第五
夕食はカレーライスだった。
そうだ、ウノの好きなカレー。いまさらだけど、俺は『学コン』を見逃したのだった。ちょっとしょんぼりする俺。中野系の名がすたるぜ。
お袋の登場がよかった点は、真由の追及が途中で終わったことだ。
あのまま追及されていたら、俺は『俺がやりました』と自白していただろう。いや、何の罪も犯しちゃいないんだけど。それくらいの勢いが真由にはあった。まだ色々疑っているのはその俺と美都を時折ちらちらとみている視線でわかる。悪かった、もう許してください。
美都はカレーを食べながら、しきりに美味しいですね、とお袋にお世辞を言っている。お袋もまんざらではなさそうだ。
「ほんと美都ちゃんっていい子ねえ、健治にはもったいないわ」としきりに言っていた。
夕食を食べ終えて、俺は部屋に戻った。
美都はどういうわけかクミちゃんと一緒に風呂に入る事になった。どういうわけかって、たいした事じゃないんだけど、食事中にクミちゃんのお母さんから電話がかかって来て、今日は帰りが遅くなるとうちのお袋に告げた。クミちゃんの家は共働きで、こういう事がよくある。まあ、それもあって昔からよく遊びに来ていた訳だけれども。
とにかくそれを聞いたお袋が、クミちゃんに「ご飯食べたらお風呂も入ってらっしゃいな。今湧かすから」と言い、クミちゃんが「じゃあお姉ちゃんと入りたい」とのたまい、美都は断る理由も見つからず、頷いた、という訳だ。真由はそのままリビングに残ってテレビを見ている。
部屋に戻った俺には一大ミッションが課せられていた。リビングから俺が部屋に戻るとき、美都に呼び止められ、こう言われたのだ。
「下着、なんとかして、お願い」
そうなのだ。忘れていたが、いや嘘です、忘れていないけど、美都は下着をつけていないのだ。風呂に入り、着替える際に下着がないのはいかにも変だ。いや、パーカーを脱いだらいきなり全裸というのも変だが、そこは美都の事だ、なんとかするつもりなのだろう。
しかし、なんとかすると言っても、どうしたらいいのだ。今からコンビニに行くか。確か、コンビニにも女性下着は売っていた。でも、また店員にどんな目で見られるか分かったものじゃない。しかもまた細川にばったり出会ったりしたら。
「大橋君、どうしてそんなに下着を買おうとしてるの!?気持ち悪いわ!」
もう一度そんなことを言われたら、俺はそのままコンビニの窓から飛び降りるだろう。もう生きていけない。でも、コンビニって普通一階建てだな。一階の窓からは飛び降りようにも飛び降りられないか。まあ、それはいい。問題は下着だ。
俺は、財布を持って、自分の部屋をそっと出た。どんなに考えても、方法は一つしかない。コンビニで買うしかないのだ。俺は階段を降り始めた。階下からはテレビの音と、笑い転げる真由の声が聞こえてくる。そのとき、俺の視界の隅に、「Mayu’s room 入ったら殺す」の文字が見えた。
待てよ。女性下着なら、手近にあるではないか。それに、部屋の主は今、リビングでテレビを見ている。部屋の構造は基本的に俺の部屋と同じだ。鍵はかけられない。
俺は、階段を戻り、真由の部屋の前に立った。ドアノブに手をかける。ゆっくりと回し、引く。音を立てずにドアは開いた。
小学生の癖に、部屋は女の子のにおいに満ちていた。電気がついていないので、廊下からの薄明かりでしか見えないが、俺の部屋とは違って、床はカーペットをとって、フローリングにしてある。俺は部屋の中に一歩踏み入れた。部屋の右側に白いタンスが二つ並べられている。きっとここだ。俺は、全神経を集中した。
階下の真由の声。これが聞こえている限りは大丈夫だ。
俺はゆっくりと奥側のタンスに近づき、下から引き出しを開けた。色とりどりのシャツが並んでいる。ここじゃない。次の引き出しを開ける。ここにもシャツ。違う。次の引き出しを開ける。ここにはスカートやら何やらが入っている。ここも違う。
俺は隣のタンスの引き出しを開けた。階下からはまだ真由の声がする。しかし、ここにも目的のものはなかった。次の引き出し。入っていたのは、靴下だ。どういうことだ。何故下着がないのだ。引き出しは後一つしかない。間違いなく、そこに下着はある。俺は引き出しに手をかけた。こんなところを見られたら、確実に殺される。いや、社会的に抹殺される。そのとき、階下のテレビの音が聞こえなくなった。真由の声も聞こえなくなる。
「お茶、入れようか?」
「ううん、いい。宿題、しなくちゃだから」
おふくろと真由の会話が聞こえた。階段のきしむ音が聞こえた。真由がやってくる。まずい。俺は引き出しを開けた。しかし、そこに入っていたのは、タオル類。
何故だ!何故下着がない?まさか真由も下着をつけない主義なのか。裸族か。いやまて、そんなはずはない。先週、俺は確かに真由の背中のホックをシャツ越しに見たのだ。どこかにあるのだ。階段をあがる音が迫ってくる。時間はもうない。俺はあたりを見回した。こんなに集中したのはいつ以来だ。もしかして、人生初めてかも。
俺は、ベッドの下に、藤製のかごが二つおさめられているのを見つけた。自分でも驚くほどのスピードで体が動いた。かごをベッドの下から引き出す。そこには丸められて下着がしまわれていた。俺は無我夢中で、その中の二枚を引き抜いてポケットにねじ込んだ。もう一つのかごを引き出す。そちらにはブラジャーがあった。これも適当に二枚ほど抜き出してポケットに入れようとしたら入らなかったので、自分のシャツの下に隠した。そしてかごを元に戻し、部屋を飛び出た。その瞬間、階段を上りきった真由とはち合わせた。
真由が驚いたように俺の顔を見る。
「何やってんの?そんなところで」
「ん?別に」
真由は疑わしそうな目で俺をつま先から頭のてっぺんまで睨みつけた。しまった。ブラジャーをなんとはなしに、胸のところに隠してしまっている。俺のシャツに出来た謎の膨らみ。真由がめざとく、その膨らみに気づいた。
「ねえ、なにそれ?何隠してるの」
「なんのことだね」
すっとぼける俺。
「ごまかさないでよ!何か隠してるでしょ!」
真由が俺に食って掛かる。
「やめろ!俺の下着だってば!」
「は?」
「俺のパンツだよ!お前が階段あがって来たから隠したんだよ。そんなに見たいのか、俺のパンツ」
「見たい訳ないでしょ!」
我ながら素晴らしい言い逃れ。これ以上の言い訳は考えられないだろう。膨らんでるパンツってのはおかしいが真由が信じればいいのだ、この際。
「じゃあ、俺は風呂に入ってくるから」
口ごもる真由を見て、有頂天な俺はそう言い放って階段を降り始めた。
「ちょっと!いまお風呂、クミちゃんとあの女の子入ってるって!」
忘れてた。いや、嘘、忘れてないけど。
俺は部屋に戻り、真由が自室に入るのを聞き耳をたてて確認してから、再び部屋を出た。いずれにしても、美都が風呂からあがる前に下着をおいてこなければならないのだ。俺は足音を忍ばせて、真由の部屋の前を通り、階段を下りた。リビングの横をすり抜け、風呂場にたどり着く。
風呂場からはクミちゃんと美都の声がエコーがかって聞こえていた。磨りガラス越しに、二つの肌色の固まりも見える。
「美都お姉ちゃん、胸大きいんですね。わたしも、そうなれるかな?」
「うん、クミちゃんもなれるよ」
なんというお約束な会話をしてくれるんだ。俺の妄想を刺激する会話。アニメならここで妄想のお色気カットがインサートされているところだ。
「どうしたらそんな風になれるんですかあ?」
「こら、そんな風に触ったら、ら、らめえ」
くんずほぐれつの二人。重要な部分は不自然な湯気と入射光で隠れている。何で室内にこんな光があるんだ。
しかし今は妄想にふけっている場合ではない。こんな場所にいるのを誰かに見られたりしたら。繰り返すが、社会的に抹殺される。俺はポケットから真由の下着を取り出した。
「…」
一応、広げてみる必要があるのではないだろうか。いや、ないかもしれないがここはやはり広げるべきなんではなかろうか。理由はわからないけれども。
俺は下着を広げた。色は白だ。いや、白というよりは真珠色というべきか。
なんて言うか、輝きがある。そして、なんて言うか、レースだ。なんでレースにする必要があるのか。男のパンツなんてものはこれに比べりゃなんて簡単なものだ。ちょっと色違いがあるとか、トランクスかボクサーショーツか、その位しかない。レースなんてものはない。ましてや、真珠色に輝いていたりしない。
しかもよく見ると、レースには何か模様が描かれているようだ。これは何だ。そうだ、これは森だ。うっそうと茂る森。その木々の向こうには何があるのか。
俺は森の深奥に思いを馳せてから、その一枚をそっと脱衣かごの中に置いた。
次はブラジャーの方だ。俺は、シャツの下から取り出してみた。これも、なんて言うか、意味が分からない。そもそも、男物が存在しない下着なのだ。いや、そういや一時期男性用ブラなんてのもあったな。流行っているとネットで書かれていたが、そんなのマスコミの罠だ。少なくとも俺の周りに男性用ブラをしているやつはいない。いや、本当はいたのかもしれないけど。これも真珠色に輝いている。まぶしい。しかも上半分がこれまたレースだ。何故レースにするんだ。またもや森の木々がモチーフのようだ。そんなに森を見せられたら木々の向こうに入らざるを得まい。森の奥深くには何が居るのかな?クマさんかな?それとも赤ずきんちゃんか。うしゃしゃ。
しかし、真由のやつ、何故こんなに大きいのをしているのだ。そりゃ勿論、真由のナニが大きいからだろう。そんなことは分かっているが、こんなことが許されていいのか。やつはまだ小学生だぞ。今度運動会、見に行こうかな。
俺は小学生の運動会に思いを馳せると、そのブラジャーをまた、そっと脱衣かごの中に置いた。
そのとき、風呂の扉が開いた。
「!」
見ると、クミちゃんと、その後ろに立つ美都の姿が見えた。二人とも、もちろん裸。なんで今扉を開ける。そんなにお約束が好きか。
「きゃあ」
クミちゃんが可愛い悲鳴をあげた。美都はこれまたお約束通り、俺の頬を平手打ちした。
夜の9時頃、クミちゃんのお母さんがやってきて、クミちゃんを連れて帰っていった。そのついでとばかりに、俺も美都を連れて外に出た。
「彼女を送ってくるよ」
勿論、嘘だ。
一度家を出て、それから再び隙を見て、家に帰るという作戦である。
「二人とも、全然変わってないな。真由さんと、お母さん」
夏の夜、ささやかに吹く風が心地よい。風を受けながら、星空を見上げて、美都が言った。
「そうなんだ」
「うん。真由さんは、今でも―つまり、20年後の世界でもってことだけど、ざっくばらんで、明るくって。お母さんは、博士のこと、心配で仕方ないみたいだけど」
そりゃそうだろうな。36にもなって、特に仕事してるわけでもない、結婚もしてない、なんでだか14歳の女の子と仲良くしてる、そんな息子は心配で仕方ないだろう。
「美都のお母さんとお父さんってどんな人?」
俺は聞いてみた。
美都は答えなかった。
「おい」
「お父さんもお母さんも普通の人だよ。言ったでしょ、未来のこと、あまり知らない方がいいんだって」
何だかごまかされた気がする。まあ、いい。美都の両親のことを知ったからってどうなるものでもない。
「そうだ、ねえ、あの広場に行ってみない?」
美都が思いついたように言った。そうだ、真由が気になることを言っていたっけ。デロリアンがもう無くなっていた事、そして、壁はなんともなかった、ということ。
「そうだな、行ってみるか」
俺たちは最初に会った広場に行ってみた。
デロリアンが激突したあたりの壁を見てみる。確かに、何ともなっていない。辺りを見回すと、デロリアンのかけらも見当たらない。あれだけの事故だ。破片の一つも落ちていてよさそうなものだが。
「確かに、何ともなってないな」
「…」
美都は真剣に当たりを見回している。
「変だね」
「確かに変だな」
「なんて言うか、ここで事故があった事自体、なかったみたい」
美都のその言葉が、妙に心に引っかかった。
事故があった事自体、なかったみたい。
俺たちが家に戻ったとき、真由は自分の部屋にいるようで、おふくろはちょうど風呂に入っているようだった。誰にも見つかる事なく、俺たちは部屋に戻った。
「なんか、すごく長い一日だったみたいな感じ」
ベッドに腰掛けて、美都が言った。
長い一日か。そういえばそんな感じがする。学校帰りに広場でデロリアンに乗った美都に出会い、下着売り場で細川にののしられ、真由の下着を盗んだり。一日でこんなにいろんな事が起こるなんて俺の人生で初めてだ。
「ベッドの方、使っていいから」
俺は床に寝転がって言った。手近にあったタオルを巻いて枕代わりにする。
「いいの?床なんかで寝たら、どこか痛くしない?」
「大丈夫。よく朝になると床に落ちて寝てる事があるけど、痛くした事ないし」
「バカみたい」
美都はそう言って笑った。
「眠れる?」と俺は聞いてみた。美都は頷いた。
「うん、大丈夫。あたし、枕とか変わっても大丈夫なヒトなんだ」
その言葉通り、美都はすぐに眠ってしまった。疲れていたんだろう。俺は起き上がって、美都の寝ている横顔を見た。静かな寝息を立てている。あどけない顔。いままで一度も傷ついたことのないような、無垢な寝顔だった。
俺は床に寝転がり、天井を見つめた。
そして、今日一日に起こった出来事を改めて思い起こした。未来が変わる。もし、タイムマシンがなおったら、俺は今日をやり直すだろうか。美都と出会わなかった可能性を考えた。そうすれば、細川と下着売り場で出会ってしまう事もない。真由の下着を盗む事もない。あ、でもそうすると風呂場でのハプニングも無くなってしまうのか。それはちょっと残念だな。
そんなことを考えているうちに、俺はいつの間にか眠っていた。
朝目が覚めると、美都はすでに起きていて、窓から外の景色を眺めていた。
「おはよう」
俺が起き上がると、微笑んでそう言った。朝日が美都の髪の端を透かして輝いていた。
「おはよう。よく眠れた?」
「うん、とても。でも、なんだか面白い夢を見たわ」
「面白い夢?どんなの?」
「秘密」
そう言うと美都は小さく笑った。
朝ご飯は普通にトーストと目玉焼きとハム、コーンポタージュスープ。俺はお袋と真由の目を盗んで、トーストとハムを余分に一枚ずつ、隠して部屋に帰った。
「ちょっと冷めちゃったけど」
「ううん、ありがとう」
美都はそう言ってトーストの上にハムを乗せておいしそうに食べた。
「じゃあ、俺、学校に行ってくるから。大丈夫だと思うけど、誰か部屋に入ってきそうになったら、隠れて」
「うん。わかった」
「今日は終業式だけだから、早く帰って来れると思う」
「うん」
俺の通う高校は驚くほどの高台にある。町の中で一番の標高だ。なので、学校まで行くのに、かなり長い距離の坂を上っていかなければならない。きつい坂道のことを、心臓破りの坂、なんていうことがあるけど、実際この坂で心臓発作を起こして大変なことになった生徒がいるらしい(ただの噂かもしれない)。誰かの嫌がらせかと思えるほどの坂なのだ。逆に言えば、下りも恐ろしい。ひとたび転んだり躓いたりすれば、どこまで転がり落ちていくか分ったものじゃない。こんな危険な代物を教育委員会が良く許しているもんだ。
俺と並んで坂を上っている生徒たちも、どこか浮かれているみたいに見える。終業式だからか。明日から、嬉しい夏休みだ。
ふと、数メートル先を細川が友達と並んで歩いているのに気づいた。
俺の足が止まる。楽しそうに笑う細川の声。
でも、その声が俺には、俺の事を笑っているように思えた。細川は昨日のことを誰かに話しただろうか。いや、細川はそんな女の子じゃない。俺の考え過ぎだ。でも、明日から夏休みで良かったと言えば、良かったかもしれないな。とりあえず、夏休みの間だけでも、細川と顔を会わせなくてすむ。
終業式は例によって、校長の長い挨拶があり、途中で貧血で倒れる生徒が出たり、貧血のふりをして倒れて先生に嘘がばれるやつが出たりしたが、まあ、滞りなく、終わった。クラスメートたちはそれぞれ、夏休みの予定をお互いに確認し合ったりしている。漏れ聞こえてくる話に耳を澄ますと、一緒にキャンプだかなんだかに行ったりするらしい。俺にはそんなことを一緒にする友達はいない。机に突っ伏して寝ているふりをしているうちに、クラスメートたちは皆帰ってしまった。顔を上げると、もう誰もいない。ひっそりとした教室で、クリーム色のカーテンだけが風に揺れている。
俺は部室に向かった。
部室のドアを開ける。案の定、誰もいない。ひんやりとしたリノリウムの床のにおい。俺はひと呼吸置いて、部室の片隅にあるパソコンの電源を入れた。そうとも。キャンプがなんだ。俺にはやらなきゃいけないことがある。カードリーダーにメモリカードを差し込む。画像を読み込む。画面に、タイムマシンの設計理念図が表示された。携帯の画像にしては、解像度が高い。どうやら、地味に技術革新は起こっているようだ。俺はそれを印刷した。プリンターから印刷されて出てくる設計理念図。手に取ってみて見る。うん、問題はない。何が書いてあるのかはよくわからないけれども。