二人目の監視者
「すごいじゃないかナガタキさん。初回なのに1時間フルで滞在できるなんて」
主治医のナカムラさんが、僕の背中を叩きながら喜ぶ。
「めちゃくちゃきつかったです。でも、ここで諦めたらずっと僕は弱いままだなと思って、食いしばりました」
「すごい根性だな。うん。そこまでやる気に満ち溢れていたら、ナガタキさんの病状もすぐに改善するだろう」
「はい、頑張ります」
ナカムラさんは人を褒めるのが上手い。
皆、僕のような弱者は憐憫の眼差しで見てくるが、ナカムラさんは違う。
僕を、対等な人間として接してくれている。
「いい心がけだね、全く。よし、じゃあ次から監視人を2人に増やしちゃおっかな、なんてね」
ナカムラさんは微笑みながらそう言った。
冗談をかまそうとしたのは見ての通りだ。
でも僕は笑えなかった。
僕は生気を失った真顔で、少し間を置いてから尋ねた。
「二人に増やすって、元から二人じゃないですか」
僕を和ませる、ナカムラさんの笑顔がぱったり消えた。
「なんだって? 君の部屋に配属したのは一人だぞ。紺色のスーツを着た、『マナカ』さん一人だけ」
「名前はわかりませんけど、紺色の人はいました。それともう一人、黒いスーツを着た女性もいました」
僕が証言する程、ナカムラさんの顔が曇っていく。
ナカムラさんは胸ポケットから携帯を取り出し、スタッフらしき人に確認を取り始める。
「3号室の監視人の事だが、配属したのはマナカだけだよな?」
通話中もナカムラさんの顔は怪訝を深めるばかりだった。
気持ち悪かった。
寒気がのぼってくる。
僕の心臓は、はち切れそうなくらい暴れている。
携帯を切った後、ナカムラさんは暗い顔のまま通話内容を僕に伝えた。
「今、3号室、ナガタキさんが入った部屋の管理職員に尋ねてみた。配属したのは、マナカさんだけだ」
それを聞いた途端、冷たい鉄の棒で体を貫かれたような衝撃を食らった。
「そ、そんな……。じゃあ、僕が見たのは、マナカさんの隣にいたのは……」
信じがたい恐怖に震え上がって言葉を失っていた僕。
この沈黙を補う様に、ナカムラさんが口を開く。
「その女性、喋ってた?」
「はい、喋ってました」
「マナカさんと喋ってた?」
「……まあ、はい。喋ってたと思います」
「じゃあ、マナカさんはその女性と喋ってた?」
そこで虚を衝かれた。
見えなかったものがまざまざと明らかになった。
確かに二人は会話していたように見えた。
だがそれは一方的なもの。
黒の女性がマナカさんにコメントを合わせても、マナカさんが黒の女性に反応することは一度も無かった。
この事実に気が付いて、僕はますます沈黙した。
「……実はね、そういう事って、そこそこあるんだよ」
「え?」
耳を疑った。
ナカムラさんは気まずそうに俯きながら話を続けた。
「ほら、こういうところってさ、色んなバックボーンを持った人たちが集まるじゃない? だから、中にはそういう、不思議な体験をしてしまう人もいるっちゃいるんだよ」
ナカムラさんは僕にダメージを与えないよう、慎重に言葉を選んでいるようだった。
でもそんな気遣いは要らない。
はっきりとわかっている。
僕が見たのは、普通なら見えないもの、この世に実在しないものなんだ。
「ああ、そ、そんな……」
誰だ、じゃあ、あの女性は一体誰なんだ。
実在しないものに、僕は監視されていた。
どうして。
どうして彼女は僕を監視していたんだ。
いくつもの考えが頭の裏から表まで駆け抜けていく。
恐怖に鷲掴みにされた心臓は、冷たい血を全身に巡らせる。
そうやってキリの無い焦燥に飲み込まれていると、僕の耳元を、透明な声が通り過ぎた。
「ズット、ミテルヨ」
確かにそう聞こえた。
姿なき声。
じわじわと僕の体を這っていた寒気が、どう猛な蛇が暴れ出すように一気に僕の全部を襲った。
立っていられないほどの眩暈が頭を打った。
視界が幾重にも分裂して回転し、鈍重な音が体に響く。
気を失った時には、僕は仰向けになって倒れていた。
公共羞恥心順応治療の第1回目、僕は定石通りに気絶してしまった。