リリー
「ねえ、次はいつ会えるの」
「来週からちょっと忙しいんだよね。また、こっちから連絡するよ」
隆志は真新しいトランクスを履きながら言った。
「うちらって、付き合ってるんだよね?」
女が細い声で訊いた。
「わかんないな」
「なにそれっ!うちのこと好きだって言ってくれたじゃん」
「うん。でも、なんていうかな。優ってハンバーグ好きだよね。でもハンバーグ以外にもケーキとかラーメンとかも好きじゃない。付き合ってる云々っていうのは、それと一緒だよ」
「なにそれっ! てかうちの名前千里なんですけど……」
女が両手で顔を覆い声を殺して泣き出した。
隆志は女に一瞥くれて
「もうバイトの時間だから行くわ。また連絡する」
と言ってラブホテルの安部屋から出た。
空は晴れているのに歌舞伎町の空気はよどんでいた。マルボロを吸いながら新宿駅に向かう。一本吸い終わる頃合いで到着。小田急線構内に入ると、快速急行本が来ていたのでそのまま乗り込んだ。
車内は混みあっており、座るどころか携帯を取り出すのにも難儀するほどだった。
夏休みに入ってすぐの週末のためか、家族連れが大半を占めている。
車内はネッタリとした熱気が漂い、ゆっくりと蒸し焼きにされているようだ。
自分がいる車両が弱冷房車だと気づいたときにはすでに電車が動き始めていた。
気を紛らわそうと携帯でミキシーのサイトを開いた。
ツイッターに取って変わられた感のあるミキシーだが、まだまだやっている女は多い。頭の悪い、流行の3歩後ろを歩いているような女だ。
隆志にメッセージが届いていた。
送り主はリリー。どんな女だったかまったく記憶にない。隆志はメッセージを開いた。
{メッセージありがとうございます。私もタックンに興味を持ちました。ぜひ、今後ともどもよろしくお願いします}
好意的なメッセだった。リリーのプロフィールページへ飛ぶ。
名前 リリー 性別 女性 現住所 神奈川県かわさき市 年齢 19歳 誕生日 8月10日 血液型 A型 出身地 パリ 趣味 映画鑑賞 自己紹介 リリーです 良い天気が好きです 少し傷つきやすいです 仲良くしてください
現住所を見て先週末の飲み会を思い出した。
それは講師も参加するクラス単位の飲み会で、あまり面白いものではなかった。暇を持て余してした隆志は、悪友五人と共に誰が一番早く麻生区内のセフレを作れるか勝負しようという話になったのだ。一人二千円出し、一番早かった者が総取りする。
名前がリリーで、出身地がパリってことは、フランス人か! この女が麻生区在住だったら即ゴーだな。
下世話な算段をしていたら、あっという間に新百合ヶ丘についた。
賃貸しているボロアパートに帰り着いた隆志は、すぐさま携帯を開き、ソファーに体を沈ませてリリー宛てのメッセージを打った。 安心感を与え親近感を感じさせつつ清潔感に充ちた文章がベスト。
ネットで拾ったミキシィナンパ入門を思い返して文章を練った。
{メッセありがとうございます。すげえうれしいです。プロフィール見てもらえたならわかると思うけど、俺も川崎市在住なんですよね。麻生区です。ちなみにリリーさんはなに区ですか?ちょっと気になっちゃたりしちゃいました}
いい感じのメッセだ。後はリリーちゃんからの返信を待つのみ。
満足したら津波のような睡魔が襲ってきた。隆志はそのまま眠りの世界に飲み込まれていった。
携帯の着信音で目が覚めた。電話を受ける。
「もっしー、いま駅前で飲んでんだけど、出て来れねえ?斉藤と二人っきりで、ちょっと寂しいんだわ」
頭の先から出ているような頓狂な声。こんな音を出すのは真二以外にいない。
「真二か。なんで斉藤なんかと飲んでるんだよ」
「いろいろあってさ。斉藤のおごりだし、来ない?まだ六時だし」
どうせ今夜は眠れそうにない。真二の誘いを快諾して電話を切った。
シャワーを浴びて服を適当に見つくろって家を出る。
真二と斉藤は駅前の魚民で飲んでいた。
隆志が合流したときには、すでに二人とも出来上がっていてえらく上機嫌だった。
「はじめまして斉藤です、ってはじめてじゃないか。同じクラスだもんね。へへへへへ。ちょっとオシッコしたくなっちゃった。このグラスにしていい?ってウソウソウソ。オシッコしてきます」
斉藤が席を離れると、真二が隆志に顔を寄せて言った。
「今日、全部斉藤のおごりだから、遠慮なく飲みまくろうよ」
「ああ。でもなんでそんな話しになったわけ?俺ら、斉藤とつるんだことなんて一度もないじゃん」
「いや、オレってやさしいじゃん。だから悩んでる斉藤の恋愛相談に乗ってあげたわけ。結局、振られたんだけどぉ、斉藤がすげえ喜んじゃって、お礼がしたいって言うからさ。んで斉藤にこの間の賭けの話しをしたんだぁ。そしたら、誰が一番になりそうなんだってオレにすげぇ訊いてくるからぁ、隆志じゃないのって言っちゃったわけ。そしたらさぁ、ぜひ話しがしたいから呼んでくれって頭さげられちゃってぇ。あんまりうるさいから呼んじゃった。ごめんに」
「いいよ。暇だったから」
斉藤がトイレから戻ってきた。
「早速ですが斉藤さん! ただ一人の女性も振り向いてくれない僕に、女性にもてる方法をご教示してもらえませんか」
モテる男と言われて悪い気はしない。
「女をモノにするのは簡単だよ。正確に言うとモノに出来る女はごまんといるって感じかな」
斉藤が割り箸が入っていた紙袋に隆志の発言を書き込んでいる。
「つまり、やれそうな女にアプローチするってこと。そうやって経験を積んでいけば、自ずとレベルが上がる。レベルが上がればやれる女の範囲も広がる」
「そうか。まだ僕は里美さんのレベルに到達していなかったんだ」
目を輝かせて斉藤が言った。
「ところでさぁ、賭けの方はどんな感じなの。オレはぶっちゃけリタイアって感じなんだけど」
真二が言った。
「そっか。俺は目星をつけた女が一人いるんだよね」
「まじでぇ! どこの女? なんで知り合ったの? なんでなんで?」
隆志は黙って携帯でリリーのページを開き、真二に渡した。
「へー、スゲエ! でも、この女ちょっとおかしくねぇ?」
「なにがおかしいんだよ」
「いや、日記がマジでひどいっぽい」
そう言って真二が日記を声に出して読み始めた。
「わたしは今日六時にお器用と思って六時に置きました。早起きは気持ちいいです。九時になったので用事を足しに出かけていきました。新宿の駅は人が多くてたくさんの人にふまれそうになりました。用事を足してコンビニでコーラの新しいものが出ていたので買いました。夜買えるころには涼しくて気持ちよかったです、だってさ」
真二の物言いにイラっとして携帯を奪うように取った。
「リリーちゃんは外人なんだからしょうがないだろ。おまえフランス語で日記書けるのかよ。英語だって無理だろ」
「外人って、マジかよ。それだったらあの漢字間違いとかも納得だわ。ちゅーことは、隆志は外人をセフレにするってことだ! すげえ! オレも会わしてよ。合コンしようよ、合コン」
「まあ、まだ落としたわけじゃないから。もしヤったら、すぐに連絡するよ」
「マジで頼むよ。さすがモテる男は違うわ」
「僕もぜひお願いします」
「お前はレベルが五十足りねえってのぉ。ねぇ~、隆志さん」
猫撫で声を出す真二に苦笑しながら隆志は頷いた。
翌日、リリーからメッセージが届いていた。
{メッセージ送れてすいません。私もすごいうれしいです。私が住んでいる所も麻生区です。すごい近いです。ひょっとしたら顔を見たことあるかもしれません}
これ以上がないほどの返事だ。
隆志はすぐさまメッセージを送った。
{同じ麻生区だなんてすごい奇遇ですよね!
運命を感じます。ちょっと大げさかな。もしよかったら運命に従ってメシでも食いに行きませんか? お返事待ってます}
返事は三分待たずに返ってきた。
{お食事うれしいです。私はあなたと食事に行きたいです。一緒に行きたいです。これがわたしのパソコンのメールのアドレスです。
Lilly@○○○○・co・jp メールを待っています}
まさかのメルアド。二通のメッセージだけでここまで進展するのは初めてだった。モテ男のオーラがウェブを介して伝わったのだ。
喜び勇んでアドレスを打ち込んでいるうちに、あまりに出来すぎている気がしてきた。ひょっとしたらネカマに騙されているのかもしれない。少し探りを入れてみよう。
隆志は送られてきたメルアドにメールを送った。
{メルアドありがとうございます。うれしさのあまりすぐ返信しちゃいます。うざかったらすいません。食事は今週末あたりでどうでしょうか?都合の良い日を教えてください。話しが変わるんですが、リリーさんはフランスの方なのでしょうか?フランス人ってことは金髪で青い瞳なんですよね。見たいなあ。写真撮ってこっちに送ることって出来ますか。出来れば、いま撮ったという証拠になるような撮り方で}
メールはしばらく経っても返ってこなかった。
やはり彼女はフランス美女なんかではなかったのだ。あやうく引っかかりそうになった自分を恥じた。どうやって真二たちに言い訳しよう。そんなことを考えていた最中に、リリーからメールが返ってきた。
{カメラを探すのに時間がかかりました。すいません。あまりうまく取れませんでしたけど、ごめんなさい。お食事は金曜日は駄目でしょうか?}
メールには画像が添付されていた。
おそるおそる画像を開く。そこには脱税疑惑で今日の新聞一面を飾った菅首相のアップと、その横でまぶしい笑顔を宿した白人美少女が写っていた。
欧米人は日本人と比べて老けて見えるものだと思っていたが、写真のリリーは十四、五歳に見えた。
透けるような白い肌の上に、アーモンド形の青い瞳、まっすぐ通った鼻梁、薄い唇がバランス良く乗っている。過剰に自己主張するパーツは一つもない。顔の大きさは写真の菅首相と同程度だから、日本人感覚でいうとかなり小さいほうだろう。
隆志はリリーにあらぬ疑惑を向けたことを猛省した。すぐにメールを返す。
{変なことお願いしてごめんなさい。リリーさんはすごいかわいいですね。マジで驚きました。僕も金曜日空いているので、二人の出会いを祝ってお食事しましょう。駅前のミスド前に六時でどうですか?}
送信ボタンを押す親指が少し震えた。心が浮ついている。ここしばらく味わっていない感覚だった。
リリーからの返信。
{かわいくはないです。六時にミスド前、わかりました。私は麦わら帽子を被って行きます}
隆志はしばらく携帯を見つめていた。
液晶画面に接吻し、文字を打ち込む。
{了解です。僕はフレッドベリーの緑色のポロシャツを着ていくので、よろしくお願いします}
店内の時計を見る。五時五十分。もうこれ以上はやる気持ちを抑えきれない。
隆志はミスタードーナッツの店内を飛び出すと、麦わら帽子を探して周囲を見回した。しかし見当たらない。
まだ早い、まだ十分もある。自分にそう言い聞かせ、タバコに火をつけた。
絶え間なく煙を吐き出す。吸っても吸っても肺に届く感触がない。
時計を見た。五時五十七分。こんなことなら電話番号を聞いておくんだった。
ひょっとしてどこかの陰から覗いていて、自分の外見が気に入らなくて帰ってしまったのかも。最初からいたずら目的だったとか。真二が裏で糸を引いているのかも。
最悪の考えが頭に散乱した。
「あ、あの、隆志さんですか?」
甲高い声が後ろから聞こえた。
振り返ると、そこにいたのは眩い輝きを放つフランス美少女、ではなく、みすぼらしい身なりの小柄な中年女だった。
胸まで無造作に伸びた癖毛、トロンと眠そうな目、口元は一部分が茶ばんだマスクで覆い隠し、肌は漬けたてのたくあんのように黄ばんでいた。
ファッションも散々たるものでった。限界まで広がったゴムのデニムのゴムスカート。足元を飾るのは、五本指ソックスに、見たこともない昔のアニメがプリントされた子供用サンダル。
上はダンロップのTシャツ一枚で、襟元が伸びているため、無造作な腋はおろか、乳輪まで少し見えた。
「リリーです。会えてうれしいわ。どうしよう、ドキドキしちゃう」
甲高い声に頭がクラクラする。
「今日、お食事行くって言ってたでしょ。でもあたし来る前にスーパー寄って、いろんなもの買ってきちゃったんだ。だから、今からうちに行こう。おいしいものいっぱい作ってあげる」
そう言ってリリーが手に持っていた大型のエコバッグを広げた。
中には大根やら挽肉やらの食料品、その上になぜか折りたたみ傘、人形、ティッシュペーパー、ハードカバーの小説、裸の果物ナイフなどがところ狭しと詰められていた。
「ふざけんじゃねえよ」
エコバッグを思い切り手で払いのけた。
エコバッグが宙を舞い、中身がミスドの前に広がる。
リリーが慌てた様子でそれらを拾い集め。エコバッグに再び詰め始めた。
醜くうごめくリリーの臀部。隆志は衝動的にその肉だまりを突くように蹴った。頭から転がるリリー。
「なにがリリーだよ。ふざけやがって。二度と連絡してくるんじゃねえぞ。次会ったらこんなもんじゃ済まねえからな」
ミスドから店員が出てきたところで、隆志は走って逃げた。
五百メートルほど遠ざかってから歩きに切り替える。
妙な視線を感じて振り返った。女二人がこっちを見てなにか話している。目が合った。二人は逃げるように走りだした。
擦れ違う人間がことごとく自分をぶしつけに見ていった。目を合わせようとすると目線を逸らし逃げていく。
そんなに怖い表情をしているのだろうか。もう疲れた。早く帰って寝たい。
隆志は家路を急いだ。
トン、トン、トン、トン、ドンドンドンドン、ドドドドドドドドドドドドン!
隆志はドアが叩かれる音で目を覚ました。
こんな深夜になんなんだ。
寝惚けた状態でチェーンロックをしたままドアを開ける。
そこに立っていたのは五頭身の化物だった。
「ウーウウウ、ワァー」
地を這うような唸り声をあげてドアを引っ張る。チェーンのおかげで開かない。
隆志は玄関に飾ってあるアイヌ民族を模った木彫りで、わすかに開いたスペースから化物を突き刺した。
「うびゃあぁ」
木彫りが額に刺さりモンスターが仰け反る。その隙に一気にドアを閉め内鍵をかけた。
隆志は完全に覚醒し、夕方の出来事を思い出した。
あれはリリーだ。なんでこのアパートがわかったんだ。
外から泣き喚く声が聞こえた。
こうなったら警察に頼るしかない。
隆志は110をプッシュした。
「はい。こちら神奈川県警です」
「あの、ミキシィで知り合った女に襲われてるんです。助けてください」
「もしもし、落ち着いてください。今の状況を簡単に説明していただけますか」
「だから変な女がいきなり僕の家に来て襲い掛かってきたんです」
「いま、その女は近くにいるんですか」
「はい。多分」
「女がいるかどうか確認することは可能ですか。今夜、事件が多発してしまって近場に手の空いた警官がいないんです。急迫な事態でしたら違う現場の警官を至急向かわせますので、その確認だけよろしくお願いします」
「わかりました。やってみます」
隆志は恐る恐るドアを開けた。そこには誰もいなかった。
「誰もいないようです。でも怖いので出来るだけ早く来てく、うわぁ!」
携帯を持っていた右手に激痛が走った。思わず携帯を放してしまう。
「どうしたんです。大丈夫ですか。もしもし、もしもし……」
隆志が携帯に手を伸ばした。
バリッ
不快な破壊音が響いた。携帯の上に乗る五本指ソックス。ゆっくりと目線を上げるとリリーが虚ろな目つきで隆志をにらんでいた。
「もう、やめろぉ」
隆志は中腰のままリリーにタックルした。あっさりと後ろに崩れるリリー。隆志は無我夢中でリリーを殴打した。何発も何発も殴りつけ、拳が痛くなると、代わりにアイヌを模した人形で何度も何度もリリーを打ち付けた。
「中原さん、中原隆志さん。警察です。開けてください」
呼びかけられた声で隆志は我に返った。立ち上がると地場がぐにゃりと歪んだ。足元に目を凝らしてみると、アフリカの仮面のように顔面を腫らしたリリーが倒れていた。つま先で蹴ってもピクリとも動かない。
隆志は恐怖でバランスを崩し、尻餅をついた。
「違う。俺が悪いんじゃない」
そのままの姿勢で、現実から一歩でも距離を置こうと後ずさった。
トン、トン
なにかに肩を叩かれる。びくっとして振り向くと、写メールで見たリリーの顔がそこにあった。無機質な顔だった。
「全部あんたが悪いんでしょ」
リリーが甲高い声で言った。
その刹那、胸に鋭い痛みが走った。焦げるような熱が胸を満たしてゆく。
後ろでドアを蹴破る音が聞こえた。しかし振り返る力は残っていなかった。まぶたが重く垂れ下がってくる。抗するように力を振り絞って目を見開いた。
―ブチッ―
眼窩を犯される感覚ともに隆志は意識を失った。
「叔父に聞いたんすけど、麻生区の事件やばいですよ。絶対におかしい」
「下手なこと言うもんじゃないよ」
証拠品保管庫前の看守室で、若い警官と中年の警官が話していた。
「でも、ガイシャを刺し殺した犯人が煙のように消えたんですよ。俗にいう密室殺人」
「それくらいよくあるだろ」
「まだまだ謎はあって、容疑者の一人でガイシャに撲殺された高木康子とガイシャの接点がミキシィらしいんですけど、高木康子は機械類をまったく操作出来なかったらしいんすよ」
「どういうことだ」
「やっと食いついてきましたね。高木康子は精神病院を出てきたばかりだったんです。病院からお払い箱にされたようですね。常に薬漬けの朦朧とした状態で、パソコンどころか電子レンジも扱えなかったらしいんです」
「なんでそんな女がミキシィだっけ、それを出来たんだ?」
「鈍いっすね。誰かが手を貸したに決まってるじゃないっすか」
「そうか。じゃあ、そいつがもう一人の犯人だ」
「ところが、母親の話しによると康子は退院してから事件当日まで、一歩も家から出ていないらしいんです。おかしな話しでしょ」
「ああ……。気持ち悪いな」
アラームが鳴った。
「十二時だ。おまえ先に仮眠入れよ」
「うぃーす。さっきの続きなんすけど、決定的な証拠品がいまここにあるらしいんですよ。だから今夜辺り真の犯人が奪回に来るかもしれません」
「ふざけるな。さっさと寝ろ」
若い警官が仮眠室へ消え、中年警官はさっきの話しを思い返した。
決定的な証拠品とはなんなのだろう。好奇心がうずいた。
なくなっていないか確認するだけだ。
奥行きのある空間ににずらりと並ぶ棚。
中年は番号を確認して一つの引き出しを解錠した。ゆっくりと引く。
そこには刃渡り十五センチほどの血に塗れたナイフと、全長五十センチほどの人形が透明ポリエチエンの袋に入れられてあった。
「なんだこいつ。一丁前に麦わら帽子なんて被りやがって」
言い終わるやいなや、右目に強い衝撃を受けた。弾けたような音がして視界が閉ざされる。
「うぎゃあ」
苦悶の声を上げた口の中に何かが入り込んだ。舌に激痛が走る。
{たすけてくれ。誰かたすけて}
声がまったく出ない。無傷の聴覚が甲高い女の笑い声を捉えた。背筋に悪寒が走る。
笑い声は延々と続いた。中年の聴覚が閉ざされるまで。
―ブチッ―
「全部あんたが悪いんでしょ」




