表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

第一章 鳥カゴからの脱却

彼の朝は早い。

日が昇ると共に起き、朝食の準備を始める。といっても用意するものは前日から仕込んでおいたところに取りに行くだけだ。


 寝床から用意した場所まで行くまでの間は、彼の周囲は多少湿った草花と土の香りが僅かに漂い、仄かに朝露を連想させる霧が薄く立ち込めていた。霧を掻き分けて少し、川のせせらぎが聞こえてくる。

ここで大きな欠伸を一つ。日々の習慣とはいえ、眠いものは眠い。


 用意していた仕掛けに到着。仕掛けと言っても罠や餌でもなく、ただ単純に川の水を一部頂いているに過ぎない即席のダムと言っていいだろう。


到底一人では成し得ない、ましてや一夜で用意するなど真っ当な手段では難しい規模の即席ため池がそこにはあった。


『今日は見やすくていいね』


池の中の水は透き通り、自然の恵みが惜しみなく流れ込んでいる。

狙い通り魚が四、五匹池に迷い込み、池の外周を泳ぐ。


スッと右手を魚に方に向け、指先に意識を向けると、体を包んでいる自然魔力が指先に僅かに集まり、集中しなければ見えないほど細長い糸が魚目掛けて伸びてゆく。


その糸と形容するものが空中を真っ直ぐ伸びてゆき、水中に入ってからも真っ直ぐ魚に向かって伸びる。着水しても水飛沫は立たず、泳いでいる魚はその糸に気づかない。


泳ぐ魚を追跡するように伸びた魔力糸が魚に命中すると同時に、彼が纏っていた自然魔力と同様のオーラが魚を包む。


『よっと』


掛け声と同時に空中に引っ張られるように魚が自ら飛び出てくる。その数は池にいた魚全て。

朝食用に二匹見繕い、まだ成長していない魚はそのまま川にリリース。魔力糸と接続が切られた魚が再び元気に川を泳いでいく。


魚と接続している魔力糸が出ている手とは反対に、左手からも魔力糸を出してゆく。

その数実に二十本。川の流れの一部を拝借して作った池を無くす作業だ。


魔力糸が石へと伸びてゆく。石に接続した魔力糸は、石から石へと更に広がり、一度に接続した石は大小様々で百個は下らないだろう。


数秒も経たないうちに石が池に入ってゆき、瞬く間に池だった場所が河原へと還る。

一つだけ接続を残された石が、それよりも大きい岩に向かって急加速を始め、勢いよく衝突する。


ガキィン


と大きな衝突音と共に石が割れ、鋭利な破断面が顕になった。

簡単な石包丁が出来たら、後は魚の腸抜きを空中で行ってゆく。


石包丁の操作を誤ると中の腸が傷つき、せっかくの朝食が不味くなるが、慣れた魔力操作でスピーディーに腸抜きが二匹分完了する。

後は火おこしだが、彼には必要がなかった。


魔力糸と同様に手を前にかざすと火の球が音無く現れる。火球にも魔力糸が接続されており、正確な円を描く薄い魔力の膜で包み込まれていた。


元来魔法や魔術は発動から操作の工程を挟む。

発動してから操作が終わるまでの間は維持の為に魔力が消費される。


それが低級だろうが、上級だろうが、或いはそれ以上の魔術行使に至るまで、魔法維持の難易度や効率の違いはあるが変わらない普遍的な事実だ。


彼の使っている火球を発動した魔法は今この瞬間に発動工程は既に終了しており、消滅までの秒読みに入っているはずだ。

しかし、魚が焼けるまでの間、この火球の炎は揺らめきもせず、真円に近い形状のまま固定されていた。


からくりとしてはこうだ。

火球に伸びた魔力糸から纏わせた薄い膜が火球の輪郭を正確に捉え、一つの形と仮定し空中で静止させる。

言葉にするのは簡単、だが火球はおおよそ丸の形であれ、完璧な真円ではない。

コンマで変化し続ける火球の形を切り取るが如く、正に離れ業が必要と言えるだろう。


だが彼の顔は汗が出るわけでも無く、神経を使った作業特有の緊張感すら感じさせることはない。


『頂きます』


こんがりと焼けた魚を口元に持っていき、パリっと音を立てながら大きな口で豪快に頬張る。ジュワッと魚肉から溢れる油は甘く、この自然豊かな大地の恵みを凝縮した旨味と言っていいだろう。


朝食を済ませた後は、荷物に魔力糸を伸ばし出発の準備を整える。魚と同様に荷物へ魔力が伝わり、全て空中に漂う。


目指す宛は近頃トーナメント戦が行われると噂される闘技場だ。

何やら腕に覚えのある面々が集まる大会らしいが、中央で開催されない限りはそう強者という強者は現れない。


参加希望者は只の荒くれ者やお調子者、果ては傭兵崩れの盗賊辺りが参加するような寂れた大会なのだ。

豊かな自然から一変、歩みを進めていくと荒廃した大地が広がる。目指す街まではもう少し。


ここで魔力糸から伸ばしていた荷物を背負い、表面上は大きな荷物を持っているように繕う。

見た目は旅のパーティによくいる荷物持ちといったところだ。


街の入り口にいる衛兵に通行料で銅貨を五枚支払い、手頃な宿を探す。


毎日野宿生活だったからか、久しぶりの宿屋に少し気分が高揚するのを抑えながらも、宿屋が集まっている街路を目指して歩を進める。


途中近道もあったが、寂れた街特有の雰囲気が漂っていたために、遠回りにはなるが大通りで目的の場所を目指す。

そんな歩いている最中に、正面から小走りで向かってくる少女が一人。


『そこのお兄さん。ここら辺では見ない顔だけど、大会参加者さんですか?』


少し芝居がかった声色で元気に話しかけてきた少女は、華美な服装とは似ても似つかない、しかし要所でおしゃれにも気を配れるだけの暮らしをしていることが伺える格好をしていた。


『あぁ、そうだよ』


彼が言葉を返すと、パァッと少女の表情が更に明るくなる。


『でしたら宿をお探しのはず!この街で一、二を争う宿のおもてなしを受けてはみませんか?』


『じゃあ、お願いしようかな』


普段なら警戒していた勧誘にも、裏表がない表情をされると毒気が抜かれてしまう。宿屋街を歩いていると、特徴的な看板が吊り下げられていた宿の前で少女は歩みを止めた。


看板には「小鹿と蜂蜜亭」と書かれており、寂れた街の景観にはどこか似合わない、それでいて少しの安心感を覚えるような装飾の扉に、砂埃がよく舞う街であるにも関わらず、できるだけ清掃の行き届いた窓ガラス。ここの店主がお客をどう見ているのかが一目でわかる気配りの良さが伺える佇まいだ。


(これは当たりかもしれない。この子が言っていたことはあながち嘘ではないのかも)


『お待たせしました!これがうちのお店、小鹿と蜂蜜亭になります!ゆっくりとお寛ぎくださいな』


スカートの裾をたくし上げ、上品に挨拶をする。この頃流行している劇団というやつだろうか?

初めて会った時もどこか芝居がかっていたが、行商と一緒に来た旅の一団なのだろう。店主にあの勧誘方法はやめさせたほうがいいと後でそれとなく伝えておこう。


店のドアを開けると、ベルの音が聞こえ中の店主に来客を告げる。

中から少し太り気味の女店主がやってきた。


『いらっしゃい。旅のお人よ、泊っていくかい?』


『ああ、闘技大会までの間、よろしく頼む』


『あんたも腕試しってわけかい、こんな街までよく来たね、ゆっくりしていっておくれよ。大会までは、確かあと三日だったね。一日銀貨一枚だけど、まとめて払っていくかい?』


『そうだな、それで頼む』


この辺の宿の中では、かなり、いや、それもサービス次第の金額か。中央なら中から下の宿代といっていいくらいだ。

カウンターに銀貨をまとめて三枚置くと、店主が少し驚いた表情を見せる。するとすぐに柔らかな表情に変わり、少し笑った。


『あんた気前がいいね!本当の代金は一日銅貨十五枚だよ。他の客なんかこの冗談を言ったら値切りに来るか帰るかのどちらかさ』


『なら、こいつの分のもてなしを頼むよ、期待している』


返そうとしてきた銀貨を手で制止すると、店主は考えた表情をして


『任せときな!』


と大きな声で笑いながら承諾したのだった。


『うちはこの辺じゃ珍しい風呂付きさ』


なんと、この街の宿で風呂など全く期待していなかったのだが、これは何ともありがたい。


『手伝うよ』


『遠慮するよ、そんな大荷物、ここまで大変だったろう?部屋で風呂と飯が用意できるまでゆっくりしてな』


『お部屋はこっちだよ』


『そこはこちらになります、だよ!まったくもう』


呆れた声色で苦笑いした女店主。


『悪いね、旅のお人よ。まだ子供だから多めにみておくれ』


『気にしてないよ』


『もう!二人とも子供扱いして!ふんだ』


怒りながらも案内のために店主の娘が二階に向かって階段を上がると、木でできた階段が少し軋む音がする。築年数を感じさせるような雰囲気で、彼の持っている荷物を背負ったままでは、間違いなく床が抜けるだろう。

だが、床は抜けず足取り軽く店主の娘についてゆく。床が軋む音もさほど気にならない大きさだ。その様子を見ていた女店主が思わず溢す。


『鍛えているんだねぇ』


実際のところ鍛えていることは間違いないのだが、本当のところは単純に鍛えているだけではない。

部屋に到着し、なるべく床に重さが分散されるように荷ほどきを済ませる。


(先に風呂か、はたまた飯か)


と考えながら、出されたコップに入った水に魔力糸を接続させ、空中で形を変化させる遊びで時間を潰す。変化のパターンが五十を超えた辺りで一階から風呂の準備ができたと声がかかる。空中に漂っていた水を口に飛び込ませて飲み込んでから下の階へと向かう。


脱衣所のようなところではご丁寧に洗濯物を入れる籠まで置いてあった。さっと籠に服を丸めて突っ込み、久しぶりに落ち着いた状態で風呂に入れる。


野宿中も川の水を固定させ形状を維持するなどの工程がとにかく多い。維持にも少なからず神経を使うことから、全く魔力操作を必要としない風呂はとにかく貴重なのだ。


『はぁ~』


と思わず声が出る。すると籠を回収しに来た店主の娘が


『おじさんみたいな声出してる』


と笑いながら声の主が遠ざかるのをしり目に

(失礼な)

と心の中で抗議するのであった。


風呂を済ませ、用意された部屋着に着替える。簡素な作りだが、意外にも着心地がよかった。


『さっぱりしたかい?』


『おかげさまで、いい湯だったよ』


『それはよかった。さあ、飯の用意もできたよ!腹いっぱいになるまで食べな!』


満足したような顔つきで女店主が笑う。


『頂きます』


うっかり魔力糸で食器を操作しようとするが、自重する。

文化の違いはあれ、食器を空中にフワフワしながら食べる奴はこの世にいないだろう。


出されたメニューはスタミナがつく肉系とちょっとしたサラダ、ブドウのような甘みのある飲み物と、いったいどう仕入れをしているのだろうかと疑問になるが、サラダ料理も新鮮ではないが古くもない、普通においしかった。


『ありがとう、ご馳走様』


『あいよ!お粗末様』


店主の娘が空になった食器を片付けていく。


(将来はこの子が二代目店主にでもなっているのだろうか)


なんてことを考えてながらも自室に戻る。


せっかくのいい宿屋だ。どうやら他にも何人か宿泊している客がいるようだが、今日は早めに休むとしよう。

久しぶりのベッドでの睡眠は、思いのほか早く彼を空想の世界へと誘った。


彼の朝は今日も早い。日の出と共に自然と目が醒める。


普段なら眠い目をこすって朝食を準備しに行くが、今日から数日は少なくとも必要ない。

大会もあと二日とあっては、軽く剣でも振っておきたくなるものだ。


服を着替えて庭へと向かう。昨日店主に朝、庭を使わせて欲しいと頼んだ時に


『おや、あんたもかい?精が出るね。うちの庭は好きに使っていいから』


と言われていたので、もしかしたら先客がいるのかもしれない。

彼の予想は当たっていた。

動きやすい白の訓練服のような装束に身を包み、剣を振る度に滴る汗が朝日に反射している。


なびく鮮やかな金髪は後ろで一つに纏められ、柔らかく風になびきながらも、その表情は真剣そのもの。彼女の邪魔をしては悪いと考え、意識の外に位置取り自前の木剣を片手に素振りを開始する。


最初は右手で二十回、上段から振り下ろした後に左手に持ち替えて更に二十回。これもまた上段に構えて振り下ろす。

合計四十回ほど振り終えてフーっと息をつくと、少し離れて同じく素振りをしていた彼女がこちらを見ていた。特に話しかけてくる様子もないので、一瞬目が合った後にお互い目を離し、朝の鍛錬へと戻る。


準備運動はこれくらいでいいだろう。

始めは片手で振っていたのを両手に持ち直し、右上段から左下段へ木剣が加速しきるタイミングで力を加える。

木剣とはいえ多少の重みはある。しかしそれを感じさせない速度で振り下ろされた木剣は、片手で振っていた時とは明らかに違う、剣が発する音色とは異質な音が響き渡る。振り下ろされた剣は地面付近で急停止し、代わりに舞い上げられた砂埃は彼の出した剣圧を物語っていた。


両手での素振りが丁度終わった頃、すでに朝日はオレンジから白へと変わり、表には人の気配が溢れていた。

同じく朝練をしていた金髪の彼女はどうやら先に上がっていたようだ。


『お兄さーん?朝ごはんできていますよ!』


大会まであと二日、今日は出場者としてエントリーするために闘技場まで足を運んでいた。だが、向かっている途中に冒険者のようなイカニモな奴らから声を掛けられる。


『おい兄ちゃん。そんなナリしてまさか大会に出るってんじゃねーだろーな?』


『ソンナマサカー』


と適当に返答し、その場を後にする。本当ならここで


『だったらどうする?』


とでも返してやりたいところだが、今はエントリーに急いでいる。エントリーが済んだらもう昼だろう。今日はそれだけではなく、昼過ぎからも予定があるのだ。

正直こんな暇人に付き合っているほど、彼は気が長い方ではなかった。


しかし、どうやらそれだけでは満足されなかったのか、腰抜けのカモだと思われたのか、力任せに彼の肩をリーダー格の男がつかんだ。


『待てよ兄ちゃん。ちょっと俺たちと遊んでいけよ。こちとら明後日の大会まで我慢できないんだよ、終いにゃボロ雑巾になってくれや』


どうやら大会出場者だとばれてしまっているようだ。

肩を掴まれた時にゴロツキから流れる自然魔力すら感じ取れない。ゴリゴリの近接系といったところだろう。それを金髪の女性が怪訝そうな表情で彼とゴロツキとのやり取りを見ていた。

相手は複数。純粋な力だけなら自分と同程度の力を持っているかもしれないと感じた彼女は、少し心配そうに見守っている。


しかし、朝練で見たあの剣と振り下ろされた時の「音」

只者ではないようだが、彼もまた大会出場者。勝ち上がれば自身の障害となるだろう。

偵察の意味も込めて彼が連れていかれた路地裏へと足を運ぶ。彼はあの角を曲がったところにいるだろう。物陰から見つからないように彼の行方を追いかけるが、喧噪はまだ聞こえてこない。


やっと追いついて彼のやり取りを見ようと、曲がり角から顔だけ出して確認した彼女は信じられない光景を目にした

なんとゴロツキ達が音もなくすでにやられていたのだ。思わず


『嘘!?』


と声が出る。

彼女が彼から目を離した時間はおよそ五秒と言っていい。その間に全員を逃がさず、かつ迅速に倒してしまったのだ。

彼の姿はもうそこにはない。


(私の存在に気づいて、手の内を見せないように身を隠された?)


彼女の表情が更に曇る。


やはり只者ではなかったと自分の考えを肯定すると同時に、楽に優勝できると考えていた大会が、一杉縄ではいかないことが証明された。


『受付完了いたしました。Bブロックの八番です』


大会のエントリーを終えた後に、先ほど後をつけてきた彼女が大会エントリーにやってきた。また一瞬お互いに目が合うが、朝練で目が合った時とは全く違う、探るような視線を彼女から感じ取っていた。


またお互いに目線を反らし、彼女は行ってしまったが、宿が同じならまた会うこともある。警戒されている相手に頻繁に会うのは面倒だ。


『Aブロックの二番になります』


『ありがと』


彼女もまた大会エントリーを済ませ、彼がいた後ろを振り返るが彼の姿はもうなかった。

大会前日は街が騒がしかった。


どうやら大型の魔物が街の近辺に出没したらしく、大きな岩山が一つ消し飛んでいたらしい。付近に魔力反応もあったことから、衛兵たちが広場に集結させられている。

しかし、頭数が少ない。仮に討伐することを考えているのならばあと三倍は人員が欲しいところだろうが、魔物のランクが高ければもっと人数が必要になることは間違いなかった。衛兵の年齢も老いたものが多く、どうにも覇気を感じられない。


街ゆく人々は呑気なもので


『明日の闘技大会はどうなるのか』


『中止だけは勘弁してくれ』


など大会のことで頭がいっぱいだ。寂れた街での少ない娯楽として、闘技大会の価値の高さが伺える。


『おう!今日も早いね!』


洗濯物を干すために二階へやってきた女店主と鉢合わせになる。


『庭、また使わせてもらうよ』


『好きに使っておくれ。それよりもアンタ、ここ近辺に魔物が出たって知っているかい?』


『いや、初耳だ。規模はわかるのか?』


闘技大会を明日に控え、前日に魔物騒ぎはこちらも困る。可能なら障害は早めに対処したい。


『これが分からないんだってよ。町の衛兵が調査に行くらしいけど、心配だね』


『そうか、ありがとう。こっちでも様子を見てみるよ』


『無理するんじゃないよ』


朝の鍛錬には昨日に引き続き金髪の彼女がいたが、やはり会話は無かった。軽く済ませて、準備していた衛兵に話を聞く。やはりというべきか、衛兵にも話を聞いたが一度調査をしてみないことにはわからないようだった。

衛兵の隊長と思わしき男性が、集まった皆に号令をかける。


『これから魔物調査に向かう!対象の魔物は数も種類も不明だが、岩山を消し飛ばしたという報告が入っていることから二段階目までの強さは覚悟しておくように!またここからそう遠くない場所になる。最初から気を引き締めるように!』


街の大門がゼンマイ仕掛けでガチャガチャと音を立てながら開いてゆく。いざ行進を開始するというタイミングで背後から声がかけられた。


『貴方も調査に参加するのね』


『明日に差し支えると困るからね。そういう君は?』


『大体は貴方と同じ。店主さんにも頼まれたし』


二人の会話を遮るように号令がかかる。


『調査開始!』


気合をつけた隊長が先陣を切って進んでゆく。

彼の位置は隊の後方、彼女はやや前方に配置されている。


目的の場所にはすぐに到着した。岩山が消し飛ばされたとされる場所は、確かに魔力濃度が異常に高い。

元来魔物がポップする仕組みは、周囲の魔力が形を成したもので、強さは六段階で分類される。


出発前に隊長が説明していた二段階目までの魔物なら、集まった人数だけでも対処が可能だろう。彼が出るとしたらそれよりも上の段階の、不測の事態が発生した時だけだ。

彼は様子だけ見には来たが、動くつもりは全くなかった。


(一・二段階目ならあの金髪の彼女だけでも十分に倒せるはず)


しかし、彼の期待は大きく外れることになる。

出現したのは四段階目のユニコーン。


パワーはそこまでないが、高い知能と俊敏性、魔法も使用してくるという報告書もある。

大型パーティになればなるほど、ユニコーンのサイズの小ささを考えると苦戦が強いられる。

力量的には五段階目と互角に渡り合える手練れが数人で討伐する魔物なのだ。


主な生息地は、魔力溢れる人間が近づかない緑豊かな “深域”や、ダンジョン奥地のトラップに引っかかったときに出現するような魔物のはずだ。こんな魔力濃度が本来薄いはずの岩山地帯にポップするはずはない。


岩陰に隠れてユニコーンの様子を伺う。

なりふり構わず暴れまわるタイプではないが、こちらが刺激を与えればその限りではない。

衛兵の副官と思わしき人物が、隊長に耳打ちする。


『相手はユニコーンです。我々だけでは対処ができません』


『うむ、それはわかっているが、ここで撤退して住人や行商人に被害が出てからでは遅い』


考え込む隊長だが、具体的な作戦が出てこないだろうと判断した金髪の彼女は一度持ち場を離れることを隊長に告げ、後方に足を運んだ。


『というわけで、貴方に手伝ってほしいの』


少し間をおいて


『わかった、協力しよう』


彼が承諾すると金髪の彼女が目をぱちくりする。


『え、協力してくれるの?』


『君がお願いしたんだろ』


『絶対断られると思った──。なら早速作戦を立てましょう』


『少し声の大きさを落とせ。奴は耳もいい』


ちらっと金髪の彼女がユニコーンを確認したが、こちらにはまだ気づいていない様子。ハンドサインで少し遠くに移動し、二人だけの場所へ移動する。


『あのユニコーン、ちょっとおかしいと思わないか?』


『おかしいって、何が?』


『ユニコーンが確認されてから、周囲の魔力が全く減ってない』


『言われてみれば、こんな元々魔力が薄い環境で周囲に散っていかないのはおかしいわ』


無言で彼が頷く。


『俺は魔力をこの場所一帯に固定する魔術がかけられていると考えている』


『なんのために?』


『それは俺にもわからんが、奴がポップしているにも関わらず、魔力反応はいまだ顕在。可能性は薄いが、もう一体ユニコーンがポップしても不思議はない』


金髪の彼女の表情に緊張が走る。


『もう一体ポップしたら間違いなく死人が出るわ』


『そうだ、いくら俺や君が強かったとしても、この人数を守りながらの戦闘は不可能だ。だからもう一体が出てくる前に、この結界空間を破壊する必要がある』


『簡単に破壊するなんて言うけど、方法はあるの?』


『ある』


自信に満ちた表情をする彼を見てすぐに納得する。


『そう、なら信じる。結界については任せるわ。私は隊長にユニコーンを刺激しないように進言してくる』


『頼んだ』


『そういえば、この結界を──』


結界を作った魔術師はどうするのか聞こうと振り返った時には、彼の姿はもうなかった。

(また消えた…)

周囲を見渡すが彼の姿はどこにもない。今は探しても仕方がない。切り替えて金髪の彼女は隊長の元へと駆け足で向かい、事情を説明するべく動き出した。


高度三百メートル付近、彼は空中にいた。

地上の様子がよくわかる限界の高度まで上昇した彼は考えていた。あの時彼女と話していないことが一つ。そもそもユニコーンが自然にポップすること事態ありえないレベルの確率なのだ。

もう一体ユニコーンがポップする可能性について彼女は疑問を持たなかったが、一体ポップしている以上、結界以外にもユニコーンが“人為的にポップさせられている”可能性も考慮する必要がある。


考えを整理しながら見渡していると、新しく大きな魔力を感じる。ここから更に岩山の向こう側に、二体目のユニコーンがポップしていた。


『ついてるな』


ユニコーンがポップした地面に、何やら魔法陣が敷かれていたのが分かった。おそらくユニコーンを召喚するための陣だと推測できる。

彼は表情を少し緩めたが、すぐに表情を引き締める。


まずは二体目のユニコーンを討伐しなければ、下にある魔法陣の破壊は困難だろう。


衛兵たちは一体目のユニコーンとの睨み合いが続いているが、二体目まで現れては間違いなくパニックを引き起こすだろう。もしそうなれば金髪の彼女が言っていた通り間違いなく死人が出る。


結界の大元はまだ発見できておらず、今ここで魔法や魔術を行使すれば、更に魔力濃度の上昇を引き起こしかねない。

ここは剣で奴を断頭し、確実に仕留める必要がある。彼は空中で帯同させていた剣に命令を出す。


「回れ」


命じられた剣はゆっくりと回転数を上げていき、すぐに剣の形が分からないほどの回転を見せる。これ以上回転数を上げて「音」を出せば下にいるユニコーンや彼女たちに気づかれてしまうため、ユニコーンを仕留められる回転数を計算して維持する。


新たにポップしたユニコーンの注意を逸らすために、魔力糸を石ころまで伸ばしユニコーン近くの岩めがけて突進させる。


岩に石ころが激突し、音が響く。驚いたユニコーンは音の発生源に注意が向き、首の位置が後ろになったところで背後から必殺の回転刃がいとも容易くユニコーンの首が胴から分かたれ、魔石の姿へ還っていった。


三体目が出現する前に、魔法陣を破壊するべく付近に降り立つ。

魔力糸を魔法陣に接続すると、彼の魔力が凄まじい速度で吸収される感覚があった。どうやらこの魔法陣に描かれている文字を読むと

周囲の魔力を吸収する効果

魔力を閉じ込める結界の効果

吸い上げた魔力を糧にユニコーンを召喚する効果

の三つが組み込んであるようだ。


円形に構成されている魔法陣は内側から難易度別に大きさを変えており、内側と外側の命令式との間に術式同士が相互干渉しないよう、命令式ではなく象形文字に近い形状の模様がいくつも連結されている。


魔法陣を描いている材料は、魔石を液体化させた塗料のようなものだ。高価ではあるが、大きめの魔術学校に行けば目にすることは難しくないだろう。


魔法陣を作成した者は相当魔術に精通している。壊すのは簡単だが、もう少し見ていたくなるような気持になるほど美しく組まれた魔法陣を塗料ごと空中に引っ剥がし、命令式を繋ぎ合わせている象形文字を強引に変更する。

すると絶妙なバランスで効果を発揮していた魔法陣は自ら自壊を始め、バラバラに崩れていく。


ユニコーンの角と魔石を素早く回収してから、最初に発見したユニコーンの元へ地上から戻る。


『お待たせ。結界は破壊した』


『わっ!急に話しかけないでよ!びっくりしたじゃない!』


『わかった。悪かった。だから静かに』


『大体貴方はさっきも急に…!』


ここで自分が大きな声でまくし立てていたことに気づくが、ユニコーンがこちらを凝視して甲高いうめき声をあげて突進してくる。


『恨むぜ嬢ちゃん!』


『ごめんなさい!』


百キロ近い速度で突進してくるユニコーンを寸でのところで回避したが、更に追撃をしてこようと頭のおでこ付近に生えている角に、全身から魔力を集中し始めスパークを始める。

魔力を電撃に変換する効率は他の魔法と比べて低い。帯電しきるには時間がかかるはずだが、さすがは四段階目の魔物。


五秒とかからず帯電を完了させ、こちらに狙いを絞る。

距離が離れていないこの状況では、電撃の速度なら一瞬でこちらまで到着してしまうだろう。


ユニコーンが電撃を放つ寸前、空から鉄製の剣が無数に落下してくる。無造作に地面に突き刺さった鉄製の剣には目もくれず、正確に狙いをつけた一撃が彼女達に襲い掛かる。

しかし、ユニコーンが放った電撃は途中で鉄製の剣に軌道を変えた。


直撃すると身構えていた彼女達は、電撃が未だに全身を焼くことがない事実に驚きの表情を浮かべ、思わず溢す。


『電撃が曲がった!?』


彼女達とユニコーンは軌道を変えた電撃に驚きを隠しきれず、少しの間狼狽していた。

知能の高い魔物は脅威だが、予測できない事態が起きると少しの間固まることも特徴だ。


先ほどのように回転刃を使えば断頭する好機だったが、彼はそれを嫌った。

右足を地面に突き刺し、剣を右中段へと構える。

今度は魔力で全身を包み込み、ユニコーンへ突進。

瞬間的に速度を上げられた体が強烈な慣性で軋みを上げるが、鍛え上げられた肉体はそれを可能にしていた。


ユニコーン以上の突進速度で一瞬のうちに剣の間合いに入る。


勝負は一瞬。


急激な彼の突進に急いで距離を取ろうと一歩下がるがもう遅い。

ユニコーンが断頭されたことに気づくよりも速く中段から横一閃に振りぬかれた剣は音速を超え、振り切った剣が静止した衝撃が周囲に走り、音を置き去りにした。


一瞬の出来事に周囲からの歓声はなく、あるのは恐怖と驚きだけだった。

そんな中、目をキラキラと輝かせてこちらに走り寄ってくる影が一つ。


金髪の彼女だ。


『今の一撃は何?!音が遅れて聞こえたのだけど!あと空から降ってきた剣も貴方の作戦よね!

あれは電撃が軌道を変えることを知っていたってことよね!?ねっ!』


早口で状況をまくし立てる彼女に周囲も個人差はあれど


(やるな兄ちゃん!)


(恐れいったよ!)


と歓声が上がり始める。

あまりのテンションの上下にクラクラしそうになるが、自分が子供の用にはしゃいでいることを自覚したのか恥ずかしがって頬を少し染め、顔を反らす。


『まずは私の失態を何とかしてくれてありがとう。礼を言うわ。私の名前は──』


彼女が自己紹介を始めようとすると、そこで待ったをかける人物が現れる。


『おっと嬢ちゃん、それ以上はいけねぇ』


『えっ、先生、どうしてここに』


彼女の質問に答えることはなく、

大柄だが白髪交じりの無精ひげを生やし、腰には日本刀を二本帯同している剣士と思われる老人が待ったをかける。


『俺からも例を言わせてくれ。ボウズが嬢ちゃんを助けてくれなきゃ、俺が出ることになっていた。それに』


彼の耳元に寄って小さく囁く。


『─────────』


緩みかけた空気が一瞬で緊張感に包まれる。上がっていた歓声はピタっとやみ、彼の近くにいた金髪の彼女も冷や汗を滲ませる。


その緊張を破ったのは、やはり白髪の剣士だった。


『怖いねぇ。ま、このことは老い先短い墓までもっていくからよ』


『───────────────』


とまたも口パクで彼を煽り、金髪の彼女を連れて街へそそくさと引き返すのだった。


街に戻り、宿屋に戻る。

彼がユニコーンを討伐した噂がすでに広まりつつあるようで、情報の早い女店主に何やら褒められた気がするが、頭の中はあの白髪の剣士でいっぱいだった。


適当に風呂と食事を済ませ、水に魔力糸を接続して空中に浮かせ、変形を始める。この作業はいい。頭の中が整理されていくのを感じる。


声をかけるまで気取られない体裁き。

話している最中でもぶれない姿勢。

あの時、仮に切りかかっても初撃は防がれていただろう。


明日の大会に奴が出場しているのなら、遅かれ早かれ対戦することは間違いない。勝つことを考えると、いくつか観客の前で技術を披露する必要が出てくる。


だがそこまでする必要があるのだろうか?

今回のユニコーンの討伐報酬としてある程度の額は特別報酬として冒険者ギルドを通して受け取っている。当初の目的である日銭稼ぎは達成していると考えてよい。


ならば、明日の大会は無理に自分の技術を見せびらかす必要はないのでは…

考えが棄権する方向に傾きつつあると、扉をノックする音がする。


金髪の彼女だろうか。だが、今彼女と話すつもりはなかった。

大方ユニコーン討伐後に現れた白髪の剣士の無礼を詫びるとかそんなところだろう。

だが、扉の前にいたのは金髪の彼女ではなく、店主の娘だった。


『お兄ちゃん、入ってもいい?』


『どうぞ』


『お邪魔します』


ベッドに座っていると隣に座ってもいいか目線で訴えかけてくる。手招きすると少女の表情は明るくなり、少し勢いをつけてベッドに座ってくる。


『お兄ちゃんが危ない魔物を倒したってホント?』


『ああ、本当だよ』


『すごーい!ねぇねぇ、その冒険の話をもっと聞かせて?』


冒険。冒険か、懐かしい響きだ。幼い頃、自分も英雄を夢見て冒険と評した探検をよくしたものだ。すると彼の顔を覗き込んだ少女がふふっと笑った。


『お兄ちゃん、やっと笑ったね!すごいことをしたのに、帰ってきてからずっと怖い顔していたから』


『ごめんな。ありがとう』


心配そうな顔をする少女の頭を軽く撫でる。


『お兄ちゃん、くすぐったいよ』


こんなにまだ幼い子まで心配をかけて、自分もまだまだ精神的に幼いことを自覚する。

それから女店主に怒られるまで、今日あったことをわかりやすく少女に話すのだった。別れ際に、少女から


『明日の大会、絶対見に行くから!頑張ってね!』


『かっこいいところを見せられるように頑張るよ』


大会当日

大会のルールは魔法、魔術あり、真剣あり。

寸止めは必要なく戦闘続行不可能と審判が判断すれば試合終了。

実質初撃で致命的な一撃を負わせることができれば殺しもありの、ほぼルール無用の地下闘技場にありがちな過激な大会規定だったはずだ。


だが、急遽真剣は木剣となり、魔法、魔術も呪い系や再起不能になるレベルの攻撃魔法、魔術は禁止の実質学生の大会でもやるのかというレベルのルールでの開催となった。


ここで魔法と魔術の違いについて簡単に説明しよう。

魔法とは、単純な命令や魔力変換の末に行使が可能なもので、

魔術とは、例えば魔法を複数組み込み複雑な術式を構築することを指すが、この魔法と魔術との定義は実は曖昧で、一般的には高い効果をもたらす術を魔術と呼ぶことが多い。


観客からはこのルール変更について大きくブーイングがあったが、ルールの再変更はないようだ。

第一試合から順調に試合は進んでいき、彼の出番がやってきた。

審判が試合の開始合図を行う。


『Bブロック第四試合、TKO有の予選をこれから始めます!』


彼の対戦相手はこの街の数少ない貴族の長男のようだ。さすがは貴族、立ち振る舞いは剣術をしっかりと修められている師匠がいるのだろうが、気になることが一つ。


貴族の息子から感じ取れる自然魔力の「色」


厳密には魔力に色はないのだが、長く戦闘経験のある魔術師は相手の漏れ出る魔力を色彩化し、どんな戦闘タイプを好むだとか、もっと言ってしまえば今何を考えているのか読み取ることができる者もいる。

彼は相手の思考まで読み取ることはまだできないが、貴族の息子はわかりやすかった。


(こいつ、どんな手段を使っても俺に勝つ、いや殺す気だな)


『試合、開始!』


最初に動いたのは貴族の息子だった。

開始と同時に彼に向って貴族が鋭く突進する。

先日戦ったユニコーンよりも突進速度は遅い。余裕で躱そうとするが、振り上げられた剣は囮で体術による初撃を入れてくる。


右膝から彼の腹めがけて繰り出される蹴りを、右手で持った剣の柄で合わせて防ぐ。


初撃を防がれた貴族は『チッ』と小さく舌打ちをし、追撃として剣で彼の目を正確に狙ってくる。バックステップで横に薙ぎ払われた貴族の剣から最小限の動きで躱し、一旦距離を取る。


初撃と二撃目を完璧に防がれた貴族は少し苛立った様子で彼を煽り立てる。


『ユニコーンを単独で討伐したと聞いていたがこの程度か!四段目の魔物も強くなさそうだな』


『そのユニコーンを討伐するときに君はいないようだったが、君が倒しにくればよかったんじゃないのか?』


『はっ!これだから平民は何もわかっていない!貴族の責務ということを!貴族とは、民草を守るもの!魔物を倒すことが貴族の仕事ではない!』


『そうかい』


ご丁寧にそんなわかりきったことを説明し、そして奴のあの顔。


(やはり何かあるな)


その時持っている剣から鼻をツンと刺激する匂いに気づく。

注意して見ると奴の右膝をガードした柄部分から匂いが発生している


(これは腐食か?)


改めて貴族の装備を確認する。


(奴の装備、ずいぶんと珍しいものを使っているなとは思ったが、そういうことか)


明らかに対腐食性を元に設計されている。

両ひざにはテンザライト鉱石をあしらわれた、腐食を軽減する加工がされている。


木剣の色も彼が持っている物より多少深い色をしており、恐らく深緑の剣だろうと推測できる。


真剣よりはもちろん切れ味は劣るが、通常の木剣よりも軽くて取り回しがよい。加えて、こちらも対腐食の性質を持つ。通常は腐食攻撃を使う植物系の魔物を討伐するときに装備が溶け、劣化するのを防ぐために用いられることが多い。


これは装備の性質を利用した、「毒装備」だ。


見たところ、テンザライト鉱石をあしらわれた両ひざと両肘、深緑の剣以外に対腐食加工が施された様子はない。

躱すことはそう難しくないが、奴の持っている攻撃手段が腐食による攻撃だけとは限らない。勝負を長引かせるのは悪手だ。


木剣同士で打ち合うのも得策ではない。

ユニコーンを討伐した威力では最悪奴を殺しかねない為、最悪の場合はお尋ね者確定である。

ならばどうするか


木剣による打ち合いではなく魔術で、奴を殺さず無力化する。


『あの手でいくか』


彼が木剣を地面に突き刺すと会場がざわめく。


(諦めたのか…?)


彼が右手の手の平に意識を向けると、初級魔法のファイアボールが浮かび上がる。

どうやら腐食攻撃に気づいたようだが、防ぐ手段が遠距離攻撃か、全く分かりやすい奴だな!

とでも言いたげな不敵な笑みを貴族が浮かべる。


(ここからだ)


彼がもう片方の左手の手の平からウォーターボールが出現する。


「凍れ」


彼が命じるとウォーターボールが氷の塊に性質を変化させる。

この試合を見ていた金髪の彼女が思わず声に出す。


『二種同時の魔法行使に片方は性質変化、それなのにファイアボールは安定して維持されている…』


『嬢ちゃん、あれが魔術戦の“基礎”だぜ。しっかり見ておくんだな』


白髪の剣士はどこか懐かしいものを見るように呟く。


左手の氷塊には魔力糸を接続させ、空中に固定し

右手のファイアボールも同様に魔力糸を接続しているが、接続本数がおよそ二十本。

一つの操作なら一本の魔力糸で事足りるが、今回は違った。


右手のファイアボールから更にファイアボールを連続で貴族の周囲に発射。

精密にコントロールされたそれは貴族めがけて直進したがどれも命中はしない。それを見た貴族は更にニヤリと笑い


『何を始めるかと思えば、ファイアボールの連続射出か!それもどこを狙っている?』


無言で貴族を指さす。


『何を馬鹿なことを』


命中しなかったファイアボールが、貴族の周りを取り囲むように静止している。

発動から射出された魔術はその時点で「工程を終了」している。


本来空中で動きを止めるように追加で命令を出すことも、魔法を維持することも不可能。

それゆえ、目の前で動きを止めたファイアボールの挙動が信じられなかった貴族は思考と動きを停止する。注意していたはずの左手の氷の塊からも、意識ができなくなる。


『なんだこれは、一体貴様はなんなんだ!?』


『さあな』


一斉にファイアボールが貴族へ全方位から集中して直進を始め、爆炎と共に濃い土煙を上げる。


『この程度、一発食らうことを前提に回避することは可能だ!』


『ああ、そうだろうな』


貴族がファイアボールの雨を抜ける先を選んだのは比較的層が薄い箇所。

それが罠とも知らずに。

逃げ込んだ先には先回りした彼が左手の氷の塊を前に構えている。


氷塊が彼の魔力によって形を薄く変化させ、貴族の四方八方を氷の壁で取り囲む。


『なんなんだ、こんなの知らない!ふざけるな!ここから出せ!!』


貴族の悲痛な叫びとともに、力任せに木剣を薄く張られた氷の檻に叩きつける。

何度も打ち付けられるが、氷の檻にはヒビどころか傷すらつかない。


『どうして壊れない!!』


『壊れないさ、その氷の檻は固定しているんだからな』


『何をわけのわからないことを!くそっ、くそぉ!』


『さて審判、俺はこれからこいつで奴をあの空間ごと焼くが、どうする?』


手には形状を大弓にされたファイアボールだったものに、矢の形状に変化させたファイアボールを番える。

審判が観覧席の方をちらっと確認する。すると開催の責任者が手を小さく上げる


『試合終了!勝者八番!』


わぁぁぁ!と歓声が上がる

曲芸じみた見たこともないだろう魔術の「応用」を目にした観客たちが沸き立つ。


『今の、先生も見たことある?』


『性質変化や形状変化は見たことはあるが、空中で魔法を止めて狙いを途中で変えることは見たことがねぇな。悪い嬢ちゃん、基礎とは言ったがあれは正真正銘の魔術だ』


『正真正銘の魔術…』


幼少期に魔術と呼ばれるものは見たことがあったが、自由自在に魔法をコントロールし、

単純な魔法操作だけで複雑な命令を追加で出すことは見たことがなかった。


『まぁBグループの決勝に行けば奴と当たる。そこで奴の本気を引き出して見せるさ』


歩みを止めた彼女を気にせず上機嫌で先を歩く白髪の剣士。


『これよりBグループの決勝戦を開始します!

えー、一番と八番の決勝戦ですが、なんとお互いに真剣を使っての試合を望んでいるようです!』

決勝戦ともあればある程度のわがままは通るはず。どうやらお互いに考えていることは同じようだった。

『ただいま入った情報ですが、事前にお互いが大会運営に直談判し、運営はこれを許可したそうです!さぁ盛り上がってまいりました!』


観客から歓声が上がる。


『では改めまして、Bグループ決勝戦!始めてください!』


お互いに目線を合わせ、自前の愛刀をまずは一本抜いて見せる白髪の剣士。

彼は最初から魔力糸で年季を感じる鉄の剣に接続し、剣を浮遊させている状態で待機させる。


『嬉しいね。こんな老いぼれに初めから”それ”で戦ってくれるのかい』


『そういうあんたは初めから二本抜かないんだな』


『おうさ、こんな楽しい戦いに初めから全力で戦ったらもったいねぇのよ』


『そうかよ』


『ではまずこちらから行くとするかね』


瞬間、白髪の剣士の姿が消える。

細身の剣士の膂力とは思えないほどの速度で、彼の背後に回り込む。

それを目の端でしっかりと追えていた彼は上体を反らし突き技を躱す。


『やるね』


白髪の剣士が彼の背後から攻撃を繰り出したと同時に、彼の魔力糸で接続された剣が更に白髪の剣士の背後から音もなく切りかかる。死角からの一撃を突きの動きから連動する形で、左手に剣を持ち替えノールックで迎撃する。


木剣同士では決して出ることのない真剣同士の衝撃音が響き渡る。

ガキィインと大きな音が闘技場内に響くと同時に、会場がどよめくと同時に沸き立つ。

空中の剣と鍔迫り合いをする形だが、注意は彼に向けられたまま。


剣同士でぶつかっていては彼の攻撃を防ぐことはできない。この大きな隙を逃すはずがない。素早く体制を立て直し、上段から繰り出される一撃は白髪の剣士を捉える。ことはなかった。右手で腰に差した二本目の剣を素早く抜くと、彼の放った両手からの一撃を受け流すように刀身を滑らせて防御する。


一連の動きがお互いに不発になり、一旦距離を取りあう。


『いやぁ、こんなに早く二本目を抜くことになるとはね、そのフワフワしている剣の技術、名前はあるのかい?』


『浮遊剣』


『なるほど、浮遊剣ね。どうやって制御しているかはよくわからんが、その剣からも魔力を感じる。だからユニコーンの時と言い、自在に操れるってわけか』


ユニコーンを討伐したときにこの白髪の剣士が口パクで言ったことを思い出す。


(空中のあの技、見事だった)

(隠したいんなら、もうちょいうまくやんな)


『今更だが、何やら隠しておきたい技術だったようだが、見せてよかったのかい?』


『かっこいいところを見せるって約束したからな』


『そうかい』


『次はこちらから行かせてもらう』


右足に魔力を集中して、ユニコーンを突進して討伐したときと同じ構えを取る。

彼の姿が消える。最初に白髪の剣士が見せたよりも速く、そしてユニコーンを倒した時よりも速い速度で突進し中段から薙ぎ払われる。


『それはもう見た』


白髪の剣士は後退や横に移動するのではなく前進で彼の攻撃を躱す。

下手に剣同士で打ち合うと最悪武器が破壊される強度で繰り出されたことを瞬時に理解し、行動に移すまでの時間の短さ


(この男、相当戦闘に慣れているな)


『もらった』


白髪の剣士が彼の肩口めがけて繰り出されるが、これも彼の操る浮遊剣で防がれる。

お互いに攻めと守りがめまぐるしく入れ替わるが、膠着状態が続く。


(剣のみでは埒が明かないな)


早々に剣のみの果し合いに見切りをつけ、両手で握っていた剣も浮遊剣にする。


『剣でだめなら、そらきた!』


無数のファイアボールが白髪の剣士に向けて射出される。

始めから槍や矢、果ては手裏剣のように形状変化し、回転しながら白髪の剣士目掛け様々な軌道から接近する。これを剣で弾き、躱し、防戦一方になるが。着実に相手の狙う癖を覚えていく。


まさに年季の入った防御態勢。

これをすべて受け流し切った後に、彼を見ると手の上には浮遊剣を形状変化させた螺旋を描いたような形に、強引に捻じ曲げられた剣というより槍に近い形状へ変化させていた。


『なんだい、そりゃあ』


思わず白髪の剣士が溢す。

そう、彼の神髄とは形状変化でもなく、性質変化でもなく。


念動魔術だったのだ。


この念動魔術によって、剣が捻じれ、空間に強引に固定することで自壊を防ぐ。

螺旋剣を魔術で形状変化させた火の大弓に番えたと同時に、螺旋剣が高速で回転を始め、風切り音が響き、砂埃が舞う。


白髪の剣士はじわりと脂汗が滲むのを肌で感じる。

久しぶりに死のイメージが沸くが、これを受けきれば俺の勝ちだという漠然とした直観が表情をにやりとさせる。


(この状況で笑うか)


彼もあの狂戦士に合わせて更に回転数を上昇させる。これ以上は本当に殺しかねない。

だが、殺すつもりでこの技を放たなければきっと負けるだろう。


考えていることはお互いに同じ。


極限まで貫通力が高められた螺旋剣が放たれる。

それを躱せない速度で、狙いも胸元目掛けて正確に。

白髪の剣士はこれを受け流そうと二刀で構える。


螺旋剣と刀身二本がぶつかる。


ギュイィィィンと剣同士が衝突したとは思えない音が響き渡り、これを神業の如き反射神経で正確に受け流そうとしたが、刀身から螺旋剣を滑らせられなかった。


二刀に一瞬でヒビが入り、螺旋剣は白髪の剣士の愛刀を粉々に打ち砕いた。

砕けたことが幸か不幸か、衝撃で螺旋剣の軌道がほんのわずかに変化し、白髪の剣士の頬を掠めていく。

頬から鮮血があふれ出るが、


(この程度で済んだのは奇跡だな。今までありがとうよ。お前たち)


あったのは勝負に負けたことへの悔しさや、愛刀を破壊されたことへの怒りではなく、今まで苦楽を共にしたことへの感謝の念だった。


降参の意味も込めて白髪の剣士が手を上げる。


『勝負あり!勝者八番!Bブロック優勝!』


これでBブロックトーナメントは終了。


残すはAブロックで優勝した奴との特別試合となる訳だが、ここで大会運営アナウンスがかかる。


『特別試合は魔法、魔術の使用を禁止致します。つきましては、特別試合は木剣のみとさせて頂きます』


繰り返しアナウンスが放送される。明らかに彼の行動を制限する為であることは間違いないだろう。そうまでして勝たせたいのがAブロックの相手という訳だ。


選手控え室から出て、軽く昼食を摂ろうと外に出ると、宿屋の親子が彼を待っていた。


『お兄さん!かっこよかったよ!すごーく強いんだね!』


『君にいいところを見せようと頑張ったよ』


『ホントにアンタ何者なんだい?』


少し呆れた表情で女店主が笑っている。そして思い出したように


『アンタ、これから昼飯だろ?うちで食ってくかい?』


『ああ、そうする。頼んだ』


『じゃあもっと試合のこと、聞かせてね!』


『こら!まだ試合が残っているんだから、聞くならその後にしな!』


『ぶー、じゃあ今日の夜にいっぱい聞かせてね!』


『わかったよ』


自分に妹がいたらこんな感じなのだろうか、彼に家族はもういないが、どこか懐かしい気持ちになる。

大会もいよいよ最終戦


木剣のみの打ち合いになる相手はどんなお貴族様かと思っていたら


『なるほど、相手は君か』


『ええ、まず試合が始まる前に謝罪をさせて頂戴。私が有利になるルールに何度も変えさせて』


『いいさ、結果は変わらないからな』


『ふふっ、貴方そんな冗談も言えるのね』


その冗談とは、これほどまでの縛りルールでも勝てると思っているのか。

またはそんな減らず口を言えるタイプだったのかと思っているのかは分からないが、お互いに決勝まで駒を進めてきたもの同士。


気分が高揚していた。


『特別試合、始めてください!』


最初に動いたのは彼女の方だった。

木剣の種類は彼女の背丈には不釣り合いな長さで、両手で主に扱うロングソードに近い形状。それを片手で糸も簡単に上段へ振りかぶり、飛び上がる。


剣本来の重量と、彼女の並外れた膂力。飛び上がってから振り下ろされるまでの間に落下する重力を掛け合わせた、必殺の一撃。


一連の動作速度も申し分ない。

これをまともに受ければ幾ら彼でも木剣を破壊されて試合続行不可能となり判定負けとなるだろう。

だが、巨大な威力を持った一撃を受け流す方法は白髪の剣士との対決でよく「見た」

彼女の一撃が彼の剣に当たってから、上体を捻りながら剣同士を滑らせて受け流す。


『なっ』


(その技は先生の…!)


(悪いな嬢ちゃん、技見せすぎた)


このまま剣を滑らせながら前進し、彼女の腹に一撃を加えて試合終了かと思いきや、片手で振り下ろされたロングソードを両手で持ち直し、無理矢理空中でガードの体制を作る。


木剣同士が打ち合い、彼女が開始位置まで飛ばされるが、これを自慢の膂力で何とか姿勢を崩さない。着地の際によろけるなら、そのまま追撃をしようと準備していた彼だったが、不発に終わる。


『貴方、真似っ子は随分とお上手なのね』


『そちらこそ、見た目によらず力強すぎるだろ。何食ったらそんな力つくんだよ』


『失礼な!食べているものは普通よ!』


食べる量について言わない辺り、大飯食らいなのだなと思ったが、その後の展開が容易に想像できたのでやめておく。


今度も先に仕掛けたのは金髪の彼女。

だが今度は飛び上がらずに地上で細かく攻撃を仕掛ける。


彼はまだロングソードの遠い間合いで、あたかもショートソードの用に扱う彼女に対応がやや遅れている。それでもまともに打ち合わず、躱し、いなしをメインにカウンターの機を伺っている。


まともな持久戦なら徐々に動きのキレが落ちてくる彼女が不利になっていくのだが、それでも涼しい顔して連続攻撃を仕掛けてくる。


(全く遅くならないどころか、徐々に早くなってきてないか?)


そう、彼女の真髄は正に天から与えられた身体能力。


細い腕からは信じられない威力で繰り出される攻撃は、相手に合わせてキレを増していく。

何かしらの“加護”を有しているといっていい。


加護の正体は分からないが、加護持ちとの戦闘は滅多に経験がない彼は


(ポテンシャルだけなら白髪の剣士より上か…!)


と彼女の評価を改めた。


正直彼女から漏れ出る自然魔力はまだまだ偏りが酷く、剣士なら誰もがしている身体強化すらまともな効果になっていない。だがそれでも人間離れした膂力が、無理矢理に彼女の戦闘能力を底上げしている。


穴だらけであるだけに、どう攻めていいか考えている時間が、更に彼女の穴を埋めていく。


『俺は絡め手で何とか凌いでいたが、ボウズはどうやってあの剣をどうにかする?』


愛刀を両方とも折られ、棄権した白髪の剣士がカカッと笑いながら試合を見つめる。


(私に足りないものは全部、この彼が持っている。でも、ここでの勝ち負けは別!身体は軽いし、徐々に押せてきている!このまま一気に!)


彼が徐々に押され、もう少しで闘技場の外周付近まで後退させられる。

だが、闘技場の外周付近まで押してから


(後一撃が決めきれない!)


彼女の加護もあってか剣速は未だに加速し続け、攻撃感覚は徐々にではあるが確実に短くなっている。

観客にはもう剣先を目で追うことすら出来ない速度まで達しているのだ。

じりじりと攻撃しているはずの彼女が押され始める。


ここで白髪の剣士が気づく


(そうか、ボウズの魔術は物体を操る力…!たとえ魔法、魔術は禁止されても魔力による「身体強化」だけは純粋な身体能力の一部。これは単に剣を体の一部として魔力を流し込んでいるだけ!

不味いぜ嬢ちゃん、あのボウズも逆境状態で尻上がりするタイプだ)


先生を倒した彼は、いわば格上の存在。ルール変更があってようやく互角の勝負が出来るレベル。初めから挑戦者として挑んで掴んだ光明が遠ざかる。

負けを覚悟した彼女の剣速は加護を失い、今度は遅くなり攻防が逆の関係になっていく。


(スタミナ切れか?いや、あの表情はそうじゃないな)


後一歩のところで上空に感じた覚えのある魔法陣が闘技場全体を覆う。

お互いに戦闘を瞬時に中断し、何が起きているのか情報を集めようと周囲を見渡す。


(これはユニコーンの時と種類は違うが、同じ奴が起動しているな。

となると魔法が飛び交っていた闘技場の魔力を使ってまた魔物を召喚するつもりか?

だがそれならもう対策はある)


彼が右手を空に掲げ、自身の知覚できる感覚を広げる。

仮想的に可視化させた周囲の環境を取り巻く魔力を一点に集めるべく、魔力糸無しで念動魔法を発動させる。


だが、彼の思惑通りにはならなかった。

確かに魔術の発動は出来た、一瞬だが周囲の魔力を集めることも。

しかし、魔術の「継続」が出来ない。


(これは、消滅魔術か…!)


消滅魔術とは魔法や魔術の発動を検知、即ち魔力が体外に放出された段階で消滅させる魔術だ。これもまたユニコーンの時と同じ魔術師がやっているのだろうが、こんな代物扱える人物など世界に数えるくらいしかいないユニーク魔術に近いほど珍しい。


ここで始めて事の重大性に気づく。


(どんなに犠牲を払ってでも消したい奴がこの中にいる…!)


足に魔力を込めて垂直とびをする。純粋な筋力による跳躍と、魔力による跳躍の跳躍力の付加。その高さおよそ二十メートル。跳躍しきってから念動魔術による空中浮遊が即座に消滅魔術によって落下を始めようとする。しかし落下を始めるよりも速く、念動魔術を再度発動。再度、念動魔術の消滅。再度、念動魔術の発動。


この消滅と発動の繰り返しを高速で繰り返すことで空中浮遊を維持する。

始めに魔力を集めようとした方法を思い出し、空中の残存魔力の流れを感知、魔法陣の位置を逆探知する。


(一、二、三、四……五個だな)


五か所から魔力を吸い上げており、星形の頂点を位置する場所に魔法陣が張られているようだ。観客はまだ彼女との戦闘の最中で彼がルール違反をしたと思っている。

空中浮遊を解除し、大会運営に用意されている椅子が集まる上座目掛けて移動する。この異常事態を伝えるために大会運営席に到着したが、一歩遅かった。


黒衣のフードに身を包んだ連中が、恐らく毒が仕込んである武器を片手に運営陣を拘束している。それを見た彼は毒武器を魔力糸無しで操り、毒武器の所有者に向けて刃先を強引に向かわせた。

何とか抵抗しようと力を込めるフードを被った賊の抵抗空しく、自害するように毒武器を自身の身体に突き刺す。


即効性の毒だったのか、黒衣の集団が苦しむようにもがき、倒れ、息絶える。


『おかげで助かった』


『切られていないか?』


『ああ、大丈夫だ』


『そうか、ならここからでいい。大会の中止を宣言してくれ。誰が本当に狙われているかまではわからんが、まだ賊がどこかに潜んでいる』


『わかった、すぐに放送を行うように放送席に手配する』


『その放送室とやらは、本当に安全なのか?』


『まさか、そこまで賊が侵入しているというのか…』


『可能性はある。この闘技場にはすでに魔法陣が五か所仕掛けられている。

効果はわかっているだけでも消滅魔術。ユニコーンが出現したことも関わっていると考えたほうがいい』


『消滅魔術!?でも君は今魔術を行使して…いや、そんな前から賊が準備を…』


思わず狼狽する大会主催者。それほどまでに消滅魔術は珍しいのだ。


『とりあえず今は非難が先決だ。放送室の他に方法はないのか』


大会主催者は俯きながら


『申し訳ない。私はどうしたら…』


『そうか、なら避難誘導はこちらでやる、あんたらは先に避難してくれ』


『わかった。この件が片付いたら、何かお礼をさせてくれ』


『未来を語るにはまだ早い』


大会主催者に倒れた賊の毒武器を拾って襲い掛かる影が一つ。

その新たな賊は黒衣のフードを被るわけでもなく、大会運営者の一人だった。

難なく新たな賊を念動魔術の重ね掛けで停止させる。


『くそぉ!どうして体が動かない!魔術は封じたはずではなかったのか!』


『こんな風に、内部に賊が入り込んでいることも考えた方がいい』


『どうして、お前が…』


他に賊がはいりこんでいないか目に魔力を集中させ、全員からにじみ出る自然魔力の揺らぎを確認する。


(他に賊は…いないな)


『それで、こいつはどうする?』


『拘束してくれると助かる』


『拘束は無理だが気絶させることはできる。後はそっちで何とかしてくれ』


念動魔術で拘束していた賊の鼻と口周りの空気を固定する。次の瞬間、呼吸ができなくなった賊は白目をむいて脱力状態になる。


ぱっと見は勝手に白目をむいた賊に驚きつつも、彼の魔術によるものだと納得する主催者一同。すると、いい加減痺れを切らしたのか、大きな声で彼女が悪態をつく


『ちょっと、いつまでそこにいるのよ』


『じゃあ、あとはこっちで何とかする。あんたらは自身の安全だけを考えてくれ』


『しかし、それでは市民たちが…』


主催者が言い終わる前に、金髪の彼女の元へと降りる。


『貴方、魔術が使えるの?私はこの通信装置が使えないんだけど』


彼女が差し出したのは遠隔との通信が可能になる魔術道具。仮にこれを換金すれば中央の一等宿泊施設に十日は遊びながら泊まれるだろう。


『ああ、俺なら使えると考えてもらっていい。それよりも今俺が持っている情報を伝える。一度で聞き取ってくれ』


観客からは依然として悪態をつく人もいるが、何かおかしいと感づく人もおり、一目散に会場を後にする危機回避能力が高い人もいる。

はっきりいって、パニック一歩手前の状態だ。


『俺は一旦仕掛けられた魔法陣を確認してくる』


『待って』


その場を素早く後にしようとする彼に、彼女は小さく、それでいてはっきりとした口調で告げる。


『私はマリー、中央王族機構、第三王女。王位継承権二位、マリー・トレスティア』


『第三王女!?』


さすがに高貴な方だとは勘づいてはいたが、まさか王女だとは…

『ばか!声がでかい!!』


『すまん。あ、いや、申し訳ございません。』


『そこはいつも通りでいいわよ、ばか』


『で、話を戻すが、その第三王女様は、自分が狙われていると思ったわけだ』


無視。


(ん?なんか気に障ること言ったか?あっ、なるほど)


気づいて言い直す。


『マリーは自分が狙われていると思うわけか』


『そうよ』


まだ第三王女様って言ったことを気にしているご様子。


『なら一緒に来るか?ここに一人でいるよりかは安全だろうし』


『いいの?』


『全身骨折しているマリーの先生よりかは役に立ってみせるよ』


『それは貴方のせいでしょ』


お互いに少し笑う。緩みそうになった空気を引き締めたのは意外なものだった。


『あー、これ聞こえてる?ゴホン、闘技場にお集まりの皆さーん!ワタクシ、コワーイ暗殺ギルドの長でございます!これから皆さんには〜?闘技場からの鬼ごっこにご参加いただきたいと思いまーす!

ルールは簡単。各所に魔物を召喚する儀式が施されている闘技場から、生きて脱出する事。

晴れて脱出出来た方はー、はぁ、何処へなりとも行ってください。ゲームは終了になってしまいます。しくしく。まずは魔物一体から鬼ごっこ、開始いたします!』


急な放送に戸惑う観客たち


『何の冗談だ?』


『ママー、試合まだやらないのー?』


『そうだねぇ、早く再開するといいね』


など、まだ放送に半信半疑な様子。

開始の合図をしたはずの放送席の男のような声が、少し苛立った口調に変わる。


『あれ?あれあれ?ゲームはもうスタートしているんですけどねぇ。これは頂けません…しょうがない、皆さんがそんな態度だからいけないんですよ?魔物召喚、「全部」やっちゃいな』


魔物の気配が一つから五つに増える。

一刻も早く全ての召喚陣を破壊しなければどんどん屍の山が増えていくだろう。小さな街とはいえ、ほぼ全ての住民達がこの闘技場に足を運んでいると言っていい。店を休業してまでこの催しに参加しているところも珍しくない。

ここでほぼ同時に二人が駆け出す。


(やはり放送室はすでにダメだったか)


『マリー、これから召喚陣を破壊しにいく、消滅魔術も同じ陣に組み込まれている筈だ』


『陣の場所は?』


『大丈夫、全て分かっている。一番近いところから破壊しにいくが、奴の言う通り魔物が魔法陣の近くにまだうろついている。俺が魔法陣を破壊するまでの間、魔物の「注意」だけでいい、惹きつけられるか?』


『別に倒してしまってもいいんでしょうね?』


『できるならな』


お互いにフフっと笑うが、ここで彼が釘を刺す。


『だが、一箇所だけ、ここから一番遠い場所だがユニコーンよりも強い魔力反応がある。

そいつはこの消滅魔術の状態だと俺も厳しい』


『分かった、その魔物だけは貴方に任せるわ。なら、先に魔物の魔法陣よりも先に消滅魔術の方を何とかした方が良いわね』


彼が頷く。


『マリーの先生!近くにいるなら返事しろ!』


『あいあい、ここにいるぜ』


何処からかぬっと出てきた白髪の剣士が彼らと共に走る。


『この木剣をやる、無いよりマシだろ。アンタは俺達と逆方向から魔物を叩いてくれ。

そっちならせいぜい二段階目か三段階目だろう。その折れた両腕でも何とかできる筈だ』


『簡単に言ってくれるねぇ、まぁ、何とかして見せるさ』


『頼んだ。最後の魔法陣の時に落ち合おう』


『それは良いけどよ、ボウズと嬢ちゃんは木剣だけで戦うつもりか?』


『流石に自分の剣が無いと惹きつけるにも限界があるわ』


『心配ない、そら来た』


こうなるだろうと、遠隔で預かり所からすでに念動魔術でこちらに移動させていた。彼女の剣は一度見て覚えている。剣自体に魔力が付与されていたからこういった事態ではわかりやすい。逆に彼の剣の方が分かりづらい、というより分からなかった。


片っ端から様々な剣を手当たり次第念動魔術で移動させてきた。

闘技大会も進み、預かり所には剣自体が少なかったが、十本はまだあったので全て持ってくる。

一斉に向かってくる剣を見ながら人二人は目を丸くしたが、すぐに理解する。


((先生と)(俺と)やった時はまだ本気ではなかった)


マリーは自身の愛刀を手にし、白髪の剣士は比較的軽めのショートソードを一度は手にしたが、再び木剣に持ち替える。


『よし、行こう』


『死ぬなよ、嬢ちゃん』


『そっちこそ』


笑い合い、お互い逆の方向へと走り出す。走りながらも不安の種が消えない彼を見てマリーが心配そうに声をかける。


『宿屋の親子のこと?』


『ああ、この闘技場に来ている筈だ』


気がかりなのは店主の親子だ。

この闘技場まで来ている筈だが、こうも人が多いと個人の特定は不可能。

素早く魔物を排除し、魔法陣を破壊する事が結果的に命を救うことにつながる、筈だ。


マリーも心配しているようだが、さすがは王女様。思考の切り替えが早い。


『私も心配だからさっさと片付けて、お祝い金たっぷりもらって、それで宿屋の皆んなにご馳走してあげましょう』


『そうだな』


まばらに逃げ始めている観客を避けつつ、もうじき魔物がいる場所まで辿り着いた。

魔物が近くなるにつれて、彼らとは逆方向に逃げる観客が増えてくる。

それにぶつからないように速度を殺さず向かうと


『ガァァァアアアア!!!!』


魔物の声が響いている。幸い魔物を避けるように観客が退避はしているが、いかんせん戦闘するには狭い空間だ。魔物が移動したら被害が大きくなるのは必至。


『俺が牽制する!その隙に一撃頼んだ』


『分かったわ』


魔物を視認する。


(あれはウルフファング…!)


ウルフファングは三段目の魔物だが、近々四段目に昇格するのでは無いかと噂になっている。主な生息域はユニコーンと同じ森の奥地。本来群れで行動することで知られているが今回は一頭のみ。


成獣だと思われるが、先程の咆哮といい、まともに音圧を受ければたちまち体が数秒間硬直して動けなくなる。既に躱した観客の中にも硬直し始めている人もいた。


今はまだ魔法陣付近にはいるが、いつ動き出しても不思議はない。


『また咆哮がくるぞ!』


(先程よりも大きい咆哮を出すつもりか)


彼らが接近してきたことに対する、臨戦体制に入ったことへの合図。


『咆哮は何とかする!構わず突っ込め!』


ウルフファングが咆哮を上げるよりも早く、自分とマリーの耳に小さいウォーターボールを出現させ、耳を保護。


『きゃっ?!』


と驚いたような声を一瞬あげるが、速度は緩めずにウルフファングまで駆ける。

加えてすぐに音の衝撃波の直撃を防ぐために、帯同していた十本の剣を横一列に並べる。


『ガァァァアアアア!!!!!!!』


先ほどとは比べ物にならない音圧でウルフファングの咆哮が響き渡るが、二重に対策された二人は硬直することなく突っ込み続ける。咆哮が終わったとほぼ同時に剣の間合いに入り、下段から垂直に首元へと真っ直ぐ軌道を曲げられた二本の剣が、ウルフファングの首を捕らえたかに見えたが、四段目に昇格が控えているだけあって反応が速い。


薄皮一枚を切り裂き小さく鮮血が上がる。

上体が逸らされ更に懐が広くなり、この隙間にマリーが素早く潜り込む。


戻ったときにはマリーが頭の真下に位置取り、うまく死角に入った。


『やぁぁぁああああ!!』


裂帛の気合いで死角からの一撃。


元々の剣の切れ味の良さも相まってか、滑るようにウルフファングの首が落ち、魔石へと還る。この間、僅か五秒の早業。魔法陣を彼が視認してから念動魔術で、距離がまだ数メートル開いている状態から浮かび上がらせる。


先に魔法陣を破壊してから手伝ってやろうとも思ったが、その必要は無かったようだ。

いくら膂力が高いとはいえ、あの美しい切断面を見ると、自分も武器を新調したくなるもの。

ここで思考を魔法陣に戻す。


形状こそ違うが、ユニコーンとタイプは同じ。

ここも象形文字に近い部分を狙って書き換え、魔法陣を自壊させる。


(よし)


お互いに目を合わせ、次の魔物と魔法陣がある場所へ闘技場の外周通路を駆ける。


『なんかまだ魔法が使える気がしないんだけど』


『あの魔法陣、恐らくだが加算方式だ。だからまだ使える感覚になっていないんだと思う』


『で、その加算の割合は?』


話が早い。流石は王女様だ。算術はお手のものか。


『十分の一』


『え?でも魔法陣は五個よね、どういうこと?』


『そうだ、これは俺の推測だが、俺達が最終的に目指している魔物が居る場所。その魔法陣の効果割合が高いと思う』


『じゃあ尚更他の魔法陣には時間をかけていられないわね』


『急ごう』


ここでお互い魔力を足に込める。


技術が必要だが、体外に放出されなければ魔力消費も極端に抑える事が出来る。

二人とも無駄な魔力消費すること無く加速する。


残る心配は白髪の剣士が骨折した状態で二・三段階目の魔物を倒せるかだが、ユニコーンの時の口振りを考えれば時間をかけずに倒せる筈だ。幸いこちらはマリーの戦闘能力は彼が思っていたより高い。


順調に行けば白髪の剣士よりも早く最後の魔物まで辿り着くだろう。二体目の魔物が目前に迫る中、白髪の剣士が魔法陣を破壊した手応えを魔力感知から判断する。予め白髪の剣士には“魔力揮発剤”を二回分渡しておいた。


これを魔法陣にかければ、魔石を液状化して陣を形成しているに限り無効化することも可能だ。元々魔力揮発剤はダンジョンでよく使われる物で、市販こそほぼされないが攻略者には必須とも言っていいほどの代物だ。


大規模魔術を発動した後に、周辺の魔力濃度を抑えるために使われることもあるらしいが、そんな魔術を行使できる人間はこの魔法陣を作成できる数よりも少ない。

ダンジョンでの主な用途はセーフゾーンの作成で、魔物のポップは周囲環境の魔力をリソースにして出現するのが原則。その魔力を揮発剤で消してやれば、付近では魔物のポップを防げて簡略化された安全圏を一時的に作ることができるという訳だ。


『どうやらマリーの先生も頑張っているようだな』


『ええ、自慢の先生だもの!』


二体目の魔物は歯ごたえがなかった。彼が放った剣で牽制をすると、その牽制で魔石へと還っていった。魔法陣を破壊し、魔術行使の効率を考えると、合計で約三割、この割合で考えると最後の魔物は半分の五割と考えていい。それほどまでに最後の魔物に自信があるということだ。


(このまま白髪の剣士の討伐を待たずにユニコーン以上の魔物と戦うか?それとも…)


『マリー!高いところは平気か?』


『多分大丈夫!』


『なら飛ぶぞ』


『え?飛ぶって、どういうこ、きゃああああああああああ!!』


彼女の悲鳴を無視して白髪の剣士が今戦っているであろう場所に空から直線で向かう。

何か嫌な予感がする。


最後の魔物は万全な状態で戦いたいのもあるが、魔物の数を一体でも減らせれば、その分観客が逃げられる導線が確保できるのが大きい。

放送があれきりなのも気になる。


既に魔物も五体中、半分を超える三体を排除しているが、相手側が何か反応を見せてもおかしくはない。よほど最後の砦に自信があるのか、それとも他に…


『あはは!貴方、こんな楽しい時間を独り占めしていたのね!これ、癖になりそう!』


『楽しみすぎだろ。この非常時に』


『それはそうだけど、いいじゃない空に魔物はいないんだし。オンとオフの切り替えが大事なのよ』

『ものはいいようだな』


今この頭の靄を気にしすぎても仕方がない。彼女を見習うわけではないが、張り詰めすぎた糸はいつか切れる。


『先生ぇー!!』


『嬢ちゃん!?』


冷静な判断を心がけていた白髪の剣士も、空から愛弟子が降ってきたら驚きもする。


『向かいに来たぜ、爺さん。やけに時間がかかっているとは思ったが、そういうことか』


『いやーすまねぇ。「こいつら」は全快の俺でも手を焼く奴だ』


白髪の剣士が相手をしていたのは、二段階目の魔物だ。

名はグンタイイワシ。

通常は海上や海辺で見かけられる魔物で、一体ごとに小さい魔石を有している。グンタイイワシから取れる魔石の換金効率は最悪で、風で吹けばすべての魔石を回収することは困難。魔石は一つ一つが小さな石ころレベルのため、数を集めなければ買い食いする金額にもならない。刺激を与えれば数の暴力で暴れ、冒険者にも海辺で生活する人々にも敬遠される魔物だ。


一体一体は二段目の魔物だが、数が多い。

魔力感知ではその数およそ百五十体。


確かに、この群体魔物は魔術戦向きで、刀でちまちま払っていてはいつまで経っても完全討伐はできないだろう。下手に刺激を与えれば観客への被害は絶大で、いくら小さくても広範囲になればなるほど怪我人が増えていく。一般人からすれば今回の魔法陣で召喚された中で、一番出会いたくない魔物といっていい。


経験豊富な冒険者なら時間をかけてじっくり数を減らせるが、今回は時間をかけている暇はない。今でこそまだ最後の魔物に動きはないが、いつ観客を無差別に襲い始めてもおかしくない。


『来てもらったところで悪いが、どう料理する?』


『消滅魔術も三割ほどだが効果が減衰している。火炎魔術で一斉に焼くつもりだ』


『それはいいけど、一か所にどう集めるの?それとも火炎魔術を何度も打ち込む?』


『火炎魔術は魔力効率が悪い。連発もできなくはないが、最後を考えるとそれは避けたい。

だからこうする』


魔力糸を無数に出し、グンタイイワシの周囲の空間を取り囲む。ここで異変を感じたグンタイイワシが魔力糸の外に出ようと暴れ始める。


『もう遅い』


魔力糸で取り囲んだ範囲を狭くする。

身動きができないほど魔力糸で縛りあげられたグンタイイワシが苦しそうに藻掻く。

まだ彼の技術では百五十もの不規則に動いている個体を一体一体補足することは“まだ”できない。ゆえに魔力糸を無数に出し、全体を捉えて、最後は投網のごとく縛り上げる。


『ファイア・ストーム』


『中級魔術を詠唱破棄…!』


絶命し、ばらばらと魔石になって地面に転がっていく。


『あの糸みたいなやつで行動範囲を狭めて、魔術で一気に焼く。いやぁ、壮観だねぇ』


『さぁ、最後の一体だ』


ここで五体目の最後の魔物が動きを始める。

動いた先は闘技場の真ん中、

闘技場の観客はもうすでにまばらで、非難はもうほぼ完了と言っていい。


『よく来てくださいましたね。皆さん。

ワタクシ自慢の魔物達をよくもかわいがってくださいましたね。しくしく』


(この声は放送の奴か)


闘技場の中央で待ち構えていた輩は紺のタキシードに紺のハットをかぶり、顔には白を基調とした涙が描かれた仮面を着用している。


分かりやすいウソ泣きの仕草で演技していることを逆にアピールしているかのような話し方をしている。


『貴方の企みは潰させてもらったわ』


『お前に話すことは許可していなぁぁぃいいい!!!この卑しい雌豚がぁ』


今までの口調とは打って変わり、中性的な声からドスの効いた男性の声へと変わる。


『いやぁあん、ワタクシッたら。いっけなーい!てへっ?』


(上空からすでに投擲していることに気づいたか!勘のいい奴だ)


幸い魔物の動きは鈍い、耐久力と、攻撃、防御力が高いタイプだろうことは魔力反応を見ればわかる。

闘技場の上空は幸い何も障害となる建物がなく、青々とした空が広がっている。


『そこからお退きなさい、アシュラちゃん』


(主人の命令には従うタイプだな)


『いやねぇ、不意打ちだなんて。せっかくのお祭りなんですもの。もっと楽しみましょ?

それに貴方、随分とこちらを探っているようだけど、狙い通りにいくかしらね?』


『さあな』


投擲された剣がアシュラと呼ばれた魔物めがけて飛ぶが、これを必死に躱そうと動く魔物。空中で自動追尾された無数の剣たちは正確に魔物へと突き刺さる、はずだった。

重力と念動魔術を合わせた剣の雨は正確に魔物へと命中したが、体を覆う甲殻のようなものが剣を弾いた。


ガキィイインン!!!


大きな衝突音が響き渡る。

まるで剣と剣が衝突したときに出るような轟音。

剣は衝撃に耐えられずに派手に火花を上げて粉々に砕け散り、ユニコーンを屠った時以上の攻撃があっさりと防がれる。


残った剣は空中に帯同させていた2本の剣のみ。


『あっらぁ?アシュラちゃんが強すぎて、全く攻撃が通らなかったわね?

じゃあ次はこっちから行っちゃおうかしら!ここで息の根止めてやるわ、雌豚』


『あいつ、殺すわ。二回も、二回も雌豚って言った!』


『高尚な術が使えるようだが、用い道がいけねぇ。老体に鞭打つときかね』


二人の絶対殺す宣言に、彼は少しだけ引いた。


『あら?やる気?この五段階目のアシュラ・ハガマに勝てると思っているのかしら、ね!』


五段目の魔物、中央王族機構筆頭の近衛騎士団が束になってようやく足止めできる強さの魔物と言っていいだろう。その大人数で相手する魔物をたった三人で相手しなければならない。加えて、まだどんな手段で攻撃を行うのかわからない仮面の男。


素人目にも、戦況は絶望的だった。

言い終わると同時に暗殺ギルドの長らしく黒く塗りこんである暗器をこちら目掛けて投擲してくる。マリーと白髪の剣士は足に魔力を集中し、垂直に飛んで回避するが、彼は動かない。


『ちょっと貴方!躱さないつもりなの?』


彼が得意そうに口角を上げる。


(躱す“必要がない”んだよ)


彼目掛けて投擲された暗器が突き刺さる直前、ぐにゃりと軌道を曲げ、闘技場の壁に突き刺さる。


『あらら、貴方、もしかして“矢除けの加護”をもっているのかしら?いやねぇ暗殺者殺しじゃないの』


『なんの対策もなくここに立っていると思うか?』


『それもそうね。なら狙いはそこの雌豚ただ一人に絞っちゃいましょうかね』


『させるかよ!』


着地した白髪の剣士が瞬間的に加速し、両腕を骨折しているとは思えない速度で木剣を仮面の男目掛けて振るわれる。立ち振る舞いを見るに、白髪の剣士の一撃を真正面から受けることはできない。完璧に決まったと思った矢先。仮面の男が靄のように消えていく。


『幻惑魔術か』


『正解!でも分かったところで対応はできないわよ?』


マリーと白髪の剣士が周囲を警戒する。

気配は消えていない、だが正確な位置が掴めないでいた。

魔法陣の位置を探る時と同様に、一度切っていた魔力感知の感覚を闘技場全体に、半円を描くようなイメージで展開する。


(こいつ、魔力感知を警戒しているか知らんが、自然魔力を一切遮断しているな。

だが、周囲の魔力の揺らぎを追えば…!)


魔力の揺らぎを追うとやはりというべきか、マリーの方を狙うべくこちら側に近づいていた。帯同していた二本のうちの一本を射出する。


驚いた仮面の男が幻惑魔術を中断し、一旦距離を取るべくバックステップする。


『なんでわかった?』


口調が演技風から男性の声へと変わる。


『勘さ、君はマリーを狙うといっていたからな』


『そんな馬鹿なことがあるか!俺の!んん、ワタクシの幻惑魔術は完璧です。気配だって自然魔力だって!!』


ここで自分から戦術をペラペラ喋ってしまっていることに気づく。諌めてから更に続ける。


『いいでしょう!そんなに早く死にたいのなら、アシュラちゃん!やってしまいなさい』


『グガァァアアアア!!!』


アシュラ・ハガマが口元に魔力を集中し、光が集まっていく。収束するまで後数秒といったところだ。


『白髪の剣士はそこを動くな!マリー、さっき飛んだときの様に君を抱いて俺が躱す』


『えっ?!あ、あぁ抱えてね』


ここで何故か顔を逸らす。


『そうだ、だからちょっとの間失礼』


もう発射まで猶予がない。

収束し切った口元は臨界点を迎え、マリー達に向けて放たれた。

マリーを抱えた状態で、念動魔術を己とマリー全体にかけ、両足に魔力を集中させる。

踏ん張った地面が削れ、勢いよく加速する。


アシュラ・ハガマの熱線が逃げるマリー達を追尾しながら横に薙ぎ払う形で追跡する。

放たれた熱線は闘技場の壁を溶かしながらマリー達に迫っていく。


(なんという速力)


敵ながら彼の速力に感心する仮面の男。

首の角度を変えるだけの射出、逃げた距離がおよそ90度に達した時に、熱線の追尾が若干遅くなる。


(これを待っていたよ)


熱線の追尾が遅れた瞬間に最速でウォーターボールを氷に性質変化し、念動魔術で棘状に形状変化。


「回って進め」


二重に命令された氷の棘が高速で回転しながらアシュラ・ハガマの顔面目掛けて射出される。途中に熱線の影響を受けて若干溶けたが、棘状に形状変化させた事で溶け切ることはなかった。

アシュラ・ハガマの目に命中した氷の棘は粉々に砕け


『ガァアア!』


アシュラ・ハガマが苦しそうに呻く。熱線は途中で中断され、マリー達は事なきを得た。


『あら、これでもダメなの』


マリー本人を守りながら戦わなければならないため、本人と距離を離すのは危険だ。

そして、アシュラ・ハガマに対する攻撃手段がまだ確立出来ないことも問題。

マリーを下ろし、熱線攻撃をしていた時のアシュラ・ハガマを思い返す。


(奴の攻撃は大火力の熱線。あれだけの溜めの短さを考えれば何かカラクリがあるはずだ。加えて連射は恐らく無理。他の攻撃手段として咆哮辺りが考えられるが、二度の発声を聞く限り可能性から消していい。)


高速で思考を回す。


(それに奴の尻尾が気になる。熱線中はもっと光ってなかったか?尻尾の付け根は皮膚が見えていることから恐らく剣は入るはず)


…落とすか…

帯同していた剣に炎を纏わせ高速回転させる。

回転で炎が消えない様に纏わせた段階で、念動魔術で炎を剣に固定する事を忘れずに。

ギュイイイン!と剣が風を切る音が響き、高速回転させた事で炎の円が出来上がる。


回転量が限界まで引き上げられた後に剣を空に向けて射出。あわよくばその剣を眺めてくれればその隙に切り掛かることも出来たが、そこまで間抜けな奴ではなかった。


『あらぁ?また最初と同じ手かしら?芸が無いわねぇ。炎を纏わせたようだけど無駄無駄。アシュラちゃんは固ーい甲殻に覆われているから剣なんて刺さらないわよ』


『そうかもな』


飄々と返した彼に仮面の男が少し苛立ちを見せる。


『あーあ、折角忠告してあげているのに、馬鹿な子。まぁそこも可愛いんだけどね』


『はっ!中央の爪弾きものがデカいおもちゃ貰ってはしゃいでいる様だが、まるで使いこなせていないやつが何を言っている』


『何ですって?』


かかった。もうひと押し煽るつもりが、最初の一言で簡単にかかった。


『わからない様だから教えて上げるけど、アシュラちゃんはねぇ!ワタクシが育てたのよ!生まれた時からずっとね!』


テイムモンスターの場合、テイムの手順は大きく分けて二通り存在する。一つは時間こそ掛からないが、大掛かりな儀式魔術を発動させる方法。もう一つは仮面の男が言っていた、生まれた時から時間を掛けて絆を深める方法だ。時間をかける方法なら儀式魔術も幾つか簡略化させることができる。

五段階目ともなると、大掛かりな儀式でも時間がかかるため、生まれた直後から調教する事を選んだのだろう。


『通りで攻撃が単調なわけだ。子は親に似るって言うしな』


『貴方から殺そうかしら』


(よし、注意が完全にこちらに向いたな)


『ファイア・ストーム』


グンタイイワシを纏めて討伐した魔術を再度発動し、アシュラ・ハガマに攻撃する。

しかし大したダメージになっていないのが見て取れ、付近にいた仮面の男が多少焦っていたくらいだ。


『こんな攻撃、アシュラちゃんには効かないって本当に分からないのね!アシュラちゃん、やっておしまい!』


『ガァァァアアアア!』


先程の熱線と同じ構えで、光が口元に集中していく。また尻尾の鉱石部分も同様に発色を始めていた。


(やはり尻尾は増幅機だな)


『今度は同じ様に行かないわよ。アシュラちゃんは熱線を分割できるの。この意味、わかるわよね?どうする?命乞いでもしてみる?まぁ、実際?どんなに許しを乞うても殺すけどね。アハハハハ!』


高笑いの刹那、上空から飛来した炎を纏いし回転刃が、アシュラ・ハガマの尻尾の付け根へ正確に命中する。甲殻以外の部位も並大抵の魔物よりも強靭だが、意識を逸らした後の一撃は、呆気なくアシュラ・ハガマの尻尾を両断した。


『アシュラちゃん?!』


仮面の男の悲痛な叫びと共に、アシュラ・ハガマが初めて痛みを伴った、籠った声を上げる。


『グゥゥオオオオォォォ……』


この瞬間を彼は逃さなかった。

アシュラ・ハガマに対する執着は今までのやり取りを見れば分かる。


(お前は絶対、その魔物を心配すると思ったよ)


仮面の男の注意が彼からアシュラ・ハガマに向いた瞬間、仮面の男に魔力糸を伸ばし接着し、彼と仮面の男が直接接続される。

対象と直接繋いでしまえば、それはもう彼と魔力的には一位胴体といっていい。


彼の大量の魔力が瞬時に仮面の男を覆い包み、全力の念動魔術で後方に移動、もとい吹っ飛ばされる。吹っ飛ばされた先には闘技場の壁、手加減なく壁に叩きつけられた仮面の男は、小さなクレーターと共に血飛沫をあげる。


『がはっ』


消えゆく意識は当初の目的であったはずのマリーではなく、アシュラ・ハガマに向けられていた。


(アシュラ、ちゃ、ん)


仮面の男が意図的に隠蔽していた魔力反応が一瞬戻り、また徐々に消えてゆく。持って数分だろう。

宿主を失ったアシュラ・ハガマが腹いせとばかりに暴れて狂おうと熱線を溜めるべく集中する。しかし、どれだけの時間を使っても再度熱線を満足のいく威力で放つことは二度と…。やはりあの尻尾の鉱石部分が魔力増幅機だった。


『切れた尻尾の付け根から攻めるぞ』


『ええ、分かったわ』


『後はボウズに任せる、俺は観客の手当てしてくらぁ』


手当が必要なのは白髪の剣士の方なのは間違いないが、手負いとはいえアシュラ・ハガマの相手をするよりかは楽だろう。


五段目の魔物だ。魔力自体はまだ健在に近い。だが、殺傷能力を奪われた状態では攻撃手段はほぼ無いに等しい。

と思っていた。


限界を超えて一撃に全魔力を乗せた時のことを、彼は失念していた。もう増幅機を失った状態では放つ威力など知れている。宿主との連携を奪った今、もう脅威は去った。


そう安心していた。


『かましちゃって、アシュラ…ちゃ……ん』


そう言い残し、暗殺者ギルドの長は、二度と口を開くことはなかった。

宿主の最後の願いが、アシュラ・ハガマに届いたのか、ただの自暴自棄なのかは定かでは無いが、熱線を再度溜めるアシュラ・ハガマの全身が尻尾の増幅状態よりも眩しく、強く発光する。周辺の大気がジリジリと焼かれ、超高温による暴風とも呼べる風が吹き荒れる。


急激な魔力反応の上昇にこの場にいた全員の反応が数秒遅れる。

怪我人の治療に向かって背を向けていた筈の白髪の剣士も思わず振り返る。


『なんだ、こりゃあ』


『ねぇ、これって』


『あぁ、火事場の馬鹿力だ』


『どうするの?』


不安そうに聞いてくるマリー

これだけの魔力の収束、間違いなく正真正銘最後の一撃だろう。避けることも、恐らくできる。だが観客は?住民はどうなる?そんなこと、推測するまでもなく決まっている。


大虐殺だ。


意を決する。


今までとは打って変わって真剣な顔立ちになり、優しく、少し笑う。


『マリー、少し下がって、俺の後ろに。…そこでいい』


『どうするつもりだボウズ!』


『アンタもそこから動くな!俺はコイツの攻撃を受け切る!』


『待って!そんなことできるわけが!』


彼が振り返る。


『マリー、大丈夫だ。俺を信じろ』


彼の決意を感じたのか、それ以上は言わない。


全魔力、解放。


全身から赤い魔力が噴き出る。共感覚で赤く見えるのではなく、純粋に魔力濃度が高すぎるために色が現実に変化する。大気が震え、周辺の重力が増したように錯覚するような、とても濃い、濃密な魔力放出。五割の消滅魔術を感じさせない強さで体外に漏れ出る魔力。


これより先は考えない。未来のことは考えない。

今この命がけで放たれる灯を、全身全霊をもって相対する。


臨界点を超え、アシュラ・ハガマが放つ閃光は、彼と同じく赤を描きながら光線となって迫る。全魔力を解放した分を両腕と両足に集中させる。集中された手足に赤い魔力が出口を求めて揺らめくが、決死の力を振り絞り霧散しないように引きとどめる。


光線が迫る。

武器はもういらない。

余計な小細工も、もういらない。

ギリっと奥歯を噛みしめ、噛みしめる力が強すぎるあまり歯が削れる。

超速度で放たれた光線を、目を見開いて正確に素手で受け止める。魔力で超絶強化された手ですら、焼け、爛れ、血が噴き出る。


あまりに一瞬の出来事でも、彼にとっては永遠に思えるような時間が過ぎていく。

しかし、心は折れない。

もう、”あんな結末”は嫌だ。

俺はもっと先に行かなくてはならない。


『こんなところで、負けてられないんだよ!!』


彼の意志に呼応するように、更に全身から赤い魔力が噴出してくる。


『おおおおおおおおおおおおぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!』


限界を超えてなお、雄叫びを上げ、先へ、更に先へ。

後半はもう声にならないほど、喉が千切れるほど叫び、その声を効いたマリー達は魔獣の咆哮を連想する。


手の平で受け、握りつぶすように光線を掴む。質量をもたないはずの魔力と光線。迸る魔力の本流に、彼の魔力が包みこむように染み込んでいく。


もう力が入らない腕と踏ん張る足。それでもアシュラ・ハガマの光線は命を燃やし、放たれ続ける。

お互いに限界は近い。


限界の先で光線を掴む、感覚を


『捕まえた』


全光線の流れを掴みきり、握られた光線を上空へと向けるべく両手を引き上げる。

ぐにゃりと軌道を曲げられた光線が、はるか上空へと突き向ける。

もうアシュラ・ハガマが光線の軌道を変えることはできない。彼が空間を固定し、光線を仮想質量として定義し、そして上空への道を作ることで、曲がり続ける現実を引き寄せる。


行き場を変更された光線は上空の雲を突き向け、大気圏を突破し宇宙空間をしばらく直進したのちに消滅。


キラキラと魔力の欠片が降り注ぐ。

彼の周囲の地面は光線の熱で削れ、そして焦げ付いている。


魔力の残滓を糧に赤い炎が数か所から発生し、燃やすものを探しているかの如くメラメラと燃え続ける。アシュラ・ハガマは絶命することと引き換えに光線を放ち続け、消滅後に本来出現する魔石でさえも存在しなかった。文字通り燃やし尽くしたのだ。


彼の「後ろ」を除いて。


全身火傷まみれになりながらも、彼女を護りきったのだ。

もう限界をとうに超えている彼は地面に仰向けに倒れこむ。

全身煤だらけになりながらも、マリーがにこっと笑いながら


『ありがとう。私を命がけで護ってくれて』


『ああ、無事か。はは、それはよかったよ』


安心した彼はそのまま意識を失い、力が抜けた彼の頬をマリーが優しく撫でるのだった。


『頑張ったな、ボウズ。嬢ちゃんの命の恩人か。感謝するぜ』


その様子を見ていた、闘技場の入り口付近から見つめる影が一つ。


『見事だ。強きお人よ。お嬢様をお護りになった件、全霊をもって陛下にお伝えしなければ』


瞬間、影が溶けるように消えていく。


次に彼が目を覚ましたのは、闘技大会があった日から3日後だった。


『お姉さん!お兄さんが目を覚ましたよ!ほらお姉さんも起きて!』


『えっ!彼が起きたの?』


机に突っ伏して寝ていたマリーががばっと勢いよく起き上がる。


『はしたないぜ、嬢ちゃん』


少し呆れながら笑い、差し入れと思われる袋を片手に扉を開ける白髪の剣士。


『うるさいわよ、ハクロウ』


徐々に意識がはっきりして、全身の痛みに気が付く。手には厳重に包帯がまかれ、全身にも薬草を染み込ませたであろう包帯がグルグルとまかれていた。マリーに起こしてもらい、ゆっくりと座る。


『そういえば、アンタの名前、聞いていなかったな』


『なんか遅すぎる気もするが。自己紹介をさせてもらうぜ。俺はハクロウ。姓はない。ボウズ、嬢ちゃんを護ってくれて感謝する。あれは俺じゃどうにもできなかった。本当にありがとうよ』


『それで?そろそろ貴方の名前を教えてくれてもいいんじゃないの?私の英雄様』


少し考える。だが、短期間とはいえ共に過ごした中だ。

この人達なら、きっと受け止めてくれる。


『俺は……俺の名前はレルゲン、レルゲン・シュトーゲン』


場が一瞬凍り付く。だがその場を引き戻したのは、やはりマリーだった。


『レルゲン…もしかしなくても「旧王朝」の名よね。学が高いことを言うと思っていたわ』


未だに緊張している状態のハクロウ。今ここに剣があったとしたとしたら、恩知らずな行動に走っていたかもしれない。


『ハクロウ、彼は経歴はともあれ、暗殺されそうな私を助けたお方よ。控えなさい』


『すまねぇ、頭ではわかっちゃいるんだが、どうかしちまってるな。でもよ、感謝していることだけは本当なんだ。信じてほしい』


『いいさ、こうなることをわかって俺も名乗ったんだ。気にしないでくれ』


『なんか難しくてよくわからないけど、みんな仲良しってことだよね?』


『そうよ。みんなで乗り越えた。だから仲良し!』


『おいしいところは全部レルゲンが、いや、やっぱりボウズはボウズだわ。

このボウズが持って行っちまったがな』


『もう!水を刺さないでよね』


下の方から賑やかな気配を察してか、女店主が一声かける。


『この街の英雄様がお目覚めなのかい?賑やかなのも結構だけどさ、水でも持っていってやんな』


『あたし行ってくる!』


元気に階段を降りていく店主の娘。どうやら宿屋の親子は無事な様だ。

ほっと胸を撫で下ろしていると、からかう口調でマリーが続ける。


『貴方、見た目によらず結構優しいところあるわよね』


『見た目は余計だ』


『あら?結構元気じゃない。倒れた理由はマインドダウンって聞いて信じられなかったけど、あながち間違いじゃ無さそうね』


マインドダウンは短時間で魔力行使を大量に行い、自身の魔力を使い切った状態で陥る症状の事で、命に別状はない。アシュラ・ハガマの様に命を糧に燃やしてまで行使すれば話は別だが、大小の差はあれど魔術師などに良くありがちな話だ。後で聞いた話だが、あの後最後の魔法陣はハクロウが魔力揮発剤を使って破壊してくれたらしい。


出来ればアシュラ・ハガマと仮面の男との戦闘前に破壊しておきたかったが、魔法陣から動き、観客の虐殺の可能性を考えると一刻も早く足止めする必要があったのだ。


今になって思えば、仮面の男は観客の脱出ゲームと言っていたが、魔物に殺された人が多ければ多いほどマリーの立場が悪くなることを考えていたのかもしれない。


結局のところ最初のユニコーン騒ぎから最後まで、マリーの失脚狙いだったと言うわけだ。

真偽は定かではないが、あの暗殺者ギルドの長があんな規模で精巧な魔法陣の作成が出来るのかと考えていたが、ここでマリーがストップをかける。


『また遠い目をしてる。考える事は結構だけど、それよりも貴方は怪我人なんだから、大人しく休んでいなさい』


『ああ、そうする。細かい事後処理はあるだろうが、後は任せる』


『ええ!任されて頂戴!これでもこういった地道な根回しは得意なんだから!』


目を閉じる。まだ魔力は回復し始めてすらいないが、もう一日経てば多少は回復するだろう。具体的な対策は、またその時に。


微睡みの中で、うっすらとマリーの声が聞こえる。


『やっぱり身体、まだ全然治っていないじゃないの、ゆっくり休みなさい』


次にレルゲンが目を覚ましたのは、その日の夜だった。


部屋には誰もいない。

しんと静まり返り、仄かに月明かりが部屋に差し込んでいる。

改めて傷の具合を確認する。手の火傷は酷いが、指はしっかりと動く。

一本も欠けることなく乗り切れたのは奇跡に近いだろう。


あの時、アシュラ・ハガマの光線を受け止めた時の感覚を思い出す。

魔力の全解放をした筈だったのに、内側から更に魔力が吹き出した現象とも呼ぶべき出来事が不思議で仕方ない。あの時の感覚は、苦しい以外にも気持ちよさがあった。それこそ誰かにもっと先へ行けと背中を押されている様な、そんな感覚。


幸い魔力はある程度戻り、日常的に使う念動魔術なら行使できそうだ。


枕のそばに置かれたコップに入った水を見る。手をかざし、魔力糸は伸ばさず意識を集中する。戦闘時は必死で制御していた魔力糸無しの念動魔術だが、今はどうだろうか。


コップに入った水の表面が僅かに波立ち、不恰好ながらも水が空中に飛び出してくる。

消滅魔術下での操作に慣れていた以上、何も障害がない方がやり辛く感じる。だが、それもまた慣れだろう。まだまだこの魔術は応用が効く筈だ。それこそ魔力糸無しで自由自在に物を動かすことができる様に慣れば、戦闘の幅が飛躍的に上がる。そんな漠然とした自信が、彼にはあった。


念動魔術で自分の動きをサポートしつつ、ベッドから身を起こす。階段を降りると、丁度マリーが食事を取っていた。こちらを見ると同時に目を見開く。


『レ…貴方、もう起きて大丈夫なの?!』


『あぁ、心配かけたな。もう動く分には問題ない』


『大丈夫なわけないじゃない』


肩を貸そうとするが、手で制止する。


『大丈夫さ、魔力も戻ったし、明日は街の治癒術師に会いに行ってくる』


『悪いねぇ、この街には薬師はいても治癒術師はいないんだよ』


申し訳なさそうに女店主が言う。

なぬ、街に出れば治癒術師がいるものと思っていたが、宛が外れる。


『アンタのその怪我も、薬師がわざわざここまで来てくれて処置してくれたんだよ。回復薬は飲み薬しか余ってなくてね、塗るタイプの回復薬は今回の魔物騒ぎで使い切ってしまったみたいで』


『重症患者向けに飲むタイプだけ余らせているのか』


『多分そうだね。アンタみたいに目を覚ます人がそろそろ出てくるだろうから、明日アタシから言ってもらってきてやるよ!』


『そうか、なら頼んだよ』


『あいよ、英雄様が欲しがっている事を伝えればすぐさ

ほら、今の話聞いていたろ?明日アタシが店を空けている間は店番頼んだよ』

『任せて!』


『私も手伝います』


『いいよ、貴女も疲れているでしょうし、ゆっくりして下さい』


『いいえ、何かしていないと落ち着かないので、やらせて下さい』


『そうかい?なら頼もうかね?これで安心だわ』


『おかーさん、それどういう意味?』


店主の娘が不服そうな表情をする。不満をぶつけるべく、厨房にいる女店主の元へ向かっていく。


『何か食べられそう?』


『いや、明日の朝もらうことにするよ』


『そう──明日の店主さんが貰ってきてくれる回復薬でその手の傷、良くなるといいわね。痕が残らないといいけど』


『多少は残るだろうな。回復薬も万能じゃない。治癒術師がいれば多少は良くなる筈だが』


『この街にはいないしね』


少しの沈黙が続く。気まずさや恥ずかしさではない、温かい沈黙の時間。


『ねぇ、どうやってお礼をしたらいい?』


『いいよ、礼なんて。俺がやりたくてやっただけだ』


『そうは言うけど、それで引き下がれないわよ。それとも何?私は命を救われたのに、何もお礼せずに王宮に帰ってきましたって報告させる気なの?』


『いや、そこまでは言ってないが…』


『同じよ、そんな恩知らずな王女なんて周りに知れたら、間違いなく継承権の降格処分になるわ』


『うっ』


ここで少し考える。穏便に、かつこの王女様を納得させる方法を。

少しも妥協案が浮かばないで困った顔をしていると、ウインクしながらマリーが微笑む。


『うちにいらっしゃいな』


あー、家ね、家、いえ、い…?え……??つまり中央の総本山まで来いと??この辺境の街から?中央まで??ダラダラと冷や汗を流す。


(これはなんだ?死刑宣告か??)


『俺はまだ死ねない』


『なんでそうなるのよ!確かに貴方の出自を考えれば有り得なくない話だけど、私が絶対にそんなことさせないわ』


『というか遠い』


『私だって遠い中帰るのよ』


『そもそもだが、マリーは何でこんな遠い街の、辺鄙な大会なんて出たんだ?』


消え入りそうな声で、


『家出よ…』


『何だって?』


『家出よ家出!この身一つで武勲を立てて、反対貴族に目にモノ見せてやる!つもりだったわ』


啖呵切って家出…何と勇ましい王女様なんだ…素直に感心していると、マリーが落ち込んだ様子で続ける。


『でも結果は散々だったわ、ユニコーンの時だって貴方に頼り切りだったし、大会だって決勝までは行ったけどあのまま戦いが長引けば私の負けだった。あの五段階目の魔物だって!』


『マリー、ストップ』


胸に刺さった棘は時間が経ってから痛み出すように、マリーの心に刺さった棘は、思いの外深かった。


『古い話をしよう』


レルゲンが昔の話を切り出すと、半泣きのマリーが続きを促す。


旧王朝がまだ栄えていた頃、いや、革命により没落する前、レルゲンは庭で遊んで、勉強して、少し昼寝をして、また勉強して。そんな王朝の中では平和と呼べる日常だった。

幼い頃は常に両親の言う通りに生活し、決まった事を決まった通りにこなす日々。そんな日々にも疑問は持たずに、二年の月日が流れた頃、ある魔術師が小綺麗な鞄を片手に訪問してきた。


『皆さん、本日はお招き頂き恐悦至極。私はナイト、ナイト・ブルームスタットと申します。』


『ようこそナイト殿、我が王朝へ。さっ、長旅でお疲れでしょう。どうぞお寛ぎを』


レルゲンの父が挨拶を返す。普段は自分こそここの主人だと言わんばかりの態度だが、このナイトと呼ばれた人物は、父が畏まった態度に出る程の人物なのだろうか。

幼い頃のレルゲンは新鮮な気持ちになり、それは青年になった今でも鮮明に覚えていた。


『おや?そちらが“例”の?』


『ええ、シュトーゲンになります』


初めは父の後ろに隠れたが、勇気を振り絞ってナイトに挨拶を返す。


『レルゲン・シュトーゲンです。初めまして』


『とっても礼儀正しい子ですね。初めましてこんにちは。今日から貴方の魔術の先生になりました。これからよろしくお願いしますね。シュトーゲン君』


ナイト先生の授業はとても難しく、魔術理論に関してはさっぱり理解できなかった。それでも、何日かに一度の課外訓練は楽しかった。


『ねぇナイト先生、今日は何を教えてくれるの?』


『そうですねぇ、シュット君は座学がまだまだですが、実技が素晴らしいですからね。

今日は念動魔術について教えようと思います』


『それ知っているよ!お屋敷の人がよく使っている、魔力の糸を使うんでしょ?』


『そうです。でもこの魔術は、お屋敷で使える人はいないと思いますよ』


『そうなの?どうして?』


『魔力で糸を作らず、ただ自分の意思のみで有りとあらゆる“事象の操作”ができる魔術です』


『事象の操作?』


ニコッとナイト先生が笑う


『例えばそうですね。シュット君、今欲しい物はありますか?』


『うーん、新しい剣が欲しい!』


『それはまた何故でしょうか?』


『お父さんが言っていたの。真の戦士は、剣と魔術、どっちも一流?なんだって!』


『それは素晴らしい考えですね。私は魔術以外が全くなので、もしそれができるようになったら、シュット君は私以上になれますよ』


『ホント!?』


『えぇ、本当です。話が少し逸れましたが、剣が欲しいと言っていましたね』


『あちらを見てください』


言われるがまま指差された河原を見る。するとそこには不恰好ながらも、剣と呼べる代物があった。


『剣だ!でも元々あそこに用意していたんじゃないの?』


『おや、疑っている様子。ではお見せしましょう。真の念動魔術を』


手はかざさず、身体に力も入れず。入れたのは魔力。目に集中された魔力が、ナイトの眼光を煌びやかに写す。

川から黒い砂のような物が巻き上げられ、棒状に整列させられた後に、ギュッと固められる。するとその砂のような塊が白く、赤く光り出したかと思えば、川に浸けられる。ジュワッと水蒸気が立ち、引き上げられた物は正しく剣と呼ばれる形状をしていた。


『今は丁寧に見せたので川に浸けましたが、慣れればこの工程を省く事も出来るようになりますよ』


『どうして?』


『それは“ここ”に答えがあります』


トンっと握った拳で胸を優しく叩く。


『良いですかシュット君。魔術の元、つまり発動させるトリガーはいつだって胸の中にあるのです。私が今言ったことを理解できるようになれば、シュトーゲン君、君は立派な魔術師になっている事でしょう』


ナイト先生との会話は今のが最後となった。程なくして屋敷は現王国の開祖である、

ダクストベリク王によって革命がもたらされ、レルゲン家の長男だったシュトーゲンは当然その身を追われることになったのだが、ナイトによって後の中央である街の路地へと転移魔術によって飛ばされたのだった。


最初は訳のわからない場所に戸惑ったが、誰も助けてくれる人はいない。

まだ五つの温室育ちが、己が身一つで生活しなければならない。レルゲンがここまで生き残ったのは奇跡と言って良いだろう。


『俺が覚えているのはここまでだ。それからは最後に教えられた魔術で必死に日銭を稼いで生活していた』


『なんで貴方こそ、こんな遠い街まで来たの?』


『街暮らしは合わなかったんだろうな。転々と自然が豊かな場所で暮らして、日銭が必要になったら今回みたいに適当な大会に出て稼いでいたよ。それこそ大会で念動魔術を使えばきっと足がつく。バレないようにするのに苦労したよ』


『なんだか貴方の話を聞けてよかったわ。話してくれてありがとう。でもどうしてハクロウには始めから使っていたのよ?』


『あの年寄り、俺がもう一体のユニコーンを倒した時に見ていたんだよ。ほら、あの後別れる時に口をパクパクして煽っていたろ?』


『あの時ね。って待って、ユニコーン二体いたの?!』


『魔法陣のところにね。誰にも見つからずに倒せたと思っていたが、気配の消し方が甘かったらしい、ほら』


二階からユニコーンの角を二本、念動魔術で持ってくる。並べられた二本の角はマリーの手の上にそっと乗せられる。


『本当だ。でもこの角、二本で色が少し違くない?』


『ん?あぁ、確かに言われてみれば違うな』


『違うな、じゃないわよ!このオレンジの方!本で見たことあるけど、五段目の亜種じゃないの!』


『そうなのか?遠目から不意打ちした方だと思うが、五段目だったとは…』


『これはまだまだ話しがいがありそうね』


『勘弁してくれ』


それから彼女が解放してくれたのは、深い夜の、静かな夜まで続いた。

次の日、女店主が飲むタイプの回復薬を取りに行っている間、レルゲンとマリー、店主の娘と三人で店番をしていた。


『どうして俺まで』


『貴方のために店主さんが取りに行ってくれているんだから、文句言わない!はい!三番卓ね』


『はいはい』


念動魔術で三番卓に料理とお水を配膳する。


『ここの店は、料理が飛んでくるのか!すげー!』


驚きと好奇心が抑えられない冒険者の面々。この宿屋に泊まれるだけの稼ぎはあるのだろう。机の横に置かれている武器を見ると何となくの力量が見て取れた。


(俺も市販されている物じゃなくて、オーダーメイドの剣が欲しくなってくるな)


料理を店主の娘と作っているマリーに声をかける。


『なぁマリー』


顔は向けず、視線は料理に向いているが、返事をよこす。


『なあに?』


『中央で有名な鍛冶師っているか?』


『それって』


思わず包丁が足元に落下する。店主の娘が思わず叫ぶ。


『お姉さん危ない!!』


『おっと』


落下した包丁はマリーの腰の辺りまで加速したが、空中で緩やかに止まる。

思わずこちらに駆け寄ってくる。

マリーが両手を少し広げたところで止まり、両手をさっと下ろしてから。


『本当に?来てくれるの?』


『お邪魔でなければ』


『やった!鍛冶師でもおいしいお店でもなんでも紹介するわ!任せて頂戴!』


小さくガッツポーズをするマリー。よほど嬉しかったのだろう。この笑顔を見ていると、なんだか昨日の思いつめたマリーの顔が嘘のようだ。


別れの日、当日


『今までお世話になりました』


『回復薬ありがとう。ハクロウの分まで。また来るよ』


『いいんだよ、水臭い。あんた達が店番してくれた時は久しぶりの繁盛だったんだ。

礼を言いたいのはこっちの方だよ』


『お兄さん…お姉さん……今までありがとう!本当に!本当にまた来てね!』


『ああ、約束だ』


『そうね、また彼と一緒にここに来るわ。約束!』


街の入り口で渋めの着物を羽織った剣豪が、二人を待っていた。


『別れは済ませたかい?お二人さん』


『ええ──ね?』


マリーがこっちを見る。


『ああ』


『そうかい』


彼にとっても、彼女にとってもニ回目の中央帰り。

この街では珍しい、穏やかで温かな風がニ人の新たな門出を優しく送り出しているようだった。


第二章 糸を引く者



次回は来週6/20頃に投稿します(第二章)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ