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贋作公主は真龍を描く 3話

 彩玉さいぎょくは、早くも翌日から贋作作りに着手した。

 せつの皇子──暁飛ぎょうひは、必要な画材は提供すると請け合ってくれたし、彩玉もこの際遠慮なく高価な顔料がんりょう金箋きんせん──泥金でいきんを塗布した豪奢な輝きの高級紙──を()()発注した。


(似せるならケチケチしちゃダメよね。りゅう宗儀そうぎが画材を惜しむはずはないし。描き損じも出るかもしれないんだし)


 もちろん、余ったら懐に入れる気満々である。北辰ほくしん族に画材の適切な数量が分かるはずもなし、取れるところから取っておくのは庶民の知恵というものだ。


 と、いうわけで。彩玉は卓いっぱいに紙を広げて筆を構えていた。贋作専門とはいえ画師たるもの、いきなり「本番」を描き始めたりはしないのだ。人に見せるのは、何枚も下絵を描いた上で題材や構図を吟味したものだけ。まだ存命の名人、柳宗儀の筆に()()なら、「未発見の新作」として矛盾がないかどうかを検討していかないといけない。


「やっぱり、美人画が良いと思うの。後宮の妃嬪ひひんを描いたものを、密かに持ち出した女官か宦官がいた──そんな触れ込みにすれば」

「ああ、妥当だろうな」


 彩玉の提案に頷くのは、てい班欅はんきょ。彼女が公主だったころから懐いていた宦官で、市井に逃れてからは師とも父とも慕っている。

 寡黙で気難しくて、家にこもって画を描いたり図面を引いたりばかりしているけれど、腕の確かさと美術骨董に関する知識ゆえに、仲間からは確かな敬意を寄せられている。もちろん、彼の過去や身体のことを知るのは彩玉だけ、本当の父娘と思っている者も結構いるだろう。


「しかし、柳宗儀か……今さらというか何というか……」

「ね。でも、ちょうど良いわ。師父の弟子としては、腕が鳴るってものよ!」


 だから、声を潜めてとはいえ、だんの後宮にも出入りしていた画家との因縁を語るのは、仲間たちのいない、ふたりきりの場だからこそ、だった。


 檀の公主だった彩玉が柳宗儀と面識があるのは当然として、一介の工匠に過ぎなかった班欅が感慨深げにしているのにも十分な理由がある。そして、それこそが彩玉がかの名画家の人格を評価しない理由でもあった。


(柳宗儀の、腕は確かよ。描いた画にも罪はないけど……!)


 それは、幼い彩玉も招かれていた、妃嬪たちが集う茶会でのことだった。

 格別の待遇でその日も後宮を訪れていた柳宗儀は、求められるままに妃嬪たちの似姿を描いていた。

 絹の衣装の優美な線や、複雑に結い上げた髪の筋が紙面に写し取られていく──その、流れるような筆の運びは見事なもので、彩玉はうっとりと見蕩れたし、美化して描いてもらった女たちも満足していた。そこまでは、和やかな席だったのだけれど。


 給仕の宦官が、卓に広げられていた画に茶を溢してしまったのだ。それ自体は、失態ではあっただろう。とはいえ幼い公主もいる席だったから、主催の妃も叱責で済ませようとしていたのに。

 柳宗儀が、傍から見ていて引くほど激昂したのだ。


『卑しい宦官風情がこの私の画を損なうとは! 後世にも伝えられるべき名品を、いかにして償うつもりだ!? 元に戻せ! さもなくば命で贖え!』


 何しろ柳宗儀に対する皇帝の──つまりは彩玉の父の寵は篤く、宦官の命は軽かった。寵臣が強硬に言い張れば、叶えられてしまうかもしれない。凄惨な場面を予感して、女たちが青褪めた時──進み出たのが、画材の整備を手伝っていた班欅だった。


『私めにお任せください。もしもご満足いただけなければ、その者の代わりに私めの命を差し出します』


 それで、どうなったかというと。班欅が、今も五体満足でいるのが語っている。

 彼は、茶が溢れる前のものと()()()()()()画を、見事に描き上げたのだ。柳宗儀がぐうの音も出ないくらい、それはもう完璧に。


(それで水に流していれば、まだマシだったのにねえ)


 柳宗儀は、班欅の画を見て顔を赤くしたり青くしたりした挙句、()()()()()ことにした。つまり、班欅にも切っ掛けとなった宦官にも目もくれず、強引に茶会を続行したのだ。

 宦官の腕を褒め称えろ、とまでは言わないけれど、言い過ぎを謝るくらいはしても良かったと思うのに。

 後宮において男の怒声が響くのは珍しく、妃嬪たちの動揺もあって、その後の空気はひどいものだった。まったく、画才に似つかわしくない器の小さい男だと思う。


 いっぽうで、その一件以来、彩玉は班欅に懐いて何かと纏わりつくようになった。お陰で、皇宮が落ちた時も彼と逃げられたのだから、何がどう転がるか分からない、とは言える。とにかく──


「ねえ、見事に桑弧そうこを騙せたら、師父に並べたって認めてくれる!?」

「俺に並ぶ、だと? 五十年早いわ」


 彩玉の額を軽く突いた班欅は、彼女を公主ではなく弟子として育ててきた。正体が露見したらふたりとも命が危ういし、弟子にするなら気遣いはかえって邪魔になる。

 彩玉のほうでも、育ててもらった、技を伝えてもらった恩は深く感じている。──そう、だから、今さら実の父母の仇を取りたい、だなんて、彼への裏切りにもなりかねないのだ。


「分かってるって。──背景は、私と師父の記憶通りで良いよね。皇宮は……踏み躙られたもの。そっくり過ぎてあの皇子(サマ)に怪しまれるってことは、ないと思う」

「そうだな。で、描く人数も増やそう。妃嬪様がたが集った席、という体にすれば、どなたの縁者が持っていたかを曖昧にできる」

「うん。じゃあ、璃魚池りぎょちの辺りかな?」


 今の彩玉は、しがない贋作画師。仲間内で公主と呼ばれているだけの庶民の娘。

 そう、自分に言い聞かせようとしても、懐かしい後宮の画を描き起こすと、心が乱れてしまう。皇帝なんて顔も知らない、ということにしておかなければいけないのに、父の膝に甘えた日のことを思い出してしまう。

 ……そうすると、胸の奥からにじみ出てくる。憎しみや悲しみや怒りといった感情が。


(とりあえず、贋作作りは成功させないと。顧桑弧を欺いて……近づく切っ掛けにできる? 皇子様の信頼も得られる?)


 そして、考えてしまう。裏切者や侵略者に復讐する方法を。千載一遇のこの機会を、どうにか利用できないかを。


「彩玉。集中しろ」

「う、うん」


 もちろん、班欅は不肖の弟子の筆の乱れを見逃してはくれない。ぶっきらぼうな叱責は、彩玉にあくまでも画工であれ、と言い聞かせているかのよう。お前は公主じゃない。亡国の怨みなんて関係ない、と。


 さすがは育ての親で師だ。彩玉の想いは、すべてお見通し──その上で止めろ、と班欅は言いたいのだろう。


(どう考えても怪しい話よ。分かってる、けど……!)


 截の皇族が、名画を贈って裏切者の顧桑弧の機嫌を取る理由は、実はない。

 檀の民に怨まれている顧桑弧は、截の庇護がなければすぐにも八つ裂きにされかない。奴のほうこそ、生き延びるためには侵略者に媚び続けなければならないはずだ。


 暁飛の兄たちも柳宗儀に依頼した、と言う話もおかしい。誠意を見せるなら、兄弟揃って乞いに行けば良いものなのに。皇子たちが個別に動いているなら──それはたぶん、截の宗室であるけい氏も一枚岩ではないから、ではないだろうか。


(皇位継承争いとか、ありそうなことよ。深く関わらないほうが良い。引き受けた──脅された以上、言われたことだけやるのが、賢い)


 分かり切ったことを班欅が口にしないのは、旧主への遠慮があるからだろう。実の父母に対して、彩玉を盗んでしまった、とか思っているのかも。

 あえて止められないのを良いことに、心中で迷い、企み続けてしまうのは、本当に不実で申し訳のないこと。それもまた、分かっているのに。


(あ、また……)


 心の乱れを反映して揺れてしまった線を、墨で塗り潰そうとした時──高い歓声が彩玉の耳を刺した。


「わ、綺麗……! さすが彩玉ね、見てきたように描くわねえ!」

英佳えいか──こんなの、まだ下書きで」


 墨と紙の乾いた匂いが漂う作業部屋に、ふわりと甘い香りが入ってきた。蒸し立ての包子にくまんを載せた皿を手にする女の名は、英佳。李章りしょうの妻で、首が座ったばかりの息子、きゅうを背に負っている。


「ふたりとも、放っとくと何も食べないんだもの。休憩にしましょ」

「う、うん。ありがと……」


 英佳も、贋作作りの一味だ。筆を持つばかりで家事が不得手な彩玉と班欅を助けてくれるし、画に古色を帯びさせるための細工も手慣れたものだ。鳩も、もう少し大きくなれば、泥遊び代わりに一時的に画を埋める穴を掘ったりしてくれるだろう。


「……鳩のほっぺって、包子みたいだよね」

「でしょう! 彩玉ならいくらでも突いて良いのよ。あ、丁先生も!」


 包子を齧りながら歓談する一時は、幸せなものだった。ふわふわの赤子の頬も、泣きたくなるほど柔らかくて温かくて。


(下手なことしたら、この子も巻き込んじゃうんだよね……)


 だから止めよう、ではなくて。だから上手くやらないと、と思ってしまう。彩玉は、かなり思い詰めているのだろう。


      * * *


 皇宮にほど近い区画に与えられた自邸にて。暁飛ぎょうひは、狼夜ろうやの酌で酒杯を傾けていた。

 父や兄たちは、よく檀の酒の味を上品に過ぎると評するが、草原の記憶が薄い彼には今ひとつ共感できないでいる。ともあれ、本来は異国の酒でも、今の彼の舌には甘く感じた。

 きょう彩玉なる贋作師に依頼された、画材の手配を終えたところだ。彼には何に使うのか分からない、何かしらの秘薬めいた名前の品々は、あの娘の手にかかると名工の画を生み出すらしい。


 父皇から賜った、何か大仰ないわれがあるらしい玉の杯を唇から離し、暁飛は機嫌良く呟いた。


「これで、《破軍》の入手に一歩先んじることができたかな」


 北辰族は、首長の後継者の選定に独特の習いを持つ。すなわち、北斗の七つの星の名を持つ玉器をすべて手にした者が次の王になる、というものだ。

 長は、見込んだ息子ひとりに七つの玉器を譲ることもある。だが、有力な臣下にひとつずつ委ね、どの子が後継者に相応しいかを選ばせることのほうが多い。多くの氏族を抱える北辰族においては、より多くの支持を集めた者が次の長になるのが収まりが良いのだ。


 その習いは、截という国が建っても変わっていない。暁飛たちの父である圭羅辰は、慣習に従って七星の玉器を寵臣に預けた。


 ただ、常例と違うことがひとつあった。


 神聖なる玉器のひとつ、破軍の星を表すそれを、父皇はどういうわけか檀の裏切者である顧桑弧に委ねたのだ。

 截にとっては功労者とはいえ、主君への不忠は北辰族にとっても忌むべき所業だ。どうしてそのような下郎の機嫌を伺わなければならないのか、と。檀の庶民などは知らないだろうが、北辰の貴人の内部はたいそう荒れている。


 狼夜も、父皇の裁定に疑問を持つ者のひとりだ。

 玉杯を再び満たす手つきは常と変わらず滑らかだし、狻猊さんげいの戦士がそう簡単に心の乱れを外に出すこともないのだが。ただ、長い付き合いだから、どことなくむっつりとした気配を漂わせているのが、分かる。


「顧桑弧は、柳何とかいう画家の画そのものを欲しているわけではないかと存じますが」

「分かっている。が、自分でそういう条件を出したのが悪い」


 北辰の諸氏族は、もちろん顧桑弧に詰め寄った。彼らが奉じる皇子の誰それに玉器を献じろ、と。それに対して件の裏切り者は、柳宗儀の画でも持ってくれば、と答えたのだ。


 神聖なる玉器を、紙に書いた画()()と取引しようというのか、と激怒する者も多いが、それはさすがに的外れだろう、と暁飛は考えている。


(父皇は、先のことまで視野に入れておられる。檀を滅ぼして終わり、ではないのだ)


 せっかく建てた截が、檀と同じく──否、それ以上に繁栄するには、征服した者をいかに従わせるか、背かせないかが肝要になる。

 反発も承知で顧桑弧に玉器を托したのも、顧桑弧がそれを引き受けたのも、その観点があればこそ、のはずだ。


 柳宗儀の真作を持つ檀人とよしみを結び、それを托されるほどの関係を築け、と。

 顧桑弧の条件は、そういう意図だったはずだ。つまりは、画家本人や蒐集家に金を積んだり、屋敷を兵で囲んで脅したりして、無理に奪い取った一幅では意味がないのだ。


(兄上がたは分かっていない。分からずに済むのが羨ましいくらいだな)


 檀侵攻にあたって手柄を立てた方々は、ある意味気楽なものだ。配下についた者たちは、兄たちの武勇に期待しているのがはっきりしている。乗り遅れた末っ子は、自分で()を考えなければならないから辛いところだ。


 今のところ功績がない暁飛は、これから何をするか、で後継者争いに存在感を示さなければならない。さらに言うなら、北辰の有力氏族の多くはすでに兄たちのいずれかを支持している以上、彼は檀人の懐柔に活路を求めなければならないのだ。


「あの娘を信用しておられるのですか。顧桑弧の目を欺く贋作を、本当に描ける、と……?」


 狼夜が疑わしげに呟くのも道理ではある。だが、顧桑弧だとて無理難題を言ったのは分かっているだろう。真意を汲み取れたかどうか、のところを評価して欲しいものだと思う。


「少なくとも、兄上がたよりはあちらの文脈を理解しているのは伝わるだろう。顧桑弧ほどの男なら、賢い選択ができる」


 今はまだ、兄たちもその支持者も、馬鹿正直に名画を探して奔走している。だが、いずれ誰かが思いつくだろう。顧桑弧本人を脅して破軍の玉器を奪い取れば良い、と。そうなる前にさっさと暁飛に渡す判断をしてくれれば話が早いのだが。


 もちろん、都合の良い算段ではある。そもそも、謀は北辰族の気風には本来合わない。狼夜は、まだ心から承服してはいないようだった。


「殿下は、まだ婚姻という手札もお持ちかと存じますが」

「北辰族に娘を嫁がせる檀の名族は、名画を譲る者よりなお稀だろうな」


 玻璃や玉を編みこんだ髪を指先で弄んで、暁飛は苦笑した。こういう髪形は、檀人にとっては恐ろしいほど奇異に映るらしい。まして触れられたり閨を共にしたりなど、普通の檀の娘にとっては狼の巣に踏み込むような心地がすることだろう。


 髪だけでなく着るものも食べるものも、彼我の違いはあまりに大きい。檀が築いた皇宮に、北辰族の風俗の者たちが行き交うことそのものが忌まれている気配も感じる。


(あの娘はなかなか度胸があったが──)


 彼の身分を明かしても震えあがることなく、真っ直ぐ見返してきた彩玉の目は、なかなか良かった。下手な細工をした玉よりもよほど、美しいとさえ思う。

 だがまあ、あれは特殊な例外だろう。侵略者を騙して金をむしり取ろうと手ぐすね引いているような連中は、並みの娘とは気の強さが違って当然だ。


「檀の皇室の姫が、誰か余っていれば良かったのにな」


 ふと呟いたのは、ないものねだりというものだった。滅びた檀の皇室の末裔を正室に迎えて大切にしている、という体裁が取れれば、もっとやりやすかったかもしれないのに。

 檀の後宮から捕らえられた女たちは、すでに戦利品として分配された後だ。

 戦勝の勢いというものもあったのだろうが、今となっては少々惜しいことだった。

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