Sランク探索者のぜんぜんのんびりできないドラゴン牧場経営 3話
ダンジョンマスターの少女──ナイモスが言うには、一般的なモンスターと違い、ドラゴンの主食はありとあらゆる無形のエネルギーだそうだ。例えば、他の生き物の感情だとか、空気中にただよう魔力だとか、時間だとか、重力波だとか、効率は悪いが光や風、熱だとか。
餌いらず。素晴らしい。人間に育てられて食われるために生まれた種族としか考えられない。
それは卵も同じで、リガが安価に、大量に用意できるのは魔力だった。
人の頭ほどの卵に自身の魔力を注ぐと、余剰分が光となって波紋のように漏れ広がる。
信じられないことに、ドラゴンの卵は与えた魔力の半分は食わずに吐き戻す。そうして周囲をおのれの適地に染めあげるのだ。おかげさまで寒々としていた峡谷は、今や柔らかい緑がはびこり、気持ちのいい風が吹いてなんかいい感じの高原になっていた。
「大きくなあれ、おいしくなあれ」と懸命に世話をするリガを嘲笑うかのような習性にもめげず、魔力封じや魔力反射板といった小細工を駆使しながらコツコツ魔力を注ぐこと数ヶ月。「ドラゴンの卵、やっぱり美味いんだろうか」という好奇心と食欲に何度負けそうになったことだろう。
ようやく卵はゆらゆらと揺れ、時折コツコツと内側から殻を叩く音が聞こえるまでになった。実に感慨深い。
ソワソワと卵を見守っていると、リガの張った守護陣地──出るのは簡単だが侵入は難しい──を意にも介さずナイモスがジャーキーをせびりにくる。
「リガよ、ジャーキーをたのむ」
「嬢ちゃんもすっかりジャーキー中毒だな。ほら、大事に食えよ」
リガが特製のドラゴンジャーキーを渡すと、ナイモスは嬉しそうに口に含む。
「いつもすまんのう。うむ、噛めば噛むほど滋味があふれる」
「だよな〜。それでそろそろコイツらも孵ると思うんだが、嬢ちゃんから見てどうだ?」
折りたたみの椅子に座り、細長い肉を奥歯で噛みちぎる姿は酒場の探索者となんら変わらない。
黙々とジャーキーを食むナイモスに、リガはそう尋ねた。
「見たところ今日中には、といったところかの。本来なら半世紀かかるというのに、おぬし、本当に人間か?」
「はん……!?」
「あ。半年じゃ。うむ、半年じゃよ」
「目ェ逸らしといて何が半年だ! さては卵を囮にして俺を殺すつもりだったな!?」
「ほんに残念じゃ……」
油断も隙もねえなあこの嬢ちゃんはよォ!!!
(冷静になれ。俺はできる大人。この殺意の使いどころは今じゃない)
「テメェ! 俺をおちょくる暇があるならもっと早く育つ美味いドラゴンの卵を寄越せよ!!!!!」
無理だった。リガはいくつになっても少年の心が元気いっぱいなのだ。
「どちらにせよ、そやつら素竜が一番成長が早い。何者にでもなりうるドラゴンゆえに」
「マジかよ。ってことはなんだ、ドラゴンを家畜にするまでに俺は死ぬんじゃねえか?」
「そうやもしれんなあ」
人間にとって三ヶ月は決して短くない。リガはすでに三十を越え、余命は多く見積もっても五十年ほど。
卵が孵るのに半世紀かかるのがデフォルトとなると、普通の育て方では卵が成体になるまでにリガが死ぬ可能性すらある。
たいへんよろしくない。
理想としては、一年、遅くても五年くらいでおいしいドラゴンに育ってほしい。
唇を噛むリガに対し、ナイモスは目を細めた。
「素竜は蓄えたエネルギーと生育環境に応じて変態する、可能性に満ちあふれた種じゃ。そしてわしは寛大にして思慮深きダンジョンマスターじゃから、今回は繁殖オプションをサービスしてある。
それによって生まれるドラゴンは親の経験した種のいずれかじゃ。おぬしの頑張り次第でいかようにもできよう。ほれ、がんばれがんばれ」
「真心ゼロの応援ありがとよ。嬉しくて涙がちょちょぎれるぜ」
経験則として、ドラゴンは「強い=美味い」だが、美味ければ弱くてもいい。むしろ、リガ以外が育てるのであれば弱い方が都合がいい。
ナイモスの言葉を信じるならば、リガは「美味しくて」「手早く育つ」「クソ弱い」ドラゴンを作れるはずである。
とは言えど、そのための試行錯誤を思うと気が遠くなる。
正直に言おう。
畜産をナメていた。
頭では理解したつもりでいたが、実際につまずくとよくわかる。
先人の足跡は偉大である。
家畜として登録されていないということは、その生態を把握し、人間に都合のいい生き物を作るところから始めなければならないということなのだ。増やして育てて選別して掛け合わせて理想のドラゴンにする時間を思えば気も遠くなろうというもの。
しかも、ナイモスすら一からドラゴンを育てたことがないというので、育て方の細部も完全な手探りときている。
リガの脳裏に「これだからお気楽な探索者は」と呆れる四角い役人の顔がよぎった。
だがリガはやらねばならない。リガがやらねば誰がリガにドラゴン肉を与えてくれるというのだ。
すでに生の肉は納品済み、魔法鞄の時間制限もあり、リガの最近の食事は干物ばかりになっている。わずかずつといえどストレスを感じている今日この頃。
遠からずドラゴン肉不足によって禁断症状が出るのは明らかだった。
「おい、良いのか。ぼーっとしとると孵化を見逃すぞ」
「おお……?」
「誇るがいい。ドラゴンの誕生を見る人間はこの世界ではおぬしが初じゃ」
ちょん、と装備の裾を引っ張られてナイモスの視線の先を辿れば、卵には小さなヒビが入っている。その隙間から嘴が覗いていた。一突きごとに絹布のような光沢をもった破片が散らばり、そしてついに卵からまろびでる。
おもちゃのような足で地を踏みしめ、小さなドラゴンは世界に産声を上げた。
「ぴぎゃあ!」
それに釣られるように、次々と孵るドラゴンの赤子たち。
どいつもこいつも、白くて、丸くて、ポテッとしていて、なんとも肥えた見た目をしていた。翼はあるものの小さく、まるでとってつけたよう。
(丸焼きにしたらすげえ美味そう。ハーブを擦りこんで……、いやソースを回しかけながら焼いてもいいかもしれない)
五対のつぶらな瞳が味付けに悩むリガを捉えた瞬間──四方八方に爆速で逃げ出した。
自らの捕食者の気配を鋭敏に察したのである。
だが、生まれたてのドラゴンに速度で負けるリガではない。
「なんだコイツら……、めちゃくちゃ弱い! コラ、逃げんじゃねえ、往生際が悪いぞ!」
うっかり殺さないように手こずりながら、どうにかぐねんぐねんと身をよじる四匹のチビドラたちを回収する。
「あと一匹! どこだ!?」
鋭くあたりを見回すが、見つからない。
チビドラたちは想定以上に弱い。推定ゴブリン以下。迷宮深層において、それすなわち最弱。他のモンスターに見つかれば絶好のエサだ。
もしも守護陣地の外に出ていたら、という懸念は見事に的中した。
「ど、どらああああああ!!?」
間抜けな悲鳴が聞こえて空を見上げれば、ばさり、という力強い羽ばたきとともに、みるみる小さくなる影が一つ。
影の形からして怪鳥ジズか。このエリアにいるのは珍しいが、それよりも注目するべきはその鉤爪に丸っこいものが一つぶら下がっていることだ。
こんなことなら柵くらいは作っておくべきだった。ドラゴンは強いし飛ぶし迷宮からは出ないしと放置していたのは失敗だった。
「クソ! 案の定かよッ!」
「追うのはいいが、あまり迷宮内のモンスターを倒してくれるなよ。迷宮存亡の瀬戸際であること、ゆめ忘れるでないぞ!」
「わかってらァ!」
「絶対じゃぞ!!!」
リガは舌打ちして剣をとり、間抜けな悲鳴の聞こえた方角へと駆け出す。
「待てやゴラァ! そいつは俺の飯の種だ!!!」
足元の小石を拾い上げ、大きく振りかぶってブン投げた。
小石は寸分違わずジズの翼の根本に当たり、その翼を折り曲げた。再投、次は足を撃ち抜く。
ジズは甲高く哭いてドラゴンを放した。リガは落下するドラゴンの下に滑りこみ、なんとかキャッチする。
「どらららぁ! どらぁ、どらぁ……どらっ」
「よしよし、落ち着け〜?」
助けてやったにもかかわらず、ドラゴンは短い手足をバタつかせてリガの手から逃れようとする。迷宮においてリガのそばほど安全な場所はないのだが。
釈然としないものを抱えながら、リガは右手に剣を持ち、左脇にチビを挟み、ジズに対峙した。
ナイモスとの約束もある。リガは墜落したジズからも見えるだろう崖を、目にもとまらぬ速さで両断する。ズ、と重力にしたがって大岩がずれ、落下し、轟音とともに砕ける。
「命が惜しいならここで退くんだな。お前じゃ俺を殺せん」
「Gyuru……」
リガに威圧されてなお、ジズの目はドラゴンに釘付けだった。見上げた食い意地であり、良い舌を持っているとリガは親近感を覚えた。ドラゴン美味いもんな。
赤子の状態で美味いのかは知らないが、見た目は間違いなく美味い。
「同好のよしみだ。治癒」
リガはごく自然な動作で呪文を唱えた。
このジズを怪我したままにしておけば、遠からず他のモンスターに食われてしまうだろう。よく考えたら移動手段をリガが全て潰していた。退きたくても退けまい。
「Qurrrrr」
「行け。そんでコイツが育ったら一緒に食おうぜ」
リガがニカッと笑うと、ジズは少し悩むそぶりを見せて、結局は彼方へと飛び去っていった。
一件落着である。
軽い足取りでテントに戻ると、ナイモスはチビドラたちを侍らせていた。
なんの変哲もないテントを背に、量産品の椅子に座っているだけなのに、リガは不思議と謁見の間と玉座を幻視した。
「ジズは見逃したか」
「そういう約束だからな」
神妙に答えて気づく。
ナイモスに会って以来、リガは初めて気圧されていた。
「実を言うと、ジズをけしかけたのはわしじゃ」
「は???」
「まあ落ち着け。千年ほど前と数百年前にも、ドラゴンを求めた者がおった。一人は空を飛びたいと願い、もう一人は故郷を滅ぼす力を願った。
その時もわしは、迷宮内のモンスターを減らさぬことを条件に素竜の卵を授けた。わし、不可能に挑んでもがく生き物、好きなんじゃよなー」
ナイモスは滔々と語る。
リガは「俺の時はあんなにごねたのに???」という言葉を飲みこんで、「それで?」と続きを促した。きっとリガの時は余裕がなかっただけだ。そう信じたい。
「空を飛びたいと願った者はいつまでも孵らぬ卵に腹を立てて、暴れまわって出ていった」
「最悪じゃねえか。もう一人は?」
「もう少しで卵が孵るというところで故郷が亡び、虚脱したそやつは迷宮で自死しよった。収支はプラスだったが、がっかりもした」
「そいつァやるせねえなぁ」
リガの大先輩たちは志半ばで折れていったらしい。
根性の足りない先輩たちだ、と言うのは簡単だが、卵が自然に孵るのに最低でも半世紀かかると知ったあとではまったく笑えなかった。ドラゴン肉ジャーキーがなければ、リガも食欲にひれ伏し、卵を茹でて塩を振って食っていた可能性はある。ありえすぎるほどにある。
先輩たちの無念を思えば、さすがのリガも多少は感傷的になった。
「その点、おぬしはわしとの約束を守り、あまつさえおぬしの目的を邪魔したモンスターを治癒さえした。卵も、ゴリ押しにも程があったが孵してみせた。向こうみずのアホで、何があってもドラゴン肉を諦めないしつこさも、身に沁みて知っておる」
ここまで聞けば、リガは試されていたのだとわかる。慣れぬ緊張に口を引き結ぶ。
ナイモスは言葉を切り、リガを見据えてにやりと笑う。
「それになにより、ドラゴンの肉は美味い。この地に根を下ろし数千年、初めて知ったわ」
「おお!!! じゃあ……」
期待が膨らんで、リガは自ずと前のめりになった。
「勘違いするでない。わしのドラゴンが消費されるのは、やはり看過できぬ。ゆえにおぬしにはなんとしても迷宮の外でのドラゴン肉の供給方法を確立してもらわねばならぬ。その初手くらいは、わしも手を貸そう」
ドラゴン肉は偉大だ。
リガはここにきてついに協力者を得た。
この提案は、未来の希望だ。そしてドラゴン肉の美味さの証でもある。
リガはそう確信して、ナイモスに右手を差し出した。
「なあ、俺が欲しいのは美味いドラゴンだ。嬢ちゃんが手放したくないような、強いドラゴンじゃない。きっと俺たち、上手くやっていけると思うぜ」
「そう願いたいものじゃな」
「嬢ちゃんは捻くれすぎだ」
「おぬしが楽観的すぎるのじゃ」
リガとナイモスは握手をした。
これから先、この小さな柔らかい手に何度も助けられるのだろう。
しんみりしたのは一瞬で、ナイモスは切り替えるように手を叩いた。
「さて、そうと決まればまずはドラゴンたちをおぬしに馴れさせねばな。よし。チビドラどもよ、こやつはエサじゃぞ〜〜〜」
「おい」
その紹介は酷いんじゃないか。
ナイモスがチビドラたちの背中を押しやると、おっかなびっくりもちもちとリガの方へ寄ってきた。
「ドドらァ?」
「どらぁら」
「どあら」
「どらん」
「らぁらどら」
ペタペタとリガの足に触れる。屈んで指を差し出してみると、鼻を寄せてふんふんとしばらく匂いを嗅ぎ、それぞれがカプリと噛みついてきた。全然痛くなかった。
それでも人を噛む癖がつくのはよくない気がして、指先に魔力を集めて喉に押し込むと嘔吐いた。
これではまるでペットだ。リガは困惑の眼差しをナイモスに向ける。
「こいつら本当に強くなるのか?」
「剣でも魔法でも教えてみればどうじゃ? 得意じゃろ」
「え? 魔法はともかく剣を持てる手じゃないだろ」
「ドラゴンは可能性の塊なんじゃぞ。どれ、聞いてみるか」
ナイモスは五匹に向かって言った。
「リガに剣を習いたい者! 挙手!」
び!
リガがジズから助けた一匹が、勢いよくちまちましい手を挙げた。それを見て、他の四匹も手を挙げた。
(俺、ドラゴンに剣を教えるのか……? それはなんか、なんか違うだろ)
心なしか、チビたちの目はキラキラしている。純真無垢な瞳が眩しい。
ナイモスはにやにやとこちらを眺めている。情が湧いて食いにくくなるだろうと高を括っている目だ。
絶対に思い通りになってたまるか。
(心を鬼にして叩きのめそう。そんで、全匹食用ドラゴンにしてやる)
理想のドラゴン肉への道のりは、まだまだ前途多難のようである。