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早朝に走っていると、同じように走っていたり犬の散歩をしている人とよく顔を合わせるようになる。何度も会うようになると、話をしないまでも会釈をするようになる。
幸子も、宮本にとってそんなうちの一人だった。一度逃げた犬を捕まえて話をしてから、なんとなく顔を覚えて挨拶するようになったのだ。
「もう会えなくなると思ったから、最後の日に、勇気をだして、先輩に告白しようとしました。でも……」
「あー……」
多分彼女の言う最後の日、彼女は、秋なのに時季外れのレースのワンピースという、およそ犬の散歩には向かない格好で散歩をしていたのだ。いつものように挨拶して通り過ぎようとしたその瞬間、おそらく振り向こうとした彼女は、おりしも降り出した雨に足を滑らせてはでに転んだ。大丈夫? とか何とか言って手を貸したのを覚えている。白いワンピースは子犬と同じ茶色になり、ひどく泣きそうな顔になった彼女は真っ赤になって逃げだした。
「恥ずかしくて、結局告白どころかお礼を言うこともできずに別れてしまいました。あの時は、ありがとうございました」
再び、幸子は頭をさげた。
言われた宮本は、まじまじと幸子を見る。あの時までに、何度か幸子とは顔を合わせていた。しかし、その頃の彼女のイメージは、今の彼女のものと全然違う。もっとおとなしくて、お嬢様然とした少女だと思っていたのだ。
「その時からずっと後悔して後悔して……先輩がこの学校の人だということは、ジャージを見てわかってましたから、あれから志望校を変更したんです。もう一度、会いたくて。そうして、この街へ、戻ってきたんです」
顔をあげた幸子は、まっすぐに宮本をみつめた。
「あんな後悔、もうしたくなかった。だから、私なりにがんばったんです」
「……そうだったんだ」
必死に言い募る少女の言葉が、陰る。
「本当はこんなこと、いまさら、なんですけど、夏の騒ぎの娘たちと一緒にされたくなかったから……」
幸子は、柔らかく笑った。今まで見せたことがない、大人びた笑顔だった。
「先輩が困っているの、本当はわかってました。でも、先輩は優しかったから、私に向けてくれる笑顔は本当の笑顔なんじゃないか、って……いつか私だけに笑ってくれるんじゃないか、って……そんな期待を、どうしても捨てられなかったんです……。迷惑かけて、ごめんなさい」
「こっちこそ、ごめんな」
拓巳の声に、幸子はふるふると首を振って宮本を見つめると、笑顔のまま言った。
「今まで私のわがままに付き合ってくださって、ありがとうございました。私、先輩のこと……好きでした」
宮本は、何も言えなかった。
「さよなら、先輩」
「……さよなら」
そういって宮本を見つめると、幸子はくるりと背を向けて去って行った。もう、振り返らなかった。