いた。
「 カルネアデスの板さ…
あんたらが海に沈んだ飛行機から回収救助されたことと同じなんだよ 」
一応、法律も暇にまかせて齧った事はあるからその有名な話は知っている。
緊急避難の項目に純然と存在している刑法だったっけ
確か難破した船から投げ出されて、溺れそうになって板切れに摑まっている男が
別の者からその板を奪われようとする場合には…殺しても罪にならないだったけ?
ギリシャの哲学者 カルネアデスが弟子に出題した命題だったかなぁ。
「 更に、天秤のバランスが極端な場合に日本の諺にもあるでしょ?
大の虫を生かすために小の虫を殺す… 」
私は、渋い顔になった。
命をベットしたあの海での出来事があの時にも起こっていたのかと。
「 それで…いままでの話に繋がるのね。
何回も何回も少しの出来事でも運命が変わるって言ってたの、それなんだ。」
「 ええ…まあ 」
ふ~ん…あの飛行機が落ちたのって貴方が和幸止めたからって事なのかぁ…
酷いよねそれ…悪意無いだけにさ。
「 その時は今回みたいに、問答無用で死ぬ前に回収ですか? 」
少し嫌味なほど冷めた目で話を振ったが、
ジャニスの目は急に死んだ魚のように目に力が無く…青い顔になっていた。
「 いえ…あの時は運命曲線に二種類の結末があってですね… 」
そう言うと口を真一文字に閉じて下を向いてしまった。
「 あのさ、仕事なんだからちゃんと答えてよ。
済んだことを事務的に話してくれればいいのよ…100人以上も目の前で死んだのに
それより残酷なことがあるかしら?
でも、気になるわね…運命が2種類あるって…どういう意味? 」
「 あの飛行機が墜落して全員死亡か…その次の便で全員死亡
その二種類ですわ。
方法論として、死ぬならば責任を持って全員それなりの良い世界へ転生しますが
一つ問題がありまして… 」
「 問題? 」
「 ええ、本来の運命を捻じ曲げたために制約が出来たんです。
墜落する方の全員に告知し…その了承を得る必要が出たんですよ 」
今から死ぬことになりますが…勘弁してね?って事?無理じゃん
「 その便は今度は超高速で中の時間を進ませて…
一人一人…死ぬことを承諾していただきました。
年端のいかない子供も、妊婦さんも、新婚のカップルもいて 」
そこでジャニスの目に涙が浮かんだ。
「 皆さん…死にたくないって号泣して…でも、能力で私には壁があったので近寄れなくて
色々なものが壁に投げつけられて…怒声を浴びせられて地獄でしたわ 」
仕事なのに涙が浮かんでいるのを見て、正直な話この巨体、
死神に向いていないと本当に思った。
「 納得したの?みんな…ジャニス自身が言ってたことだけど、
死なない選択肢もあったわけでしょう? 次の便にとか 」
ジャニスは大きくため息をついた。
「 でも、このまま死なないと全員の記憶を消してもとに時間に戻って…
もう一つの選択のその後も飛行機が飛ぶことになるんですが…
そっちは前が拒否したら有無を言わさずになります。」
それは、今回の私たちと同じでしょ?何がいけないわけ?
「 この飛行機が墜落することだけは絶対にダメなんです…
その次の飛行機に乗るのが、ある殺し屋なんですよ。 」
こ…殺し屋?
「 その殺し屋は、非常に優秀でして…ある指導者を殺すことになっていたんです。
この指導者は、生かしておけば…核を発射して、
無辜の人たちを殺し、更にそれよりも多くの人たちの住む場所を殺し、
特に、このベルギーは蒸発してしまうことになる運命がかなりあって、
なんとしてもこの方に始末してもらわなければいけなかったんです 」
壮大な話が出た…
「 でもジャニス、人は自分の命が一番大事と思う人が確実にいるし、
死んでしまえば、それは世界が滅びるのと同義だと考える人もいる筈だよね…
例え、世界が滅びるって言われても同じじゃんって言う人はいるでしょ?
どうやって説得したの? 」
この少し考えの足りない娘に出来るとはニワカには信じ難いが、
ジャニスのその後の言葉には少し驚かされた。
「 実は、一人一人長い時間をかけて説得を手伝ってくれたのが…和幸さんなんです。」
「 和幸が? 」
和幸は、お調子者で女に凄まじくだらしないし、面倒な事は特に嫌いな男だった。
それが、わざわざ人の手伝いなどするだろうか?
ましてや、あいつは基本的には理論家で、科学至上主義なところもあるし、
オカルトの塊みたいなもんだし、死神ジャニスってさ。
もう一度よくジャニスを見て見る。
ボケたような顔で私が見つめてくるのをジャニスは見て返すが、
死神とか人外の化け物ってフィルターで見ない限り、
186の長身でメーター越え確実の胸やお尻、美しい顔、流れる髪
どこをとっても魅力的な女性だ…日本人の私から見ると巨体って言うだけで、
仕事で外人を見慣れている和幸から見れば少し大きめ程度かもしれない。
ああ、そうか。
和幸って女性が困っている助けたくなる質だからなぁ…
「 どんなふうに和幸は手伝ったの? 」
「 最初は、呆然としていましたけど…私が必死でみなさんを説得するとですね、
ゆっくりと立ち上がって言ったんです。
” どうせここで死なない選択をしても、後でみんな死ぬんなら
より多くが助かる方がマシだなぁ。
しかし、ただ死ぬっていうのも適わないからさ、もっと説明してくれないか? ”
顔は少しきつかったですけど、笑みもこぼれていましたね。
基本、頭がいい方でみなさんに落ち着くように説得をしてくれまして、
話し合いを持つことができました。
その際にみなさん一人一人に意見を取りまとめていただいて、
いろんな条件を付けて、みなさんを説得してくれたんです 」
「 死んだら…それでお終いじゃないって人もいたでしょうに 」
私は、ジャニスの言葉に驚きながらも、そう尋ねた。
「 ええ、それが普通ですから、きっとあれだけの人数の説得は
私には出来なかったでしょうね。
今回の飛行機のように、説得をする必要なんて普通ないんでノウハウもないし… 」
でも、死を覚悟させる条件って何だったのかしら?
それは、よほどの条件でも難しいだう…なんせそれで死ぬのだから…
「 まず、眠るように恐怖も苦痛もない状況で魂を回収すること。
私が責任をもって、みなさんの転生先の希望をなるべく叶えること。
残された人が人生に悲観してやけにならないように操作すること…
後は…個々の方の希望でしたね… 」
それって…なんて都合のいい条件だろうって思うけど、
そうでもしなきゃ誰が死ぬのを承知するだろうと思う。
人は、生きていられなくなるほど追いつめられるから死を選ぶこともあるが、
普通の状態では、明日のことを考えて今日を生きているのだから…
「 個々の条件ねぇ…どんなのがありました? 」
下衆な質問だとは思ったけど、興味はある。
「 そこらへんは和幸さんが、一人一つで整理してくれたんで助かりました。
残された家族が不自由なく暮らせることや、幸せな結婚とか、子供を産むこととか。
手の負えない身内が更生することや、自分を忘れないでいてほしいとか…
でも、一応に欲にまみれた希望はなかったですね…不思議に。
まあ、自分が死んでしまったら何の意味もないから当然でしょうけど。」
私は、自分がいかに下衆で人というものを汚く見ていたか思い知らされた。
死に際して願うものなんて、自分以外の幸せぐらいしかないのだ。
「 か…和幸の希望ってあったんですか? 」
それは、元婚約者として是非とも聞いてみたかった。
「 和幸さんだけでもないんですが、私の体にとどまりたいって希望でした。
どれだけ生まれ変わっても経験できないものを見てみたいって
極まれにある人達の希望です。」
「 え~私の事じゃなかったの? 」
私はあからさまに不満そうに答える…
私のその後の幸せを願ってくれたら、陰々滅滅な3年間をあじあわなくても済んだからだ。
ジャニスは、馴れ馴れしくも私の頭を笑顔でなでながら慰めてくれた。
「 和幸さんがそのときに言った言葉を言いましょう。
” 僕がいなくなっても春奈は強いし、ちゃんと人生を歩いて行けるさ。
そうだ、もし春奈と会ったら体から出してくれないか?
ちゃんと、最後の挨拶ぐらいしたいからさ。 ”と… 」
私は、私の事を買いかぶりすぎていた和幸に少々呆れはした。
「 ということで、和幸さんを呼び出しましょうね。
私の体のままじゃあ、気分が出ないでしょうから… 」
ジャニスはブランコで固まっているジンギさんを手招きする。
へ?俺かい…って顔でジンギさんはそれに応じると私のすぐ近くまで歩いてきた。
「 はあ?俺が?なんで? 」
「 だって、出てくるの男の人の魂ですから…我慢してくださいよ 」
「 だって、俺らって特殊空間作って、魂を固着させた依代を出せるじゃないか。
能力に余裕があれば、魂自体を… 」
ジンギが嫌そうにそう答えると、ジャニスは情けなさそうな顔で答える。
「 シャックスとやりあったし、その前にもだいぶ能力使っちゃってそれは無理ですね、
今は能力を使い果たしたとはいえ、ジンギさんなら、
ジンギさん自体を依代に出来るし、最後に私たちが帰る能力もとっておけるし…
だって、まさかジンギさんがあんな簡単に…なんて思っていなかったんですもの 」
「 ああ、分かったよ!いいよそれぐらい…なんせさっきは何の役にも立たなかったからさ。」
とバツが悪そうに苦笑いを浮かべた。
でも、体が半分吹き飛ぶまで頑張ってくれたんだから…私は役立たずとは思いませんよ。
「 じゃあ、決まりね 」
ジャニスは、ジンギさんの同意を得たのと同時にジンギさんと私を向かい合わせにした。
目の前…40センチぐらいだろうか。
28のおばさんでも流石に恥ずかしくなる距離だった。
「 ジンギさん? 顔が赤いですけど…そんな顔もできるんですねぇ… 」
ジャニスが意外そうな顔でジンギの顔を覗き込んだ。
「 いや、その…普通のなんの能力もない人間の女性は初めてなもんで… 」
私は、赤い顔をしているジンギさんが面白いので
垂れ下がっていた両手を私の両手で掴んで、体の前に持ってくる。
更に、ジンギさんの顔が赤くなった…思ったよりも純朴そうなのには驚いた。
「 じゃあ、ジンギさん、いいですか? 」
「 ああ、早くやってくれよ。一時的って言ったって縁もゆかりもない、
しかも男に体貸すんだからさ、早く終わりたいよ。」
女好きには耐えられない時間だろうなあと私は思った。
「 まあ、我慢してください。これが終わったら、もう帰りますからね。」
ジャニスが笑いながら、嫌そうな顔のジンギをなだめる。
「 アータルデル オレービ クリスール … 」
ゆっくりとジャニスの体が光っていくと同時に、ジンギさんの体が光ってくる。
まるで蛍のような色の光が月夜の空の下で…
いや、電燈の下だからそのオレンジの光と交じりながら滲んで幻想的な雰囲気になっていく。
私は、それを美しいと思う。
それまでの流れから、多分、ジャニスの中にいる和幸がジンギさんに移っているのだろう、
だから、それは和幸の命の光だと思うからなのかもしれない。




