第二
とにかく、俺たちはその場から離れる必要があった。
デロリアンはまだ煙を出して燃え上がっていたし、野次馬も集まり始めていたし、遠くからパトカーだか消防車だかのサイレンが聞こえてきたからだ。
「ここにいたらまずいよ」
「ああ――デロリンが――」
燃え上がるタイムマシンを見て、呟く美都。
「いいから、早く」
美都もしぶしぶ同意する。確かに、タイムマシンが今目の前で燃え上がっているのだ。彼女にしてみれば、帰る手段を完全に失ったわけで、嘆きたくなる気持ちも分る。美都はもう現代で生きていくしかない。
でも実際、燃え上がっているデロリアンを直すのは俺には無理だし、仮に燃えてなかったとしても、アレを移動させる術が俺にはない。隠そうにも、もうバレバレだ。
「君が本当に未来から来たんならさ、あの車、何とか出来ないの?便利な道具でささっと直しちゃうとか、持ち運べるように小さくしちゃうとか」
「――そんなの出来るわけないでしょ」
無いんだ。憧れてたんだけどな。未来の便利な道具。
「だって、あれ、タイムマシンなんだろ?直す本体がなきゃ、直しようがないだろ」
「ああ、それなら大丈夫。本体はあのデロリンじゃないから」
「デロリアン」俺は一応また、修正しておいた。昔、下駄にスケートの刃を付けた履物のこと、ゲロリンって言ったらしいよ。デロリン、って何かそれに似てる。どうでもいいけど。
「本体はさっき取ってきた。これ」
美都が、小型のスーツケースのようなものを俺に見せた。さっき、後部座席から取りだしていたのは、これか。
「は?これ?」
「そう、これがタイムマシン。車は何だっていいの。これを固定出来て、時速60キロ出せれば。車をデロリンにしたのは博士なの。やっぱりタイムマシンはデロリンじゃなくちゃいけないって」
「――へえ」
もういいや、デロリンで。
美都は手にしたスーツケースを開いた。中には大き目の金属製の筒が二本並んでいた。その下に何か基盤のようなものが見える。そして、タイムマシンにはお定まりの、時刻を表すメーターが設えてあった。
俺の目はある一点にくぎ付けになった。金属の筒の一本。そこに、誇らしげに、大橋賢治のサインがあった。小学生が良くやる遊びだ。あるものは漫画家に憧れて。あるものは野球選手に、あるものはアイドルに。いつか、自分もそうなってやるんだという子供ながらの自意識の発露。俺もよくやった。自分のサイン。さらさらと書けるように、何度も練習した自分だけのサイン。
金属の筒の上に、子供のころ、練習しまくった、俺のサインが、2030年7月20日の日付とともに、実に誇らしげに、書かれていた。
「嘘!マジで!?俺がタイムマシンを発明しちゃうの!?」
そのサインを見て、俺は大声を上げた。ノーベル物理学賞。唐突にそんな言葉が脳裏をよぎる。俺の未来、実は明るい。輝いているじゃないか!
「ちょっと、勘違いしないで」
騒ぐ俺の横で、美都が冷静に言い放った。
「騒ぎたくもなるよ!タイムマシンだよ?タイムマシンを俺が発明しちゃうんだろ!?」
「違うってば」
「何が違うんだよ!君だってさっきから俺がタイムマシンを作ったって――」
「そう、博士は確かにタイムマシンを作った。でも、発明したわけじゃないの」
「――意味、わかんないんですけど」
美都の話によれば、今から2年後の2012年、スイスのある研究所で、ブラックホールを人工的に作る実験が行われ、成功するんだそうだ。
その理論が元になり、一台のタイムマシンが開発されることになる。しかし、タイムマシンはその性格上、一般企業はもちろん、個人でも開発することは国際法によって厳格に禁じられ、国連の厳重な管理下に置かれることになった。歴史上の問題や、研究目的などでどうしてもタイムマシンの使用が必要だと考えられた場合、使用希望者はその使用目的や何やらを提案書にまとめ、地方自治体に提出しなければならない。提案書は地方自治体の審議を経て、国会に提出される。そして、国会審議を通ったものが国連に報告され、それを国連加盟国が審議、承認した場合のみ、許される。
「なにそれ」
「あたりまえでしょ。タイムマシンなんてものがあっちこっちで自由に作られたりしたら、世界は大混乱よ。正式に作られたタイムマシンは世界で3台しかないの。零号機、初号機、二号機」
突っ込みどころが満載だけど、まあ、それはおいとこう。
「じゃあ、これは?」と俺はスーツケースを指さした。美都は真剣な面持ちになっていった。
「違法タイムマシンよ」
「いほう?異邦?」
頭の中でうまく変換出来ない。Ihoo!とかね。日本最大のポータルサイトみたいだけど、多分違うな。
「またぼーっとしてる。違法よ、違法。合法でない、タイムマシンってこと」
「ああ、なるほど、合法じゃない、ってことね」
「そう」
合法じゃない、ね。つまり、違法ってわけだ。
「何だって!?違法!?」
心の中では何となく分かってたけど、やっぱりそれか。
「博士は手に入れちゃったのよ。タイムマシンの設計理念図を」
何なんだ?未来の俺は一体何をやってるんだ?国際的な秘密をあっさり手に入れ、タイムマシンなんてものを作っちゃうなんて。
「博士って、何?ハッキングとかそんなのが出来ちゃう人?」
「分んないけど、そんなの出来ないんじゃないかな。良く、ネットにつなげる設定が分らなくなったりしてるし」
「――じゃあ、どうやってその理念図とか手に入れたんだよ?」
「2chの懐アニ平成板に転がってたんだって」
「2chの懐アニ平成板!?っていうか2chってまだあるの!?」
「正確には、あった、ってことだけど」
「どういうこと?」
「概念図がアップされて、それはすぐに削除されたの。それから、それをアップした人は終身刑になったって」
「終身刑!?」
「それから、2chもその事件で相当な圧力をかけられて、潰れたの」
「――へえ――色々あったんだなあ」
「――博士はその設計理念図を見つけてすぐ、データをバックアップして、あたしにメールをくれたの。それが、これ」
携帯を操作すると、意外と簡単そうな配線図が出てきた。昔、こんなの見ながらラジオ作ったな。その程度。
「――ずいぶん簡単そうだね」
「理論さえ分かれば、設計自体は大したことないみたい。小学生でも作れるって。でなきゃ博士に作れるわけないじゃない」
「え、つまり、何?俺、犯罪しちゃった、みたいな?」
「ま、そういうことになるよね」
「見つかったら、どうなるの?」
「ネットに理念図をアップしただけで終身刑だもん。死刑かもね」
「嘘!?」
「ほんとう」と美都は冷静に言った。
なんで死刑になるかもしれない、そんな危険を犯してまで、こんなものを作るんだ?俺は、いや、『博士』はアホなのか?
「なんで、博士はそんなことまでして、タイムマシンを作ったの?」
美都は、黙っていた。俺は少し待ってみたけど、結局、美都は何も言わない。
「なんで黙ってるんだよ。何で作ったのかって――」
「教えられない」
「は?」
しばらく黙っていた美都は、俺の方を向いて、言った。
「出来る限り、現在の人は未来のことを知らない方がいいの」
「――どういうこと?」
「そんなの当たり前でしょ?あなたに限ったことじゃないわ。未来のこと、例えば、明日、大きな地震が来ると分かったら、どうする?」
「起こるの!?」
「例えば、って言ってるでしょ!」
例えば、か。
例えば、明日、未曾有の大地震が起こるとしたら。そして、それを俺だけが知ったとしたら。俺は、どうするだろう。俺はたぶん、細川のところに行くだろう。何が出来るかは分らないけど、細川が無事でいられるように。でも、もし、細川がその地震で万が一、死ぬことになっていたとしたら。その細川を俺が助けたとしたら。
「そうか――未来が変わってしまう」
「そういうこと」
俺はため息をついた。
「どう?直りそう?」
心配そうに美都が聞く。
俺たちは、さっきまでの広場から離れて、人通りの少なくなった道端でスーツケース(つまりは違法タイムマシンが入った)を開いて中を見ていた。美都の携帯の画面に表示されている設計理念図とスーツケースの中身を見比べてみる。
「――」
正直言って、さっぱりわからない。携帯の画面も小さいし。
「良くわからない」
素直に俺は美都に言った。
「はっきり言えば、壊れてるのかどうかも分らないよ」
「壊れてるのは間違いないの。ここの――」
と美都は小さな部品を指さした。
「ランプが青く点灯してなきゃいけないのよ。青く光ってれば、タイムマシンが正常に動いている証拠なの」と言って、美都は何かのスイッチを押した。ブイン、と音が鳴る。
「何押したの?」
「起動スイッチ」
しばらくすると、さっき美都が指さしたランプが赤く点滅して、そして消えた。
「赤い点滅は何かのトラブルってことなの」
「燃料が切れてるとかはないの?」
「それはない。来る前に充電したから」
「充電?原子力とかじゃないの?」
「そんな危険なもののわけないでしょ。家庭用電源100vよ」
お手軽だな、おい。やっぱり未来世界はエコなんだろうか。
「とにかく、壊れてるのは確かなの。あなたに直してもらうしかないの」
「――他の人じゃ駄目なの?一応聞くけど」
「駄目に決まってるでしょ。これはあなたが作ったタイムマシンなの。これを誰かほかの人に見せて、概念を理解されたら、それこそ大きく未来が変わってしまうかもしれない」
「そんなの、俺だって同じじゃないか。これを直したことで、概念を理解して、タイムマシンを作っちゃうかもしれないよ」
「それは、そうかもしれないけど、可能性は低いと思う」
「何で?」
「博士、タイムマシンを作ったけど、正直さっぱり意味が分らなかったって言ってたもの」
「は?」
「20年後のあなたにも分らなかったんだもの。あなたに分るとは思えない」
ずいぶんはっきり言うなあ。
「だから、あなたが一番なの。未来は少し、変わってしまうかもしれないけど、一番影響は少ないと思う」
「――そんな、SFみたいなこと言って」
「SFじゃないの!事実なのよ!」
未来が変わる、か。
でも、よく考えたら、俺のこの先の人生、あんまりいいことなさそうだ。唯一、今分かっててよさそうなのは、美都と知り合えるらしいってことくらいか。それに、未来が変わっても、俺にはあまり影響はないような気がする。だって、俺が生きる人生は一通り、つまり一種類しかないわけで。他の未来と比べることは出来ないわけだし。
「別に、変わってもそんな困るかな?」
「え?」
「変わっても、そんなに困らない気がする」
俺がぽつりと呟くと、美都は顔を真っ赤にして、立ち上がり、俺をいきなり平手打ちした。予想もしてなかったから、俺はそのまま、横に倒れてしまった。左の頬が熱い。また、酷い言葉が飛んでくると思って、心の準備をした。馬鹿人間、駄目人間。
でも、声は飛んでこなかった。俺は、つむっていた目を開いて、美都を見上げた。
美都は、じっと俺を見つめたまま、何かを堪えていた。声も出さず、じっと唇をかみ締めて。
「な――なんだよ」
「――あなた、本当に博士なの!?」
「え?」
「博士は――博士だったら、絶対、そんなこといわない!」
なんだよ。
そんなこと知らないよ。
何もかも、勝手すぎるんだよ。突然、何処かからやってきて、俺のことを博士って呼んだりして、タイムマシンを直せとか、未来は変えられないとか、挙句の果てにわけのわからないこといって、平手打ちかよ――知らないよ。俺にそんなこと、出来るわけがないじゃないか。
「もう知らないよ、勝手にしてくれよ」
俺はそう、言いかけた。言おうと決意して、実際立ち上がった。美都のほうを向いて、顔を上げた。
美都は、恐怖の表情を浮かべていた。
「?」
「そんなに時間、ないのかもしれない」
「何が?っていうか、まったく話が見えないんだけど」
美都は、自分の右腕を俺の方に差し出した。時計がなかった。美都が初めて俺の前に現れた瞬間、見ていた、ピンク色のキャラクターウォッチ。その、時計が確かにない。
「消えたの」
「消えた?どこかにしまったとか、落としたとかじゃなく?」
「たった今、あたしの目の前で、消えたの」
「なんで?」
「細かいことなんかあたしにだって分からない。でも、未来が変わり始めた、ってことだと思う。未来は、現在から続いているんだもの。あたしがやってきた場所が、少しずつ、ずれはじめてる。だから、あたしが持ってきたものが、消えたのよ」
ちょっと待て。やってきた場所がずれる?悪いけど、物理は苦手なんだ。得意な奴なら分かるのかもしれないけど。物理が得意な奴ならこんな時、どんな心境になるんだ。少し考えてみたけど、得意でない俺に、得意な奴の心境は分からなかった。当たり前だ。アホか、俺は。
「博士が言ってたわ。時間移動するにしても、限度は数日の範囲だろうって」
「数日?」
「そう、それ以上の時間移動は、修正不可能なほどの誤差を時間軸に起こす可能性があるって」
「修正不可能?」
オウム返ししかしてない俺。だって、分からないんだから仕方ない。
「数日の範囲だったら、時間が勝手に世界を修正するはずだって」
「どういうこと?」
「時間は基本的に不可逆の性質を持ってるんだって。だから、未来は、過去を変更できないの」
さっぱり分らん。声も出ない俺。そんな俺の表情を見て、美都が説明を続ける。
「例えばね、あたしが、過去のあたしにテストの問題を教えようとする。いい点を取るために」
「ふむ」
「だけど、それを時間が許してくれないの。未来であたしが、悪い点を取るのが決定していたとしたら、過去のあたしに働きかけることはできない。もし、できたとしても、過去のあたしが怪我をして結局テストを受けられなくなるとか、別の方法を使ってでも、未来を保とうとするの」
「それって、時間の意志で?」
なんだそれ?時間に意思があるのか?
「その意思は、時間が持っているのかもしれないし、もっと違う、別の誰かが持っているのかもしれない」
「それって、神様とか?」
「あるいはね」
そう言って美都は笑った。
「だけど、あたしは神様も修正できないほどの過去にやってきてしまった。だから、神様は別の修正を始めたのかもしれない」
「別の修正って、どんな?」
「わからないけど、少なくとも、時計が消えたのは…あたしがここにやってきたことで、あの時計を買うはずだったお店が、無くなったからかもしれない」
なるほど、無い店から物は買えない。そうすると、どうなる?このまま、放置していたら?
靴が消える。ソックスが消える。制服が消える。スカートが先か、ブレザーが先か。いや、扱っているところは一緒だろうから、消える時もきっと一緒だ。そうすると?
下着だけ?
いや待て、下着が制服より先に消えている可能性だってあるぞ。
そうなった場合、制服が消えた瞬間――。
もわーんと俺の脳裏にイメージが広がる。
俺は美都にぐっと親指をつきたてて見せた。
「分かった!努力はしてみる。どれくらい時間がかかるかは分からないけどね」
「ほんと?」
「ああ、どれくらい時間がかかるかは分からないけどね」
俺は繰り返した。
「それじゃ、お願いがあるの。あたしの服、買ってきて」
「は?なんで?」
現在の店は消えない。だとしたら台無しじゃないか。
「このまま放っておいたら、いつ服とかまで消えちゃうかわからないもん」
「消えてもいいんじゃないかな」
思わず思ったとおりのことを口に出してしまった。
その瞬間、美都の平手打ちがまた、俺の頬にヒットした。さっきとは逆の頬だ。汝、右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい。俺はまた地面に転がった。
「馬鹿!変態!駄目人間!早く服、買ってきて!」
俺はまた、凄い言葉で罵倒された。