33話 クラリス・クラノイド
神剣に絶対切断の加護を加えた一撃が、鋼鉄よりも硬い筋肉で覆われた身体を横一線に斬り裂いた。
マリーの剣をまともに受けたジャックからは鮮血が飛び散り、口からも血が地面にポタポタと垂れている。
しかしマリーは千載一遇の決め所をしくじったと口元をキツく噛んだ。
完全に真っ二つにする踏み込みだったというのに、刃が入る瞬間に空中を蹴って致命傷を避けられたのだ。
もうジャックはこのプライドの戦いはして来ない。
目には尚も殺意の塊に満ちているが、周囲に放っている圧が大きく減っている。
「勝負あったわね、ジャック」
「ふざけるな。俺はまだ生きているぞ」
「いいえ、もう終わりよ。貴方はもう私には勝てない。それにレルゲンだってもう傷が治る。
複数人で貴方と戦いでもしたら、それこそ弱い者虐めになるもの」
「誰が…誰に向かって…この俺が弱い者だと!?
ふざけるな、ふざけるな…ふざけるなぁァアアアアアアア!!!!!」
完全に理性を失い、獣の咆哮を上げて全身から魔力が噴き上がる。
「アアアァァァアアア!!!!」
「待って下さい!まだ治療は!」
まだ八割にも満たない万全の状態とは言い切れないレルゲンが、セレスティアの静止を振り切ってマリーの隣に立つ。
「もう平気なの?」
「大丈夫だ。これくらいなら戦える」
「そう」
マリーもまたレルゲンが戦える状態ではないことは気づいている。
しかし、隣に立ってくれるだけで勇気が湧いてくる。
私が、私が彼を、みんなを護ってみせる。
マリーの全身から白い魔力がゆらゆらと陽炎のように噴き上がる。
魔力の絶対量が人よりも少なかった頃が懐かしいとレルゲンは思いながらも、
黒龍の剣に魔力を込めるためにウルカのサポートを貰いながら全魔力を解放する。
それでも青くはならず、赤いままの魔力放出がレルゲンの身体を包み、二人はお互いに薄く笑う。
ジャックは口元に魔力を集中して、核撃とは思えない程の魔力圧を放ちながら発射まで後数秒といったところ。
お互いの魔力と魔力がぶつかり合う。
「行くわよ、レルゲン!」
「いつでもいける!」
二人と狼の王がぶつかり合う、事はなかった。
音もなく現れた一人のメイド服を纏う、
いかにも暴力とは無縁そうな出立ちをしている一人の銀髪の女性が、長い髪をなびかせながらジャックの首元に優しく手刀を入れる。
触れるようにジャックへ入れられた一撃とは言えない程の手刀は、容易にジャックの意識を刈り取った。
その場に力無く倒れ込むジャックを見て、
優しそうな表情をして手刀を入れた時とは違い眉間には皺が寄り、開けられた青色の瞳には侮蔑の感情が宿っている。
「ここまでやられるとは無様ですね。
魔王軍幹部、戦力筆頭の名が泣きますよ。ジャック・ボロス」
脅威が去ったと思いきや、また新たな魔王軍関係者と思われる人物と鉢合わせになる。
あの状態のジャックの意識を容易に刈り取ったのだ。間違いなく相当の実力者だと伺える。
しかし、突き刺すような殺意がジャックから溢れ出ていたのに対し、このメイドからは全く殺意が、基より気配や感情すら感じられない。
レルゲンとマリーは即座に魔力解放を止めると、メイドはレルゲン達を見て優しく微笑み、深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。
ここであなた方と"戦う予定"は全く無かったのですが、この犬が先走ってしまい大きな損害を与えてしまいました。
お詫びにこちらをお飲み下さい。
毒は入っておりませんのでご安心を」
手からは人数分の赤いポーションが渡され、以前カイニルにもらった体力と魔力がフルに回復するものだと分かる。
「ありがたく頂くが、貴女は何者なんだ?」
メイドはふふっと笑い、短いスカートの丈を摘んで再度頭を下げる。
「ご挨拶が遅れました。
私はクラリス。クラリス・クラノイドと申します。
そちらのフルポーションは私たち魔王軍からのお詫びと思って受け取って下さい」
「そうか、では一応毒分離の魔術はかけさせてもらうが、貴女を侮辱するつもりはないのでご容赦頂きたい」
「ご自由に」
毒の反応はない。嘘偽りの感情が込められていない事は今の短いやり取りで分かってはいたが、やはりどこか掴みどころがない。
レルゲン達がポーションを飲み切ったのを確認してからクラリスはジャックを担いでその場を後にする。
「それでは皆様、私はこれにて失礼致します。
魔王城でお会いしましょう。生きてお会い出来るといいですね」
去ろうとするクラリスをレルゲンが呼び止める。
「待ってくれ。"クラリスさん"」
「何か?」
「そいつを、ジャックを連れ帰ってどうするんだ?」
疑問の表情を浮かべながらも、クラリスはしっかりと返答してくれる。
「魔王様直々に処断をして頂きます。
皆様にはもうお会いする事はないでしょう」
「そうか___」
再度軽く頭を下げてクラリスは森の中へ溶けるように消えていった。