②
この屋敷で働いている人達は、フィオナのことが好きだけど、恋愛的な意味で好きになっている人はいない……と思う。 だから、結婚するなら、この屋敷で働いている人だ。 付き合っても、彼女を恋愛的な意味で好きになる心配がない。
「という訳で、私と結婚を前提にしたお付き合いをいたしましょう」
「致しません!!」
「何故ですか⁈」
「こちらこそ、意味がわからないからです!!」
現在、言い合いをしている相手はヴィスト家で働いている庭師である。 私よりも四つ年上の彼だが、とてもしっかりとしており、真面目な青年である。 偶に、融通が効かないところが偶にキズである。
私は今、庭園に出ている。 林檎の木の真下で告白をしたのに、秒で振られた。
「そっ、それに……」
彼は私の背後から視線を逸らした。
「後ろ? 後ろに誰かいますか?」
「いますよ! トワ様がいらっしゃいます!」
「…………そんな方、知りません」
トワは我に返った後に急いで、エレインの後を追いかけて来たのだ。
「ええ⁈」
先程のこともあり、トワのことは完全に無視している。
「エレイン? そんな奴なんて、ほっときなよ。 ほら、真っ赤な林檎もあるよ」
トワが林檎の木から一つ、むしり取って見せてくる。
普段はそんな行動をしない彼を少し不審に思ったが、無視をした。
「好きになりました! 結婚してください!」
心を込めながら、大袈裟にもう一度、告白する。 大根役者のようだが、それは致し方ない。
しかし、その言葉の後にグシャっと果実が潰れる音が真後ろから聞こえてきた。
「ヒッ!」
たった今、告白された庭師の青年は顔を真っ赤にする筈の場面で、まさかの真っ青である。
「えっ?」
「はははは。 エレイン。 やっぱり振られたね」
後ろから不愉快な言葉が聞こえたので、ムッと顰めた顔をして振り返った。
すると、そこには、にっこりと作り笑いをしているトワが林檎を握り潰して立っていた。 普段から、紳士の嗜みだというように付けてある手袋がその果実のせいでぐちゃぐちゃになっている。
「トットワ……?」
「何かな?」
彼は、林檎について、一切触れない。 それが、怖くて仕方がない。
「りっ、林檎が……」
「林檎? 林檎がどうかしたの? 食べたいの?」
にっこりと笑っている。 作り笑いをやめないトワが怖い。
「いっ、今は……大丈夫です」
トワから距離を取りたくて、ゆっくりと一歩後ろに下がる。 すると、それが気に入らないのか、トワのこめかみがぴくりと動いた。
「トットワ……。 わっ、私、今……告白……」
している、と言おうとしたが、すぐに遮られた。
「振られたよね?」
首を傾げながら、問いかけるトワが怖くて、また一歩後ろに下がる。
「エレインが可愛くないからだよ」
いつも、言われている言葉だが、傷ついていないわけではない。
「…………っ」
きっと、今の自分の顔は特に可愛くない。 眉間に皺が寄っているし、顰めた顔をしている。
「エレイン」
トワの顔が見たくなくて、また一歩後ろに下がり、そのまま庭師の青年の後ろに隠れた。 彼が着ているシャツを後ろから少しだけ掴んだ。
「ヒッ!」
しかし、その庭師の青年は情けない声をあげた。
「エレイン。 そいつから離れなよ」
声がとても冷たい。
「いっ、いや!」
とにかく今はトワの顔が見たくない。
「エレイン」
「いや! いやったら、いやなの!」
首を横に振りながら、大きな声で叫ぶ。 シャツを握る手も自然と強くなっていく。
「エッエレイン様……」
庭師の青年の声が泣きそうになっているし、何故か両手をあげている。
「…………はあ」
ため息が聞こえてきた。
そのため息はきっと私に呆れたのだ。
眉間に皺が寄っていたのに、今は眉が下がってしまっている。
「…………エレイン」
先程と同じように、冷たい声で名前を呼ばれる。
それを聞いて、小さく肩を振るわせた。
「その可愛くない顔を見せて」
本の物語なら、ここは 『その可愛い顔を見せて』 だ。 また、小さくだが、私の心に棘を刺す。
「エレイン」
林檎の甘い匂いが鼻を擽ぐる。 小さく風が吹いたのだ。 その風に押されるように、ゆっくりと庭師の青年の後ろから顔を出す。
庭師の青年の顔を確認すると、引き攣った顔をしており、今にも泣きそうである。 そして、視線をトワに向けると、今までに見たことがないほどの真顔でこちらを見ていた。
「こんなに……心をざわめかさせるのは、君だけだよ。 ……どうして、他ばかりに目をやるのさ」
「えっ……?」
さっきと打って変わり、今にも泣きそうな搾り出されたような声で話すトワに困惑した。
「すぐに好きになる」
「…………」
事実なので何も言えない。
「君が……振られたら、安心するし、嬉しい」
「んっ?……んん?」
「君が可愛くなくて良かった」
「…………はっ?」
彼が何を言いたいのか分からない。 私を貶したいのかとすら、思ってしまう。
「だけど……僕の目には、君が可愛く写って仕方がないし……皆んなはまだ、気づいていないだけなんだ。 でも、君の良さは、僕だけが知っていればいい」
「えっ……ええ⁈」
彼から信じられない言葉が口から飛び出してきたので、驚きで声をあげてしまった。
「なのに、君は……こちらを見てくれない。 待っていれば、いつかは振り向いてくれると信じていたのに……」
段々と雲行きが怪しくなっていくのを感じた。 彼の目から光がなくなってきたのだ。 声も小さくなっていく。
「こんなに、こんなにも……君のことを考えているのに……。 どうして……いつまで経っても、僕じゃなくて……」
「トッ、トワ……?」
「君に可愛くないって……言わないと僕を見てくれないし……」
「それは……ごめんなさい?」
私が謝る理由はないのだが、彼を見ていると、申し訳ない気持ちになった。
「それは、どういう謝罪? 僕が駄目だってこと? 君の相手には相応しくないって?」
「いや……ちが……」
「やっぱり。 もっと、君に言い聞かせれば良かった。 可愛くないって。 そしたら、君は自分のことを卑下して、自己肯定感も低くなる。 そうなった君に僕だけが何度も可愛いって言ってあげて……僕だけのことを好きになって……二人の世界になるのに……」
「んっ? んん?」
ボソボソと話す彼の内容の意味が本当に分からなくて困惑する。
だが、何となくだが……これだけはわかった。
トワは私のことが好きなのではないだろうか……?
「……えっ? ……ええ⁈」
そんな結論に至って、思わず驚きから声が出てしまった。
いつものトワなら、そんな勘違いを起こしていないのだが、今、目の前でボソボソ呟いている彼を見ると、そう感じてしまうのだ。
チラッともう一度、トワを見ると、光を失った瞳と目が合った。
「エレイン」
「なっ、何ですか⁈」
急に名前を呼ばれて声が裏返った。
「君には効かないとわかっているけど……」
「えっ?」
「今度は全力で試すね」
瞳から光がないまま、にっこりと笑った彼はしっかりと閉められたシャツのボタンを外していく。
そして、胸元がはだけた彼は色香が漂っている。 普段、きっちりとしている彼の姿とは程遠い姿にこちらが恥ずかしくなってしまった。
だが、麗しい顔を持つトワはその姿も様になっている。
「君が……僕を見ないのがいけないんだよ」
それだけ言うと、私の目の前まで迫ってきた。 庭師の青年はトワが近くに寄った瞬間にすぐに私から離れた。
「エレイン」
耳元で名前を呼ばれる。
その瞬間、庭師の青年が腰が砕けたようにヘナヘナとその場で膝から砕け落ちた。
私はというと、耳まで真っ赤に染めて固まっていた。
「エレイン。 可愛い」
どろりとした甘い声色が耳から身体全体まで響く。
「僕だけを見て」
顔を真っ赤にさせたエレインに追い打ちをかけるように言葉をかけるトワ。
「好きだよ。 君が好き。 好きだから……」
彼の愛の告白に驚いて、顔を上げた。
どうやら、本当に私の自惚れではなかったようだ。
「僕を好きになって……」
そう言った彼の顔を見たくて、覗き込もうとしたら、ぎゅーと抱きしめられた。 苦しいほど強く抱きしめられる。
「トワ……苦しい」
彼の背中を軽く叩くと、彼は抱きしめる力を弱めるどころか、私の頭に頬をくっつけて、擦り寄って来た。
「トワ……トワ!」
一向に弱められない力にヤキモキして、もう一度大きな声で名前を呼んだ。 すると、通じたのか、力を弱めて、ゆっくりと私から離れた。 だが、彼との距離は近いままである。
「トワ……?」
上目遣いになってしまうが、何も言わないトワに不安になり、下から覗きこんだ。
すると、顔をゆっくりと近づけてきた。 今にも、鼻と鼻がくっつきそうなほど近い。
彼との距離が段々とゼロに近くなっていく。 麗しい顔が間近になっていくのをスローモーションのように永く見えた。
しかし、途中で我に返った私は、咄嗟に彼を押し返してしまった。
「トワ! やめて!」
「…………やっぱり……」
私からゆっくりと離れた彼は何故か膝から崩れて、頭を抱えていた。
「えっ……?」
そんな彼の姿など見たことがなかった。 それも、屋敷とはいえ、外でとなると、困惑してしまった。
「エレインには効かないんだ……」
「効かない?」
トワのいう、効かないとは一体何のことなのだろうか? 彼に聞きたいが、この様子では教えてくれないだろう。
でも……どうしよう。 このカオスな空間。
トワと庭師の青年が膝から崩れ落ちている。 その中で、ポツンと佇む地味な令嬢。
「…………このまま、帰ってもいいかな……?」
途方に暮れていると、遠くから手を振る美少女がドレスを揺らしながら走って来ているのが見えた。
「エレインーー!」
この時、私には羽が生えた天使に見えた。
「エレイン! 来てくれて嬉しい!」
ぎゃーと正面から抱きしめられる。
「ごめんなさい! お母様と出かけていたので、遅くなりました! 待った?」
コテンッと首を傾げたフィオナは本当に可愛い。
「だっ、大丈夫」
だが、周りの様子に一切触れないフィオナが怖い。
「あの……フィオナ」
「なーに?」
「貴方のお兄様は大丈夫かしら?」
頭を抱えて、意気消沈しているトワに視線を向けると、同じようにフィオナも自分の兄を見るが、サッと視線を逸らした。
「エレイン、お茶にしましょう!」
パンッと手を叩きながら、にっこりと笑う姿はトワに似ていた。
「えっ……? でも……」
もう一度、トワを見る。
「お母様も待ってますから! 行きましょう」
しかし、フィオナは完全にトワを無視して、私の手を引き歩き出した。