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悪魔の病

  私の目は、瞬きが上手く出来ない…それどころか眼球も上手く動かせない。

 傍目には見えているのか?って疑問に思うかもしれないが、

 とりあえず、動くものを追うのは苦手だけどはっきりとよく見える。


 ただ…見たいとは、露ほどにも思わない。


 私の口は、言葉を話すことができない。

 それどころか、はっきりとした声も出すことができない。

 でも、まだ、ヒューヒューと空気の行きかう音を立てることは出来る。

 ただの生きている証明程度だ。


 2つの腕も2つの脚も体にくっ付いていて

 ちゃんと正しい数の指がついてるけど 

 ほんの少ししか動かない。


 体には、いろんな色取り取りのホース、電極が体に巻きついていて、

 おまけに700㏄の特大の点滴タンクから規則的に薬液が点下していくので

 逆に動いた方が危険。


 わたしは、そういう訳で…

 昼は看護師さんに電動ベットを動かしてもらって、日がな一日テレビを見て、

 夜は真っ暗な部屋の中で、暗い天井を見ていた。


 今の私は、町はずれにある総合病院の長期入院病棟にいる。

 病名は長ったらしいし覚えてもいないけど、

 筋無力症候群の一種とかで、遺伝とかの先天性のものではないらしい…

 膠原病とかと同じで原因不明、ついでに治療法は無い。

 そして、病気の症状と進行は過酷だ。

 最初に急速に体の自由が無くなって、それからはゆっくりと死に向かう病らしい。

 最後は、心臓の機能が無くなって死ぬ。

 命を少しずつ削っていく…悪魔の様な病気…絶望しかない…。

 入院生活は、退屈だけど過酷だ。

 情け容赦など有るはずもなく…何もやることが無いっというか、何もできない。


 病院の中で日がな一日、自分以外の人が動いて時間が過ぎてゆく。


 その中には、私が耐えきらなくて悲鳴を上げそうな、

 強烈な痛みを伴う注射や羞恥心を踏みにじる検査もあるけど、

 私は反応が出来ないので、

 お医者も事務的で情け容赦が無い。

 でも、気にしていたら治療など出来る訳が無い…


 家に帰れば、私とそう変わる事もない娘のいる先生もいた…

 私が全く反応できないので、感知もしていないと思い…

 大声でひとりで泣きながら治療をした先生もいた…


 食事は、点滴か水みたいな流動食を飲むだけ。

 味?分かるから…くそ不味い。

 しかも、早く飲みこむと誤嚥(肺などに間違って入る事)や

 入りきらずに溢れるので、

 ゆ~くり拷問のように嚥下(飲み込む事)しなければならない。


 もう慣れたけど、床ずれ防止で看護師の若いお兄さんが

 優しく体の向きを変えてくれるけど…

 意識してないだろうけど、私のお尻や胸に手が触れることがある。

 死体の様な私でも…つらいと思ったこともある。

 でも、申し訳なさそうにしている看護師のお兄さんに…

 何を言う事があるのだろう…


 それと、毎日、

 看護助手の気のいいおばさんが、冗談を言いながら体を拭いてくれたり、

 排泄が一人ではできない私のおむつを、嫌な顔一つせず

 交換してくれる。

 勿論、女性である私には、もう必要もない生理もある。

 その世話も、おばさんがしてくれる。


 いくら、仕事とは言え…赤の他人の私の為に…

 それと、

 私の鼻は異常がないので、臭い匂いはよく分かる。

 私が、おばさんの立場だったらと思うと、

 申し訳なくて頭が下がる思いだ…1ミリも動けないけど。


 最初のうちは恥ずかしくて涙がまだ出たし、

 体も何とか揺する程度はできて、

 声も少しはうめきのように、ウオ、ウオって呟くぐらいはできた…


 正直、早く殺してって叫びだしたかった。


 でも、おばさんが泣きながら

「大変だねぇ、おばさんが何でもできる事はしてあげるから

 泣いちゃあいけないよ…」って言ってくれた。

 それから、何度も泣きたくなったり、死にたくなった事が交互に襲ってきたけど

 慣れた。

 慣れるしかなかった。


 中学生だった14歳で発症して既に3年。


 外では、すっかり桜が散ってしまって新緑の匂いが

 そろそろしてくるような季節となっていた。


 命の燃える匂いが、敏感になった鼻に漂ってくる。


 最初のうちには、クラスメイトがお見舞いに来てくれた。

 死体のように動かない私を見て、涙を浮かべて話かけてきたけど…


 進級や進学に伴って、一人、二人と減り続けて、そして、誰も来なくなった。

 

 最近では、両親ですら、あまり顔を見せなくなってきた。

 来ても、疲れ切った顔で私の体に縋りついて泣くだけ…


 ただ、幼馴染の慶介だけは、週に2・3回必ず見舞いに来てくれた。


 慶介は、隣の家の子でお世辞にもかっこいいとは言えない…


 身長でも17歳なのに160も無いし

 足も短いし、髪はぼさぼさ、ずんぐりした体形でもっさりしてる。


 メガネもダサイし、顔も不細工。でも、昔からの付き合いだし…優しい性格だった。


 見舞いに来ると、笑顔で優しく、元気だった時の昔話や、今の高校生活の事とか、

 反応のすっかりなくなった私に根気よく丁寧に話をしてくれる。


 私は、彼が話した事に答える事は出来なかったが、

 一字一句全部…覚えている。


 病室に置いてあるニュース以外はくだらないテレビ以外に楽しみの無い私に

 彼は、生きている実感を与えてくれる唯一の存在だった。


 だから、

 死ぬ前には、一度だけでもちゃんと話したい。

 夢だと分かっているけど、ありがとうぐらいは言いたい。


 でも、そんな地獄もそろそろ終わりそうだ… 胸が苦しい。


 三年間の間に何度も襲ってきた死の気配…

 でも、今回は間違いないようだった。


 さっき、先生が異変を知らせる信号を確認して

 

 酸素吸入器のマスクを、私に処置してくれた。

 酸素が口に入って少しは楽になった。

 でも、いずれ、お迎えが来るだろうと思った。

 

 私は、感じたんだ…明日が恐らく来ない事を…


「もって、2・3日です。早ければ今夜にも…」

 去年の秋ぐらいから、担当する医師が変わっていた。

 白い髪の人生経験の豊富そうな先生…部長って呼ばれてた。


 恐らく、長くこの病院に入院し続け、

 モルモットのように過酷な治療を受け続けさせてきた病院が、

 最後に落ち着いて逝けるように、

 気を使ってくれたのだろうかとも思った。


 でも、みんな必死な顔をしてた…何とか治そうとして…

 看護師さんの言葉からも、

 海外でもこの病気で有名な先生らしいから…最後まで頑張ってくれたんだ。


 私には苦痛で恥ずかしい思いもしたけど…

 一縷の望みにかけて必死に努力してきた先生達には

 恨み事など有りはしない…感謝しかない…


 でも、こんな状態になっても両親は来なかった。

 既に彼らの間ではとうの昔に死んでいるのだろうか…


 ただ、私のおむつを替えてくれるおばさんと、慶介が呆然とした顔で医者を見ていた。

 安心した…もう生きていなくてもいいんだ。


 ゆっくりと、溜息でもつきたい気持だったが、出来る訳が無い。



 その日の夜、


 慶介は、自分の家には帰らず、私が転がる病室にいた。

 家の方に連絡して、泊まっていく慶介にびっくりしたが、

 二つ返事で許可してくれた慶介の両親には感謝した。


 本来なら、身内でもない慶介が、死の間際に付き添う事など出来ないはずだけど、

 長い付き合いの先生達は、見て見ぬふりをしてくれた。

 

「大丈夫だ、ご両親は必ず来るから…安心しろ」

 って、彼からしたら、聞こえてるかどうか怪しい私に、必死に嘘を言っている。

 ありがとう…聞こえているよ。


 私の両親は、来る事は無かったが、恨む事は出来はしない。


 裕福でもない普通の家の両親が、

 高額な入院費を工面するためには、それこそ身を粉にして働いてきたんだ。


 何回か、面会に来た母さんの覗き込む顔は…

 疲れ切っていて、急激に歳をとったように感じたし


 父さんは、会社に無理言っていくつもバイトしているらしいから、

 私の事をないがしろにしている訳ではないだろう。


 この3年の間、両親も違う地獄でもがいていたと思う。

 ただ、納得できないだけなんだろう…これだけ必死に頑張っても

 娘を助けられなかった事を…そして、

 来たとしてもさ、私に、謝ることしかできないだろうから…


 ごめんね、もう少しで終わるからさ…


 地獄のような日々だったけど、一つだけ嬉しいことがあった。


 それは、孤独に死ななくて済むこと。 


 最後ぐらい誰かに傍にいて欲しい。そうじゃないと惨めすぎる。


 ハンサムじゃないけど…チビだけど…


 必死に私の手を握ってくれる慶介には、本当に感謝している。


 ありがとうと…

  


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