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7



――――…



 盛大な遅刻ではあるけれど、二学期最終日ということでお父さんに学校まで送ってもらい、教室のドアを開ける。

 しんと静まり返った無人の教室。

 今まさに終業式の最中のようで、生徒達は皆体育館に居た。

 流石にそこに後から参加する気にはなれず、教室で式が終わるのを待つことにする。


 あたし以外誰もいない校舎はどこか寂しささえ感じる。

 いつもここは、人の気配と声とでいっぱいで、何か目に見えないものでいっぱいに、溢れてたから。

 

 窓際の自分の席にひとり座って、窓の向こうに視線を向ける。

 お母さんも、こんな気持ちだったのか。

 ここからあの病院は見えないけれど、あの病室からは遠いけれど、この学校が見えた。

 この学校の、旧校舎が。

 どんな気持ちで見ていたのかは、やっぱり分からないけれど。


 そっと、自分の机にポケットから取り出したものを置く。

 ついさっき、病院でお父さんから受け取ったオルゴールと、そこから取り出した青い石。

 それからいつも自分の首元に下げていたお母さんの“お守り”の石もそこに並べてみた。


 まるで同じ色。お母さんの石の方が一回りほど大きいぐらいで、見た目はまるで一緒だ。

 

『――マナの、貴石いしだね』


 ふと、あたしについていたリズさんが、どこからともなく声をかけた。

 リズさんはこの世界にるだけで、少しずつ魔力と存在自体を喪失しているらしい。

 今はあたしの魔力の残存に縋っている状態だ。


 だけどあたしの力というのは、どんなに異質であっても世界を越えることはできないことわりのようで、じきにこの世界からは消失する。

 あの世界の神という存在は、この世界では生きられない。


『……思い出したよ。むかし、マナが約束の証に、“マナの貴石いし”をみっつに分けて、それぞれに持たせてくれたんだ。マナと、アタシと、あと……あと、ひとりは……誰だったかねぇ……』


 その、存在自体が。

 リズさんという存在が、少しずつ失われていく。


 その影響かは分からないけれど、リズさんの姿も少しずつ変化している。

 まるで時をさかのぼるかのように、今はあたしと同じくらいの少女の姿。

 神さまに年をとるという概念はないらしいけれど、だけど生きて積み重ねた時間は確かにあり、それが姿形へ影響をもたらすのは当然だろう。

 今はそれが、少しずつ。剥ぎ取られていっている。


 一番はじめ、会ったときに感じたあの威圧的なおそろしさはもはや微塵も感じない。

 これが、神々の“死”なのか。

 すなわち“無”に還るということ。


 その最期の場所を、生まれた世界ではなく別に世界に選んだ。

 その理由はあたしには分からない。

 だけどあたしには、もう。

 どうすることもできなかった。


「……みて、リズさん。――海。こっちの世界の海も、綺麗でしょう……?」


 リズさんの目的が何なのかは分からないまま。

 思えばあたしは結局、分からないことだらけだ。

 お母さんのことも、あの世界のことも。そして、自分のことも。


 だけど、だから、せめて。

 リズさんの最期はあたしが見届ける。そう心に誓っていた。

 そしてそれならば場所は、あの海が良いと思っていた。


「……あとで、行こうね。連れてってあげる。リズさんの知らない、海へ」


 あたしの声が、言葉が。どれくらいリズさんに届いているか分からないけれど。

 リズさんが僅かに目をみはり、ゆるゆると視線を窓の外に向けた。

 とてもゆっくりとした動作で。


『……マナも、同じことを、言っていた』


 小さく零したリズさんの、頬をつたう光の雫が机で弾けるのと同時に。

 遠くの喧噪があっという間に校舎に広がり、終業式を終えた生徒たちの気配がすぐ傍まで伝わってきた。

 そして教室のドアを勢いよく開ける音と共に、リズさんがその姿と気配を空気に溶かす。

 微かにしかもう、分からないように。


「――真魚まお?! 来てたんだ! 来るなら言ってよ、今まで何してたの?! メールの返事もないし……!」


 教室に一番に入ってきたのは、早帆さほだった。

 その後からぞろぞろと続く面子に、クラスメイト達。

 皆後は待つばかりの夏休みを前に、どこか顔も声も弾ませている。


 さいごに七瀬ななせが携帯電話片手に教室に入ってきて、それからあたしの姿を確認して、思わずその足が止まった。

 それとほぼ同時にポケットの中の携帯が振動する。おそらく、七瀬から。あたしを心配する思いが届いているだろう。これまで何度もそうしてくれたように。


 いつの間にかあたしの周りには、早帆や加南かな凪砂なぎさ未波みなみといったいつもの顔が当たり前のように囲んでさんざん文句を並べていて、それからその顔のまま動かない七瀬を大声で呼ぶ。

 つられるように七瀬が、ようやく止まっていた足を動かして近づいてくる。


 この世界に戻ってきてから、ずっと考えていた。

 旧校舎のプール。あたしが消えるところを七瀬に見られて、見送られて。

 必ず戻ってくるよと約束して姿を消してから、こっちでは2日以上が経っていた。ケータイにはたくさんの着信とメール。返事はしようと思えばできた。でもあたしはそれをしなかった。

 ――戻れない可能性も、あったから。この世界には、もう二度と。

 でも、こうして。待っていてくれていたひとを目の前にして。七瀬の泣きそうな顔を見て。どれほど心配させていたかを、痛感して。

 帰ってきて良かったのだと、初めてそう思えた。


 七瀬は無言であたしの前までくると、その瞳にあたしの姿をしっかりと映して、それからゆっくりと表情を崩した。


「……おかえり」

「……ただいま」


 おそらく呑みこんだ、いくつもの言葉。

 それを感情のままに晒すことも問い質すこともしない七瀬は、やっぱり大人だ。あたしなんかとは違って。


 ――なんか、って。言っちゃダメなんだった。

 七瀬にそう言われた。そういえば。

 ちゃんと目の前の人と向き合わなければいけない。

 あたしは、ここで――


「なに、どういう空気なの、コレ」

「えーわっかんないけど、良い空気ってことじゃない?」

「どういうこと? 真魚と連絡とれなくていっちばん心配してたの七瀬のくせに……何か知ってたってこと?」

「まぁ、いいからいいから。なにはともかく、夏休みだぜ夏休み!」


 あっという間に夏の気配が、開放感で教室中を染め上げる。

 あちこちで浮き足立つ生徒たち。頭も心ももう既に、来る夏の予定でいっぱいなのだろう。

 高揚感が教室の外まで溢れていて、ついさっきまでの無口だった校舎があっという間に賑やかになる。


 ああ、とても平和で平凡な、あたしの日常が戻ってきた。

 あたしの日常に、戻ってきたんだ。


「そういえば、あたしが、その……学校で倒れたって、うちに連絡してくれたの……七瀬?」

「いや、俺じゃないよ。ずっと真魚がどこに居るのか分からなくて、真魚の携帯に連絡はしてたけど…」


 お父さんが言うには、同じ学校の男の子から連絡をもらったって言っていた。

 名前は名乗らず、聞きそびれてしまったらしい。

 てっきり七瀬かと思っていたけれど――


「じゃあ、誰が――」


 ぽつりと零した呟きが、ざわりと教室の隅の喧噪に重なる。

 さっきまでの賑やかな喧噪が僅かに潜まり、ちらちらと幾人かのクラスメイトの視線が教室のドアの所へと集まっていた。

 誰か別のクラスの生徒でも来たのだろうか。それだけでこんなに視線を集めないか。


 つられるようにあたし達も、そちらへと視線を向ける。

 おそらく他の学年の生徒だろう。この微かに色めきだつ空気は、イケメンでも訪ねてきたのか。

 教室のドアの所で対応しているクラスメイトの女子の声音が心なしか高くて黄色い。


 それからその女子の視線が、振り返りこちらを向いた。まっすぐ、あたしの方へと。

 ドアの向こう、廊下側でドアの影に隠していたその姿が、教室内を覗き込むことであらわになる。

 あろうことがその人物は、クラスメイトに指差されるままにあたしの姿を確認すると、ずかずかと教室内に足を踏み入れてきた。


 突然のその異質な訪問者に、さっきまでとは別のざわつきが広まる。

 視線を纏ってその人物はあたしの目の前まで来て、そして武骨な態度であたしを見下ろした。

 

 見覚えのある、その顔。

 どうしてすっかり忘れていたのか。

 実家うちに連絡をしたのはこの人か。


 相手を見上げる自分が今、どういう表情かおをしているのか分からない。

 ただ。

 同じような境遇であるはずの、一緒に帰ってきたこの人物を、心から歓迎する気にはとてもなれなかった。


「……忘れてた。あなたのこと」

「良い度胸だな、マオ。恩人に向かってその態度とは」

「――リュウ」


 どうして忘れていたのか。

 シェルスフィアで最後、むりやりあたしを連れ帰ったのは、引き離したのは――目の前の相手、リュウだったのに。



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