奇遇仙女は賽をふる 〜悪鬼悪女討伐伝〜 3話
ふ、と意識が持ち上がる。
凌華は自分がどこか固いものの上に寝かされていることに気がついた。ごつごつとした大木の根っこで眠った時のような感触に似ている。
うとうとしながら意識が落ちる前のことを思い出そうとしていたら、その目元に温かいものが触れた。そのまま凌華の前髪を払ってくれる、誰かの指先。
誰だろうとその指の持ち主を捕まえて、そっと見上げてみる。大きな手は凌華の細い指には余りあって。
ぱちっと瞬きをしたら、黒曜石の瞳に自分の間抜けな顔が映る。玄布がほっとしたように息をついたのも見えた。
「目が覚めたか」
「〜〜〜!?」
びっくりして跳ね起きる。頭がぶつかりそうになったのを、玄布が身体を反らして避けた。凌華は俊敏に動いて距離を取る。
勘違いじゃなきゃ、今、膝枕されていた? なんで?
「どういうつもり!?」
「いきなり倒れたんだ。人を呼んでも、誰も来ないし」
肩をすくめる玄布の顔を食い入るように見る。彼の言葉に嘘がなさそうなのを見て、凌華は肩の力を抜いた。
天井を見上げると、吹き抜けになってるはずの上階はなく、満天の星空が広がったまま。ここはまだ自分の陣が敷かれているらしい。
「私が倒れてからどれくらい時間が経ったか分かる?」
「んー……半刻は経ってるんじゃないか?」
体感時間で半刻。
それなら外界の時間は三倍の速さで進んでいるはずだ。『姐様』の封術が緩んでも、時間の流れを麻痺させて活動時間を短くさせる。そういう陣を、凌華は組んでいたから。
「『姐様』と会った?」
「あぁ。だっ――」
「名前は言わないで。名前は一番短い呪よ。呼ぶだけでも力になってしまうから」
凌華がすごめば、玄布はこくこくと頷いた。素直でよろしい。
玄布はえぇと、と宙へと視線を彷徨わせる。
「まぁ、まず一番気になるのは札合わせの勝敗か?」
「そうね。あれだけあった札がすっかり無いもの」
「あれな。『姐様』が燃やしたぞ」
凌華はぽかんと間抜けな顔になる。
札を燃やした?
「なんでそうなるの!?」
「お前と姐様の札を足すと、俺とぴったり同数になってな。引き分けと言えば引き分けだが、負けと言えば負けになる。勝敗が気に食わなかったんじゃないか?」
あっけらかんと言う玄布に、凌華は頭を抱える。
あの札は結構な金のかかる代物だ。全く同じ札を六百枚作るのは、職人がものすごく嫌がるから。
頭を抱えて嘆く凌華は、自分の視界に見慣れない腕輪が嵌まっているのに気がついて。
「……なに、これ」
「約束の印だとかいって『姐様』が残していった。約束なんてしないと言ったら、誑かされそうになったがな」
「たぶら……」
「俺も暇じゃないんだ。探し物がある。そのために君に会いに来たのに、これ以上探し物をする余裕なんてない」
自分がこの男を誑かそうとしたのを想像して凌華はげんなりした。だけど腕を組み堂々と言ってのけた玄布の言葉に顔をあげる。
「そもそも、どうして私を探していたのよ」
「君なら分かるはずだと、玄天上帝に言われた」
玄天上帝は玄布のことをかなりお気に召しているらしい。昔馴染みではあるが、彼は凌華のことを失せ物探しの名人か何かだと思ってる節がある。
凌華は嘆息すると、気分を変えるように立ち上がった。
「仕方ないわね。探し物をするのなら、さっさと見つけちゃいましょうか」
「おっ、頼もしい」
「白々しいんだけど……」
ぼやきつつ、凌華は指を鳴らす。
ぱちん、と泡が弾けるような音とともに喧騒が戻り、天井から雉が降ってきた。
「あ、ふぁ!?」
「さっきはよくもやってくれたわね」
「あるぇ!? 本性に戻っちゃってる!」
陣の境界近くでがさごそ干渉している気配がするな、と思ってはいた。予想通り喜媚が何やら画策していたようだけれど、凌華のほうが一枚上手だった。
落ちてきた雉を、玄布がまじまじと見ている。喜媚はぱぱーん! と羽を大きく広げてケーンと鳴いた。
「しゃべることに驚かないのね」
「さっき『姐様』に聞いたからなぁ」
それなら説明はしなくていいわね、と凌華は頷いた。そのまま流れるような所作で、主張の激しい雉の胴をむんずっと掴む。
どっせい! と投げ飛ばした。
「やーーぁーーーぁーーー」
喜媚の悲鳴がたなびいていく。
雉は上の階まで飛んでいき、吹き抜けを囲う安全柵に引っかかった。近くにいた妓女たちに回収される。
「なんで飛ばしたんだ?」
「邪魔だからよ。今日だって本当は干渉できないように置いてきたのに。札に変化してまで入りこんで……」
一連の流れを見ていた玄布が面白そうに喉の奥をくつくつと鳴らす。凌華はため息をつきながら、玄布へ手を差し伸べた。
「遊戯は私の負けよ。続きは私の部屋で話しましょう」
満点だった星空は霞になって消え、朝日が差しこむ。
長いようで短かった夜が明けた。
凌華が玄布を連れて自室に入ると、彼は部屋を見渡して不思議そうに首を傾げた。
「派手好きだと思っていたが、思ったよりも質素だな」
意外だとでも言いたそうな言葉に、凌華は苦笑する。
「『姐様』がいなかったら贅沢する必要なんてないし。必要なものは揃っているから、問題はないでしょう」
「ちょっとくらいはおこぼれに預かろうとは思わないのか?」
「全然。興味ないし」
「じゃあ、君が興味あるものはなんだ?」
「さてね。考えたこともないわ」
「何か一つくらいはあるだろう」
凌華が卓まで誘導して椅子に座るように示せば、玄布は素直に座る。だけどその口はずいぶんとおしゃべりで、矢継ぎ早に凌華へと質問が飛んできた。
札合わせの余興だけでは足りなかったのかと、凌華は呆れる。くだらない質問だと答えずにいたら、食い下がられた。
凌華は困ってしまって、眉をへにょりと下げる。
「本当に考えたこともないのよ。ずっと封地にいたし、『姐様』のことがなかったら俗世に来ようとも思わなかったわ。最初は目新しいものが多いと思ったけれど、今の生活もそこそこ長いし。お金稼ぐのとお役目に手一杯。私、あまり器用じゃないの」
「それはつまらない人生だな」
「そうかしら。使命があるのはとても生きがいのあることよ」
昇仙する前のことを考えれば、凌華の生は随分と豊かになったほうだと思う。そもそも他人のものさしで測れるようなものじゃない。
「そんなことより、話を進めましょ。探し物をするなら手っ取り早く占うのが一番だわ」
凌華は玄布に背を向け、部屋の端にある棚から巾着を一つ持ってくる。
中身を卓上へひっくり返せば、色とりどりの玉でできた賽が七つ転がり出た。
黒曜石、珊瑚、瑠璃、翡翠、琥珀、金剛石、紫水晶。
それぞれに一から六の出目が描かれている美しい賽たち。
玄布は物珍しそうにその賽を見下ろす。
「綺麗なもんだな。双六でもするつもりかい?」
「占うって言ったでしょう。易占は知ってる?」
「八卦だろう。それこそ伏羲のお家芸じゃないか」
凌華は然りと頷く。
八卦は陽爻《━》と陰爻《- -》の二種の記号から成り立つ。これを三爻組み合わせることで一つの卦になる。それを発明したのが伏羲であり、吉凶を定めるのに用いることを易とした。
「この八卦を上下で二種組み合わせると六十四卦になる。この六十四卦から現状や未来を読み取ることができるの」
賽の入っていた巾着から紐を抜き取ると、一枚の布になる。布には八種の卦が刺繍されていて、凌華はそれを一つずつ示した。
「普通は筮竹を使ってこの八卦を出すんだけどね。私は筮竹なんてまどろっこしいの嫌いだから、この賽を使うのよ」
筮竹は五十本の細い棒を何度も手でより分けて数え、その本数で陰か陽かを把握する。だけど、賽だったら転がすだけで決まる。
要するに、爻が陽か陰か分かればいいのだ。
「黒曜石を初爻、珊瑚を二爻、瑠璃を三爻、翡翠を四爻、琥珀を五爻、金剛石を上爻として爻の位置を定めるわ。奇数がでれば陽爻、偶数が出れば陰爻になる」
爻は下から順に数字が振られる。賽が六種類あるのは、各爻を一度に示すため。
凌華は全ての賽を握ると、心を落ち着ける。
「占いたいものを教えて。あなたは何を探しているの」
凌華が詠うように問いかける。
玄布は真剣な眼差しを向けて。
「波旬の廟が暴かれて、その亡骸が消えた。俺は玄天上帝の命で亡骸の在処を探している」
凌華の呼吸が止まる。
思いも寄らない探し物に、凌華は玄布を見返した。
波旬は百年前に封じられた第六天魔王の名だ。
女神女媧から勅命を受け、当時はまだ唯人だった玄天上帝が封じた。
当時のことを思い出した凌華は、苦々しい面持ちになる。
「波旬が復活したとでも言うの? アイツは……玄武は何をしていたのよ」
「そう責めないでやってくれ。彼も忙しいんだ」
玄武は玄天上帝がまだ唯人だった時の名だ。当たり前のように彼の肩を持つ玄布に、凌華はため息をつく。
嘆いたところで何も始まらない。
凌華は自分のことで手一杯だ。波旬の封印云々は玄天上帝の役割なのだから、任せておけばいい。
「まぁ、いいわ。占うべきことは分かったし」
凌華は賽を握りしめ、乱れた心を落ち着ける。
脳裏に森羅万象を描いた。
「――易に太極あり」
凌華が唱えた瞬間、周囲に闇の帳が下る。
「是れ両儀を生ず」
二言目には、黒く発光する魚と白く発光する魚が凌華と玄布の周囲を泳ぎ、卓の上に陰陽魚となって収まった。
「両儀、四象を生じ、四象、八卦を生ず」
少陽青龍、太陽朱雀、少陰白虎、太陰玄武。
四方四季を司る四神が淡く発光しながら顕現し、陰陽魚の周囲に己の爻を刻む。刻まれた爻はさらに分化し、八卦となって強く発光する。
「八卦、吉凶を定む――是則、汝が奇遇なり!」
そして最後の言葉とともに、煌々と輝く卓上へ、凌華は賽を落とした。
澄んだ音を立てて転がった賽は、凌華に進むべき道を示す。同時に闇の帳は消え去った。
玄布が興味深そうに瞬く。
「なんだ、今のは」
「森羅万象って知っているかしら。今、すべての出来事の根源に干渉して、この賽たちに運命を載せた。私が奇遇仙女だからできることよ」
凌華はそう言うと、卓上の賽へと視線を落とす。
黒曜石は四の陰爻、珊瑚は二の陰爻、瑠璃は一の陽爻。是則、八卦の艮を示し山を現す。
翡翠は六の陰爻、琥珀は五の陽爻、金剛石は二の陰爻。是則、八卦の坎を示し水を現す。
「よって六十四卦は水山蹇。進もうとしても進みにくい時。このままじゃ、にっちもさっちもいかないわ。……で、こっちが現状の指針なんだけれど」
凌華は七つ目の賽である紫水晶の賽を差す。
出目は、三。
そのまま指は瑠璃の賽へと移る。
「紫水晶が示したのは三爻。このまま進むのは良くない。元いた場所に戻るが吉。……あなた、ここに来る前はどこにいたの?」
凌華の問いかけに、玄布は少し微妙な顔になる。
「ここに来る前は、三垣の紫微宮にいた。後宮にあがっている従姉妹殿から奇妙なことが起きていると相談をされていたんだ」
「奇妙なこと?」
「夜な夜な琵琶の音がするらしいんだが、誰も弾いていないらしい。それで……あ、そうだ、琵琶」
一人で何かに納得したように玄布が頷く。
凌華が怪訝そうに促せば、玄布はこてりと首を傾けて。
「『姐様』に、琵琶を探してほしいと言われたんだ」
「琵琶を?」
「妹分だと言っていたぞ」
凌華の眉がぎゅっと寄る。
凌華自身も『姐様』については詳しく知らない。喜媚の言動から、義姉妹の関係にあるのは知っているけれど、もう一人妹分が存在するなんて。
「喜媚に聞いたほうがいいわね」
邪魔だからと追い出したのが裏目に出てしまった。行儀が悪いとは思いつつ、うっかり舌打ちしてしまう。
そんな凌華を眺めていた玄布が面白そうにぽつりと漏らした。
「君ってなんていうか……素行がたまに悪くなるよな」
言われた凌華はにこりと笑みを浮かべると、卓上の賽をぴんっと指で弾く。
転がった琥珀は四の出目。
五爻が陰爻に変わり、八卦は坤を示し地を表す。
「是則、地山謙。謙遜を持ちなさいって言われちゃったわね。言っていいことと悪いことがあるわ。言葉には気をつけなさい」
玄布が肩をすくめた。それに満足そうに頷いて、凌華は話を戻す。
「まずは琵琶について調べましょうか。易が示したのなら、何かしら事態が動くはずよ。それがあなたの求めるものにつながるはず」
凌華がそう宣言すれば、玄布も頷いた。蘇亘に喜媚を連れてきてもらおうと、彼は自ら廊へと出て行く。
その後ろ姿を見送って、凌華はもう一度卓へと視線を落とした。
賽を手に取る。
念じるのは己の未来。
「易に太極あり、是れ両儀を生ず。両儀、四象を生じ、四象、八卦を生ず。八卦、吉凶を定む。是則、我が奇遇なり。――波旬と姐様、どちらの封印を優先するべき?」
もう一度、賽を転がす。
かつん、ころり、ころり。
賽は往生際が悪く転がり続け、やがて一つの運命を導く。
「黒曜石は三の陽爻、珊瑚は一の陽爻、瑠璃は四の陰爻」
是則、八卦の兌を示し沢を現す。
「翡翠は四の陰爻、琥珀は六の陰爻、金剛石は五の陽爻」
是則、八卦の艮を示し山を現す。
「よって六十四卦は山沢損。紫水晶は四爻を示す」
山のふもとに沢がある様子は損を招く。高い理想のために低い欲を捨てるための啓示だ。一時の損はその後の大成を導くともとれる。
その中でも四爻は、すみやかに禍根を断ち切れば良い方向に向かうことを示していて。
「畢竟。めんどうくさがらず、協力しろってことね」
と、なると。
凌華は部屋を出て行った玄布を追いかけるように視線をあげる。
最優先は第六天魔王・波旬の封印。
「まったく……私は奇遇仙女なのに、奇遇が読めない人たちばかり集まってくるの、どうにかしたいわ」
賽をじゃらりと集め、巾着に包む。
玄布が喜媚を連れて来たら、まずは三垣に向かおう。
そこで奇遇を読み解いて、波旬の手がかりを見つけ出す。
そうしようと思えば、あとは行動するだけ。
凌華は巾着を掴むと手首に備わった『姐様』の印を一瞥し、玄布のあとを追いかけた。
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べん――べべん――べん――――
琵琶の音が、夜の紫微宮に響き渡る。
「――憎いでしょう。忌まわしいでしょう。お前を封じたあの女が。私も憎い。私も忌まわしい。姐様を陥れたあの女が」
眠る天子の傍らで、旋律に乗せるのは怨嗟の睦言。
天子の表情はみるみるうちに苦痛に歪み、低く唸りはじめる。
「今はまだ眠りなさい。微睡みなさい。待ちなさい。お前の魂をその器に馴染ませるにはもう少し時間がかかります」
天子の枕辺に侍る妃はそう囁くと、いっそう激しく琵琶をかき鳴らす。
苦悩の声をあげていた天子は琵琶の音につられてひと際大きく痙攣すると、ぷつりと糸の切れた人形のように静かになった。
琵琶を奏でる妃はうっそりと嗤う。
「あの女に復讐をしましょう。あの女を殺しましょう。あの女を殺した暁には、お前がこの世界を統べるのです。そして表の世界は我らが姐様が……」
琵琶の音が余韻を残して夜闇にかき消える。
妃はうっとりとした表情で琵琶を抱きしめて。
「女神なんて、いらないのよ」
美しい琵琶に魅入られた妃は、そう囁いた。