第一章 10話 レルゲン・シュトーゲン 改稿版
次に彼が目を覚ましたのは、闘技大会があった日から三日後だった。
「お姉さん!お兄さんが目を覚ましたよ!ほらお姉さんも起きて!」
「えっ!彼が起きたの?」
机に突っ伏して寝ていたマリーががばっと勢いよく起き上がる。
「はしたないぜ、嬢ちゃん」
少し呆れながら笑い、差し入れと思われる袋を片手に扉を開ける白髪の剣士。
「うるさいわよ、ハクロウ」
徐々に意識がはっきりして、全身の痛みに気が付く。
手には厳重に包帯がまかれ、
全身にも薬草を染み込ませたであろう包帯がグルグルとまかれていた。
マリーに起こしてもらい、ゆっくりと座る。
「そういえば、アンタの名前、聞いていなかったな」
「なんか遅すぎる気もするが。自己紹介をさせてもらうぜ。
俺はハクロウ。姓はない。ボウズ、嬢ちゃんを護ってくれて感謝する。
あれは俺じゃどうにもできなかった。本当にありがとうよ」
「それで?そろそろ貴方の名前を教えてくれてもいいんじゃないの?
私の英雄様」
少し考える。だが、短期間とはいえ共に過ごした中だ。
この人達なら、きっと受け止めてくれる。
「俺は……俺の名前はレルゲン、レルゲン・シュトーゲン」
場が一瞬凍り付く。だがその場を引き戻したのは、やはりマリーだった。
「レルゲン…もしかしなくても「旧王朝」の名よね。
学が高いことを言うと思っていたわ」
未だに緊張している状態のハクロウ。
今ここに剣があったとしたとしたら、恩知らずな行動に走っていたかもしれない。
「ハクロウ、彼は経歴はともあれ、
暗殺されそうな私を助けたお方よ。控えなさい」
「すまねぇ、頭ではわかっちゃいるんだが、どうかしちまってるな。
でもよ、感謝していることだけは本当なんだ。信じてほしい」
「いいさ、こうなることをわかって俺も名乗ったんだ。気にしないでくれ」
「なんか難しくてよくわからないけど、みんな仲良しってことだよね?」
「そうよ。みんなで乗り越えた。だから仲良し!」
「おいしいところは全部レルゲンが、いや、やっぱりボウズはボウズだわ。
このボウズが持って行っちまったがな」
「もう!水を刺さないでよね」
下の方から賑やかな気配を察してか、女店主が一声かける。
「この街の英雄様がお目覚めなのかい?
賑やかなのも結構だけどさ、水でも持っていってやんな」
「あたし行ってくる!」
元気に階段を降りていく店主の娘。
どうやら宿屋の親子は無事な様だ。
ほっと胸を撫で下ろしていると、からかう口調でマリーが続ける。
「貴方、見た目によらず結構優しいところあるわよね」
「見た目は余計だ」
「あら?結構元気じゃない。
倒れた理由はマインドダウンって聞いて信じられなかったけど、
あながち間違いじゃ無さそうね」
マインドダウンは短時間で魔力行使を大量に行い、
自身の魔力を使い切った状態で陥る症状の事で、命に別状はない。
アシュラ・ハガマの様に命を糧に燃やしてまで行使すれば話は別だが、
大小の差はあれど魔術師などに良くありがちな話だ。
後で聞いた話だが、
あの後最後の魔法陣はハクロウが魔力揮発剤を使って破壊してくれたらしい。
出来ればアシュラ・ハガマと仮面の男との戦闘前に破壊しておきたかったが、
魔法陣から動き、観客の虐殺の可能性を考えると一刻も早く足止めする必要があったのだ。
今になって思えば、仮面の男は観客の脱出ゲームと言っていたが、
魔物に殺された人が多ければ多いほど
マリーの立場が悪くなることを考えていたのかもしれない。
結局のところ最初のユニコーン騒ぎから最後まで、
マリーの失脚狙いだったと言うわけだ。
真偽は定かではないが、
あの暗殺者ギルドの長があんな規模で
精巧な魔法陣の作成が出来るのかと考えていたが、
ここでマリーがストップをかける。
「また遠い目をしてる。考える事は結構だけど、
それよりも貴方は怪我人なんだから、大人しく休んでいなさい」
「ああ、そうする。細かい事後処理はあるだろうが、後は任せる」
「ええ!任されて頂戴!これでもこういった地道な根回しは得意なんだから!」
目を閉じる。まだ魔力は回復し始めてすらいないが、
もう一日経てば多少は回復するだろう。
具体的な対策は、またその時に。
微睡みの中で、うっすらとマリーの声が聞こえる。
「やっぱり身体、まだ全然治っていないじゃないの、ゆっくり休みなさい」
次にレルゲンが目を覚ましたのは、その日の夜だった。
部屋には誰もいない。
しんと静まり返り、仄かに月明かりが部屋に差し込んでいる。
改めて傷の具合を確認する。手の火傷は酷いが、指はしっかりと動く。
一本も欠けることなく乗り切れたのは奇跡に近いだろう。
あの時、アシュラ・ハガマの光線を受け止めた時の感覚を思い出す。
魔力の全解放をした筈だったのに、
内側から更に魔力が吹き出した現象とも呼ぶべき出来事が不思議で仕方ない。
あの時の感覚は、苦しい以外にも気持ちよさがあった。
それこそ誰かにもっと先へ行けと背中を押されている様な、そんな感覚。
幸い魔力はある程度戻り、日常的に使う念動魔術なら行使できそうだ。
枕のそばに置かれたコップに入った水を見る。
手をかざし、魔力糸は伸ばさず意識を集中する。
戦闘時は必死で制御していた魔力糸無しの念動魔術だが、今はどうだろうか。
コップに入った水の表面が僅かに波立ち、
不恰好ながらも水が空中に飛び出してくる。
消滅魔術下での操作に慣れていた以上、
何も障害がない方がやり辛く感じる。だが、それもまた慣れだろう。
まだまだこの魔術は応用が効く筈だ。
それこそ魔力糸無しで自由自在に物を動かすことができる様になれば、
戦闘の幅が飛躍的に上がる。
そんな漠然とした自信が、彼にはあった。
念動魔術で自分の動きをサポートしつつ、ベッドから身を起こす。
階段を降りると、丁度マリーが食事を取っていた。
こちらを見ると同時に目を見開く。
「レ…貴方、もう起きて大丈夫なの?!」
「あぁ、心配かけたな。もう動く分には問題ない」
「大丈夫なわけないじゃない」
肩を貸そうとするが、手で制止する。
「大丈夫さ、魔力も戻ったし、明日は街の治癒術師に会いに行ってくる」
「悪いねぇ、この街には薬師はいても治癒術師はいないんだよ」
申し訳なさそうに女店主が言う。
なぬ、街に出れば治癒術師がいるものと思っていたが、宛が外れる。
「アンタのその怪我も、
薬師がわざわざここまで来てくれて処置してくれたんだよ。
回復薬は飲み薬しか余ってなくてね、
塗るタイプの回復薬は今回の魔物騒ぎで使い切ってしまったみたいで」
「重症患者向けに飲むタイプだけ余らせているのか」
「多分そうだね。
アンタみたいに目を覚ます人がそろそろ出てくるだろうから、
明日アタシから言ってもらってきてやるよ!」
「そうか、なら頼んだよ」
「あいよ、英雄様が欲しがっている事を伝えればすぐさ。
ほら、今の話聞いていたろ?明日アタシが店を空けている間は店番頼んだよ」
「任せて!」
「私も手伝います」
「いいよ、貴女も疲れているでしょうし、ゆっくりして下さい」
「いいえ、何かしていないと落ち着かないので、やらせて下さい」
「そうかい?なら頼もうかね?これで安心だわ」
「おかーさん、それどういう意味?」
店主の娘が不服そうな表情をする。
不満をぶつけるべく、厨房にいる女店主の元へ向かっていく。
「何か食べられそう?」
「いや、明日の朝もらうことにするよ」
「そう──明日の店主さんが貰ってきてくれる回復薬でその手の傷、
良くなるといいわね。痕が残らないといいけど」
「多少は残るだろうな。回復薬も万能じゃない。
治癒術師がいれば多少は良くなる筈だが」
「この街にはいないしね」
少しの沈黙が続く。
気まずさや恥ずかしさではない、温かい沈黙の時間。
「ねぇ、どうやってお礼をしたらいい?」
「いいよ、礼なんて。俺がやりたくてやっただけだ」
「そうは言うけど、それで引き下がれないわよ。
それとも何?私は命を救われたのに、
何もお礼せずに王宮に帰ってきましたって報告させる気なの?」
「いや、そこまでは言ってないが…」
「同じよ、そんな恩知らずな王女なんて周りに知れたら、
間違いなく継承権の降格処分になるわ」
「うっ」
ここで少し考える。
穏便に、かつこの王女様を納得させる方法を。
少しも妥協案が浮かばないで困った顔をしていると、
ウインクしながらマリーが微笑む。
「うちにいらっしゃいな」
あー、家ね、家、いえ、い…?え……??
つまり中央の総本山まで来いと??
この辺境の街から?中央まで??ダラダラと冷や汗を流す。
(これはなんだ?死刑宣告か??)
「俺はまだ死ねない」
「なんでそうなるのよ!
確かに貴方の出自を考えれば有り得なくない話だけど、
私が絶対にそんなことさせないわ」
「というか遠い」
「私だって遠い中帰るのよ」
「そもそもだが、マリーは何でこんな遠い街の、
辺鄙な大会なんて出たんだ?」
消え入りそうな声で、
「家出よ…」
「何だって?」
「家出よ家出!この身一つで武勲を立てて、
反対貴族に目にモノ見せてやる!つもりだったわ」
啖呵切って家出…何と勇ましい王女様なんだ…
素直に感心していると、マリーが落ち込んだ様子で続ける。
「でも結果は散々だったわ、
ユニコーンの時だって貴方に頼り切りだったし、
大会だって決勝までは行ったけどあのまま戦いが長引けば私の負けだった。
あの五段階目の魔物だって!」
「マリー、ストップ」
胸に刺さった棘は時間が経ってから痛み出すように、
マリーの心に刺さった棘は、思いの外深かった。
「古い話をしよう」
レルゲンが昔の話を切り出すと、半泣きのマリーが続きを促す。