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「拓巳」
「ん?」
「ありがとな」
それを聞いて拓巳は、ふ、と笑った。
「うまくいったようだな」
「おかげさまで」
「泣かせたのか?」
思い出した宮本は、微妙な顔つきになった。
「誤解でなー」
「そっか。女を泣かすと、後が怖いぞ」
「実感こもってる言葉だなあ」
「まあ、いろいろと」
苦笑した拓巳に、宮本がへらりと表情を崩す。
「でも、すげえかわいかった……。涙目のみちるの、ホントかわいいことったら……うっかり押し倒しそうになったよ」
「げ。まさか、お前……」
「いや、さすがにそこまでは。ああ、あの顔、見せたかったなー……いや」
宮本はくすくすと笑う。
「やっぱり見せない。あんな顔は、俺以外の誰にも見せない」
「ああ、わかるわかる。それ」
拓巳だって、他の誰にも見せたくない莉奈の顔がある。
「まあ、それはこれからのお楽しみってことで」
くすくすと二人が笑っていると。
「先輩」
もう何度も聞いたその声に、宮本はゆっくりと振り向いた。
そこには、薄闇でもわかるくらい、赤く目を腫らした秋葉幸子がいた。
「秋葉さん」
「ごめんなさい」
宮本が何か言う前に、幸子は深く頭をさげた。
「わかっていたんです。昨日、お話をした時に。でも、どうしても、あきらめきれなくて……いじわるをしました」
顔をあげた幸子には、いつもの明るさはかけらもなかった。
「でも、高瀬先輩には謝りません。そんなことで先輩をあきらめるような人には、先輩を渡したくないから。あの人……私が欲しくて欲しくてたまらないものをとっくに手に入れているくせに、全然わかってなかった。自分がどんなに幸せな立場にいるのか気づきもしないで……そんな姿を見てて、先輩があんまりかわいそうで……」
「でも、それは君が決めることじゃないよね」
「拓巳」
冷たく口をはさんだ拓巳を、宮本がとめる。幸子は、唇を噛んで黙った。視線を落としたまま、絞り出すような声で告げる。
「入学する前から、ずっと、先輩のことが好きだったんです」
「え?」
予想していなかった言葉に、宮本は目を丸くする。てっきり、幸子も夏の騒ぎで自分を知ったと思っていたのだ。
「なんで……いつから、俺のこと知ってたの?」
「先輩、毎朝うちの前をロードワークしていたんですよ」
クラブをやっていたころは、体作りのために、宮本は登校前に毎朝ロードワークを日課としていた。
「去年の秋……先輩、犬をつかまえてくれたこと、覚えてます?」
「犬?」
宮本は首をひねって考える。秋……犬……
「ごめん。覚えてない」
「たっつんに3日以上前のことを思い出せって方が、無理な話だ」
「るせ」
幸子は、少し悲しそうな顔をあげたが、すぐにまたうつむいてしまう。
「前から、いいなあ、って見かけてはいたんです。あの日、私が散歩中にうっかりリードを離してしまって、それを先輩が捕まえてくれて……。それがきかっけで、挨拶するようになって、私……」
「あ。犬って、もしかしてちっこいぽわぽわしたやつ?」
はっとして、幸子が顔をあげた。
「茶色い……ああ、思い出した。そっか。君、あの時の……そういえばよく顔合わせてたけど、確か、あの雨の日から君のこと見なくなって……」
「はい。私、親の都合で県外へ引っ越したんです」