1話 魔界
マリーが開口一番、眼前に広がる景色を見て疑問を溢す。
「ここが、魔界…?」
転移が成功して辺りを皆が見回すが、どこか頭で思い描いていた風景と違う。
周囲には魔力が満ち満ちており、満ちているがゆえの木々が無数に生えている。
これは間違いなく中央に生やされていた木々と同じ種類だが、幹の太さが中央と比べると段違いに太い。
数人が両手で手を繋いだ輪を作ってようやく一周できる太さを誇っていた。
これだけでも周囲の魔力濃度の高さを伺うことができたが、
それだけではなくレルゲン達が知っている魔石とはまた違った種類の魔力の結晶体がそこら中に精製されている。
中央の市場で出回ったら、間違いなく超貴重な代物として扱われるだろう。
正に異界と呼ぶべきに相応しい環境を成していたが、一つ気になる点がある。
それは、パーティで一番範囲の広いセレスティアの魔力感知に一体も魔物が引っかからないということだ。
これだけの魔力濃度の高い環境であれば、
深域のように五、六段階目の魔物がそこら中を歩いていてもいいように思えるが
全くと言っていいほどに静かな樹海は、レルゲン達の心を逆に不安にさせた。
「静かすぎる…セレス、魔物が隠蔽魔術を使って接近してくる可能性はどれくらいあると思う?」
「はっきりとは言えませんが、可能性は低いと思います。この高過ぎる魔力濃度では
魔力が収束せずに核となる魔石になり辛いのでは無いでしょうか?
あそこに精製されている結晶体も、元はこの環境起因によるものでしょうし、魔物がいないのも何か理由があるのかもしれません」
「とりあえず、隠蔽魔術をかけつつ周辺を探索してみよう」
全員が無言で頷き、すぐにカバーができる範囲を保ちつつ散会し前進。
レルゲンの魔力糸で全員を繋ぎ、思念伝達ができるようにして不測の事態に備える。
しかし、魔物以外の小動物に至るまで、まるで生命の気配がない。
あるのは何本も自生している大木と、紫色の結晶体のみ。
数時間ほど歩いた頃だった。
どこか遠くの、遥か遠くの奥で
カン!カン!カン!
とゆっくりとした一定のリズムで音を発しているのに気づく。
レルゲン達は一度立ち止まり
(何かがいる。一応すぐに戦えるように準備していてくれ。ディシアは俺の側に)
散会から密集して少しずつ音の源へと近づいてゆくと、何者かが斧の様なもの振って大木に打ち付けている。
木こりのようにも見えるが、容姿は人型の悪魔と思われる幼体だ。
木の影から木を切り倒そうとする悪魔をしばらく眺めているが
一向にその場を動かずに一生懸命に斧を振り続ける姿を見て、レルゲン達は何もせずにその場を後にする。
幼体の悪魔がいるということは、付近に悪魔の集落のような物が恐らくあると考えたため
この場でこの悪魔を討伐する気にはならなかった。
再び歩を進めているとやはりというべきか煙が樹木の隙間から覗くことができる。
間違いなく集落の営みがあることの証を見つけて、ここが本当に魔界のどこかである事を自覚する。
(今日はここから少し離れた所で野営をしよう。火は起こせない。魔術も探知に引っかかる恐れがある。しばらくは我慢してくれ)
何はともあれ、レルゲン達には情報が足りない。
もっと悪魔の容姿に詳しくなれればセレスティアの擬態魔術で化けながら探索することも可能になるはずだが
それでも知らない土地、知らない環境での目立った行動は出来るだけ避けたいと予め打ち合わせで決めていた。
黒いフードを目深に被り直し、全員が集落から遠ざかる様に歩いてゆき、音もなくその場を後にした。
魔界に到着してから二日目。
レルゲンとセレスティアが二人で上空に念動魔術で飛び、辺りを見回していた。
もちろんセレスティアの隠蔽魔術で隠れながら飛んでいる訳だが、上空から地平線の先を確認しても大きな建物は確認することができない。
それよりも手前に、集落と思われる雨風を凌ぐ布、または革のような見た目の物で出来た簡易集落がいくつか確認できるのみ。
これは闇雲に歩き回るよりも、危険を承知で現地の悪魔に接触した方がいいかもしれないとレルゲンは考える。
(セレス、ここから魔王の下までまだまだ距離がある。ある程度リスクを取って接触した方がいいと思うが、どう思う?)
(私はもう少し周辺を探索してから悪魔に接触しても遅くは無いと思います。まだ焦る時では無いかと)
(わかった。降りてみて皆んなにも聞いてみよう)
セレスティアを抱きながら、ゆっくりと大きな木の枝部分に降り立つ。
隠蔽魔術を解除してマリーとディシア、召子に説明すると、もう少し探索してから接触をすることで決まり
近くに水辺が無いか念動魔術で樹海地帯を後にする。
集落が近くにあったことから水辺が近くにあると思われたが、しばらく飛び続けても水辺を発見するには至らなかった。
「どうするの?」
「ここには何も無いと思うが、同じような場所が続くだろうし、一度降りて周辺を見てみようか」
赤い岩石地帯にレルゲン達は降りると、流れてくる風は生温かく、ここでも濃い魔力が辺り一面を覆い尽くしている。
赤い岩に触れてみると、岩からも仄かに魔力を感じる事ができる。
特殊な材質で出来ているようだ。
「ただの岩じゃなさそうだな」
感覚を鋭くすると、地面の砂からも魔力が伝って念動魔術による飛行で消費した魔力がすぐに回復してゆく。
すると、ディシアがここで一つの仮説を立てる。
「この溢れる魔力環境に常に触れ続けるのは私達ですらかなりきついものがあります。
そこで顔色が悪くなっている召子を見れば明らかですが…
このきつい環境に始めから身体が適応されている悪魔達は
それだけ魔力に対する抵抗力が自然と鍛えられて、強い個体が多いのでは無いでしょうか?」
飛んでいる際は気づかなかったが、確かに召子の顔色が若干悪いように見え
セレスティアが介抱するために回復魔術を掛けると召子がお礼を返す。
「すみませんセレスティアさん…ちょっと気分が悪くて…」
「魔力を全く持たない召子はこの環境にまず慣れる必要がありますね。
前に召喚された勇者もきっとこうだったのでしょう」
軽くえづきながらも、召子がその場に座り込む。セレスティアが召子の背中をさすってはいるが
もう我慢の限界が近いようで、召子が岩陰に駆け込む。
落ち着くまでしばらく待っていると、少しスッキリした表情になって帰ってくる。
「大丈夫か?」
「すみませんレルゲンさん…長時間の飛行はなるべく控えて下さると助かります…」
「わかった。召子が慣れるまでの水は自分達の魔力で作って代用しよう」
召子に取って豊潤すぎる魔力は毒になる。
深域で多少慣れたとはいえ、それよりも遥かに濃い魔力濃度の魔界では、召子が慣れるまでは大規模な戦闘は控えることに決まった。
召子はフェンに跨りながらうつ伏せになり、まず環境に慣れることが仕事になる。