夜の帳を従える姫と、再会の王子
その日の夜。
家族が寝静まったのを見計らって、ランカシーレとコヨはこっそりと家の外へと抜け出ました。
「ラン、本当に行くのか?」
「はい。とはいえ、一晩限りですが」
ランカシーレは白い杖を振りかざし、あっという間に宝石が散りばめられて細かい刺繍が施された紅色のドレスを身にまといました。その脚はガラスのピンヒールを従え、その髪は星屑の結晶のようなティアラを冠していました。
「私と王子の二人だけでもう少しダンスを踊りたい、という気持ちを抑えることはできませんし、それに……」
ランカシーレは白い杖でドレスに触れ、ドレスを綿雲のように軽くしました。
「私が本当は誰なのか、を私が打ち明ける時を、殿下はずっと待ってくださっているような気がするのです」
「そうだろうな……。あんな変装までしておきながら、殿下はランの顔を見ただけでさっさと帰ったんだ。殿下はよほど気が長い男なのか、はたまた女を手玉に取るのが好きな男なのかのどちらかだ」
コヨがそう言うのを聞いてランカシーレはくすりと笑い、杖をネックレスに変えて首にかけました。
「ではお姉様、行ってまいります」
「行ってらっしゃい、ラン。楽しんでこい」
ランカシーレは夜の街の上を、豪奢なドレスひとつで飛び続けました。月明かりが煌々と照らす夜で、ランカシーレのドレスも星屑のように輝きました。
ランカシーレは空から王城に近づくと、一番奥の王室専用の棟に近づきました。そしてまだ灯りがともっている部屋の窓をちらりと伺いますと、部屋の中には銀髪でハシバミ色の瞳の男がろうそくを頼りに机に向かっていました。
ランカシーレはドレスの裾を掴み、その部屋の広々としたテラスにゆっくりと着地しました。
ピンヒールがカツンと音を立てたとき、男の部屋の中から猛禽の濁った鳴き声が何度も響き渡りました。ランカシーレは慌ててドレスの裾を掴んで辺りを見渡しましたが、やがて「どうどう、大丈夫だ。おそらく彼女だろう」という声とともに、あの銀髪でハシバミ色の瞳の男がテラスに現れました。
「ごきげんよう、ランカシーレ。それとも夜の女王とでもお呼びいたしましょうか」
「また会えて光栄でございます、殿下。ランカシーレとおよびくださいませ」
ランカシーレが一歩踏み出して再びピンヒールを響かせたとき、またも猛禽の濁った鳴き声が響き渡った。
「おっと、俺の相棒が焼餅を妬いているようだ。このままだと誰かに気付かれてしまうから、まずは来てくれないか?」
銀髪の男はランカシーレに右手を差し出しました。ランカシーレがそっとその手に左手を重ねますと、男はゆっくりと自室にランカシーレを案内しました。
「まずは相棒にちゃんと紹介しないとダメなようだ」
ランカシーレが見たものは、大きな鉄のかごに入っている薄茶色い斑模様の鳥でした。嘴は短く、体長は40センチほどでしたが、ときおり2メートル近くも翼を広げてはランカシーレを脅かすような眼で睨みつけていました。
「このハヤブサは俺が小さいころから一緒に育った子でね、俺が呼べばどこからでも飛んできてくれるんだ。加えて、俺が追いかけてほしいと命じた相手を、どこまでも追いかけてくれる。ときには、その相手の一部を千切り取ってしまうという困ったちゃんなんだけどね」
「この鳥が……ですか」
ランカシーレはそーっと近寄ろうとしましたが、そのハヤブサはランカシーレをギッと厳しい眼で睨みつけていました。
銀髪の男は言いました。
「ヤキトリ。もうこの女性を追いかけたり襲ったりしたらダメなんだ。分かったか?」
その言葉に、ヤキトリと呼ばれたハヤブサは甲高い声を出しておとなしくなりました。
ランカシーレは銀髪の男の言葉によって、舞踏会の帰りの空のこと思い出しました。
「このヤキトリさんは……きっと私を突きたくてしかたがなかったのでしょうね」
「ああ。ずっとこの子は、君のドレスの一部を千切って持ちかえって褒められたい、と思っていたことだろう」
ランカシーレはドレスの裾を軽くたくし上げ、ヤキトリの前で翻してみせました。しかしヤキトリはぴくりとも動きませんでした。
「ごめんなさい。ヤキトリさんが持ちかえったものは確かに私のものでしたが、ドレスではなかったのですよ」
「ああ、本当に驚いた。驚いてばかりだったから、ヤキトリが拗ねてしまって大変だった。だが一方で、翌日にはランカシーレの家まで辿りつけた。まったくもって、ヤキトリのおかげだ」
銀髪の男は、ランカシーレの肩に手をまわしました。
「ランカシーレ」
男はランカシーレを胸に抱き寄せました。
「もっと君のことが知りたい」
男の胸の中で、ランカシーレは頬を染めながら答えました。
「私も、もっとあなたのことを知りたくございます」
男はランカシーレの腰に右手をまわし、ランカシーレの左手を握りしめました。
「それじゃあ……ひとつだけいいかな」
男はランカシーレに告げました。
「二人だけの、舞踏会第二夜を執り行いたい」
その日の晩。
王子の部屋の灯りは消えたものの、王子の部屋のテラスからは何故か男女の笑い声が時折聞こえてきたそうです。
しかしそれでも良かったのでしょう。
なにしろ嫉妬深いことで有名な猛禽の相棒が、その事実を誰よりもしっかりと受け止めていたのですから。