第六
秋葉原の町は夏休みとあって、すごい人ごみだった。
駅前にあるビルの巨大モニターが新作アニメのプロモーションビデオを流している。ほほう、中々面白そうだ。7月から始まった新しい番組らしい。キャラクターデザインはなるほど、彼か。監督は。
最近のアニメは基本的に『萌え』を全面に押し出している。この不況の折りだ。製作会社は、確実にペイできる原作を選び、確実にペイ出来る物作りを推奨する。そこには挑戦は認められない。なぜなら、アニメもビジネスだからだ。萌えを全面に押し出していないアニメは、名作劇場や、一部のマニアックな作品群しかない。それらも、商業的には苦しいと聞く。確実なビジネス。その確実性として認められている現在のキーワードが、『萌え』なのだ。猫も杓子も萌え。これだけのタイトルが萌えなのだから、その中にも当然勝ち負けが存在する。しかし、次の挑戦もやはり萌えなのだ。それが現在の萌えアニメの氾濫を招いている。いったいいつまでこのブームは続くのだろう。
「あのさ」
俺は隣を歩いている美都に声をかけた。美都は珍しそうに当たりを見回している。
「ん、何?」
「この萌えブームっていつまで続くのかな。20年後もまだ、萌え?」
「そんなことないよ。なんて言ったかな、新しい法律が出来て、あからさまに小さい子とかの出てくるちょっとエッチなアニメとかはテレビで放映出来なくなるから」
美都はなんて事ないという風に言った。相変わらず町並みを眺めている。
「マジで?」
「うん。そう言うのはね、ネットでしか見れなくなってる。外国にサーバーが置いてあって、有料会員とかになって、ダウンロードして見るの」
「ほとんどエロ扱いだな…」
「そういうことだよね。後はテレビでやってるアニメは名作系が多いかな。道徳的なやつとかね。ハードなSF的なのは、映画館でやってる」
なるほど、20年後は萌えは滅びるのか。何となく、ざまーみろ、って感じだな。でも、何で美都はこんなにアニメ事情に詳しいのだ。
「ね、なんでそんなに詳しいのさ」と俺は聞いてみた。
「全部博士に教えてもらったんだよ。博士のライブラリで、いろんなアニメも見たし」
ライブラリって、何でそんな偉そうな響きなんだ。36歳の俺、アニメのライブラリを持ってるのか。どうなんだ、それ。別に良いっちゃ良いんだけど。
美都は相変わらず辺りを見回している。
「何か、変わった事でもある?」と僕は聞いてみた。
「あるもなにも、20年後は秋葉原ってこんなじゃないもの。普通のオフィス街になってる」
「マジで?」
「マジ」
俺たちはタイムマシンの部品を買うために秋葉原に来ていた。家に帰り、理念図と実物を見比べて、とりあえず見えている部品を調達しようということになった。勿論、ネットで買う事も出来るが、部品が届くまでに二日はかかるだろうし、購入記録が残ってしまう。万が一ということもあるし、街にでて買う事にしたのだった。こう言う場合の街と言えば、秋葉原だ。いくらアニメの街になってしまったとはいえ、裏通りにちょっと入れば、昔ながらの部品屋みたいなのもまだある。
美都は、出来るだけで歩きたくないと言ったのだが、一人で部屋に置いておく危険性もあるし、半ば無理矢理連れて来た。でも、今の美都は目を輝かせて、周囲を見回している。なんだか楽しそうだ。うん、楽しそうにしてるのはいい。よく考えたら、こんな風に女の子と二人で町を歩くなんて初めてだ。
「おねがいいたします、ご主人様〜」
突然、チラシを渡された。見ると、スーパー萌えなイラストでメイドが描かれているチラシだ。『新規オープン(ハート)』と書かれている。メイド服を来た少女はにこやかにチラシを道行く人に配り続けている。
「何あれ?」と美都が不思議そうに言う。
俺はチラシを見せながら、美都に説明した。
「メイドカフェだってさ。今日オープンしたんだって」
「メイドカフェ?何それ」
そうか、未来にはメイドカフェはないのか。
「えーと、メイドさんがお茶を入れてくれたりする店」
「メイドさんが!?どうしてお店に?!もしかして、この時代メイドさんは就職難なの?それで、職にあぶれたメイドさんをお店に集めて、給仕させるとか?」
意外と想像力豊かだ。
「いや、違う違う。本物のメイドさんじゃないんだ。偽物」と俺は説明した。
「偽物!?どういうこと!?」
美都はさらに混乱してしまったようだ。
「えーとね、つまり、本当のメイドなんて中々いないだろ?いや、実際はメイドサービスなんてのもあるけどさ、それは普通の主婦の人とかがパートでやってる仕事だったりするわけだよ。部屋の掃除をしてくれたりする。よく漫画とかアニメに出てくるような、可愛くて、『お帰りなさいませご主人様』『あ、まっていきなりそんなこと』『ご主人様の身の回りの世話をすべてまかされているのがわたくしでございます』『うしゃしゃー』なんてことは現実にはないわけ。分かる?」
美都を見ると、しらーっとした視線で俺を見ている。
「なに、今の」
「何って、美都が説明しろって言ったんだろ。偽物のメイドについて、説明してるんだよ」
「それにしても、途中の芝居は要らないと思うな」
そう言われればそうだ。途中の芝居は要らない。
「まあ、とにかく、そういういわゆるあこがれのメイドさんは現実にはいないわけだ。そこで、これ、メイド喫茶の登場だ」
「ふむ」
「こういうお店にいくと、若くて可愛いメイドさん(偽物)が居て、『お帰りなさいませご主人様』とか言ってくるわけ。それでお茶を飲んだり、一緒に歌を歌ったり」
「歌!?何で!?」
「いや、何でか俺にもわからんけど。それで癒される人もいるわけだよ」
「へえ…」
俺たちは裏道に入った。表通りの華やかさは息をひそめ、今度はなにやらいかがわしさが漂ってくる。よくわからないメーカーのDVDRが100組でもの凄い値段で売っていたりする。実に安い。
そのうちに、段ボール箱にダイオードやらコンデンサなんかがごちゃっと入れられて売っている店を発見した。年配の客が店長らしき中年の男性と、何やら専門用語でやりとりしている。俺は、タイムマシンの理念図と本体から書き起こしたメモを元に(理念図自体は持ち出す事自体危険だと言う事で、家に置いて来た)、並べられている段ボールを眺めていった。はっきり言って、さっぱり分からない。とりあえず買うべき部品は20個。それらしい物を手に取っていく。
そうだ、ハンダとハンダゴテも買わないと。ハンダ付けなんて、ずっと昔、科学の付録でダイオードラジオを作って以来だ。
俺はとりあえず手に取った部品を店長らしき中年男性に渡した。
「あいよ」
軽く言って、店長らしき男は部品を一つずつ確認して、電卓を叩いていく。値段は全部で3600円。安いような、高いような。部品を入れた白い袋を俺に渡しながら、店長らしき男が言った。
「これ、何を作るつもり?俺もこの商売長いからさ、部品でだいたい何を作るか分かるけど、これはさっぱりだよ」
「いや、これはですね、」
いかん、こういうケースは考えてこなかった。言い訳が思い浮かばない俺。すると、美都が横から口を挟んだ。
「何を作るってわけじゃないんです。部品の特性を調べるっていう夏休みの課題です」
「ほう、なるほどね」
とりあえず、店長らしき男は納得したようだった。
店を離れる俺たち。美都が俺の脇腹を肘でつついて言った。
「全く、はらはらさせるんだから。お詫びに、メイド喫茶でお茶、おごってよ」
「悪い」
「でも、また未来が変わり始めたみたい」
美都がそうつぶやいた。
「え、どういうこと?また何かが消えた?」
美都は何も答えなかった。笑って首を左右に振った。そして、今まで見た事のないほどの笑顔を俺に向けた。
家に帰った俺たちは、タイムマシンのスーツケースを取り出して、部品を一つずつ、外して買って来た新しい部品に取り替えて起動スイッチを押す、という作業を始めた。
どこが壊れているのか分からない。だから、とりあえず一つずつ試そうというわけだ。壊れている部品が一つなら、確率は20分の一だ。一日に五個ずつ試しても、4日で終わる。もし、部品が二つ以上壊れていたら?もし三つ壊れていたら、8000分の1。計算あってるか分からないけど。一日五個ずつなら、1600日。四年以上かかる。もし、そうだったら、お手上げだ。
慎重にハンダを当てて、部品の一つを取り、新しいのをはめてハンダ付けする。そして、起動スイッチを押す。息をのんでみる俺たちの前で、タイムマシンは静かな起動音を立てて、赤いランプを明滅させる。
「さすがに一個目でビンゴってわけにはいかないな」
「そうね」
そう、奇跡なんてものはそう簡単には起こらない。だからこそ、奇跡ってわけだ。
一つずつ、俺は部品を外し、新しい部品を入れ、起動スイッチを押す、という作業を繰り返した。思ったより作業は早く進む。一日に20個の部品を試すのも無理じゃない。
そして、ついに20個目の部品を入れて、起動スイッチを俺は入れた。
「…」
起動音が響く。
そして、やはり赤いランプが明滅した。
「駄目か」
息を詰めて見ていた美都が、はーっと長いため息をついた。壊れていた部品は一つじゃなかった。明日から、二つを試さなくちゃならない。これで、少ない日数で美都が帰れる可能性は消えてしまった。つまり、その分、未来は変わっていってしまうということだ。
「…」
黙っている美都。俺は、どうして良いか分からなくて、とりあえず、美都に言った。
「そう落ち込むなよ。何とかなるって」
「うん」
未来が変わる。自分の居る場所が変わっていってしまう。それは、どんな恐怖なんだろう。俺には分からない。
未来が変わる?
そうだ、そう言えば、美都は今日、秋葉原で確かに言ったのだ。『また未来が変わったみたい』と。あれはどういう意味だったのだろう。
「そういえばさ、今日、未来が変わったって言っただろ?あれはどういう意味?」
俺が言うと、美都は表情を強ばらせて、うつむいた。
答えを待ってみたが、何も言わない。
「おい、美都。何が変わったんだよ。着て来たものが消えるってことはないだろ?今着けてる下着だって、消えるはずないし」
そう言うと、美都は顔を赤くした。
「もう、どうしてそんなデリカシーのないこというの?」
「デリカシーって、そんな大袈裟な」
「何も消えてないよ」
美都は言って、また俯いた。
「消えてない?じゃあどうして未来が変わったって分かるんだよ」
「…消えたんじゃないの。逆に、生まれたっていうか」
「生まれた?何が?卵でも産みましたか?」
「…」
俺の軽口をスルーして、黙ってしまう美都。なんだかさっぱり分からん。しかも、こんなキャラじゃなかっただろ。もっと、こう、俺を平手打ちするみたいなさ。
「……なっちゃったの」
思いに耽っていたから、前半がよく聞こえなかった。それとも、声が小さくて聞こえなかったのか?
「何?何がなっちゃったって?」
美都が顔を上げた。その頬が赤く染まっている。
「好きに…なっちゃったのよ」
「何を」
「あなたのこと」
「あなたって、誰?」
美都は上目遣いで俺を見た。
「俺?」
美都は頷いた。
好きになっちゃったの、あなたのこと。
は?
どういう意味だ?
これは倒置法だな。だからよくわからないんだな。この場合、もとの位置に戻してみよう。
あなたのこと、好きになっちゃったの。
うん、これが本来の語順だ。で、あなたっていうのは俺のことだから、『俺の事を好きになっちゃった』ってことだ。うん、そうだ。
は?
「はあ!? 俺の事を好きになっちゃった~?!」
こくりと頷く美都。
何で?そんなフラグ立ってないだろ。俺は美都に好かれるようなこと、何もしてない。してないどころか、軽蔑される事をいっぱいしてる。風呂をのぞくとかさ。いや、あれはのぞいた訳じゃなくて、ハプニングなんだけど。まあそれはいいや。美都が俺の事を好き?ありえない。しかも展開が唐突すぎるだろ。もうちょっと、段取りがあってさ、それからもじもじしながら、あなたのことが好き、みたいなさ。そりゃ、これがゲームだったら分かるよ。ゲームとかの場合、女の子たちは最初から主人公に好意を持っている。でも、これはゲームじゃない。
「何言ってんだよ、ありえないだろそんなこと!」
思わず大きな声が出てしまう。美都は顔を上げて、遮るように言った。
「あたしにも分からないのよ!どうしてあなたのことが好きになっちゃったのか!だって、あなたはあたしの好みと違うし、エッチだし、頭も良くないし、それに、あなたは博士なのに!」
まあ、相変わらずひどい言われようだ。一息にそこまで言って、美都は静かに続けた。
「なのに、気がついたら、好きになっちゃってるの。あたしがあなたを好きになる理由もないのに。どうして、こんなことになっちゃたのかな」
「そんなこと言われてもわかんないよ…」
「こんな風に未来が変わることがあるなんて…」
「そうか…未来が変わったって…?」
こくりと頷く美都。
「そうでなきゃ…おかしいもの。あなたのこと、こんなに好きになっちゃうなんて」
美都はそう言って、また俯いた。
確かにそうだ。おかしいよ。俺は美都じゃないから、彼女がどれほど、俺の事を好きになったのかは分からない。でも、これだけは自信を持って言えるけど、俺は彼女に好かれるような人間じゃない。
気持ち悪い。
そう、俺は細川にそう称された人間なんだ。
過去に影響を与える事で未来が変わる。
美都がこの現在にいることで、未来は着々とその姿を変えていっている。
最初は、時計が消えた。次に、下着が消えた。
そして、美都の本来の心が消えた。
美都は、友達はいないと言った。男友達なんて、博士くらいしかいない、と。
でも、好きなやつの一人くらい、居てもおかしくはない。いや、きっといるだろう。これだけ可愛い女の子なんだ。
本当なら、美都は未来の世界で、誰かと好き合う運命にあったのかもしれない。
なのに、その心が消えた。代わりに生まれたのが、俺に対する気持ちだ。
俺は、もっと具体的な形で、未来は変わってしまう物だと思っていた。例えば、時計が消えるような。しかし、それだけではなかった。見えないところで、見えないものが変わってしまう事もあるのだ。
好きでもない男を好きになるなんて形で未来が変わるなんて、それは何て残酷なことなんだろう。
そう、未来はまた、変わってしまったのだ。