第一話
正直に告白するけど、十六年生きてきて、ドラマティックなことは一度だって無かった。
例えば、遅刻しそうな女の子(もちろんオーソドックスに食パンをくわえている)と曲がり角でぶつかるとか、ある日クラスメートの一人が宇宙人だってことが判明したりとか、両親が亡くなって凄い金持ちのお爺ちゃんが名乗り出てきて養子になるとか。
いや、そこまでドラマティックじゃなくたっていい。(っていうか、そんなの現実にあるはずがない)
俺が望んでいるのはほんの小さなことだ。
俺が『ちょっといいな』、って思っている女の子も偶然俺のことが好きだったよ!とか、実は俺が気づいていないだけでテニスの才能が隠されていたとか。
…いや、それも高望みしすぎだな。
気になってる女の子と、学校帰りの喫茶店で、思いっきりくだらない話をして過ごすとか、いや、たまたま帰りが一緒になって、一つ先の曲がり角まで一緒に歩くとか――そんなんでいい。
俺にとってのドラマっていうのはそんなものなんだ。うん、それだけでいい。それだけで満足できる自信が俺にはある。
だけど、現実は決定的に、壊滅的に、違う。
十六年間、そんな展開は一度だって訪れなかった。テストで一番になったこともなければ、何かの委員長になったこともない。女の子としゃべったことなんて今年に入ってから合計一時間も無いような気がする。高校二年になった時、中学生のころから好きだった、細川芽衣と一緒のクラスになったことが一番のドラマティックな展開だって言えば言えるけど、彼女と口を利いたことは、残念ながら、そして当然ながら、無い。皆無。ゼロだ。
細川芽衣は生徒副会長で(この副、ってところがちょっと控え目な彼女らしくていい)、成績優秀で、顔だって――、今年になってから二人が彼女に告白して振られたという噂を聞いた。つまり、ずば抜けて可愛い学校中のヒロインだってわけじゃない、でも確実にファンはいる…。それくらいの可愛さがささやかで、俺好み。
それに比べて。生物部というマイナーな文化部を選び、しかもさらにその中でも一番マイナーな古生物班(化石を掘ったり分類したりするんだこれが)というグループに入ってしまった俺と細川の間に何の接点がある?そんなの誰に言われなくたって分る。接点なんてものは、無い。
目立ったことなんて本当に何にもない。誰かにあだ名をつけられたことさえない。そう、つまり、俺はあまりにも、フツー。フツーすぎる人間。
それが、俺だ。
その日、2010年7月20日、夕方の5時25分。俺は部活を終えて、家に帰る途中だった。部活って言ったって特に何かやるわけじゃない。くだらない話をしたり、週刊マンガ雑誌を読んだりして、時間をつぶしただけ。五時半から始まるテレビ番組(大きな声では言えないけど、女児向けのアニメ番組『学園コンフィデンシャル』。アコ、イマル、ウノの小学生三人組がちょっとした事件を解決する痛快アニメ)を観るために引き上げてきた。
俺はウノが好きだ。三人目にメンバーになった女の子だ。どうやら三人の中では一番人気がないらしい。何故だ。カレーパンが好きだからか?これだから一般人は困る。三人目はカレー好きと決まってる。だいたい、アコは元気すぎるし、イマルは頭が良すぎて話しが合わなそうだが、その点ウノはバランスがいい。なにより三人目のメンバーなのに、UNOって名前がいかしている(と、俺は思う)。
特に、先週の話しで、アコの決め台詞、「とうとう虎の尻尾を踏んじゃったわね」を横取りして言っちゃったりしたところなんか、たまらない。そして何より、おでこを出してる髪型が可愛い。
とにもかくにも、俺は『学コン』を見るために、部活を引き上げる。
録画はしない。俺の部屋にはテレビがない。テレビがあるのは居間。家族が皆、そこでテレビを見るし、ビデオを観る。つまり、HDレコーダーもそこにしかないわけで、そんなところで録画予約を見られたりしたら、大変なことになる。
だから、俺は家に帰って、ちょっと菓子でもつまみながら、如何にも興味なさそうなフリをしながら、横目で『学コン』を観るわけだ。
問題なのは、妹の真由(12歳)がたまにその時間には帰宅していて、裏番組のバラエティを見たがることだ。俺としては、『学コン』を如何にも観ていないようなそぶりを崩さないように注意しながら、真由がチャンネルを変えるのを阻止しなければならない。
先週は、リモコンを隠した。真由はさんざん部屋中を探して、怒りまくった。
「あー!何で?朝はこのテーブルの上にあったよね!?」
「んー?そうだっけ?」
ごまかしながら、見続ける俺。
「絶対あった!」
「おふくろがどっかに仕舞ったんじゃねえの?」
「じゃあ兄貴はどうやってテレビ点けたのよ!」
真由はこういうところが鋭い。とても小学生には思えない。
「それはあれだ。テレビの電源を直接、ぽちっとね」
「もう!」
真由はとうとうリモコンを探すのをあきらめ、テーブルについて、俺の食べていた菓子をつまんで、言った。
「あー、これ、クラスの子が観てるって言ってた奴だ。こんなの観てて喜んでるなんて考えられる?もう六年生だよ?」
真由は良くこういう言い方をする。でも、真由は小学生の癖に、確かに発育がいい。さすがに背は俺よりは小さいが、まあ、いくつかの部分はひょっとしてうちのクラスの女子より発達しているのではないか、という感じもする。今の季節、Tシャツの背中に、ブラジャーのホックの膨らみが見てとれる。少し透けている気もする。もう六年なんだったら、白いTシャツは止めろ。透けてるんだよ。正直困るんだよ。見ていいのか、悪いのか。それとも見せてるのか。
「別に六年でもいいんじゃねえの?面白ければ」と俺は真由の背中から視線を外して言った。
「面白い?だって、これ、子供向けだよ?コンビニとかで本、売ってるの見たもん。ほら、四角くてさ、10ページもないのに紙が段ボールみたいだから、結構厚いの。文章なんて、全部振り仮名振ってあるんだよ。カタカナにも振ってあるの」
知ってる。何しろ持ってるからな。だが実は持ってるなんて口が裂けても言えない。俺はとぼけて話を続ける。
「お前もわざわざ何でそんな本、見るんだよ」
「クミちゃんの誕生日がもうすぐでしょ?だから見ただけ」
「クミちゃんは見るのか?『学コ』――いや、こういうの」
「そ、結構好きみたいだよ」
クミちゃんというのは、真由のクラスメートだ。うちにもたまに遊びに来る。家も近所で、いわゆる幼馴染って奴だ。俺のじゃなくて、真由のだけど。でも、俺のことを兄貴と呼ぶ真由と違って、クミちゃんは俺のことを『お兄ちゃん』と呼ぶ。小さいころからうちに遊びに来ていたし、昔は一緒に遊んであげたりしてた。賢治兄ちゃん、というのが小さかったクミちゃんには難しかったらしくて、省略して、『お兄ちゃん』だ。そのまま、小学六年生になった今でも、俺のことを『お兄ちゃん』と呼ぶ。癖になっちゃったってわけだ。クミちゃんは可愛いし、そう呼ばれて悪い気はしない。真由と交換したいくらいだ。だいたい、真由に一度でも『お兄ちゃん』って呼ばれたこと、あったか?いや、ないな。
「出た。また兄貴のその顔」
「その顔って何だよ」
「ぼーっとしちゃってさ、人の話聞いてないんだから」
「聞いてたよ。クミちゃんの話しだろ」
「ならいいけど。でもさ、クミちゃんがさ、あれだったらちょっとあたし、付き合い考えちゃうかもなあ」
真由は、あれ、という部分を顔をしかめながら吐き捨てるように言った。
「あれって何だよ」
「あれだよ、ほら、秋葉系って奴?」
「秋葉系?!」
つい怒鳴ってしまった。
秋葉系って何か差別的な響きを感じないか?そういうのが好きなやつは皆、秋葉系とひとくくり。いや、俺は違う。大体、俺は新番組を全部チェックするようなタイプじゃない。嘘です。一応全部チェックはしてる。でも、続けて見てるわけじゃない。『学コン』はたまたま雑誌で見た絵が気に入って見続けてるだけだ。児童向けの癖に、アニメ雑誌にイラストが載るってこと自体、ちょっとおかしい。作り手も、間違いなく意識してるよな。
まあ、それはそれとして、『学コン』は作りも丁寧だ。特に、スタッフにヨシオカヨウイチという人が関わっている回は見逃せない。ストーリーも啓蒙的だし。深いテーマを感じる。単なる萌えとかじゃなくってさ。まあ、そういうことに、秋葉系の奴らは気付かないだろうけど。そうなんだよ、つまり、断じて俺は秋葉系なんかじゃないんだ。大体、秋葉系の奴らは、こんな風にテレビでオンエアなんて見ない。HDに録画してチェックするか、ネットに流出した奴を見たりする。俺は、きちんと、テレビの前で見る。敬意を持って。DVDや、ブルーレイが出たら、ちゃんと買う。リッピングとか、しない。
そう、俺はアニメの経済流通の一翼をきちんと担っている。だから、俺は秋葉系じゃない。どっちかって言ったら、中野系だな。中野にも色々そろってるよ。それに大体、今の時代、密林ですぐ買えるんだよ。わざわざ秋葉なんて行くかよ。ま、たまに市場調査はしに行くけどさ。
そんなわけで(どんなわけだか分からないが)、俺は、いつものように通学路の途中にある駄菓子屋でコーラを買って、飲みながら歩いていた。ここから家までは二分もかからない。番組の始まりには余裕で間に合う。いつも通りの決まり切った日常。今日は真由はもう帰ってきてるだろうか?帰ってきていた場合、どうやってごまかして見るか。今日はリモコンをは隠さなかった。さすがに二週連続は怪しまれる可能性がある。でも、なんでこんなに苦労しなきゃいけない。大体どうしてうちにはテレビが一台しかないんだ。このご時世、一家に一台ってのはないだろ。でも、俺の経済力ではテレビは買えないし、突然テレビなんぞ買い込んだ日には『一人で何見る気?』と真由が首を突っ込んでくることは間違いない。くそう。この前携帯を新調した時、ワンセグにしとけばよかった。でも、携帯の小さい画面で見るのは中野系を自負する俺としてはいかがなものか。
その時、耳元で何かが鳴っていることに気付いた。
最初は、耳鳴りのような音だった。ブーン、という虫の羽音みたいな。無意識に手で顔の周りを払う。でも、音は消えない。むしろ、どんどん大きくなってくる。
地震の前触れ?
一瞬、そんな考えが頭の中に浮かんだ。でも、地面は揺れない。揺れる気配もない。辺りを見回したけど、俺のほかには誰もいない。昔ながらのだだっ広い空き地があるだけだ。F先生の漫画に良く出てくるような、土管がある、そんな空き地。音が大きくなり、我慢できなくなって俺は耳をふさいだ。次の瞬間、目の前が真っ白に輝いて、同時に、すごい爆発音が響いた。そして。
目の前に、突然、そう、本当に突然、一台の車が現れた。DMC-12、通称デロリアン。そう、『バックトウザフューチャー』って映画で、主人公が乗っていたタイムマシンのベースにされていた車だ。この前、テレビでやってるのを観た。
「は?」
俺は思わず、手に持っていたコーラを地面に落とした。勿論、ばりんと音を立てて、ビンが割れた。このビンを駄菓子屋に持っていけば10円貰えたのに。学校そばの駄菓子屋は21世紀の現在もそんなことをやっている。そしてそれの恩恵に意外と与かっている俺。――10円だって、10本で100円だ。でも、そのせこい考えも一瞬でかき消えた。
目の前に突然現れたデロリアンが、そのまま凄いスピードで空き地の境目にある壁に激突したからだ。壁が壊れた。煙が出て、今にも爆発しそうな雰囲気を醸し出している。いや、醸し出しているなんて場合じゃない。ガソリンに引火したら確実に爆発する。この住宅地で爆発なんてしたら、とんでもないことになる。
その途端、俺の内に信じられないほどの力がみなぎるのを感じた。今まで感じたことのない、パワー。例えば、パズーがフラップターに逆さになってシータを助けに向かった瞬間もこうだったろう、ってくらいのパワー。悟空が重り入りの胴衣を脱ぎ棄てた時もこんな感じかもしれない。例えが古い?放っておいてくれ。
俺は今にも炎を上げそうな車に向かっていった。既に燃え始めている炎が頬を焦がす。ドアは熱くなっていて、一瞬やけどしそうになる。しかし、そんなことを言っている場合じゃない。俺はドアを力いっぱい持ち上げ、運転手を救い出した。気を失っている。一瞬で運転手の体を見回す。目に見える怪我はしていないようだ。その運転手を俺は担ぎあげて、車から出来るだけ急いで離れた。
その瞬間、背後で大きな音を立てて車が爆発した。俺は運転手を抱えたまま倒れこんだ。車の部品だか何だか分らない細かい破片が俺の周りに飛んで落ちた。振り向くと、車は真っ赤な炎を上げて燃え上がっている。
「――君か――助けてくれたのは――ありがとう」
運転手が意識を取り戻して、俺に言った。
「そんな、大丈夫です。立てますか?痛いところとか、ありませんか?」
「ああ、大丈夫みたいだ――」
言った途端、運転手はまた意識を失った。
「大丈夫ですか!?ちょっと!?」
はっと我に帰った時、車はまだ噴煙を上げていた。俺はただ、煙を上げている車をじっと佇んで見ていただけ。指一本動かしちゃいない。さっきまでのは妄想だった。自分の馬鹿さ加減にあきれた。
でも、現実ってのはそんなもんだ。だけど、現実が妄想を超える場合があるってことを俺は次の瞬間、思い知ることになる。
煙を出している車のドアが勢いよく開いて、人がよろよろと出てきた。中から出てきたのは、俺と同じくらいの年頃の女の子だった。見たことのない制服を着ている。制服のスカートから出ている足が綺麗だ。黒のオーバーニーソックス、いいね。
いや待て、俺と同い年くらいの女の子?運転免許を持ってるはずがない。無免許?無免許でこの事故?その場合、どうなる?無免許運転、器物破損。
また俺がぼんやりと考えている間に女の子は、俺を見つけると、表情を明るく輝かせて、叫んだ。
「ここは2010年7月20日?」
奇妙な第一声を女の子は発した。右腕に付けた時計を見ている。何かのキャラクターウォッチだ。しかしピンク色はないだろ。まあ、人の趣味をとやかく言う気はないけど。
それにしたって第一声が日時確認って何だ。でも、女の子の勢いに乗せられて、つい頷いてしまう俺。次の瞬間、女の子が叫んだ。
「助けて!博士が殺されちゃう!」
これが、人生十六年目にして、俺が遭遇した、最初で最大のドラマの始まりだった。
2
「博士が危ないの!博士を助けなきゃ!」
デロリアンから出てきた彼女は俺に詰め寄ってきていきなりまくし立てた。
「博士が危ないって何?っていうか、これ、何かの撮影?君、何処かの学校の映画研究会?そう言えば小妻女子の映研は凄いって噂を聞いたことが――。あ、でも制服が違うね。あ、それ、衣装?」
小妻女子って言うのはうちの高校の近くにある女子高のこと。文化祭に行くにはチケットが必要でそれを貰えるのがステイタスだったりする。俺は勿論もらったことはない。中学時代の同級生が何人か通ってるんだけど。
「映画研究会?そんな話してないでしょ!」
あっさり否定された。まあ、慣れてる。それにしても、こんなに連続して真由以外の女の子と話したの、久しぶりだな。
「博士が危ないの!あたし、博士を助けに行かなくちゃ!だから博士、早くタイムマシンを直して!」
頬を赤く染めて、懸命に話す彼女は正直言って、中々可愛かった。目鼻立ちが整っていて、唇はちょっと厚めだ。ぽってりって感じでピンク色。化粧とかはしてないのかな。それで、リップクリームだけはちょっとつけてるみたいな。髪は黒い、肩までのストレート。いいね、純和風。スタイルも悪くない。いや、むしろ良い。それでいて、何処となく垢ぬけてない感じがする。でも、そこがいい。都会的すぎない感じ。ちょっと前髪を下ろしているのが気に入らないけど。俺は女の子は額を出していた方が可愛いと思う。彼女もこの前髪をあげれば――。
むにゅ。
妄想していた俺は突然、頬を両掌で挟まれて、顔を無理やり彼女の顔に向けられた。彼女の大きな目がじっと俺を見つめている。ふむ、瞳の色が少し茶色っぽく、薄い。何か、猫みたいな感じの女の子だ。
「ちょっと。話し、聞いてます?」
「ん?猫?」
「はあ?猫の話なんてしてないでしょ?」
ああ、してなかったっけ。俺の心の中の話だったね。
「博士が危ないんだってば!だから、早く博士にタイムマシンを直してほしいの!」
掌で頬を挟まれたまま、俺はぽかんと彼女を見つめる。
「タイムマシン?」
「そう」
「博士って、誰?」
「博士は博士でしょうが!」
「その博士が危ないんだ?」
「だからそう言ってるでしょ!」
「で、博士にタイムマシンを直してほしいと」
「そう!」
「その博士は何処にいるわけ?」
「どっちの博士?!」
「二人いるの?」
「二人じゃないけど、二人みたいなものよ。一人は20年後の世界で、ピンチになってる。もう一人はここにいる」
「ここって?」
「あなたに決まってるでしょ!大橋賢治、16歳!」
彼女はビシと俺を指さして言った。
大橋賢治。ああそうね、それは確かに俺の名前だ。十六年間、その名前だったから、間違えるはずもない。でも、俺は博士になった覚えも、そんなあだ名で呼ばれたこともない。さっきも言ったけど、あだ名なんてつけられたこともないんだから。
「なるほど、博士も大橋賢治なわけだ。うんうん、俺と同姓同名。でも、残念だけど、人違いだよ」
そう言った途端、彼女の顔がまた紅くなった。照れてるわけではないのは、眉が釣り上ったので分かる。いらいらしたのか、前髪を手でかきあげた。おでこが露わになる。あ、やっぱおでこは出した方が可愛い。
「馬鹿じゃないの!?だから、大橋賢治16歳は20年後、タイムマシンを作っちゃうのよ!そしたら、変な人たちが博士を襲ってきて、あたし、一人でここに来たの!」
「ああなるほど、君、タイムマシンに乗って、未来から来たんだ――――」
「そう!」
確かに、俺もあの映画は凄く面白いと思った。タイムマシンがあったらいいなと真剣に思った。もし、タイムマシンがあったら、今の知識を持ったまま、幼稚園に戻りたいなんて思った。そうすれば俺の人生、もうすこしましになるかもしれない。
だけど、そんなのはゲームや小説、アニメや映画の中だけの話だ。現実にあるはずがない。
「さよなら」
俺は踵を返して歩き始めた。可愛い子と話が出来るのは嬉しいけど、わけのわからないことには付き合えない。可愛い子だったのに、残念なことをした。
「ちょっと何処行くの!」
「家」
「あっ、それってつまり、信じてないのね!?あたしが未来から来たってこと!」
どうやって信じろっていうのさ、そんなの。
「わかった!あたしが未来から来たって証明する!」
どんどん歩いていく俺。
ああそうだねえ、未来から来たって証明するよね、やっぱこういう展開の場合。そう思いながらも、無視して歩いていく俺。
「ちょ、ちょっと待ってってば!」
彼女は走ってきて、俺の前に回り込んで、通せんぼした。
「――タイムマシンに乗って、未来から来たんでしょ?うわあ、未来人だあ。うんうん、信じたよ。でも、俺、急ぐから」
「だから、信じてないじゃん!」
彼女が体全体で俺にぶつかってきた。ふわりと良いにおいがした。ぶつかった時、やわらかい感触も味わった。うん、これで十分、俺はもう満腹です。
「信じてる信じてる。だからさよなら」
「だから証明するってば!」
彼女はそう言って、制服のポケットから携帯電話を取りだして、何やら操作しだした。俺に向ける。ピロン、と音がして小さな赤いランプがついたから、何か撮影でもしたのだろう。
彼女は、その携帯を持って、俺に近寄ってきて、画面を見せた。
「いい?見ててね」
自慢げに再生する彼女。
ぼけっとした顔をした俺が映っている。何か起こるのかと一瞬思ったが、何も起こらない。普通の、携帯ムービー。映像の俺はぽかんとしたまま、何度か瞬きしている。へえ、ムービーで撮られると俺はこういう顔してるんだ。
「どう?信じた?」
「…」
「すごいでしょ?ね?未来ではこんなことも出来るんだよ?」
自信満々に言う彼女。
俺は、自分の携帯を取り出して、画面を開いた。カメラを彼女に向けて、撮影する。そして、そのムービーを見せた。彼女の顔が驚きの表情に変わる。口をぽかんと開けている。ちょっと頭が足りない表情だけど、結構そういうの、俺は好きだよ。
「嘘!?この時代、すでに携帯でムービーが撮影出来るとは――」
――頭が足りなそうなのは好きだけど、リアルに足りないのは困る。ちょっと痛い子なんだろうか、この子。
「あのさ、ごめん。悪いんだけど、俺、急ぐから」
そそくさとその場所から俺は逃げようとした。ああ、もう五分も経ってる。テレビ、始まっちゃった。でも、まだオープニングが終わって、始まったばかりのころだ。急げばまだ、取り返せる。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「――」
「じゃ、こういうのは?」
彼女は叫んで、携帯MP3プレイヤーを出した。表情が『今度はどうだ!』とばかりに輝いている。
「どう?小さいでしょ。これに音楽を転送して――」
言いかける彼女に俺はポケットからiPodとイヤフォンを出して、見せた。
「ぎゃっ」と彼女が軽く悲鳴を上げた。
「さようなら」
確かにドラマティックな出来事を俺は期待していた。でも、これは無いんじゃないですか、神様。俺は無視して歩き続けた。イヤフォンを耳に挟む。イヤフォンからは発売されたばかりの『学コン』のオープニング曲が流れ始めた。この曲、結構名作だと思うんだ。まじで紅白に出てもおかしくないんじゃないかな。歌は、主役三人の声をあててる役者さんが歌ってるんだけど、レコードメーカーとの契約の関係なんだろうな、役者名じゃなくて、キャラクター名で歌ってる。
「じゃあこれは!?じゃあ、これ?」
俺の背中で、彼女が色々と『未来の道具』を取り出しているらしい。音楽の向こうでかすかに聞こえる彼女の声。俺は振り向かず歩き続けた。そりゃ、どこでもドアでも出してくれたら信じるさ。タイムマシンだって、机の引き出しから出てきたら信じたかもね。他にも、猫がじっと待っている扉とか、ラベンダーの香りとかさ。それとも君の腕にタイムリープできる回数でも書いてあるかね。あ、そういえば中の人が主演の映画もあったよね。
「そっ、そうだわ!あのね!今日の『学コン』は大した話じゃないから観なくてもいいわよ!グロス回で作画もいまいちなの!」
突然彼女が俺の背中に叫んだ。俺は立ち止って、振り向いた。イヤフォンを外す。
「何だって?」
「だから、今日の『学コン』は大した話じゃないから観なくてもいいの!グロス回で作画もいまいちなんだって!」
予告を見た限り、今日はウノのお当番回だったはず。それがグロスで作画いまいち?どういうことだ製作委員会!いや、それはいい。それより、『学コン』は始まったばかりの番組だ。全国ネットの番組だし、誰かが先行で見れるはずが無い。見れるとしたらスタッフくらいだ。ネットに映像が流出したって噂も聞いてない。
「――君、アニメ会社の人?」
「は?なんでそうなるの?!」
「じゃあ、なんでそんなこと知ってるの?」
「博士がぼやいてたのを聞いたの。すごくメーカーが厳しくって、ニヤニヤチューブに流れた映像もすぐに削除されちゃうんだって」
「ニヤニヤチューブ?何それ?」
「映像共有サイト。無料で色々観れるんだよ。アニメとかも結構アップされるんだけど、自動音声検索なんとかってのをメーカーが使ってて、そうするとアップした瞬間に消されちゃうの」
「自動音声検索なんとか?」
「アニメの色々な部分に特定の信号を入れてあるんだって。それを検知すると自動で削除しちゃうんだって」
「へえ――」
そんな技術があるんだ。知らなかった。
「でも、博士はそういうので絶対アニメ、観ないんだって」
「何で?」
「敬意の問題だって。それで、見逃した今日の話を見るために結局、博士はコレクターズボックスが発売されるのを待って、それ買ったんだって。9800円」
「9800円?高い!」
「なのに、作画修正されてなかったって!」
「作画修正されないの!?」
思わず叫んでしまった。いや、それはいいや。
「あのさ、博士って、いくつ?」
「20年後のあなたなんだから、36歳に決まってんでしょ」
「36にもなってコレクターズボックス?もしかして、博士って――秋葉系?」
「秋葉系じゃねえ、俺は中野系だ!経済流通の一翼を担ってるんだって。あ、後なんか言ってたな。何でこれがこんなところに?とか」
意味がわからん。
でも。
――。
俺は、初めて彼女の顔をまっすぐ見た。――まだ、信じたわけじゃない。でも、秋葉系じゃなくて中野系で、経済流通の一翼を担ってるって、その言葉は――そう、信頼できる気がした。
「とりあえず、名前、聞いてもいい?」
俺は彼女の横に座って、聞いてみた。
「山城美都。14歳。やましろみと、ね。やまぎじゃないから」
14歳。もう少し年上かと思った。
「山城さんはさ」
「美都でいいよ。何か変だもん」
「変?」
「だって博士はいつもあたしのこと、美都って呼ぶもの。博士に山城さんとか言われると何か変な感じするし」
いつもあたしのこと、美都って呼ぶし。ふむ。つまり、その博士とこの美都ちゃんは、良く一緒にいるわけだ。
「あのさ、一応聞くけど、君と博士って、何なの?」
「何なのって、何?」
「いや、だから、その関係とか――」
「関係~?」
「伯父と姪とか?何か親戚みたいな、そういうの?」
仮に俺がその博士だとして、どうして俺がこんな若い子と交流を持つんだ?接点なんて考えられない。
「姪って何?」
「姪は姪だよ。行方不明になって猫バスに乗って探すメイじゃない」
「は?」
「いや、何でも無い。この場合はそうだね、博士の兄弟とか、姉妹の子供?」
「違うわよ!博士には妹がいるけど、まだ結婚してないし」
博士が俺だとして妹は真由だよな。へえ、結婚してないんだ。何かざまーみろ。
「博士とあたしはね、博士とあたしは――」
美都はそこまで言って、急に黙った。
「教えない!」
なんだそりゃ!
「なんで?俺が博士なんだろ?君の説では」
「確かにそうだけど、あなたはまだ博士じゃないもん。これから20年経って、あたしと会ってから博士になるの」
何だよ。博士って呼んだり、違うって言ったり。凄く気になるじゃないか。だいたい、もし彼女の言うことが本当だとして、20年後の俺は一体何をやってるんだ?36歳の男と、14歳の女の子。親戚じゃない。普通に考えて接点ないだろ。もしかしてあれか?20年後、俺は何だか大人の魅力を醸し出しちゃったりして?禁断の関係とか?それで、20年後の俺は何か、モテモテ?くそう。何だかムカついてきた。
「あのさあ、一応聞くけど、20年後の俺って、どんなの?女の子にもてちゃったりするわけ?」
「もてる?博士が!?もてるわけないじゃん!殆ど引きこもりだよ?家にずっとこもって、パソコンばっかやってるし。顔だって、殆ど今のあんたと変わらないよ?そんなのもてるわけないじゃん!」
「――」
ものすごく、傷ついた。『顔だって、あんたと変わらないよ』つまり、あんたの顔はもてる顔じゃないってことだ。そうだよ、確かに、俺はもてない。でも、みんな俺の何を知ってるって言うんだ。まあ、知られるほど、誰かと接触を持たないようにしてきたけど。でも、俺は誰かにここまではっきり『あんたもてないよ』って言われたことはなかった。
ここまでずばりともてない、と言われたのは初めてで、うすうすわかってはいたけどその現実を突き付けられたって感じで、いや、勿論その博士っていうのが俺っていう証拠はどこにもないんだけど。
「あのさ、何考えてるのか知らないけど、そんな時間ないんだってば」
薄々感じてたけど、ズバリ言われるって感じ。ああ、ちょっとお腹痛いな――なんだろうこれ、と思って調べてもらったら末期がんでした。そんな感じが一番近いのかな。余命半年です。みたいな。
「ちょっと!」
また、頬を挟まれて、ぐい、と顔をのぞきこまれた。
「博士、もう殺されちゃってるかもしれないんだよ?早くタイムマシン直して、帰らないといけないの」
美都は本気で怒っているみたいだった。俺は、彼女の手を外した。
「あと半年の命なんだよ」
「は?」
「違った。あのさ、君が本当にタイムマシンで来たとするよね?」
「だから、そうなんだってば!」
「いや、順を追って話させて。タイムマシンが直れば、君は未来に帰れる。タイムマシンなんだから、帰る時間とか、設定できるでしょ?ここに来たのも、偶然じゃないんでしょ?」
美都はぱちんと手を鳴らした。癖なんだな、きっと。
「そうだ!博士とね、話しをしてたの。タイムマシンが完成したから、あたしに最初に見せてくれてたの。それで、博士が色々な思い出話をしてくれてて――」
「――はあ」
「20年前の自分は、いつも『学コン』観るために部活を上がって、この道を歩いていたって。いつも、5時25分だったって」
「――もしかして、それでタイマーをセットした?」
「そう。あの時代に今の知識を持ったまま戻れたら、人生変わるなあ――とか――、そもそも、この時間に戻れば、『学コン』のコレクターズボックス、買わなくてもいいんだなあ、とか」
――客観的に見て、かなり駄目な36歳だ。もしかして、20年経っても、俺は変わらないのか?未来は真っ暗?いやまて、博士が俺だって証明されたわけじゃない。――段々、俺のような気がしてきたことは事実だけれども。それはとりあえずおいておこう。
「とにかく、タイマーがセット出来るんでしょ?だったら、今そんなに急がなくても、事件が起きる時間に戻ればいいわけだよね?」
「それは確かにそうなんだけど」
「だから、いまちょっと色々話しをしてても問題ないと思うんだ」
美都は何かを考えている風だった。ちょっとうつむいて、地面を見ている。髪が頬に落ちて、それが風に少し揺れていて。可愛いな。確かに。何だ俺は。細川一筋じゃないのか。
次の瞬間、デロリアンがボンと大きな音を立てて、ボンネットが跳ね上がった。
「あ!忘れてた!デロリンが!」
「デロリアン」
俺は訂正したが、美都は聞いていなかった。デロリアンに駆け寄ろうとする。
「危ないって!もう無理だよ」
「だってタイムマシンが!」
「いや、仮にあれがタイムマシンだとしても、あんなになってるの、俺には直せない。君が本当に未来から来たんだったら、ごめん。もう現代に溶け込んで生きてくれ」
「無茶言わないでよ!あたしにはあたしの時代があるんだってば!」
「そりゃそうだろうけど、危ないって」
「何よ、馬鹿!駄目人間!」
酷い言葉をあっさりと口にして、美都はデロリアンに近づいていって、背後の座席から何かを取りだした。次の瞬間、デロリアンは炎上した。




