差し出された肩掛けと、差し出された嘘
ランカシーレは夜の街の上空を必死で飛び続けました。途中で何度か鳥に突かれて痛い思いもしましたが、ランカシーレは一目散に自宅にたどり着きました。
ランカシーレがドレスの裾を押さえつつ自宅の庭に下り立ったときには、もう間もなく12時になろうとしていたときのことでした。ランカシーレはネックレスを握りしめて、
「ドレスよ、ティアラよ、靴よ、ネックレスよ、元に戻れ!」
と呟きました。するとランカシーレの体から星屑が弾けとび、ランカシーレは元の平民の姿に戻りました。
ランカシーレは白い杖を胸元に仕舞いながら、自宅に駆け戻ろうとしました。すると自宅の扉が勢いよく開いて、乱れ髪のコヨが大声で叫びながら出てきました。
「ランー! つまらないかくれんぼなんかよせ! 早く出てくるんだ! 風邪を引いたら大変なことになるんだぞ!? 頼むから……出てきてくれよ……!」
コヨの声がかすれそうになったときに、ランカシーレは慌ててコヨの前に暗がりから姿を現しました。
「お姉様! ごめんなさい! 私ったら、つい……!」
「ラン! どこに行っていたんだ! 心配したんだぞ!?」
コヨはランカシーレを強く抱きしめました。そしてコヨはランカシーレに告げました。
「お前のことだ。きっと私が貸したショールが飛ばされてしまったから、ずっと探していたのだろう?」
「えっ?」
ランカシーレはハッと気付きました。たしかにランカシーレは元の姿に戻りましたが、コヨが纏わせてくれたショールだけはどこにもありませんでした。
「いいんだ、ラン。あんな布きれより、ランが帰ってきてくれたことの方がよほど嬉しい」
「お姉様……」
コヨに抱きしめられる中で、ランカシーレの胸はちくりと痛みました。
翌朝のこと、ランカシーレはユカリとレビアから舞踏会の話を聞こうとしました。しかし当然のように、二人が口にするのは王子のダンス相手の話ばかりでした。ユカリは、
「王子に見初められたと言ってもいいくらいの女性がいたのだけれど、どこかへ逃げられてしまったらしいわ。王子が言うには『今の俺では彼女に拒まれるだけだ。自由な鳥には、自由な空が似合うものだ』ということなのだけれど、にわかには信じられないし……」
と肩肘をつきながらぼやいており、レビアに至っては腕を組んで、
「あの女性は庭から入ってきて、庭に出ていって消えた。つまりあれは王族の身内の誰かだ。王子が見初めたら結婚だの何だのというのは、すべて王族が仕組んだ八百長に違いない」
と的外れながらも手厳しい批判を下していました。ランカシーレは「まあまあ」と慰めつつ、同時に「舞踏会での女性がランカシーレと同一人物であると誰にも気づかれていない」という事実に胸をなでおろしました。
しかしランカシーレが安心したのもつかの間、ふいにレビアは不審なことを口にしました。
「でもね、昨日の女性を見つけるために、王子は捜索隊を結成して今日からその女性を探すんだって」
「えっ!?」
ランカシーレは思わず素っ頓狂な声を上げてしまいました。ランカシーレは慌てて、
「し、しかしそれは、その女性が王族の方だと思われるのが嫌で、王子はただ舞踏会でそう言ってみせただけなのではないでしょうか?」
と付け加えました。
レビアは「あたしも最初はてっきりそうだと思ったんだけれど……」と渋い顔で続けました。
「なにせ捜索開始場所がやたら変なんだよ。普通なら王城の近くとか、貴族の屋敷とかを順繰りに探していけばいいのにさ」
ランカシーレはレビアの言葉を、生唾を呑みこみながら待ちました。
「それなのに王子ってば、うちの通りから捜索を始めるんだって」
ランカシーレは思わず胸を押さえました。
「……お姉ちゃん?」
レビアが心配そうにランカシーレの顔を覗き込むので、ランカシーレは強がって答えました。
「いえ、少し昨日の夕方に身体を冷やしすぎたようです……。少し部屋で休んでまいります」
ランカシーレはそう言って、よろよろと自室へと向かいましたに出ました。
何故なのか、どこで知られたのか、何を間違えてしまったのか。ランカシーレは何度も自問しましたが、一向に答えは出てきませんでした。
ランカシーレはしばらく顔に手をあててベッドでうずくまっていましたが、やがて割り切ることにしました。「レビアですら昨日の私を別人だと思ったのだ。だとすれば捜索隊だろうが王子だろうが、昨日の私と今日の私を別の人間だと思うに違いない」と。
そう思うことで少し心を落ち着かせることのできたランカシーレは、ベッドの上で大きく伸びをしました。そして窓から見える玄関の近くに捜索隊と思われる兵士たちが見えても、ランカシーレが大きく動揺することはありませんでした。
甲冑姿の捜索隊の兵士長はアハトヴォルケン宅の門の入り口にて、ユカリに説明を施しました。もし昨日の舞踏会に来た女性がいれば、必ず全員顔を見せてほしい、と。
ユカリは「ご苦労様です」と兵士長に告げて、玄関先でそわそわしていたレビアだけを呼びました。玄関の物陰で様子を見ていたランカシーレは、それを聞いてほっとしました。これならランカシーレが捜索隊と顔を合わせることは無かろう、と思えたからです。
しかし現実は違いました。
「ではレビア嬢以外の娘様達は、昨日の舞踏会に来ていなかったわけですね?」
兵士長は声を張りあげました。
「では他の娘様をご紹介願えますか?」
その声を聞いて、ランカシーレは心臓を冷たい手で鷲掴みにされたかのような心地に陥りました。コヨは、顔色の悪いランカシーレの背中を擦りながら、
「なんならランは、ここに残っていてもいいんだぞ?」
と言いましたが、ランカシーレは「ここで怪しまれるようなことなどできまい」と思い、コヨの腕に掴まってよろよろと立ち上がりました。
門から戻ってきたレビアは「一体あたしは何のために呼ばれたんだ」と口をとがらせていましたが、コヨに連れられたランカシーレの真っ青な顔を見て口をつぐむよりほかありませんでした。
兵士長は門の前にランカシーレとコヨを立たせました。そして兵士長はずっと持っていた麻袋から、ひと巻の紅色のショールを取り出しました。それは紛う方無き、昨晩何故か現れてこなかったコヨのショールでした。
「このショールの持ち主を探しています。聞けばこのショールを作るための糸を買った女性が、コヨ嬢だと聞いています。……違いますか?」
兵士長がコヨに尋ねるのを聞いて、ランカシーレは歯を食いしばってぎゅっと目を瞑りました。
どうしてあのショールが彼等の手の中にあるのだろうか。真偽のほどは分からないが、可能性はたくさんある。たとえばドレスの一部が城のどこかで千切れてしまっていたならば、杖の効力が切れるとともにそのドレスの一部がショールへと戻っていてもおかしくない。
もし今杖を使って兵士長の手にあるショールを吹き飛ばしてしまえば、事態を有耶無耶にすることもできる。しかし捜索隊という特別な兵士たちを束ねる兵士長が、まさかアハトヴォルケン家の門の前で大事なショールを風に飛ばしてしまうことがあろうか。そうなれば、その光景を知る誰もが、アハトヴォルケン家のランカシーレこそがやはり怪しい人物だ、と思うに違いない。そしてそれは、ランカシーレ自身が昨日の女性に他ならない、と自ら主張していることと何が違おうか。
「今日で私の人生は終わるのだろうか」ランカシーレは自問した。「私は所詮、没落した貴族の娘に過ぎない。そんな何の後ろ盾も無い娘が、王子の妃など務まるはずがない。ひとたびアハトヴォルケン家の皆の届かぬ王宮に入ってしまえば、どれほど王子が私を守ろうとも、私は家族と会えなくなってしまう」
ランカシーレはぎゅっと手を握りしめた。
「愛する家族とまた離れ離れになるだなんて、耐えられるはずがない。私はどうすればいいのだろうか――」
そのとき、コヨはランカシーレにちらりと目をやりました。そしてコヨは、強い語気で兵士長に告げました。
「そのショールは私のものじゃない」
ランカシーレは思わず顔を上げて、コヨの険しい横顔に目を見張りました。
「たしかに私はそういう色合いのショールを作った。ここのところずっと身に付けていたのも事実だ。しかし昨日のこと、私は自分のショールを燃やしてしまったんだ。たき火をしていたときに、うっかりと。だからそれは私のショールではありえない」
ランカシーレは息を飲みました。そしてさらに驚いたことに、兵士長はコヨの言葉に丁寧に答えました。
「そうでしたか。失礼しました。無礼な邪推をお許しください」
兵士長は甲冑姿のまま、頭を下げました。そして兵士長はおもむろにランカシーレの傍に歩み寄り、頭部甲冑を脱いで言いました。
「ということは、当然このショールはこちらのランカシーレ嬢のショールでもない、ということになりますね」
それは憐れむようでいて、それでいて微笑みをたたえているような、ハシバミ色の瞳の兵士長の素顔でした。その兵士長の髪の色こそ金髪に見えますが、一部に金色に染めそこねられた銀色の髪がちらほら見えておりました。
もうだめだ。全て見透かされてしまっているんだ。
そう思うと、ランカシーレの目から一粒の涙がこぼれでました。
しかし兵士長は頭部甲冑をかぶりなおし、ランカシーレから目を離して淡々と言いました。
「どうやらランカシーレ嬢を泣かせてしまうほどに、我々は彼女たちを怖がらせてしまったようです。これにて引きあげましょう。ご協力ありがとうございました」
兵士長は振り返ることすらなしに、兵士たちを連れてアハトヴォルケン家の門の前から去っていきました。
残されたランカシーレは、コヨの隣でただただ涙を流すばかりでした。