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第八

ドンドンドンドン。

階段をあがってくる音。

俺は夢うつつの中でそれを聞いていた。

ノックも無く、部屋の扉が開かれる。

「やっぱりまだ寝てる!」

あかりの声。寝てて悪いかよ。夏休みなんだぞ。

「ほら、早く起きて!」

頭までかぶっていたタオルケットを一息にはがされた。

「何だよ、夏休みまで起こしにくるなよな」

「それが毎朝起こしてあげてる幼なじみに言う台詞?」

あかりは腰に手をあてて、頬を膨らませる。

「起こしてくれって頼んだ覚えは無いぜ」

俺はまた、タオルケットをあかりから奪い取って頭からかぶる。

良い夢を見ていた気がするのに、まったく起こしやがって。

「駄目!二度寝したらもう何時間でも寝ちゃうんだから」

あかりは再びタオルケットを剥ぐ。

「あのさあ、お前、夏休みなんだから他に行って遊べよ。誰か起こしたいんなら他のやつを起こせ」

「他の人なんていないもん。わたしは健ちゃんを起こしたいから起こすの」

「起こしたいって何だよ」

「だって、寝起きの健ちゃんの顔、好きなんだもん」

全く、これだ。

躊躇も無く、あかりは平気で好きとか言う言葉を口にする。

「そんな簡単に好きとか言うな」

「何で?」

「何でも」

あかりはまた頬を膨らませる。

「だって、本当なんだもん」

しょうのないやつだ。

「ねえ、健ちゃん、今夜の花火、一緒に見に行こうよ」

「っていうか、今何時だ?」

俺は時計を探した。あれ?夕べ置いた場所に時計がない。

「10時20分だよ」

代わりにあかりが答えた。

「10時20分!?お前な、こんな朝から起こすんじゃねーよ」

「朝じゃないよ、もうすぐお昼だよ」

「俺にとっては朝なんだよ!」

ドンドンドン。

また階段を上がってくる音がする。

ドアをノックすることもなく、部屋に顔を出したのは妹の真由だ。まあ、ノックしようにもあかりが開けっ放しにしてたから仕方ないって言えば仕方ないけど。

「あ、こんにちは、あかりお姉ちゃん」

真由はあかりにぺこりと頭を下げる。家が隣同士だったから、子供の頃からよく遊んでいた。そのせいで、真由はあかりのことも、「お姉ちゃん」と呼ぶ。

「お兄ちゃん、ご飯出来たよ」

「ああ、タイミングいいな、お前」

「何年お兄ちゃんの妹やってると思ってんの?あかりお姉ちゃんの分もあるよ」

「あ、わたしは大丈夫。朝ご飯、食べたから」

真由は指でオーケーサインを出して笑った。

「そんなの分かってるって。あかりお姉ちゃんには、美味しい紅茶、用意したんだ」

「わ、嬉しい!」

手のひらを合わせて微笑むあかり。

「あ、そうだ。お兄ちゃん、今夜の花火大会、一緒に行かない?」

真由が思い出したように言う。その言葉を聞いて、あかりも思い出したようだ。

「あ、そうだった。健ちゃん、どうするの、花火大会」

「どうするもこうするもないって。残念ながら、先客が居るんです」

俺は仕方なくベッドから降りながら、あかりと真由に言った。

「嘘!ずるい!誰と!?」

あかりと真由が殆ど同時に言う。

「教えない」

俺がそう言うと、あかりと真由が同時に頬を膨らませた。


真由が作った朝食は和風だった。

ご飯に、みそ汁に、卵焼き、それから納豆。やっぱ、日本人はこうでなくちゃいけないよな。

しかも、俺が言うのもなんだけど、真由は料理がうまい。

「美味しそうなにおい」

あかりが紅茶を飲みながら言う。

「真由ちゃんはほんと、お料理が上手だよね。それに比べたらわたしなんて…」

そう言ってしょんぼりするあかり。

実際あかりは料理が下手だ。一度、俺の弁当を作ってくれたことがあるけど、これが完食するのが拷問に思える味だった。

「おいしい?朝早く起きて作ったんだよ」

そう横で微笑まれると、食べない訳にはいかない。とにかく口に詰め込んでいく俺。

これは何だ。卵焼きか。卵焼きに見えなくもないが、ただの黄色い謎の物体にも見える。しかも、卵焼きってこんな風に不味く作れるのか。ある意味才能だ。

「ちょっと味見させて」

あかりはそう言って、また何だか分からない物体を口に入れた。それから、顔をしかめて、

「わわわ!駄目!健ちゃん、もう食べないで!」

そう言って俺の手から弁当箱を奪った。

その日は一日あかりの落ち込みようは半端じゃなく、ずっと「ごめんね」と言い続けていた。

「あかり、明日の宿題なんだけどさ」

「ごめんね」

「今日帰ったら見たいテレビあるんだよな」

「ごめんね、美味しくないお弁当なんて作っちゃって」

「帰り、どこかに寄ってくか?」

「ごめんね、わたしにはお料理する資格なんてないんだ」

こんな具合だ。

それ以来、あかりは料理をしなくなった。

まあ、あの弁当を再び食べさせられる事を考えると、良いって言えば良いんだけど、こう自分を卑下されすぎると何かこう罪悪感を覚えるんだよな。

料理以外の事については、あかりは完璧だ。

まず、可愛い。若干幼児体型なところはあるけど、スタイルも良い。成績もクラスでいつも一番二番ってところだし、運動も得意ってほどじゃないんだろうけど、音痴ってほどじゃない。

学校でもあかりのことを狙ってる男は結構いる。

でも、全部断ってるらしい。

だから、あかりは俺とつきあってるらしいって噂がまことしやかに囁かれている。

実際にはつきあってないんだけど、広まってしまった噂は中々消せない。


だからだ。

だから、俺は驚いたんだ。

細川に花火大会に誘われたなんて。

俺は細川のことがずっと好きだった。

でも、告白するなんて考えた事もなかった。

クラスでちょっと軽口を叩き合うみたいな、今の関係のままがいいって思ってた。


「ねえ、健ちゃん、誰と花火見に行くの?」

あかりの声で俺は我に返った。見ると、あかりが心配そうな顔で俺を見ている。

「誰だっていいだろ、秘密だよ、秘密!」

俺はそう言って残りのご飯をかき込んだ。


「大橋君、ごめん、待った?」

待ち合わせ場所は学校の近くの喫茶店だ。俺が紅茶の二杯目をちょうど飲み終わったところで、細川がやってきた。

学校の近くの喫茶店を待ち合わせ場所にしたのは、夏休みの今、かえって誰かに見られる可能性が低いだろうという理由からだ。


「だって誰かに見られたら、恥ずかしくない?後で噂になっちゃったりするの」


別に俺は噂になっても構わないけど。細川と噂になるなんて名誉なことだ。まあ、それはいい。

とにかく、待ち合わせ場所は学校近くの喫茶店。

で、今、細川が現れた。

勿論、浴衣だ。

花火大会と言えば、浴衣だよね。

濃紺の生地に、黄色い花がデザインされている浴衣だった。髪をいつもより高い位置で揺っている。

いや、つまり可愛いんだよ。

「何飲んでるの?」

「紅茶だけど」

俺が答えると、細川が笑った。

「あはは、何か可愛いね」

「しかたないだろ、コーヒー、苦手なんだよ」

「あはは、可愛い、大橋君」

聞いちゃいない。

「わたしも何か頼んでいい?走ってちょっとのど乾いちゃった」

「勿論良いよ」

細川はテーブルの上に乗っていた小さなメニューに軽く目を通すと、手を挙げた。

「すみませーん、メロンソーダください」

「細川だって可愛いじゃん」

俺がそう言うと、細川はちょっと体を乗り出して、真剣な顔をした。

「可愛いって、メロンソーダの事?それとも、わたしのこと?」

「…ああ、うん、勿論、細川が、だよ」

細川はしばらく真剣な顔で俺を見つめた後、口を開けて笑った。八重歯がちらりと見える。

「嘘だあ」

「嘘じゃないって」

「あはは」

メロンソーダが運ばれて来て、細川は真剣な顔をして上に乗っているアイスクリームを食べた。

「太っちゃうって思ってもやめられないんだよねえ」

アイスクリームを食べ終わって、ソーダをストローで飲みながら、細川は笑った。

「別に細川、太ってないだろ」

「そんなことないんだって、うち、太る家系なのよね」

「だから太ってないってば」

「大橋君、わたしの体、見た事あるの?」

「…は?」

「見た事無いでしょ?女の子はね、服を脱いだら、結構違うもんなんだからね」

「そ、そうなの?」

着やせするタイプってこと?そんなこと言われても分からん。

「いつか見せてあげるね、機会があったら」


二人で喫茶店を出て、商店街を歩いた。

「あ、細川、こっち」

俺はそう言って、細川の手を掴んだ。

「え、会場、そっちじゃないよね」

「会場よりも、こっちの方がよく見えるんだよ。マンションの屋上なんだけどさ」

「マンションの屋上?」

「そう、管理が行き届いてないのかさ、住人じゃなくても入れちゃうし、屋上にもあがれちゃうの」

「それ、危ないわね。そんなマンションに住みたくないな」


目的のマンションについて、俺たちはエレベーターと階段を使って、屋上に出た。

ちょうど、花火があがるところだった。

一つ目の花火が打ち上げられた。

「細川、あっちだよ」

俺が指差す方を見る細川。

夜空に、花火が開いた。

「うわあ」

細川が感嘆の声を漏らす。

「な?よく見えるだろ?」

「うん、こんなマンションには住みたくないけど、これはいいね。花火見物には最高の物件」

二つ目、三つ目の花火があがっていく。

花火が色とりどりの光を放つ度、細川の顔がその照り返しで映える。

可愛い。

いや、奇麗って言った方がしっくりくる。

「何?」

急に細川が俺の方を向いて、言った。

「私の顔に、何かついてる?」

「いや、そういうわけじゃ…」

奇麗だって思ってたなんて、言えるわけない。

目をそらすと、細川はさらに覗き込むようにして、俺の顔を見る。

「そういうわけじゃなくて、なに?」

「何でも無いったら」

「そうかなあ?何でも無いって感じじゃなかったけどなあ。すごく真剣な顔してたもんなあ」

歌うような調子をつけて言う細川。

まったく、分かっててからかってるんじゃないだろうな。

俺はちょっと細川の困る顔を見たい、そんな気持ちになっていた。

俺ばかりこんなふうに困らされるなんて、俺のキャラに合わない。

それなら、俺にだって考えがある。

「細川の顔を見てたんだよ」

ずばり、直球だ。

どうだ、たじろげ!

…。

……。

………。

たじろぐどころか、細川はそのまま俺の目をまっすぐに見返して来た。真剣なまなざし。

そして、そのまま顔を近づけて、俺の頬に軽く唇を触れて、言った。

「知ってたよ、そんなこと」


俺と細川は結局つきあうことになった。

夏休みが終わり、新学期が始まると、俺と細川の仲もあっという間に噂になった。

「恥ずかしいって思ってたんだけど、ばれちゃったら仕方ないね」

細川が俺の机のところで、そう言って笑った。

そのまぶしい笑顔の背後に、俺は俯いているあかりの姿を見た。

俺と細川がつきあっているという噂が広まると同時に、あかりのところに、何人もの男がやってきて、交際を申し入れているらしいということを俺は聞いていた。

でも、その誰にもあかりは承諾しなかったらしい。

「気持ちは嬉しいけど、ごめんなさい」

あかりはいつもそう言って悲しげに笑うらしい。

振られたやつの中には、俺が細川とあかりを二股かけていると思い込んで殴り込みに来たのも居た。

「お前、ふざけんじゃねえ!」

俺を殴ろうと手をあげたその男の前に、あかりが飛び込んできて、泣きながら言った。

「ごめんなさい!違うの!健ちゃんは関係ないの!」


あかりのことが心の片隅で気になりながらも、俺は細川との関係に有頂天になっていた。

「明日、お弁当、持ってこなくていいからね」

そう言った翌日、細川は俺の弁当を作って来てくれた。

かわいらしい柄の布地で包まれた弁当箱の中身は、これまた可愛らしいものだった。

しかも、美味い。

「おいしい?」

「すごく美味い!」

「朝早起きして作ったんだよ」

そう言って笑う細川。

「でもさ、これちょっと可愛すぎるんじゃないの」

俺は弁当箱を包んでいた布地を見ながら言った。

すると細川は笑った。

「どっちが?お弁当?わたし?」

「どっちも」

「ははは、バカだなあ」

俺たちは二人して笑った。

学校の中庭。

ふと顔をあげると、俺たちの教室が見えた。

そして、その窓に寂しそうな顔をしているあかりの姿も。


10


目覚まし時計が鳴って、俺は目を覚ました。

部屋の窓からの見える空は、どことなく寒々しかった。

夏が終わり、秋が来たのだ。

秋は、ひっそりとやってきた。誰にも気づかれないように、忍び足でやって来たという感じだった。

今日までが夏で、明日からは秋です。そんな風に季節は教えてはくれない。

気がつくと蝉の鳴き声は聞こえなくなっていて、木々の葉はいつの間にか、紅くなった。

俺が細川とつきあうようになってから、あかりは俺を起こしに来なくなった。

当たり前のことだけど、あかりは遠慮したのだ。

ドンドンドン。

階段を上ってくる足音がする。

勿論、あかりの足音じゃない。

「お兄ちゃん、ご飯出来たよ」

真由が顔をのぞかせて言った。


何となく、真由との食事も以前に比べて、静かになった。

真由も、細川に遠慮しているのだ。

妹の癖に、兄の恋人に遠慮するというのもおかしなものだが、そうなのだから、仕方が無い。

今でも、俺の留守に、あかりはこの家に遊びに来たりはしているらしい。

真由は多くを語らなかったが、あかりは何かの弾みで、泣いたらしい。

幼い頃から一緒に遊んでいる真由の前で、こらえきれなくなったのだろう。


「あのさ、お兄ちゃん。あかりお姉ちゃんのこと、嫌いになったんじゃないよね」

真由が食事の時、俺にそう言った。

「当たり前だろ。嫌いになんか、なるわけないだろ」

「そうだよね。あのさ」

そう言って、真由はしばらく黙り込んだ。

「なんだよ」

「うん、あのさ。あかりお姉ちゃんのこと、恋人じゃなくても、お兄ちゃんが誰とつきあってても、ずっと好きでいてあげてね」

真由は言いにくそうにそう言った。


当たり前だ。

あかりは、幼なじみで、毎朝頼みもしないのに俺を起こしに来て、料理が下手で、でも可愛くて…。

嫌いになるはずが、ない。


「当たり前だろ」

俺はそう言うと、卵焼きを口に放り込んだ。

甘い味が口に広がる。

…。

……。

何かが違う。

俺の中に違和感が広がった。

何が違うんだ?

そうだ。

この、卵焼きの味だ。

真由は卵焼きに、砂糖を使わない。

「…真由、この卵焼き」

俺がつぶやくと、真由は静かに笑った。

「卵焼きだけじゃないよ。今日のご飯、全部あかりお姉ちゃんが作ったの」

「…え?」

「健ちゃんが笑っていてくれれば、わたしはそれで良いって」

「…」

「でも、お料理で、一度でいいから、美味しいって言ってもらいたいんだって」

「…」

「いっぱい練習したって。だから今日、あかりお姉ちゃん、早起きして、ご飯作ったの。お兄ちゃんにばれないように、こっそり」

卵焼きに見えない、謎の黄色い物体。

あの弁当のことを思い出す。


「おはよう、起きて」

そう言いながら無理矢理俺の布団を剥いで微笑むあかりの顔を思い出す。

笑う細川の背後に見えた、俯いたあかりの顔を思い出す。

中庭から見えた、あかりの顔を思い出す。


「…」

自分でも気づかないうちに、俺は立ち上がり、家を飛び出していた。

そのまま、隣のあかりの家のチャイムを押す。

返事を聞く前に、俺は玄関を開けて、あかりの部屋に向かって階段を駆け上がった。

昔からよく来た家だ。

あかりの部屋の扉を開けた。

ベッドに腰掛けて窓を見ているあかりの姿が目に飛び込んで来た。

その手、指には絆創膏が貼ってあった。

あかりは俺に気づくと、その手をさっと背中に隠した。

「健ちゃん…」

震える声。

俺は黙って部屋を横切り、あかりを抱きしめた。

「…健ちゃん?」

「ばか」

「何が?」

「お前はばかだ」

「うん、わたしはばかだよ」

あかりはそう言うと、堰を切ったように泣き始めた。

「細川さんと健ちゃんがつきあうまで、こんなに健ちゃんのこと、好きだなんて分からなかったもん。自分の事なのに、ぜんぜんわからなかったんだもん。わたし、ばかだよ」

俺はあかりを強く抱きしめた。

「俺も馬鹿だ」

「わたし、ばかだよ」

「俺の方こそ、馬鹿だ。あかりのことが好きだった。今まで、気づかなかった」

「ばか」

「馬鹿だ」

まぬけな話だけど、俺たちは自分たちのことを、馬鹿だと言いながら、泣き続けた。


次の日からは、修羅場だった。

細川に、俺はもうつき合えないと言った。

勿論、細川は泣いた。

「どうして?」と何度も俺に聞いた。

「ごめん」としか、俺は言えなかった。


あかりと俺は、こっそりと付き合い始めた。

あかりには悪いが、細川の手前もあるし、あまりおおっぴらには出来なかった。

「いいよ、別に」

あかりはそう言って笑った。

だから、デートと言えば、あかりの家か、俺の家だった。

でも、よく考えたら、昔通りなだけだったけれど。


その日、家に帰ると、鍵がかかっていた。

真由はまだ帰っていないらしい。

「めずらしいね、真由ちゃんが遅くなるなんて」

「まあ、こういうこともたまにはあるだろ」

「真由ちゃんの好きな番組、録画しておいてあげなくちゃ」

「そうだな」

俺は鍵を取り出した。

「あ」

あかりが声を出した。

「何だよ」

「そのキーホルダー」

あかりが指差す。

それは、中学の時に修学旅行で買ったキーホルダーだった。

「ああ、もう大分くたびれてるけどな」

「違うよ、健ちゃん、忘れちゃったの?」

あかりはそう言って、制服のポケットから、何かを取り出した。それは、携帯だった。ストラップの代わりに、キーホルダーがつけてあった。俺のと、同じキーホルダー。

「修学旅行の時、一緒に買ったんだよ」

「そうだったっけ?」

「もう、忘れやすいんだから」

そうだったっけ?


家に上がり、リビングでテレビをつけた。真由の好きなバラエティ番組を録画する。

画面では、アニメが流れていた。

魔法少女もののようだ。三人の少女が、それぞれのコスチュームに身を包んで、敵と戦っている。

「なにこれ?面白そう」

あかりは興味をそそられたようで、身を乗り出している。

「こんなの子供の番組だろ。お前いくつだよ」

「別にいくつだって面白そうなものは面白そうだもん。へえ、これ、学園コンフィデンシャルって言うんだ。コンフィデンシャルって、何だっけ?」

学園コンフィデンシャル?

初めて見る番組だ。勿論、タイトルも初めて聞く。

なのに、この既視感は何だろう。

俺は以前、どこかでこの番組を見た事があるような気がする。

いつだろう。どこでだろう。

「あ、そうだ。コンフィデンシャルって、秘密って意味だ。良かった、思い出して」


良かった、思い出して。

あかりのその言葉が妙にひっかかる。

思い出す。

何を?


夕暮れを背に、佇んでいる少女の姿が脳裏によぎった。

誰だろう。

見知らぬ少女だ。

でも、その心細げな姿が、また奇妙な既視感を俺に与える。

何かを思い出さなければいけない。そんな気がした。

なのに、それが何なのか、分からない。

とても、重要な何かだ。

思い出せないのに、それが重要な何かだという事だけは、分かる。

「どうしたの?健ちゃん、難しい顔しちゃって」

あかりが俺の顔を覗き込んで言った。

「いや…、何でも無い」

——思い出してはいけない

唐突に、声が脳裏に響いた。

「え?」

「どうしたの?」

「いま、何か言ったか?」

「何も言ってないよ。健ちゃん、どうしたの?さっきからおかしいよ」

あかりが心配そうに俺を見る。

そうだ。

何を思い出すって言うんだ。

俺に、このあかり以外に、どんな大切なものがあるっていうんだ。

大切なもの。

そうだ、あかりとの時間はかけがえのないものだ。

あかりと過ごす未来は、このまま永遠に続くべきだ。

未来。

未来?

思考にノイズが混じる。

未来。

キーホルダー。

夕暮れ。

その瞬間、俺の小指に、かすかな感触を感じた。

ここではない、どこかで、誰かと触れ合った感触。


指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。


誰かの歌声が聞こえる。


指切った。


誰の声だ。

あかりの声じゃない。

真由の声でもない。

細川の声でもない。

誰かの声だ。

——思い出してはいけない

再び、脳裏に声がよぎった。

思い出してはいけない?

それは逆を返せば、思い出さなければいけないということだ。

俺は、自分の小指を握りしめた。そこに残ったかすかな感触を思い出そうとした。


それは本当の気持ちじゃない。


また、唐突に思考に混じる、ノイズ。


変なキーホルダー。


誰かの笑い顔が脳裏に浮かぶ。

——思い出してはいけない

みと。

美都。

美都。

美都。

美都。

名前が、まず最初に思い出された。

——思い出してはいけない。

美都。

その笑顔が思い出された。

次に、泣き顔を思い出した。

怒った顔を思い出した。

不安そうに、俺を見た表情を思い出した。

美都。

なんの取り柄もない俺の前に突然現れた、一人の少女。

美都。

「美都!」

俺が叫んだ瞬間、目の前の景色が歪んで、消えた。


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