第十一
こっちだ」
俺は美都の手を引いて歩いた。
以前、あの声の主に見せられたもう一つの世界のことを思い出す。
あの時は、こうやって細川の手を引いて、マンションの屋上に上がった。でも、あんなマンションはこの世界にはない。
少なくとも、俺の記憶にはなかった。
だから、この町の一番の高台は、学校だった。
俺の通う学校だ。
二人して、心臓破りの坂を上る。
俺は美都の手を強く握り締める。美都が消えてしまわないように。
「…なにこれ…!ほんとに坂、長すぎるね」
美都が息を切らしながら言う。
「全く、そのとおりなんだけどさ」
俺も息が切れる。毎日のように通っていても、全く慣れない。
「そういえば、美都の学校って、どんなの?」
「普通の学校。教室があって、机が並んでて、黒板があって、チョークで先生が板書する」
「未来なのに?何か、立体映像で授業とか、ないのかよ」
「だからアニメとかの見すぎ」
二人して笑う。
坂は、やはり花火を見る為に上っていく人々もいた。俺たちは、その間を縫うように歩いた。
「ねえ、ちょっと」
「なんだよ」
「これ、持ってくれてもいいんじゃないの?」
美都がスーツケースを持ち上げて見せた。タイムマシンの入ったスーツケースだ。
「分かったよ。やっぱりさ、男あしらいがうまいよな、美都はさ」
俺は笑ってスーツケースを受け取った。
「何ですって?」
美都は手を上げてみせる。平手打ちのポーズだ。でも、怒っていないのは、その表情で分かる。怒ったフリで、頬を膨らませて見せた。
「だからそんなこと無いって言ってるのに」
「だけどさ、好きな奴の一人くらい、いたんだろ」
「え?」
美都は一瞬、立ち止まった。
「お前、可愛いんだからさ、好きな奴、居たっておかしくないだろ」
「ちょっと、バカじゃないの?可愛いっていうのと、好きな人がいるって言うのは関係ないでしょ」
「ん?」
「だから、可愛いから、彼氏がいるとか、可愛いからモテる、とかは分かるよ。でも、可愛いから好きな人がいるって、おかしいでしょ」
「あ…なるほど、そうか」
美都はぷいと前を向いて、坂を上り始めた。
「まったく、バカなんだからさ」
「なんだよ。バカバカいうなよな」
「バカだからバカって言うの」
そんなことを話しているうちに、俺たちは高台の上に到着した。この町で一番高い場所。
花火がよく見える。
花火は次々と上がり、大きな光を放って、消えていく。
「綺麗だね」
美都が呟いた。
「ああ、そうだな」
俺たちは、ただ、黙って花火を見ていた。
風が木々の葉をさわさわと鳴らして通り過ぎていった。
花火はクライマックスを迎えつつあった。
大玉が次々と開いていく。
俺は、スーツケースを開いた。
「いつにすればいい」
「…2030年6月20日、朝の6時20分」
美都の言うとおりに、目盛りをあわせる。
「ちゃんと持ってろよ」
俺はスーツケースを美都に渡し、辺りを見回した。
夏休みで学校に置き去りにされた自転車が何台かある。
「勝手に借りるの?」
「ちゃんと返すさ」
俺は手近な自転車を物色し始めた。美都の乗る荷台はしっかりしていなければならない。スポーツタイプもあるから、荷台の無い自転車もある。理想はママチャリだ。スピードはスポーツタイプの方が出るだろうが、俺は乗ったことがない。あんな前傾姿勢でなんて乗れない。ママチャリなら、根拠は無いが頑丈そうだし、なにより安全な気がする。
「これだ…」
俺は一台の自転車を見つけ出した。
佐藤、と前輪の泥除けに名前が書いてある。
佐藤君(もしくは佐藤さん)、悪いけど自転車借りるよ。俺はその自転車を美都のところまで転がしていって、後ろの荷台を叩いた。
「ほら、乗れよ」
美都は、何だか泣きそうな顔をしていた。
「どうしたんだよ」
「…ううん」
美都は、まだ空に上がる花火を見上げた。
この時代にいられる時間が、もう残り少ない。
いつまでも花火を見ていたい気持ちは、俺にも分かる気がした。
「花火が終わったら、この坂は還る人で一杯になる。その中を自転車で下るなんて無理だ。いま、花火が佳境のいまが一番いい。坂道に人が少ないし、みんな花火に集中してる」
「…」
美都は黙って、荷台に乗った。
「…いくぞ」
「…」
返事をしない美都。
ペダルに力を込めようとした。
そう。
このペダルをこぎ始めたら、後戻りは出来ない。
美都は、未来に還るのだ。
思えば、奇妙な夏だった。
未来からやってきた少女。
二人で過ごした日々。
俺は、美都の見せた色々な姿を思い出した。
最初は平手打ちされたっけ。
いつの間にか、うちの家族にも恋人って一応認めてもらえて。
嘘だけど、何処となく、こそばゆかった。
そうだ、俺は嬉しかったんだ。
美都が、俺の腰に手を回した。
大きな花火が上がり、輝いた。
俺は、ペダルに力を込めて、漕ぎ出した。
坂に差し掛かると、あっという間に自転車は速度を上げていく。
美都が俺の腰に回す力が強くなる。
「ねえ」
美都が背後で何かを呟いた。
「何か言ったか?周りの音で聞こえない!」
「あのさ!」
すると、美都が背後で再び叫んだ。
「なんだ!」
「…あのさ…!」
「なんだよ!」
美都の手が俺のパーカーのポケットに何かを入れたのがわかった。
「・・・?」
「プレゼント。後で見て!」
後でも何も、今全力で自転車をこいでいるのだ。見れるわけが無い。
「今見ろったって見れないだろ!」
「そうだね」
ぐんぐんと速度が上がっていく。
周囲の景色が流れていく。
俺の腰に回された美都の手が熱くほてっているのが分かった。
美都の手が、何かを探すように、小さく動いた。
俺は、黙って美都の手のひらに自分の手を重ねた。
高速で走りながら片手運転なんて、我ながらアクロバティックだ。
美都は、俺の手を握り返してきた。
美都の手は暖かく、そして少し、汗ばんでいた。
「…」
「あのね、あたし、あなたのことが好きだよ。もしかしたら、わたしのこの気持ちは、誰かに作られたものかもしれない。でも、わたしにとっては、本当の気持ちなの。わたし、あなたのことが好き。さっき、好きな奴がいたんじゃないかって言ってたよね。わたし、好きな人なんて今までいなかったの。みんなのこと、ちょっとバカにしたりしてさ。でも、初めて、誰かのこと、本気で好きになった。あなたのこと、好きになったの」
俺は何もいえなくて、黙っていた。
「伝えておきたかったの。もし、この気持ちが誰かに作られたものだとしても、でも、わたしはあなたのことが本当に…」
「もういい」
「え…?」
「わかってる。わかってるから」
俺は、美都の手を強く握り締めた。
この手のひらで、何度も平手打ちされたっけ。
美都の手のひら。
俺の背中に感じる美都の体温。
もしも、美都の気持ちが誰かに作られたものだったとしても。
いや。
そんなの関係ない。
俺の今現在の気持ちだって、周囲の色々な状況で作り上げられたものじゃないか。
そんなの、誰だって同じだ。
俺たちは、色々な出来事や、人々や、環境の中で生きている。そして、それらの影響を受けている。その中で、感情だって動いていく。それを、何かで作られた感情だなんて、言うだろうか?
美都の気持ちは、かけがえのない、ここにある一つだけなんだ。
速度は上がっていき、背後のスーツケースから、虫の羽音のような音が聞こえ始めた。
俺が初めて、あの広場で聞いたのと同じ音だ。
タイムマシンが確実に作動を始めている。
「ねえ、約束して」
美都が言った。
「わたし、絶対に忘れない。あなたと一緒にいたこの時間のこと、絶対忘れない。だから、あなたも、わたしのこと、忘れないで」
羽音のような音は確実に大きくなっていった。
辺りを、光が包み始めているようにも思えた。
忘れられるわけがなかった。
十六年間、生きてきてなんのドラマにも俺は無縁だった。
でも、それは誰のせいでもなかった。
俺自身のせいだ。
そんな俺を変えてくれたのは、美都だった。
忘れるわけが無い。
忘れるもんか。
「忘れるもんか!」
音に負けないように、俺は叫んだ。
「本当だよ!絶対だよ!」
「ああ、絶対だ!」
美都は、大きな声で歌い始めた。握り合っていた手のひらを軽く歌に合わせて揺らしながら。
「指きりげんまん、うそついたらハリセンボン、のーます!」
俺も、その声に合わせて歌った。
次の瞬間、辺りに轟音が響いた。
光の爆発があった。
そして、握り合っていた手のひらを、美都が離した。
「指切った!」
美都の声が聞こえた、その後、背中から、美都の気配が消えた。
そして。
俺は60キロの速度を出したまま、坂の終わりのガードレールに激突し、その向こう側の田圃に自転車ごと、落ちた。
「…」
俺は辺りを見回した。
美都はもう、いなかった。
スーツケースも無かった。
俺はパーカーのポケットに手を入れた。
美都がプレゼントと言った、何かだった。
取り出して見た。
それは、キーホルダーだった。
俺が以前、中学の修学旅行で買ったのと同じ、キーホルダー。
しかし、それは20年の年月を経て、やや薄汚れていた。
どういうことか、分からなかった。
何故、美都がこのキーホルダーを持っていたのか。
さっぱり理解できなかった。
気づかないうちに、笑いがこみ上げてきた。
俺はいつしか、大声を上げて、笑い出した。
花火が背後で上がっていた。




