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綿雲のドレスと、それをもたらした白い杖

 ある王国には、不思議な杖に関する伝承がありました。なんでもその杖を手に入れるとなんでも願いが叶うようになるのです。しかし同時に、酷い呪いにかかってしまうとも言われていました。

 そんな杖などあるわけなかろう、と人々が当たり前のように思い始めたころのこと、このお話は始まります。









 昔々、ゴットアプフェルフルスという小さな王国がありました。

 ある日のこと、ゴットアプフェルフルス王国の王都プローンネームにて、アッペンツェラー伯爵が高熱のため倒れてしまいました。傍若無人で有名だった伯爵でしたが、なんと川で溺れかけていた愛娘を助けるために自ら川に飛び込んだがゆえに、厄介な病気を悪化させてしまったからです。

 貴族達はアッペンツェラー伯爵の強い家族愛を認めましたが、愛娘の声も虚しく、アッペンツェラー伯爵はやがて帰らぬ人となりました。

 王国の決まりにより、爵位継承の資格を持たないその十七歳の娘は、屋敷を手放さざるをえませんでした。まもなくその娘は、古くからアッペンツェラー家と深い親交のあった家庭に引き取られることになりました。

 その娘の名前はランカシーレといいました。太陽の輝きを持つ長い金髪に、白磁のような肌、ハシバミ色の瞳に、リンゴのように赤く熟れた唇をしており、たいそう気立てが良く、とても心優しい娘でした。


 その娘の引き取り手はアハトヴォルケン家という、一人の寡婦と二人の娘からなる家族でした。

 アハトヴォルケン家の母であるユカリは、麦色の長い髪をたくわえた壮年の女性でした。ランカシーレが「何でもできることがあれば言いつけてほしい」と頭を下げて告げたときも、ユカリはランカシーレに優しく微笑んで言いました。

「あなたは私たちの家族だから、気を遣う必要なんて無いわ。やるべきことはみんなでやりましょう。それに今日から私はあなたのお母さんなのだから、いくらでも甘えていいのよ」

 それを聞いて、ランカシーレは思わずユカリに抱き着いておいおいと涙を流しました。数年前に亡くした母親の姿をユカリに重ねることで、ランカシーレの心がどれほど癒されたことでしょうか。ランカシーレは「ありがとうございます、お母様」と呟きながら、何度もユカリに撫でられていました。

 アハトヴォルケン家の長女であるコヨは、ランカシーレよりも少し年上でした。銀河のように長い髪を束ねつつ、コヨは毎日畑仕事に精を出しては、たくさんの野菜を育てていました。ランカシーレがそれを手伝おうと申し出ると、コヨは、

「ランは手が綺麗だから、手にまめができるような仕事はしないほうがいい。どうしてもというのなら、ときどき冷たい布を持ってきてくれると嬉しい」

と泥だらけの顔で答えました。ランカシーレは言われた通りに綺麗な布を水に浸し、焼き菓子とジュースを持ってコヨのところに行きました。するとコヨは焼き菓子にかじりつくやいなや、

「おいしい! ランは気が利くし、いいお嫁さんになれるぞ! それも、そこらへんの貴族の夫人なんてランには役不足なくらいだ! あっはっは!」

と豪快に笑ってランカシーレを抱きしめました。ランは思わず笑みをこぼし、涙もこぼし、そのままコヨの胸で泣きつづけました。コヨは、

「つらいことも多いだろうが、私はランの姉だ。どれだけ時が経ようとも、姉は妹を助けるものだ。気が済むまで泣くといい」

と言って、ずっとランカシーレの背中を擦ってあげていました。

 アハトヴォルケン家の末女は流れるような長い黒髪を持つレビアといい、ランカシーレより少し年下で背も少しだけ低いものでした。しかしレビアは掃除に洗濯、それに料理に使う新鮮な野菜や牛乳の運び手としてとても優秀でした。そしてそれらの食材でランカシーレが料理を作ると、レビアは何の躊躇いも無く、

「おいしい! 今まで食べた何よりもおいしいよ!」

と言ってはランカシーレに微笑みかけました。ランカシーレは嗚咽交じりの声でレビアに応えるので精いっぱいでした。


 ある日のこと、近々お城で舞踏会が行われるというお触れが出ました。しかもそのお触れによると、舞踏会で王子に見初められた女性は王子と結婚できるというのです。

 畑にてランカシーレからその話を聞いたコヨは、自信満々の表情でランカシーレに言いました。

「王子の相手として、ラン以上に相応しい相手がこの街にいるものか。ランは舞踏会に行くべきだ」

「ありがとうございます、お姉様。私も王城主催の舞踏会には憧れておりますし、王子と踊ってみたいものでございます」

 ランカシーレはしみじみと言いましたたが、やがて顔を曇らせました。

「しかし……たいていの貴族は知っているはずです。私が没落した貴族の娘であるということを」

「そうか……それじゃあせっかくの舞踏会も楽しくないだろうな」

 コヨはランカシーレを丸太に座らせ、自身もその隣に鍬とともにどっかと腰を下ろしました。

「じゃあ、ランが舞踏会に行かないというのなら、私も舞踏会に行く意味が無いな」

「何故です?」

「興味が無いからだよ。ダンスに限らず、偉い人たちが偉い人のために何かを行う場所なんて、私には絶対に合わない」

 コヨは頭の後ろで手を組んで、空を見上げました。

「いちおうランに不埒な奴が近づかないようについていくつもりではあったけれど、ランが行かないのなら話は別だ」

 そしてコヨはランカシーレの頬に手を伸ばし、その硬い手の平で撫ぜました。

「それにこうして畑でのんびりとランと話をしているほうが、私は好きだよ」

 その言葉を聞いて、ランカシーレは黙って俯きました。しかしランカシーレの表情は、すこし安堵したものでした。


 舞踏会の日のこと、ランカシーレの事情を聞いたユカリは、

「じゃあ……招待されているのに誰も行かない、というのは王室に失礼だろうから、私とレビアだけで行ってくるわね」

と言い、レビアはレビアで、

「あたしが王子と結婚できなかったら、お姉ちゃんは料理であたしの心を癒してね!」

と都合のいいことを言いながら、馬車で出かけていきました。ランカシーレとコヨは手を振りながら、ユカリとレビアの乗せた馬車を見送っていました。

 コヨはランカシーレに向いて言いました。

「最近は冷え込みが酷いらしいし、家に入ろう」

「お姉様……私はもう少し、お墓の前でお父様やお母様とお話をしたくございます」

 ランカシーレは意味深長な返答をしました。しかしコヨは「そうか」とだけ呟き、自分が纏っていた紅色のショールをランカシーレの肩にかけて、家の中へと入っていきました。

 ランカシーレはショールを握りしめながら、家の裏庭に向かいました。そこには小さな石と、小さな木の枝がささった墓標がありました。

「お父様、お母様……」

 それはランカシーレの産みの親の墓でした。亡骸こそそこにはありませんが、墓標だけはランカシーレが大事に持ってきたのです。

「今の私は、親切な家族に恵まれています……。本当に感謝しております……」

 ランカシーレは墓に向かって呟きました。

「お父様やお母様がいなくなって寂しくございましたが……今ではもう立ち直ることができました……」

 ランカシーレの目にいつのまにか浮かんでいた涙が、ぽつりと石に落ちました。

「できることなら……お父様やお母様にもこの幸せを分けてさしあげたくございました……」

 ランカシーレは両手を墓標の前につき、こうべを垂れました。亡き両親への恋しさは、どんなに幸せな暮らしを送っていても、決して癒えることがなかったからです。

 ランカシーレは肩を震わせながら、何度も何度も父と母の名をつぶやいては涙をこぼしていました。


 そのときでした。


 ランカシーレの背後でパキッと小枝の折れる音が響きました。

 ランカシーレが体勢を立て直して慌てて振り返ると、そこにはフードをかぶった老婆がいました。腰はずいぶんと曲がっており、フードの影から鷲鼻が見え隠れしていました。ランカシーレは涙を拭い取りながら老婆を睨みつけて、

「どなたでしょうか!」

と誰何しました。敷地内に勝手に入ってきたその老婆が危険なものを何も隠し持っていない、と安易に信じることなどできなかったからです。しかし老婆はしゃがれた声で、思いもよらぬ返答をしました。

「私は、ランカシーレ、あなたの名付け親です」

 思わず目を見開いたランカシーレに、老婆はおぼつかない足取りでゆっくりと近づきながら言いました。

「名付け親として、ランカシーレ、あなたを親に会わせたいと思うことは何度もありました。死に人を生き返らせることは叶わぬと知りながらも、どうしても、どうしても、と。しかし叶えられないならば、ランカシーレ、別の願いを叶えるべきだと私は思い立ちました」

 老婆はその皺だらけの手で、懐からゆっくりと一本の細くて白い杖を取り出しました。長さにして手の平二つ分ほどでしょうか。白樺の細枝でできているかのようなその杖を、老婆はランカシーレに向けました。

「この杖で、ランカシーレ、お前の正体を誰にも分からなくしてあげましょう」

「それは、どういう意味です……?」

 戸惑いを隠せぬランカシーレの問いに、老婆は穏やかに答えました。

「つまり、ランカシーレ、舞踏会であろうとも自分自身が誰なのかを知られずに済むということです」

 ランカシーレは生唾を飲みこみました。老婆は落ち着いた声で続けました。

「アッペンツェラーという家名から離れて、ランカシーレ、一人の淑女として舞踏会に行くことがあなたの今の願いでしょう?」

 老婆がその白い杖でランカシーレの肩をぽんと叩くと、杖の先から星屑のような光がこぼれました。

「これで今夜の12時まで、お前をランカシーレと知る者はいなくなりました。これでよいですかな?」

「ありがとうございます。……でも……」

 ランカシーレは、ドレスに着替える時間や王城にたどり着くまでの時間を思案していました。しかし老婆は再びランカシーレに白い杖を向けて言いました。

「まずは、ランカシーレ、とびきりのドレスを用意してあげましょう。ほれ」

 老婆が杖を振ると、杖の先から星屑のような光がほとばしってランカシーレの体を取り巻きました。それらはまばゆく輝いたかと思うと、一瞬のうちにランカシーレの服をフリルと刺繍がふんだんに施された煌びやかな紅色のドレスになりました。

「靴とティアラも……ほれ」

 老婆が杖を振ると、ランカシーレの髪に星屑の光がきらめき、一瞬ののちにただの髪留めをどんな貴族の娘も持っていないようなティアラへと変えました。そしてランカシーレがドレスをたくし上げると、ランカシーレの靴に星屑が取り巻いてあっという間にガラスの靴に変えてしまいました。

「時間も惜しかろう。ほれ」

 老婆が最後に杖を一振りして星屑のような光をランカシーレのドレスに纏わせると、ドレスが急に綿雲のように軽くなり、ランカシーレの体がふわりと浮くのを感じました。

「これで空を意のままに飛べるでしょう、ランカシーレ。たとえ12時が迫ろうとも、これならいくらでもここに帰る方法があることでしょう」

「ありがとうございます、名付け親の……ええと……」

 昂ぶる息を抑えながらランカシーレが名付け親に名を尋ねようとすると、

「では私はこれで」

と言って老婆は杖を振り、その場から姿を消してしまいました。ランカシーレが呆気に取られていると、なんと名付け親の老婆が持っていた白い杖だけが地面に取り残されていました。

 ランカシーレはドレスをたくし上げながら駆け寄り、白い杖を手に取りました。

「……ありがとうございます、名付け親様」

 ランカシーレは杖の形をネックレスに変え、地を蹴って空へと舞いあがりました。

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