③
「エレインちゃんと一緒にお茶ができて、嬉しいわ」
私の目の前に座る叔母さまは、麗しい兄妹によく似ている顔を綻ばせた。
「そうですね。 お母様」
私の腕に巻きつきながら座るフィオナもニコニコしている。
誰も、先程のことに一切触れないのだ。
「ところで……エレインちゃんは、いつ、うちの子になってくれるのかしら?」
「ぶっ!」
叔母さまの言葉に口付けた紅茶を吹き出すところだった。
「えっ?」
「あら……。 だって、トワに告白されたのでしょう?」
どうして、それを知っているのだろうか? つい先程のことなのに。
「どうして……?」
「ジャンが見ていたらしいのよ」
叔母さまは落ち着いた様子で、紅茶を口に運んでいる。
「お兄様ったら……急に告白だなんて……本当に嫉妬深いんだから」
隣からボソッととても冷たい声が聞こえて、隣を見ると、天使みたいな笑顔を向けたフィオナがいるだけだった。
「エレインに魅了の力は通じないのにね」
クッキーを一つ口に運びながら、衝撃的な言葉を口にしたので、もう一度、口から紅茶が飛びそうになった。
「どういうこと? ねえ……フィオナ?」
「どういうことだと思う?」
私の腕に巻き付いたまま離れないフィオナは首をコテンッとしながら、私を見つめた。 その姿は悪戯に成功した子供のようだった。
確かに、あの時のトワは変だった。 私には効かない、と言っていたのは魅了の力だったの?
「それは、私が説明するわね」
持っていた紅茶の入ったカップを置いて、優しく笑った叔母さまは佇まいを直した。
「正直に話すと……ヴィスト家は魅了の力を持っているの」
「魅了ですか……?」
「ええ。 見目が良いから、人に好かれると思われているのだけど、それは違うわ」
「…………」
てっきり、麗しい見た目だからだと思っていた。
「まあ……それも、あるわね」
やっぱりあるんだ。
「ごほんっ。 だけど……見目が良いからと言って、全ての人から好かれるなんて、物語上の話だけよ。 見目が良いからって、性格が悪い人間を好きになる人はいないわ。 だけど、ヴィスト家は、力を使えば……どんなに性格が悪くても好きにさせるし、言うことも聞かせることができるわ」
「はあ……」
「あら、信じてないのね」
「信じてないわけではないのですが……」
魅了の力が本当に存在するなんて……夢物語のようだ。 でも……先程の出来事から信じざるを得ない。
「庭師の彼……。 普段はこの屋敷の人間には魅了の力にかからないように、防御する宝石を持たせているの。 だけど、その防御の宝石を超えた力をトワが解放させたから、庭師の青年は膝から崩れ落ちたのよ。 ドキドキと胸が高鳴って、立っていることすらできなくなったから……」
ニコッと、微笑む叔母さま。
「なっ、成程……?」
「でも、そんな彼らの魅了の力が作用されない人間がいるのよ」
「えっ?」
「はい、あーん!」
隣に座っているフィオナがクッキーを一枚、お皿から取って、私の口元に持って来た。
「エレイン。 あーん!」
これは口に入れないと、いつまでもされることを知っているので、大人しく、彼女の手からクッキーを食べる。
「それが、運命の相手なの」
「運命の相手……」
自分に言い聞かせるように復唱する。
「エレイン。 あーん!」
もう一度、フィオナがクッキーを一枚だけ取って、口に運んで来た。
「……フィオナも……魅了の力を持っているの?」
「エレイン。 さっきから、私は貴方に魅了の力を使ってるの」
「えっ?」
「ほら、クッキーを渡す時に使っていたわ。 ほら、今も。 あーん!」
唇にクッキーが当たる。 仕方なく、それを口に入れた。
「……美味しい」
「ふふ。 でも……エレインはやっぱり、力が通用しないわね」
私の食べる様子を見ながら、笑うフィオナはどこか嬉しそうだ。
「じゃあ……私は、フィオナの運命の相手?」
フィオナの魅了の力が私には作用されていない。 フィオナのことは好きだけど、恋愛的な意味ではない。
「そうなるけど、そうじゃないの。 エレインの運命の相手は……」
フィオナは紅茶を一口だけ飲み込んで、言葉を発そうとした瞬間に、扉がバンっと大きな音を立てて開かれた。 皆の視線が一気にそちらに向いた。 叔母さまとフィオナはため息を吐きながら。
「エレイン!」
そこに立っていたのは顔を真っ赤に染めたトワだった。 軽く息を切らしていた。 そのため、顔が赤い理由は走って来たからだと、勝手に納得させる。
「全く、トワ……」
「お兄様……」
呆れたようにトワを見る叔母さまと、顔を顰めながら、彼を見るフィオナ。
「エレイン!」
しかし、二人のことが目に入っていないのか、一直線に私の元にやって来た。
「トワ……」
先程のことが頭によぎり、彼から視線を逸らす。
「エレイン。 さっきは……」
彼が何かを言おうとしていたのを咄嗟に遮った。
「トワ!」
「エレイン?」
「トワが……私のことを好きなのは……気のせいだよ」
彼から視線を逸らしたまま、言葉を紡ぐ。
「何言って……」
「気のせいなんだよ……」
「エレイン? 僕は……君が好きだよ」
子供に言い聞かせるように優しく言葉を放つ彼は、さらに続ける。
「君の表情がコロコロ変わる姿が可愛くて好きだよ。 静かに本を読んでいる姿も可愛くて好き。 甘いお菓子を食べた時の幸せそうな顔も可愛くて好き。 君の……仕方がないなと笑う姿も可愛くて好きだよ……。 それに、少し怒りっぽいところも可愛くて好き」
「…………でも」
「エレイン。 僕を見て欲しい」
「また……魅了の力を使うんですか……?」
「違う! 君の顔が見たいんだ……。 だから、お願い……」
最後の弱々しい小さな呟きにゆっくりと彼の方に顔を向けた。
顔が熱い。 きっと、耳まで真っ赤に染まっていることだろう。
「やっと、僕を見てくれた。 エレイン……可愛い」
目が合った彼は蕩けるような笑みを浮かべていた。
「…………っ」
「僕は、君が好き」
さっき食べたクッキーよりも、とても甘い彼の言葉が耳から身体の中に響いていった。
このまま……彼の言葉に 『私も』 と答えそうになったが、この前まで、違う人を好きだったのに、そんな都合よく彼を好きと言って良いのかわからなかった。 それに……。
「トワ!!」
「エレイン? どうしたの?」
優しく私に問いかけるトワは、今までと全く違っていた。 本当に私のことが好きだと全身で伝わってくる。
「だって……トワの好きは……私が、運命の相手……だからでしょ?」
私には魅了の力が通用しない。 それは、先程の庭園での出来事で証明されている。
だから、彼が私を好きだというのは、運命の相手だと思っているからだ。
「運命の相手だから……可愛くない私を好きになったんだよ……。 トワのその好きは……かんちが……」
勘違いと、言おうとした瞬間にトワが 『違う』 と大きな声で叫んだ。
「僕は……魅了の力で君を好きになったわけじゃない。 確かに、きっかけはそれだったかもしれないけど……君を好きになったのは……クッキーを半分こした時だよ……」
顔を真っ赤に染まりながら、こちらを見るトワの目はしっかりと私を写していた。
「……クッキーを半分こ?」
私は首を傾げながら、記憶を辿った。
すると、朧げだが、ある記憶を思い出した。
あの日は確か……フィオナが叔母さまと出かけていない時だった。 もう少ししたら、帰ってくるというので、屋敷で待っていると、トワが側にやって来たのだ。 一応、家主としておもてなししてあげる、と言われ、一緒にお茶を飲んでいたが、フィオナ達が帰ってくるそぶりがなかったので、今日のところは帰ることにした。 クッキーの手土産を貰って。 その帰り道の時だった。 雨が降って、雷も鳴り始めたのだ。 それを見た私は……フィオナの屋敷に戻ったのだ。 屋敷にはたくさんの人はいるが、トワはきっと一人でいるに違いないと思い込んでいたのだ。 彼は自分の弱さを人には見せたくない人だから。 前にフィオナと一緒にいた時に同じように雷が鳴った日が合った。 その時に、トワが鳴るたびにビクッと身体を振るわせていたのを思い出したからだ。 だから、きっと、今、トワは怖い思いをしている筈だと勝手に思い込んで、彼の屋敷に戻ったのだ。 すると、執事に案内された先に、彼はいなくて、執事は別の部屋を探しに行ってくれて、私は案内された部屋を探した。 すると、クローゼットの中にいた。 膝の合間に顔を埋めて、小さくなっていた。 だが、急に開いたことに驚いた彼はパッと顔を上げて、私を見た。 目には涙を溜めて。
「エレイン⁈ 何で……? 帰ったんじゃ……」
「私も一緒に中に入ってもいいですか?」
「はっ? ちょっと……」
返事も聞かずに彼の隣に座った。
「何で、来たの? 僕は、別に雷が怖くて、隠れたんじゃないからね」
「わかってます。 ただ……私は、このクッキーをトワと半分こにして食べたかっただけです」
そう言って、手土産に貰ったクッキーを半分こにした。
「はあ?」
意味がわからないというような顔をする彼に、笑った。
「知らないんですか? 私のお兄様が言っていたんですけど、半分こにすると、さらに美味しいんですよ。 だから、トワと一緒に食べたいと思って……」
そう言って、彼の口元に半分こにしたクッキーを持っていった。
「はい、あーん!」
「なっ⁈」
「美味しいから、食べてくみてください。 はい、あーん!」
「むぐっ」
いつまでも食べない彼に痺れを切らして、無理やり口に突っ込んだ。
「……美味しい」
「ねっ? 言った通りでしょ」
「ふんっ」
その日はフィオナに見つかるまでクローゼットの中に二人でいた。 勿論、クッキーを半分こにして食べながら。
「君が覚えてなくても、僕は覚えている。 だから、君を魅了の力が通じないから好きになったのではないと、信じて欲しい」
「トワ……。 私も覚えてます」
目に涙が溜まりながらも彼に微笑んだ。
「エレイン」
ゆっくりと、彼が私に手を伸ばした瞬間、隣から冷たい声が飛び出た。
「エレインは、お兄様の執着を甘く見過ぎね」
「フィオナ⁈」
「私達がいるのに、エレインだけしか見えていないのが、その証拠よ」
「そうね。 これだから、ヴィスト家の人間は、と言われるのよ」
「お母様まで⁈」
トワは本当に彼女達がいることに気づいていなかったようで、手で顔を隠しながら、小さく唸った。
「でも、これで……エレインちゃんは、うちの義娘になるのね。 急いで、婚約の準備にしないと!」
とても嬉しそうに言う叔母さまは、善は急げというように席を立ち上がった。
「えっ……婚約⁈」
「エレイン」
唸っていたトワは我に返り、嬉しそうに私に向かって笑った。
私も彼に向かって展開についていけないまま、笑った。
「……ははは。 良かったね」
「嬉しいよ」
私は状況が読み込めないまま、あれよあれよという間に、彼と婚約したのだった。